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名前のナイ世界 「8」

 記憶の中のアルバムをめくっていくように、アリサは自動列車の中で訥々と過去を振り返る。

 《赤ずきん》との出会い、修行、旅の日々。

 思い返してみれば、自分でも少し可笑しいと思ってしまうぐらいには奇妙な関わり合いだった。


『……なぁアリサ、質問してもいい?』


 アリサの膝の上で、パンドラがおずおずと尋ねる。


「いいけど?」

『その《赤ずきん》って人は、アリサを助けてからも一緒に旅をしてたんだよね? その人は、どうして旅をしていたの?』

「…………それは」


 《赤ずきん》が旅をする理由。

 旅をするからには、多かれ少なかれ理由がある。

 今のアリサが彼女への忘れ物を届けるように、《赤ずきん》もまた何かしら旅をする理由があって然るべき。


「実は……知らない」

『へ?』


 嘘でしょ、みたいな風のパンドラに対し、アリサは素直に頭を振る。


「アタシも、旅を始めて少し経った時ぐらいに聞いた。その時は「人を探している」って言われて、どんな人かって聞いても、はぐらかされた。その後にまた聞いたら「探してる人は見つかった」って言われて、結局有耶無耶だったよ。別に、ウソをついている風でもなかったけど……何ていうか、まぁ、今でも腑に落ちない」


 《赤ずきん》との旅の間で、様々な人に出会った。

 彼女と同じように夢から生まれたバケモノを相手に戦う同業者なんてのも居たし、良いも悪いも含め、この荒んだ異世界で生きる人々と交流することは少なくなかった。

 だが、その中の誰かが《赤ずきん》の探していた人なのかと思うと、アリサ個人の意見で言わせてもらうのであれば恐らくノーだ。

 大抵の人は《赤ずきん》をバケモノ退治の出来る狩人としか見てなくて、誰も懇意に接しようとする人はいなかった。

 逆に、夢狩と聞いて胡散臭いと邪険に扱うような人の方が圧倒的に多かったような気もする。


『……で、突然失踪しちゃったワケか。なんかヘンな感じ』

「あぁ……そう、だね」


 パンドラの上で頬杖を突きながら、アリサは薄く白みつつある空を窓越しに見つめる。


「……いいさ。もう少しすれば会えるんだ。その時にでも、聞けばいい」


 あの日は、本当に何もかも唐突だった。


 ※


 《赤ずきん》と旅をしながら、この世界にもおざなりにだが四季があることを知った。

 春には薄桃色の花が咲き、夏になればうだるような暑さがあり、秋の木枯らしは山を紅に染め上げ、冬は雪と底冷えする風で死のような静寂をもたらす。

 有理紗が元いた世界と何ら変わりない、傍若無人といった自然の振舞い。

 とはいえ、こんな異世界で旅を一年と続けていれば、否応なしに慣れてくるというもの。

 ……一年。

 光陰矢の如しとはよく言ったものだが、有理紗が《赤ずきん》と出会ってからのこの一年という期間は、正しく放つ矢が風を切っていくような速度で過ぎていくように感じていた。

 死んで、ヘンな能力に目覚めて、危険なバケモノと出くわすことも少なくはなかったが、その都度二人でどうにか切り抜けていった。


「……」


 旅の途中。

 有理紗は今、麦畑が延々と広がる小さな町を訪れていた。

 風に揺れる麦穂はまるで黄金色の海のようで、有理紗の胸の奥をくすぐってノスタルジックな気分に浸らせてくる。現実世界なら、凝ったフィクションでもなければ滅多にお目に掛かれないような光景。

