名前のナイ世界 「6」
パチパチと爆ぜる音が耳朶を突いてきて、暗い闇の中に在った有理紗の意識がゆっくりと目を覚ます。
全身に圧し掛かる倦怠感に苛まれ、手足はおろか、指先ですら有理紗の意思と相反するようにちっとも動いてくれない。
脳味噌が慌ただしく送り付けてくる電気信号を唯一まともに拾ってくれたのは瞼だけだった。
あんまりにも重た過ぎる瞼を抉じ開けるようにして開くと、視界に飛び込んできたのは宝石を散りばめたかのように輝く星々の海。
手を伸ばせば、影絵になった指先に星の温もりが届きそうな――そんな風に錯覚させるほどの、満天の星空。
「悪いコトをしたね」
そんな謝罪の言葉が横から聞こえてきて、眼球だけ動かすと焚火を突く《赤ずきん》の姿があった。
相変わらずフードの奥の表情は見て取れない。
ただ、その謝罪の言葉の柔らかさからして有理紗を気遣っていることくらいはわかる。
「……………………え、っと?」
「お前さんに素質があるのは、実は最初からわかっていたんだ。あとは、それが目覚めさえしてくれた方が説明が早いと、少し荒い方法を取ってしまった。怖かっただろう?」
「…………い、ぁ」
頭で思った言葉が、口先が上手く動いてくれなくて思った風に出てきてくれない。
が、しかしどうだっただろうか。
獣から逃げこそすれ、ハチェットを拾い上げ、対峙して、それから……それから、正直ハッキリとした記憶は残っていない。
ただ何か、大きな力の流れが有理紗の中から湧き上がって、それを思い切り解放したような感は身体に残っている。今身体を包み込んでいる倦怠感が、その証明のような気もする。
「……人間は、本能的に『痛み』を拒否するものさ。走り続けたいと思っても、頭が危険信号を発して、足の筋肉が痛みを訴えて、それを止めてしまう。戦おうとしても怪我をすれば、また同じ痛みを経験から想起して、怯えて、竦んで、身体が言うことをきかなくなる。痛みの先は、詰まる所『死』さ。だが、この『死』を越えた先に……人間が無意識に仕舞いこんだ、特別な感覚が在る」
「……」
斬られる痛み、刺される痛み、焼かれる痛み。
平時を生きる常人であれば全身が『痛み』を恐れ、身体が意思とは反対方向に抵抗して身動きさえ儘ならなくなるようなあの状況下、結果はどうあれ有理紗はハチェットを手に獣へと立ち向かっていた。
あの時の有理紗は、勇気で動いていたのだろうか。
無謀か、或いは自暴自棄だったろうか。
「第六感の、その先の未知の感覚――七ツ目ノ感覚。死に触れ、そして死を超越した人間だけが辿り着く境地と、私は人から教わったよ」
「なに、それ」
突拍子のない中二病ワードに、どうしたって有理紗は笑いを我慢することが出来なかった。
かすれた笑い声をいくらか響かせて、やがてその声はゆっくりと夜の中に消えていく。
星空を見上げるのにも飽き飽きして、有理紗は身体を起き上がらせた。
人工の明かりのない、星々の明かりだけで照らし出されただだっ広い荒野が目の前に広がっていて――いや、ヘンだなと脳が違和感を示す。
「……ここ、どこ? アタシ、森の中に居たはずよね……?」
「場所は変わっていないよ。ここは、お前さんがバケモノとやり合ってたあの森さ」
「……は?」
木という漢字を三つ集めて『森』という漢字は成り立つんですよ。小学校の頃、そんな風に漢字の成り立ちを教えてもらったことがある。
しかし、《赤ずきん》が言うにはここは有理紗が刃の獣と死闘を繰り広げていた『森』だという話だが、目の前や付近には木の一本はおろか、雑草ですら生えていないような荒涼とした荒地しか広がっていない。森と呼ぶには、あまりにも木が足りなすぎる。
「そうだね、正確に言うと……お前さんがその感覚でぶった斬って出来上がった森だった場所」
「……は……ぁ……?」
「後ろを見てみればわかるさ」
言われて、振り返る。
そこには《赤ずきん》を追って踏み込んだ、見覚えのある森が存在していた。
