第一話 出会い
『言葉の箱庭』は、
京極夏彦氏の作品『魍魎の匣』の登場人物・加菜子への個人的なリスペクト、そして京極作品全体の空気感への敬意を込めて執筆しています。
もちろん内容そのものは独自作品ですが、
少女同士の会話、閉じた空間、言葉による心理描写など、多くの部分で影響を受けています。
山本葵には、入学した時から気になっている人物がいた。
透き通るように白い肌。
漆黒の髪は肩のあたりで静かに揺れていて、窓から入る夕方の光を受けるたび、まるで黒曜石みたいに艶めいて見えた。
そして何より、あの目。
大きな黒い瞳は、不思議と相手を真っ直ぐ見つめる。
ただ見ているだけなのに、何かを見透かされているような気分になるのだ。
最初に見た時、葵は少し怖いと思った。
女子高という場所には、なんとなく独特の空気がある。
目立つ子。
綺麗すぎる子。
変わっている子。
そういう人は、どこかで浮くものだと思っていた。
けれど彼女は違った。
昼休み。
放課後。
気が付けば、彼女の周囲にはいつも人だかりができていた。
「だから、人って“自分で決めた”って思うと安心するの」
窓際の席で、彼女は静かにそう言った。
「えー、でもさ、それってただ誘導されてるだけじゃん」
「うん。そうだよ」
あまりにもあっさり肯定するので、周囲から小さな笑い声が漏れる。
「でもね、誘導って特別なことじゃないの。人と話してたら普通に起きるから」
穏やかな声だった。
押し付ける感じはない。
なのに、みんなちゃんと彼女の話を聞いている。
「たとえば、“今日なんか甘いもの食べたくない?”って聞かれたら、ちょっと意識しない?」
「あー、するかも」
「その時点で、頭の中にはもうケーキとかドーナツが浮かんでる」
「ほんとだ」
「人は、言葉だけで少しずつ考えを引っ張られるの」
へえ、と周囲が感心したように声を漏らす。
葵も少しだけ感心した。
けれど十分後には話が難しくなり始める。
暗示がどうとか。
認知がどうとか。
視線の動きがどうとか。
「ごめん、全然わかんない」
誰かが笑いながらそう言うと、周囲もつられるように笑った。
「難しいよね」
彼女も小さく笑う。
それを合図にしたように、人だかりは少しずつ散っていった。
葵も、自分の席へ戻ろうとした。
――その時。
「山本さん」
名前を呼ばれた。
思わず肩が跳ねる。
振り返ると、彼女がこちらを見ていた。
黒い瞳が真っ直ぐ向けられている。
どうして自分の名前を知っているんだろう、と葵は思った。
同じクラスだから不思議じゃないのに、不思議だった。
「え、あ……はい」
「今、話ちゃんと聞いてたでしょ」
優しい声だった。
責めるような感じではない。
でも、なぜか誤魔化せない気がした。
「……ちょっとだけ」
「ふふ」
彼女は小さく笑った。
その笑い方は、どこか嬉しそうだった。
「途中から分からなくなってた顔してた」
「う……」
図星だった。
「でも、分からなくても最後まで聞こうとしてた」
そう言って、彼女は机に頬杖をつく。
「山本さんって、人の話をちゃんと聞こうとするんだね」
その瞬間。
葵は、自分の心が少しだけ浮つくのを感じた。
褒められたからだろうか。
いや、違う気がする。
まるで、“理解された”みたいな感覚。
不思議だった。
初めてまともに話した相手なのに。
「……あの」
「うん?」
「名前、聞いてもいい?」
彼女は少しだけ目を細めた。
「黒崎かなで」
静かな声だった。
「心理学が好きなの」
その言い方は、まるで秘密を打ち明けるみたいだった。
窓の外では、運動部の掛け声が遠く響いている。
夕焼けが教室を赤く染めていた。
なのに、その瞬間だけ。
世界が少し静かになった気がした。




