第18話:好きになれる時間
第18話:好きになれる時間
連日のように続くダンスレッスン、ボイス講習、そして神経を削るようなアフレコ収録。暦はいつの間にか3月を迎えていた。
窓の外を流れる風に、冬の鋭い冷たさはもうない。代わりに、どこか湿り気を帯びた春の予感と、鼻の奥をくすぐるような花の匂いが、都会のコンクリートに混ざり始めていた。私たちの日常は、凄まじい速度で回転し続けていた。
3月上旬の土曜日。私は駅前で、落ち着かない気持ちのまま立ち尽くしていた。
今日の待ち合わせ相手は、詩音さんだ。
「収録のお礼をさせて」と言われ、断り切れずにやってきたものの、私服で誰かと出かけるなんて、一体いつぶりだろうか。
私は、クローゼットの奥に押し込んでいた衣装ケースの蓋を、数年ぶりに開けた。引っ張り出してきたのは、淡いベージュのニットにチェックのスカート。自分なりに精一杯「女の子らしい」と思う格好だ。
けれど、鏡に映る自分はどうにも薄っぺらな偽物めいて見えて、駅までの道中、何度もスカートの裾を直しては溜息をついた。
周りを歩く、流行の服を自然に着こなした同世代の女の子たち。その眩しい景色の中にいると、どうしても自分の輪郭だけが不格好に浮いている気がして、いっそどこかへ逃げ出したい衝動に駆られていた。
「お待たせ、瑞希ちゃん。……あら、すごく可愛いじゃない」
雑踏の中から、不意に声をかけられた。振り返った先にいた詩音さんに、私は思わず息を呑んだ。黒のロングコートを颯爽と羽織り、首元には鮮やかな深紅のタートルネック。シンプルながらも洗練されたその佇まいは、まるで都会の雑踏さえも自分のランウェイに変えてしまう、圧倒的な華やかさに満ちていた。
「……あ、ありがとうございます。詩音さん、スタイル良くて、本当にモデルさんみたいですね」
「ふふ、お世辞でも嬉しいわ。今日は、OPERAじゃなくて、ただの詩音として、あなたをエスコートさせてもらうわね?」
詩音さんに連れられてやってきたのは、表参道のお洒落なカフェ……ではなく、秋葉原の片隅にある、少し年季の入ったガチャガチャの専門店だった。色とりどりの筐体が壁一面に並び、機械が回転する乾いた音が室内に響いている。
「……詩音さん?ここは……」
「ここ、ずっと来たかったのよ。瑞希ちゃん、見て!この『実録!昭和の家電ミニチュア』シリーズ、今ここでしか手に入らないの!」
詩音さんの瞳が、まるでお気に入りのおもちゃを見つけた子供のようにキラキラと輝いている。あの大人の余裕を纏った「怪盗OPERA」の面影はどこにもない。彼女は迷わず両替機へ向かい、百円玉の束を作ると、ターゲットの筐体の前に膝をついてしゃがみ込んだ。
その少し離れた場所では、同じくお目当てがあるらしい3人組の女性たちが、一台の筐体を取り囲んで熱い火花を散らしていた。
「……嘘でしょ!またオレンジ!?もういらないってば!なんでオレンジと紫ばっかりなの!?」
「あの……映画遅れますよw」
「もう諦めなよ、愛梨ちゃん」
「嫌だ!絶対青が出るまで帰らないから!これは、衣音ちゃんのためなんだからね!」
「なんで私なの!別に頼んでないじゃん!凛花さん困ってるじゃん。早く映画行こうよ」
「まぁまぁ、映画は次の上映時間でも大丈夫ですし、愛梨ちゃんが頑張ってるので、青を出すまで回しましょう!私、両替しできますね!」
カプセルが転がり出るたびに上がる悲鳴と、必死に財布を漁る音。その「沼」にハマった彼女たちの姿は、ガチャガチャという名のギャンブルの恐ろしさを物語っていた。
そんな喧騒を背に、詩音さんの背中はどこまでも静かだった。物語のカジノの卓を睨むディーラー、皆藤オペラそのものの集中力で、彼女はレバーに手をかける。
「これが欲しいのよね……」
「あ、それ……炊飯器ですか?」
「そうよ!この古めかしい緑色の塗装、たまらないわよね。……ああっ、またトースター!これで3つ目だわ。瑞希ちゃん、私の代わりに回してみてくれない?」
