第15話:完璧なノイズ
第15話:完璧なノイズ
本格的な収録が始まると、スタジオの空気はそれまでとは比較にならないほど鋭く、そして冷たく張り詰めたものになった。
地下2階に位置する収録スタジオは、地上を走る大都会の喧騒から完全に切り離された無機質なシェルターのようだ。重厚な防音扉が閉まるたびに、耳の奥がツンとするような気圧の変化が訪れ、ここが「声」だけで世界を構築するための特別な聖域であることを否応なしに突きつけてくる。
プロジェクト『FVS』。その個別収録のマイクの前に立ったのは、詩音さんだった。
彼女が魂を吹き込む「皆藤オペラ」は、普段はカジノの凄腕ディーラー、獲物を狙う時は月下を駆ける怪盗OPERAという、華やかさと大胆不敵さを併せ持つキャラクターだ。
コントロールルームのモニター越しに見る詩音さんは、いつもの余裕たっぷりの笑みを浮かべてマイクの前に立っていた。ヘッドフォンを片耳だけ外し、重心を僅かに片足に乗せるその仕草。その一つ一つが、長年メディアの最前線で磨き抜かれたプロの華を放っている。
「皆藤オペラ、収録始めます。……さあ、今夜のチップは、あなたの心でいいかしら?」
スピーカーから流れてくる艶やかな声に、私は思わず肺の空気をすべて奪われたような感覚に陥った。
元DJという肩書きは伊達ではない。彼女の声には、目に見えない色彩がある。一瞬でその場の空気を自分の色に染め上げる、圧倒的な支配力を持った「声」。言葉の一つ一つに艶があり、聴く者の鼓膜に心地よく響く。
隣で見守っていたひよりちゃんも「うわぁ……」と瞳をキラキラと輝かせ、若菜さんも真面目な顔で、彼女の技術を一つも漏らさぬようにペンを走らせている。
けれど、収録が中盤に差し掛かった頃。
その「完璧な時間」に、砂が混じるような僅かな歪みが生じ始めた。
「詩音さん、今のテイクも良かったんだけど、もう少し『間』を意識しましょうか」
白河ディレクターの、鋭い指示がスピーカーを通じてブースに飛ぶ。
今回課題となったのは、怪盗OPERAがイブたちに追い詰められ、追い詰められているはずなのに不敵な笑みを浮かべ、沈黙によって相手を威圧する――という、静かな、けれど緊迫したシーン。アニメーションの秒数に合わせ、5秒間という長い「無音」を声や音ではなく、視線と微かな存在感だけで語らなければならない場面だった。
「了解。やってみるわね」
詩音さんは軽やかに応じ、再びマイクに向かった。
しかし、次のテイクで彼女は、指示された時間を待たずに、何かに追われるような焦燥感で次のセリフを吐き出してしまった。
「……あ、ごめんなさい。ちょっと早かったかしら」
詩音さんはおどけたように肩をすくめた。けれど、2回目、3回目とテイクを重ねるうちに、彼女の声からメッキが剥がれるように余裕が失われていくのが、ガラス越しに見ていてもはっきりと分かった。
モニターの中でタイムコードが刻まれる。無音の5秒間。
モニター越しに見える彼女の喉が、沈黙が訪れるたびに微かに、けれど激しく上下する。
何かを言わなければ、この場が死んでしまう――。
そんな悲鳴に近い強迫観念が、厚い防音ガラスを透過してコントロールルームにまで漏れ出しているようだった。
彼女は、そのわずか数秒の静寂を埋めるように、不要な呼吸を無理やり入れたり、台本にはない小さな鼻笑いを混ぜたりして、どうしても「完全な無」の状態を維持できずにいた。
「あの、詩音さん。……音が多すぎるわ」
白河ディレクターの声が厳しく響く。彼女はコンソールの上でペンを止め、氷のような視線で詩音さんを見据えた。
「皆藤オペラ……いやこのシーンは怪盗OPERA。その強さは、沈黙に耐えられる強さ。何も言わなくても場を支配できる、その余裕が欲しいの。今のあなたは、まるで静寂を怖がっている子供みたいに見えるわよ。自分の声で自分を安心させようとしている。……ノイズよ、それは」
「……。」
ガラス越しの詩音さんは、一瞬、隠していた傷口を深く抉られたように目を見開いた。
すぐにいつものプロらしい微笑みを作り直したけれど、真っ赤に塗られた唇の端が、隠しきれずにピクピクと震えている。
彼女は、かつて私が栄美さんに言われた「0点」という宣告よりも、もっと根源的な恐怖に直面しているように見えた。
「もう一度。音に逃げないで」
白河さんの再度の指示。だが、そこからさらに数回のテイクを重ねても、状況は悪化する一方だった。詩音さんの声は、言葉を重ねれば重ねるほど上擦り、本来の「怪盗OPERA」が持つ重厚な色気を失っていった。
沈黙という名の怪物が、百戦錬磨の彼女をじわじわと追い詰めていく。ブース内の静寂は、もはや彼女にとっての武器ではなく、彼女の価値を削り取る毒薬へと変わっていた。
結局、その日の収録は「これ以上続けても、良いものは録れない」という白河さんの冷徹な判断で、突如として中断された。
「今日はここまで。詩音さん、一回頭を冷やしてきなさい」
コンソールのスイッチが切られ、スタジオに無機質な蛍光灯の明かりだけが残される。
あんなに自信満々に見えた詩音さんの背中が、ブースから出てきた時は、まるで水を含んでボロボロになった紙のように、ひどく脆く、そして小さく見えた。
私は、何も言うことができなかった。
自分も同じ「正解」という檻に苦しんでいた身として。けれど、彼女が抱えている恐怖は、私が想像していたよりもずっと深く、暗い闇に根ざしているような気がしてならなかった。
スタジオを出る彼女の足取りは重く、その周囲だけ、光を吸い込むような深い影が差していた。
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