 そんな黄金色の海を割るかのように伸びた一本道を、有理紗と《赤ずきん》は歩いている。

 既に見慣れた、先を往く赤い外套の後ろ姿。

 黄金に挟まれた一本道を堂々と歩くその姿はどこか勇ましく、まるで一枚の絵画のような芸術性を醸し出している。

 文字通り絵になっている彼女の姿を見て、有理紗はなんだか可笑しくて口の端が小さく釣り上がっていた。

 今でも信じられない。

 それこそ、物語じみた死後の旅。

 もしかしたら、生きていたころより楽しいんじゃないかと、不謹慎な考えが脳裏を過ぎる程度には今の生活も充実している。

 死んでよかった、と思うのは流石に生に対する冒涜のように思えなくもない。

 けれど、そう思えてしまうほどには今の旅が楽しかった。


「どーしたんだい?」

「……何?」

「顔がニヤついてるよ」


 後ろを振り返りもしないのに、《赤ずきん》がそんな風に言ってくる。

 まるで心を見透かされたんじゃないかのタイミングで、有理紗も思わずニヤけた表情筋を無理矢理引っ込める。


「……今度は何処に向かってるの」

「見えるだろう? あの小屋が」


 なだらかな坂道を越えたところで、《赤ずきん》が指を差す。

 水を汲み上げているという風車小屋の隣に、白い屋根の小さな一軒家が見えた。

 質素でこそあるが、普段世話になるような廃屋とは違い素朴な清潔感に溢れている。


「今日はあそこで宿をとる。二階に部屋があるから、有理紗が使うといい」

「……知ってるの? あの小屋のこと」

「ずうっと前に、私が使っていた小屋さ。今は……誰も使っちゃいない」

「……?」


 そんな《赤ずきん》の言葉に、有理紗は微かな違和感を覚える。

 緩やかに風を受け回り続ける風車といい、白いシンプルな塗装の屋根は目立った損傷もなく、ずっと前に使っていた――なんて、長い時を経た小屋とはとても見えない。遠目から見ても、まだ誰かが生活しているかのような名残さえ感じる。

 そんな違和感を抱いたまま進み続け、十分とすれば目的地へと辿り着く。

 彼女が懐から小さな鍵を取り出す。それこそ、自分の家に帰って来たかのようにごく自然に。


「……綺麗じゃん」


 白木で作られた小さな正方形のテーブルの上に、手の込んだ刺繍の施されたテーブルクロス。

 全体的に家具の少ないこざっぱりとした部屋で、細長い食器棚には二人で使うには十分過ぎる量の食器が仕舞われている。奥には二階へと続く階段や台所も見える。

 上階に行ってみるとベランダの付いた個室があった。

 家具の類は、クローゼットと、小さな化粧台とベッドだけ。

 何となしにクローゼットを開いてみると、古ぼけた旅行鞄が横倒しになっているだけで、他に服の一つも収納されていない。

 下の階も含め、生活する上で無駄を徹底的に省いたような印象の家だ。

 シンプルといえば聞こえこそいいが、ここまで来ると流石に少し寂しいような気がしてくる。


「ふーん……」


 もしかして、ここは彼女の自宅なのだろうか。

 かつて《赤ずきん》はここで平凡に寝食を過ごし、姿見や化粧台で身だしなみを整えるような日々を送っていたのだろうか。……や、何だか想像できないな。

 ふと風に当たりたくなって、ベランダへ続く戸を開けて外に出る。


「…………」


 粗末な小屋が点々とそびえ、風車がカラカラとひ弱に回り、稲穂がさざ波のような音を立てる。ともすれば、牧歌的な絵画のような光景。

 そんな郷愁的な色合い強いからなのだろうか、急に有理紗の胸の奥がざわつき始める。

 ホームシック?

 ……いや、違う。

 いくら何でも今更過ぎるし、そもそも元の世界に未練はない。今の方がずっと充実している。


「有理紗」


 下から聞こえてきた《赤ずきん》の声が、物思いに耽っていた有理紗を現実に引っ張り起こす。


「そこまで、買い出しに行ってくるよ」

「え……あ、あぁ、うん」


 虚を突かれたとはこのことか。

 完全に不意打ちをくらった有理紗は、そんな彼女の後姿をひらひらと力なく手を振って見送る。


「……少し、昼寝でもしよう」


 寝て醒めれば、そんなちっぽけな感慨も失せるだろう。

 事実、夕食の時刻を迎えるころには頭の中から何処かへ行ってしまっていた。


 ※


 その日の夕食は、普段と比べればかなり真っ当で豪華な食事だった。

 ……や、こう書くと普段ロクでもないモノを食べてるように思われるかもしれないが語弊だ。

 有理紗が主に食べているのは、道すがらに狩猟して調理した獣の肉か、ほとんど味のしない簡易的な携帯食料、変わりどころで言えば干した芋や果物なんかも食べたことがある。獣の肉はともかく、残った後者は大抵不味い。

 それらに比べたら、本日の夕食のなんと手の込んだことだろう。

 白い皿の上に盛られたふわふわのスクランブルエッグ。

 肉汁が溢れてしたたるハムステーキにはカットされた野菜の炒め物が添えられていて、それに加えて、中にベーコンが挟み込んである麦の穂の形をしたパン、オマケに牛乳まである。パンは、買い出し先でわざわざかまどを借りて焼いてきたのだという。