私は戸惑いながらも、詩音さんから手渡された100円玉を投入し、ゆっくりとレバーを回した。カラン、という軽い音と共に転がり出てきたカプセル。中には、彼女が切望していた小さな緑色の炊飯器が入っていた。
「やったわ!さすが瑞希ちゃん!イブみたいに未来を予知したのかしらw」
「予知っていうか、ただの運ですけど……。でも、詩音さんがこういうのを好きだなんて、意外でした。もっと、オシャレなブランド品を並べているイメージだったので」
「良く言われるわ。でも私は、こういう『小さくて、誰かの生活の匂いがするもの』に惹かれちゃうの。……誰にも言っちゃダメよ?イメージが崩れるからw」
そう言って悪戯っぽく口元に指を当てて笑う彼女は、どこにでもいる等身大の女性だった。その素顔に触れた気がして、私の胸の奥が少しだけ温かくなった。
その後、私たちは彼女のおすすめだという隠れ家風の甘味処に入った。運ばれてきたのは、宝石のように色とりどりのフルーツが並んだ、クリームあんみつ。
「瑞希ちゃん、会った時も言ったけど、その格好すごく似合ってるわよ?年相応の女の子って感じ」
詩音さんが、私のニットを指差して優しく微笑んだ。
「……本当ですか?なんだか、自分じゃないみたいで落ち着かなくて。私、ずっと『如月瑞希』として完璧な衣装しか着てこなかったから。こういう普通の格好をしてると、中身の空っぽな部分が透けて見えちゃう気がするんです」
「……ねえ、瑞希ちゃん。さっきあんみつを頼んだ時、目が泳いでたわよ。本当は、甘いもの大好きでしょう?」
心の内を見透かされたように言われ、私は頬が熱くなるのを感じた。
「……ええ。実は、すごく好きです。でも……女の子らしいものを好きになるのが、なんだか恥ずかしくて。自分には似合わないって、どこかで決めてたんです」
「いいじゃない、好きなら。……食べてる時の瑞希ちゃん、今までのどんな時よりも女の子らしくて、可愛いわよ」
詩音さんに背中を押され、私は思い切って、蜜のたっぷりかかった白玉を一口頬張った。口の中に広がる濃厚な甘みと、フルーツの瑞々しい酸味。
「……っ、美味しい……」
「ふふ、それなら良かったわ」
思わず零れた本音。それは、台本に書かれた台詞よりもずっと、私の体温を宿していた。
誰かに求められた「如月瑞希」でも、演じるべき「西園寺イブ」でもない。ただの22歳の女の子として、美味しいものを素直に美味しいと感じる。そんな当たり前のことが、今の私にはとても贅沢で、震えるほど大切な時間に思えた。
夕暮れ時の街を歩きながら、詩音さんは先ほど当てた小さな炊飯器を、壊れ物を扱うように大切そうにポケットに仕舞った。3月の夕風はまだ少し冷たいけれど、西日に照らされた街路樹の蕾が、明日への希望のように膨らんでいた。
「瑞希ちゃん、今日は付き合ってくれてありがとう。……演じることや、誰かの期待に応えること。そういうのを全部忘れて、自分の『好き』に正直になれる時間って、私たちには必要なのよね」
「……はい。私も、今日で少しだけ、自分を許せた気がします」
私は自分のカバンのファスナーに付けた、詩音さんが「お揃いね」と言って譲ってくれたトースターのキーホルダーを指先でなぞった。プラスチックのチープな感触が、今はどんな高級品よりも頼もしく感じられた。
3月の穏やかな空気の中に、あんみつの甘い余韻と、詩音さんの纏う温かい香水の匂いが混ざり合って残っている。
明日からはまた、マイクの前で自分ではない誰かになる日々が始まる。けれど、今日この場所で感じた「私自身」の温度があれば、きっともう、あの静寂も怖くない。
「さて、明日からまた頑張りましょうか。瑞希ちゃん」
「はい。……詩音さんも」
私たちは顔を見合わせて小さく笑い合うと、駅へと、ゆっくり足を進めた。私の止まっていた秒針は、今、かつてないほど軽やかに、そして私自身の刻むリズムで加速し、未来へと時を刻んでいた。
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