第7話:泥まみれの一等星
第7話:泥まみれの一等星
ガタッ、と椅子が床を無慈悲に擦る不快な音が、静まり返った会議室の四隅にまで鋭く響き渡った。
私は、震える膝を意志の力だけで抑え込み、立ち上がった。視界の端で、磨き上げられた大理石の床に、私のスーツから滴り落ちた雫が無数に点々と、不吉な染みを作っているのが見える。洗練された調度品に囲まれたこの空間で、ずぶ濡れの私はあまりに異質で、場違いで、ひどく汚れていた。
けれど、今の私にはそんな恥辱を感じる余裕さえなかった。喉の奥に固く蓋をして閉じ込めてきた熱い塊が、ドロドロとしたマグマのようにせり上がってくるのを、もう、誰にも止められなかった。
「……ふざけないでよ」
絞り出すような声だった。それは10年間、一度も外に出されることなく私の中で閉じ込められた声だ。
「つまらない……?人形……?好き勝手言わないでよ!私がどんな思いでこの10年間を生きてきたか、あなたに何がわかるっていうの!」
星乃社長は、椅子から腰を浮かせた中途半端な姿勢のまま、微動だにせず私を見つめていた。その瞳には、怒りも驚きもなかった。ただ、深い夜の海のような、すべてを等しく飲み込む静かな「凪」が湛えられている。それがかえって、私の剥き出しの感情を逆撫でした。
「私はね、もう一秒だって『如月瑞希』なんて名前のせいで、誰かの期待に怯えて生きたくないの!どこに行っても、みんなが見るのは10年前の私の残像だけ。今の私が、1人の人間として何を考えて、何に苦しんでいるのかなんて、誰も……誰1人として見ようとしてくれない!」
叫ぶたびに、冷え切っていた肺が焼けるように熱くなる。視界が涙で滲み、体温を奪う濡れたシャツが冷たく肌に張り付くけれど、それを拭うことさえ忘れて、私はただ言葉を叩きつけた。
「今日だってそうよ!準備なんて何一つできてない。大人として失格だって自分でも分かってる。でも、もう1回だけ、自分じゃない『誰か』になっていいなら、この腐りきった人生をリセットできるんじゃないかって……。仮面を被ることで、ようやく自分に嘘をつかなくて済むんじゃないかって、そう思って……!なりふり構わず、ここまで走ってきたのよ!それを……100点だの、つまらないだの……。あなたに、私の何がわかるっていうのよ!」
言い終えると、激しい動悸だけが耳元でうるさく鳴り響いた。
私は肩を大きく上下させ、握りしめた拳を壊れた機械のように震わせながら、そこに立ち尽くした。涙と雨と泥でぐちゃぐちゃになった顔。けれど私は初めて、自分自身の剥き出しの感情を、飾り立てることなく他人にぶつけていた。
沈黙が、重く、長く部屋を支配した。
星乃社長は、ゆっくりと椅子に座り直した。彼女は、私の泥で汚れたリクルートスーツを一瞥し、それからふふ、と柔らかく喉を鳴らした。
「……そう。それが、あなたの『声』なのね。ようやく、雨があなたの喉まで届いたみたい」
彼女は再び、あの飄々とした表情を浮かべた。けれど、机の上に置かれた真っ白なメモパッドに万年筆を置くその手つきには、どこか儀式めいた厳かさがあった。彼女は瞳を僅かに和らげ、私を射抜く。不意に、これまでとは全く違う、深淵を覗き込むような声音で問いかけた。
「如月さん。……あなたの一等星って、何かしら?」
「……え?」
唐突な質問に、私の思考が停止した。一等星。夜空で最も明るく輝く星。
星乃社長は、私の答えを待つように、静かに、けれど逃げ場を許さない鋭さで私を見つめ続けていた。
「この暗い夜の中で、あなたがどうしても見失いたくないもの。名前を捨てて、別の誰かを演じても、これだけは譲れないと願う『光』は何?」
私は、言葉に詰まった。
私の一等星。子役だった頃は、周囲からの拍手や歓声だと思っていた。役を降りてからは、誰にも注目されない平穏だと思っていた。
けれど、そのどちらも、今の私を動かす「熱」にはなっていない。今の私をここまで走らせたのは、そんな綺麗なものではなかったはずだ。
私は、震える唇を強く噛み締めた。走っている最中、雨に打たれながら、心臓が千切れるほど痛かった時に考えていたこと。誰にも見つからない場所で、けれど、本当の自分の感情を、そのまま誰かに聴いてほしかった、あの瞬間。
「……私は」
掠れた声で、私は答えた。
「私は、もう二度と……自分に嘘をつきたくない。たとえそれが、どんなに汚くて、無様な姿だったとしても。私の声を、私の感情を……そのまま受け止めてもらえる場所を、自分で創りたい。誰の期待でもない、私のための物語を。それが、私の一等星です」
言い終えると、星乃社長の顔から、これまでの余裕が消えた。彼女は、かつてないほど真剣な、それでいてどこか眩しいものを見るような眼差しで私を凝視した。
「……それが、あなたの一等星なのね」
彼女の声には、確かな重みがあった。星乃社長はゆっくりと立ち上がり、窓の外の雨空を見上げた。
「今日の面接はこれで終わりよ。……結果は一週間以内に通知します。如月さん、今日はもう帰りなさい。風邪を引かないようにね」
それ以上の言葉はなかった。私は深々と一礼し、逃げるように会議室を後にした。重い扉が閉まる音を聞きながら、私は自分が空っぽになったような、不思議な開放感に包まれていた。
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