「……料理が上手いのは知ってたけど、さ。《赤ずきん》って、パンまで焼けるの? ……凄くない?」

「ずっと昔に教わったのを、たまたま覚えていただけさ。ほら、好きに食べな」


 そう言って《赤ずきん》は有理紗の正面の椅子に腰かける。

 美味しそうな手料理だが彼女の分は一切ない。

 決まって、彼女は食事を取らなかった。

 今までこうして一緒に旅をして、食事の時間を共にこそするのだが彼女は有理紗の分だけを用意するとあとは何も口にしなかった。理由を聞いても「腹が減ってない」とか「そんな気分じゃない」とか言われてしまって、結局有理紗だけが食事をしてしまっている。流石に気後れはするし、いくら何でも心配なのだが、それ以上を追及しても何も答えてくれないので有理紗は諦めて、けれどキチンと感謝すること忘れない。


「いただきます」

「相変わらず、大袈裟だね」

「……アタシも昔、学校で習ったのを忘れてないだけ」


 口酸っぱく教わったような気がするのだが、中学以降は誰も言ってないっけな。

 減らず口もそこそこに有理紗はフォークでステーキを切り分けて口に運ぶ。ちょっと前まで箸が恋しかったのにもう忘れている。

 程よく肉厚なハムステーキは出来立ても相まって非常に美味しい。

 味付けは塩だけのようだが、それが却って肉の旨味を引き立てていているような気がする。パンを千切って口に放り込んで、ベーコンの風味と香ばしさに舌鼓を打ち、スクランブルエッグをフォークで掬って、またステーキに手を伸ばして。


「……有理紗」

「ん?」


 ステーキの最後の一切れを平らげて、食器の上から一切が無くなった頃、不意に《赤ずきん》に呼ばれる。

 相変わらずフードの向こう側は見えない。

 けれど、それなりに長い付き合いの有理紗は声の感じから何となしに雰囲気ぐらいは読めるようにはなっていた。

 静かで、平坦で、落ち着いた声。

 普段そうしているような、他愛のない世間話をするときの声だ。


「有理紗は、夢を見ることがあるかい?」

「……夢?」


 牛乳の入ったマグカップを手に取って有理紗が返す。


「そりゃ、まぁ……少しぐらいは。……もしかして、ヘンな寝言でも言ってた? アタシ」

「いや……はは、そういえば、時々譫言を言っていることはあったね」

「えぇ……」


 からかわれて微熱を帯びた頬を冷ますようにして有理紗はマグカップに残っていた牛乳を一気に飲み干す。

 こっちも何か言い返してやらないと――と、叩こうとした軽口は喉の手前でピタリと止まる。


「どうも最近、私もおかしな夢ばかり見てね……」


 赤いフードが、がっくりと項垂れていた。

 声のトーンが不意に落ち、まるで晩年を過ごした老人かのように彼女は深い溜息を吐く。


「……な、何だよ急に。それは、ほら……えっと、旅の疲れとか、出たんじゃ……ない?」


 自分で言って、それはないと胸中で否定する。

 食事もロクに取らない日々ばかりだったが、彼女が不調を訴えたことなど今日まで在り得なかった。

 出会ってから今まで、一度たりとて見なかった。

 それは、有理紗が初めて見た《赤ずきん》の疲れ切った姿だった。

 有理紗は努めて、明るい調子で言葉を重ねていく。


「今日だって、慣れないことして……だから、寝れば治るよ。アタシみたいに」

「……まぁ、それもそうかねぇ……」


 ギシ、と《赤ずきん》がもたれ掛かった椅子が軋んだ音を立てる。

 ぼんやりと天井照明を見上げ沈黙する彼女の様を見て、有理紗の胸の中を箒で突かれるような不快な感覚が走り回っていた。

 何か、良くない。

 何がとハッキリとは言葉に出来なくとも、心の中に暗雲が立ち込めていくかのように、嫌な予感が這い寄ってくる。 


「少し、ここで休んでけばいいよ。二、三日か……別に、もっと休んだっていいでしょ。治ってから、また旅に出れば」


 焦りで口が不必要に回って、頼みもしないのに早口言葉みたいに有理紗の心情がこぼれていく。

 そんな慌てる有理紗の頭に、ぽん、と《赤ずきん》の手の平が触れる。


「ふふ、落ち着きなよ。別に、変な夢を見たってだけのハナシで、それだけさ。深い意味はないよ」


 気が付けば、斜陽のような雰囲気は幻かのように消え失せ、普段通りの《赤ずきん》に戻っていた。

 撫でられっぱなしの手の平を有理紗が退けると、彼女は小さく笑って席を立つ。


「でもまぁ、そうだね。少しここで休んでいくのもいいだろう。有理紗も、ここにあるモノは自由にしてくれて構わないから。のんびりしていくといい」

「アタシは……いいよ、別に」


 食べ終えて空になった食器を集め、《赤ずきん》は流しで洗い物を始める。

 この日の、この時だけ。

 何故か有理紗は雑用を買って出ることをつい忘れて、その背中をただただ見つめていた。

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