第17話:沈黙を盗む怪盗
第17話:沈黙を盗む怪盗
スタジオの重い防音扉の向こう側、張り詰めた緊張感が物理的な重圧となって、私の両肩に容赦なくのしかかる。
詩音さんの個別収録。コントロールルームのモニターに映し出された詩音さんの横顔は、昨日よりもさらに鋭く、そして今にも砕け散りそうなほどに脆く見えた。
いつもの艶やかな余裕はどこかへ影を潜め、代わりに、追い詰められた表現者だけが放つ独特の拒絶感が、彼女の全身を固く包み込んでいる。
「……ッ、ごめんなさい。もう一回、いいかしら」
ヘッドフォンから流れてくる彼女の声は、細い糸のように微かに震えていた。
マイクを前にした彼女は、台本を握る指先が白く変色するほどに力を込めている。まるで見えない影、あるいは「沈黙」という名の怪物に怯えているようだった。
5秒の静寂。それが今の彼女にとっては、奈落の底へ突き落とされる時間でしかないのだ。
言葉が途切れるたびに、彼女の視線は救いを求めるように宙を彷徨い、胸元の呼吸は目に見えて浅くなっていく。元DJとしての「空白を埋めなければならない」という、骨の髄まで染み付いた強迫的な本能。
それが今、彼女から「怪盗OPERA」としての気高さを、残酷なまでに奪い去っていた。
「詩音さん、落ち着いて。焦る必要はないから」
白河ディレクターの静かな制止も、今の彼女にとってはさらなるプレッシャーという名の重石でしかないようだった。
ブースの外、私の隣でひよりちゃんは祈るように胸の前で手を組み、その小さな背中を小刻みに震わせている。若菜さんは、いつものように冷静な、けれど案じるような眼差しでモニターの一点を見つめていた。その瞳には、同じ表現者として彼女の苦悶を分かち合う、痛烈なまでの共鳴が宿っているように見えた。
(……このままじゃ、詩音さんが壊れてしまう)
私は、かつての自分を思い出していた。周囲の期待に応えられず、100点の解答を出せない時の、あの足元から世界が崩落していくような感覚。
私の止まっていた秒針は、今、胸の奥で重く軋み、鈍い音を立てながら動き出している。その「痛み」こそが、今の私を突き動かす唯一のエネルギーになった。
「……白河さん。少し、提案があります」
私は意を決して、白河ディレクターに掛け合いでの収録を願い出た。今の彼女に必要なのは、遠くからの励ましではなく、正面から立ち向かうべき「他者」だから。
重い防音扉を開け、ブースの中へ足を踏み入れる。その瞬間、詩音さんは驚いたように肩を大きく震わせた。振り返った彼女の瞳は、挫折の淵で溺れかけている者のように、痛々しく潤んでいた。
「瑞希ちゃん……?どうして。今は私が、自分でなんとかしなきゃいけないのに……」
「詩音さん。……賭けをしませんか?」
「え?」
私は、西園寺イブの、あの感情を削ぎ落とした温度の低い瞳で彼女を見据えた。
「これから私がセリフを言います。そのあと、私は一言も喋りません。もし詩音さんが沈黙に耐えられなくなって、何か言葉をこぼしてしまったら……私の勝ち。つまり、詩音さんの負けです」
「……っ」
「でも、もし詩音さんがその沈黙を自分のものにして、オペラ……怪盗OPERAとして私を黙らせることができたら……詩音さんの勝ち。……どうしますか?神出鬼没の大怪盗なら、この程度の静寂、鮮やかに盗んでみせてくださいよ?」
私はあえて不敵に、彼女の誇りを逆撫でするように笑った。「失敗」を恐れる詩音さんの意識を、「勝負」という別の火で焼き切る。
詩音さんは一瞬、息を呑んだ。けれど、その瞳の奥に、プロとしての強烈な意地と、怪盗OPERAとしての傲慢な光が再燃したのを私は見逃さなかった。
彼女は震える手でヘッドフォンを力強く直し、短く「……その賭け、乗ったわ」と答えた。その声には、先ほどまでの怯えはもうなかった。
白河ディレクターの合図とともに、モニターの映像が動き出す。追い詰められた怪盗OPERA。その前に立ちはだかるのは、未来を予知する冷徹な少女、西園寺イブ。