……しているのだが、明らかに様子がおかしい。
森から前方、有理紗たちが今いる場所一帯だけが、大規模な森林開拓を施されたかのような――何ていうか、開拓なんて生易しいものじゃなくて、もっと極端に、巨大なロードローラーとかで雑多に整地されたかのような、奇妙なまでに整然とした荒地と化していた。
ジオラマ模型の森を、カッターナイフとかで鋭利に切り取って、他の模型とくっつけて出来上がったかのような、奇妙なまでに整然とした森と平地。
上手く言い表せない自分の語彙の無さはともかくとして、これを瞬時に頭と感情で理解しろというのがどだい無理な状況。
「……アタシ、が……ぶった斬った?」
「あの威力は、流石の私も驚いたね。万が一に備えて木の上で見張ってたんだが……危うく私も吹き飛ばされるところだった」
「……ち……ちょ、っと、待って。アタシが、こんな風にしたって? こと? どうやって……?」
「今言っただろう。それが、お前さんの中で目覚めた七ツ目ノ感覚だって」
「…………」
七ツ目ノ感覚――『セブンスセンス』。
曰く、死を越えた先で見出すという、第六感の次の感覚。
だが、有理紗の脳内でイメージされる『感覚』という言葉との齟齬が大き過ぎて、現実味が一切湧いてこない。
第六感は……まぁ、何とかわかる。
バトル漫画とかで言う、相手の気配だとか殺気だとかを感知したり、霊感とかみたいな、もしかしたら在ることは在るんだろうけど、眉唾で何とも掴みどころのない、そういった抽象的な感覚を指したりするようなソレ。
でも、何をどうとち狂ったら、そこから一歩踏み込んだだけでこんな超常的な破壊現象に繋がるんだろう。
此処まで来るともはや異能力であって、何ていうか、感覚ってレベルじゃないような。
「……お前さん、何か考えていることのベクトルがズレちゃあないかね」
「…………あ、アタシに、百歩譲って、あんな能力があるのはいいとして……な、何でこんな……」
「私もそこまでの詳細は知らない。ただ、この七ツ目ノ感覚っていうのは、どうも当人が自覚している『過ち』に直結するらしいとは聞いたね」
「……『過ち』?」
あまり良い意味ではない言葉を耳にして、有理紗の身体が薄っすらと強張る。
「そうさね……私が見た限りの印象で言うなれば……あれは、やり過ぎ、だ」
「……やり、過ぎ」
「目の前のバケモノだけを屠る力だけを発揮すればよかったのに、お前さんの放ったあの一撃はバケモノはおろか、その余波で森の半分ほどを破壊し尽くすという代物だった。……あまりに過剰な力の発現。勝手に名付けていいのなら……そうだね、過力でどうだい?」
「……」
起こしていた身体を再び倒して、視界を再び星の海へと戻す。
遠くの星に想いを馳せるように、有理紗は自分が死ぬ前の――生きていた時の頃を、思い出していた。
「過ち……過ち、か。一言多いとか、よく言われたっけ……あぁ、アタシが優里に殺された理由も、ソレか……」
「……」
今でもよく覚えている。
いや、覚えているというより忘れようがないと言うべきか。
親友だと思っていた彼女に突き飛ばされた時の、あの時の優里の顔を。
激しい憎悪に入り混じった、小さじ一杯程度の恥辱の表情。
あんな顔をされる原因に、思い当たる節があったのだ。
「……アタシ、見て見ぬフリってのが出来ないんだ。いや、別にイイコぶってるつもりはなくて、泣いてる人とか、困ってる人見かけると体が勝手に動く。……あー、あの時も、交差点で困ってるお婆さん助けたっけ」
「……」
赤いフードの奥で無言を貫く彼女だが、野暮なことは挟まず、有理紗の言葉の先を待ってくれているかのようだった。
そのまま、有理紗も話を続ける。
「あの時声かけられたら、とか。あの時手伝ってあげられたら……とか、そういう後悔がイヤで、したくなくて。だから……いや、だけど、そうだね。あの時のは……ホントに、一言余計だったかも」
あの時の、一週間くらい前。
有理紗はとある男子生徒から放課後に呼び出され、突然告白された。
