第30話:はじまりの予知、繋がる熱量
第30話:はじまりの予知、繋がる熱量
6月下旬。カレンダーの数字が重なり、日付がデビューへと近づくたびに、私の胸の鼓動は耳の奥でうるさく、執拗なまでに鳴り響く。
プロジェクト『FVS』のデビュー初配信は、7月19日の18時から。ついに、私たちの「産声」を上げる刻限が決定した。その翌日、20日には『すたフェス』で私たちの個人楽曲と、あの魂をぶつけ合ったユニット曲がお披露目されることになる。
さらに、デビュー後の公式バラエティー枠としてラジオ配信も決まっていた。ラジオに関しては、元DJである詩音さんがいてくれる。その事実が、かつて一人で正解を求めていた私にとって、どれほど心強いものになっているかは言うまでもない。
夜の事務所の会議室。窓の外では静まり返った街が、冷たい月明かりに青白く照らされていた。私は真っ白なノートを前に、何度目かも分からない重苦しい溜息を吐き出した。
議題は、デビュー当日、4人がどのような順番でリスナーの前に立つかという「リレー配信」の具体的な構成について。
「……トップバッター、私なんだよね」
私が独り言のように、自分に言い聞かせるように呟くと、隣でポテトチップスの袋と静かに格闘していたひよりちゃんが、パッと顔を上げた。
「もちろんです!瑞希さん……あ、イブちゃんはこのプロジェクトの『主人公』なんですから!瑞希さんが最初にドーンと道を切り拓いてくれないと、私たちも後に続きにくいですよ!」
ひよりちゃんは「あ、開きました!」と袋を勢いよく引きちぎると、その中から一番大きなチップスを、まるでお守りでも手渡すような真剣な顔で私の方へ差し出してきた。
「ほら瑞希さん、眉間に深いシワが寄ってますよ?最初の配信は、全世界から視線が集まって心臓が口から出そうになると思いますけど、瑞希さんなら絶対大丈夫です。私、誰よりも近くで、誰よりも大きな声で応援していますからね!」
ひよりちゃんの屈託のない笑顔と、指先に付いた微かな塩の匂いに、氷のようだった肩の力が少しだけ抜けるのを感じた。けれど、トップバッターという役割が背負う「責任」という名の重圧が、霧散するわけではない。
「ありがとう、ひよりちゃん。……でも、やっぱり不安なの。私の第一声で、ユニット全体の印象が決まってしまうでしょう?西園寺イブとして、何を最初に話せばみんなに受け入れてもらえるのか、まだ真っ白なノートを埋める答えが見つからなくて」
「そんなの、瑞希さんが思う通りにやればいいんですよ!」
ひよりちゃんはチップスを幸せそうに頬張りながら、迷いのない、一点の濁りもない声で続けた。
「イブちゃんは『未来を予知する』キャラクターですよね。だったら、最初にビシッと『この4人はトップを獲ります!』って宣言しちゃうのはどうですか? 瑞希さん……イブちゃんがそう言ったら、本当にそうなる気がしちゃいますもん!私なら、そんな予知を聴いたら、一生ついていくって決めちゃいます!」
「それはいきなり生意気すぎないかなw」
ひよりちゃんの真っ直ぐな言葉が、霧に包まれていた私の胸の奥に、ストンと音を立てて落ちた。
100点の「正解」を、自分の外側に探すのではない。私が信じる未来を、私自身の喉を震わせ、『西園寺イブ』という器を通して世界に叩きつける。それこそが、私が最初にマイクの前でやるべき、たった一つのことなのだ。
「……そうだね。私が迷っていたら、後ろで待ってる3人も不安になっちゃう。一番最初にマイクの前に立って、世界中に挨拶する。それが、私の選んだ役割なんだよね」
「ふふ、いい覚悟ね、瑞希ちゃん。……あなたがその鋭い予知で扉をこじ開けてくれたら、私はその後に視聴者の心を、一人残らず全部盗み出してみせるわ?」
いつの間にかドアのところに立っていた詩音さんが、月明かりを背負って悪戯っぽく微笑んでいた。その隣には、若菜さんも、まるで放送直前のスタジオに立つような、凛とした佇まいで立っている。
「詩音さん、若菜さんも。いつからそこに?」
「瑞希さんがトップバッターを務めてくれるのなら、私たちは何一つ危惧することなく、自分の役割に集中できます」
若菜さんが、秒刻みで書き込まれた緻密な進行表を私に提示した。そこに記された「リレー」の順番は、私たちのこれまでの対話を映し出したような、確かな流れを持っていた。
一番手:西園寺イブ(私)
冷徹な予知で世界を震撼させ、物語の幕を上げる。
二番手:天羽きらり(ひよりちゃん)
元気いっぱいの癒やしを届け、緊張感を温かな光で包み込む。
三番手:怪盗オペラ(詩音さん)
艶やかに場を翻弄し、リスナーの心を掌握する。
四番手:月見こはく(若菜さん)
重厚な「化かし」で締め括り、伝説を完結させる。
「瑞希さんの後に私が続くの、実はすっごく楽しみなんです! 瑞希さんが作った最高にカッコいい空気の中で、私が思いっきり羽をパタパタさせちゃいますからね! 嵐を巻き起こしますよー!」
ひよりちゃんが私の腕に抱きついて、甘えるように笑った。彼女の体温が伝わってくる。この温もりが、今の私の何よりの拠り所だった。
トップバッターという、かつて経験したことのない、孤独で重厚なプレッシャー。けれど、それを背中から押し、支えてくれる3人の仲間が、今の私にはいる。
私はノートの真ん中に、迷いのない筆致で力強く「西園寺イブ:第一声」と書き込んだ。
10年前、私は「如月瑞希」として、大人たちが用意した正解の台詞を、間違いのないタイミングでお出しするだけの人形だった。自分の言葉なんて、本当はどこにもなかった。
けれど、7月19日の18時、マイクの前に立つ私は違う。
私は自分の意志で、仲間の未来を予知し、世界に向けて「はじまりの合図」を鳴らすのだ。
「……さあ。いよいよだね、みんな。準備はいい?」
「はい! 全世界をひっくり返して驚かせちゃいましょう!」
ひよりちゃんの弾むような声が、夜の静かな会議室に響き渡った。
私の時計は、もう二度と止まらない。
止まることがない。
仲間たちが繋いでくれる、熱を帯びたバトンの一番端を固く握りしめ、私は光の溢れるステージへと、その一歩を踏み出そうとしていた。
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