『……残念。あなたの次の動きは、もう視えてる。……逃げ場なんて、どこにもないよ』
私は、イブとして完璧な冷たさで言葉を放った。
そして。
私は、マイクの前で完全に、徹底的に「無」になった。
一秒。
二秒。
三秒。
かつての詩音さんなら、ここで「放送事故」の幻影に耐えきれず、意味のない言葉を吐き出していただろう。
けれど、今の彼女の瞳には、私――彼女のプライドを剥き出しにした「敵」しか映っていない。私は彼女を真っ直ぐに見つめ続けた。呼吸さえも、静寂を汚さないように殺して。
詩音さんの表情が、劇的に変わった。
焦燥が消え、代わりに張り詰めたような「緊張感」が、電気を帯びたようにブースを満たしていく。
それは、空虚な沈黙ではない。2人の魂がぶつかり合い、次の展開を伺う、濃密な「ドラマとしての間」だった。彼女は今、静寂に怯えるDJではなく、観客の心を華麗に盗む「怪盗」へと変貌を遂げていた。
五秒。
……六秒。
詩音さんは、ゆっくりと、勝利を確信したような不敵な笑みを漏らした。
『……フフッ。……それで私を捕まえたつもりかしら?いいわ、未来予知の少女。なら、見せてあげる。……あなたの視えない、私の本当の「手札」をね?』
――完璧だった。
その声には、相手を翻弄する余裕と、静寂さえも自分のステージの照明に変えてしまう気高さが宿っていた。
「……はい、カット! 素晴らしいわ、詩音さん!」
白河ディレクターの、これまでにない興奮した声がスピーカーから響く。ブースの外では、ひよりちゃんが子供のように飛び上がって喜び、若菜さんも厳格な表情を和らげて、静かに、けれど力強く拍手を送っていた。
収録後、ロビーのベンチに座った詩音さんは、魂を出し切った後のようにぐったりと背を預けていた。けれど、その顔には昨日までの幽霊のような蒼白さはなく、清々しい夕暮れのような穏やかさが漂っている。
「……瑞希ちゃん。私の勝ち、でいいかしら?」
「ええ。完敗です、詩音さん」
私が微笑むと、詩音さんは自分の喉を、まるで大切な宝物に触れるように愛おしそうになぞった。
「私、初めて知ったわ。……沈黙って、あんなに温かいものだったのね。あなたが私の声を、私の命を待っていてくれるのが分かったから……私は静寂を怖がらずに済んだ。ありがとう、瑞希ちゃん。神出鬼没の大怪盗、首の皮一枚でつながったわ」
詩音さんは私の頭を優しく撫でた。その時、「お疲れ様ですー!」と元気な声が響いた。ひよりちゃんが、コンビニの袋を両手に下げ、水飛沫を上げるような勢いで駆け寄ってきた。
「詩音さん、瑞希さん!お祝いです!今日は、これです!」
袋から取り出されたのは、インスタントラーメンと、大量の「もやし」。
「またもやし!?ひよりちゃん、あなた本当に……」
詩音さんが噴き出し、若菜さんもいつの間にか呆れ顔で横に立っていた。
「……まあ、今日の詩音さんの勇姿に免じて、規律違反の『もやしパーティー』を特別に許可しましょう。私の家、ここから近いので……場所は提供します」
若菜さんの、普段の彼女からは想像もできない大胆な提案に、私たちは一斉に顔を見合わせた。
「えっ、若菜さんの家で!?いいんですか!?」
ひよりちゃんが、弾かれたように目を輝かせる。
「……ええ。ただし、もやし以外の野菜もバランス良く摂ることが条件です。不摂生はプロとしての規律に反しますから。……行きましょうか」
4人の、それぞれに異なる質感を帯びた笑い声が、スタジオの廊下に響き渡った。1人では耐えられない冷たい静寂も、4人なら、最強の武器に変えられる。
西園寺イブとしての私の物語は、大怪盗が掴み取った「最高の無音」とともに、また一つ、決して消えることのない強い絆を、私の止まっていた時間の中に刻み込んでいった。
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