相手は隣のクラスの生徒で、顔と名前は知っている。
部活はバスケ部で、まぁまぁなルックスで――親友、古賀月優里が想いを寄せている相手。
呼び出された時の意図は汲み取れたものの、男女の恋愛なんぞ全くと言っていいほど興味のない有理紗は、そんな体の趣旨を文字通り短刀で突き刺すような勢いでハッキリと伝えた。
連絡先の交換も丁重に断った辺りで、すっかり意気消沈してしまった彼を見て――や、見てしまったからこそ、あの時の有理紗はつい余計な一言を添えてしまった。
アンタのことが、好きな人を知っている。
優里の名前を教えたら、彼はナイナイと顔をしかめてしまった。
「それが……お前さんが殺された原因?」
「……だと、思ってる。完全に、勝手な憶測だけど」
あの後のことは知らない。
だけど、彼の姿をいつも追い掛けていた優里が目を逸らすようになったのも同時期だったし、有理紗の知らないうちに、両者間で何かしら軋轢が生じてしまったと見て間違いないと思っている。
尤も、死んだ今となっては本人に会いようがないし、事実確認をする方法もありはしないのだから、これ以上考えてもしょうがない。こうなってしまった、と割り切るので精々だ。
「言わなきゃ、よかった」
「なんだ、言ってるそばから後悔してるじゃないか」
「こうなるなんて、思わなかったんだよ」
何事もなく朝を迎え、駅で突き飛ばされ、巡り巡って異世界転生。
平凡に生きる女子高生の妄想とて、そこまで飛躍するまい。
開き直るように――いや、実際開き直っている有理紗はおどけるようにして《赤ずきん》へと向き直る。
「……で? アタシに変な力が在るのはわかったけど、この後は?」
「身体はもういいのかい?」
「それなりに」
「なら……そうさね、当初の予定通りやろうとしよう。有理紗、私はお前にこの世界での生き方を教えようと思う」
「生き方?」
戦い方――かと思っていたが、それよりずっと広い意味の言葉だ。
ほんの少し背筋を伸ばして、有理紗は彼女の話に耳を傾ける。
「あぁ。経緯はどうあれ、お前さんはこの異世界にやってきた。お前さんの居た世界とは異なる世界。郷に入っては郷に従えというだろう? 私が教えるのは、そういうモノさ。戦い方はもちろん、自分の感覚の使い方、一人で旅をする方法、そういう……そう、洒落た言い方をするなら、ライフハック……だったか。それを、有理紗に教えようと思う」
「……」
一人で旅をする方法。
彼女がそう言ったのを有理紗は聞き逃さなかった。
《赤ずきん》との旅に終わりが訪れるということを示唆している。
別に、何時までも一緒に旅が出来るとは思っていなかったけれど。
いつか、終わりが来るだろうことは分かりきっていたのだけれど。
言葉にされると、より一層の現実として突き付けられるようで。
少し、寂しいものがある。
「ただし、一から十まで全部を教えるつもりはない。私が教えられるのは、あくまで私が経験した事柄から掻い摘んだモノだけだからね。コレが基礎……に、なるかどうかはお前さん次第だ。私が教えたことに従ってもいいし、自分なりにアレンジしてくれても構わない。身に付けた知識や技術は、お前さんがお前さんの納得がいくように活用してくれればいいさ」
「…………わ、わかった」
ぎこちない有理紗の返答に《赤ずきん》は笑った――ような気がした。
曖昧にそう思ったのは、どう覗き込んでもフードの奥の表情が見て取れなかったから。
別に、そうやって勝手に判断したっていいだろう。
「今日はもうこんな時間だし、特訓するのは夜明けからでいいだろう。火の番は私がしてるから、有理紗はもう寝るといい」
「……ん」
緊張で張りつめていた背筋をいくらか弛緩させると、有理紗は再び地面へと横たわる。
薪が炎で焦げ付く音が程よいリズムを生み出して、有理紗の瞼に穏やかな睡魔が押し寄せてくる。
……でも。
《赤ずきん》は、どうして私を助けてくれたんだろう。




