第13話:空っぽの器に満ちるもの
第13話:空っぽの器に満ちるもの
収録後の更衣室には、行き場のない熱気と、それを冷まそうとする湿り気が混じり合い、粘度の高い沈黙として淀んでいた。
金属製のロッカーが並ぶ無機質な空間。霧島栄美さんに突きつけられた「西園寺イブとしては0点」という宣告が、冷え切ったナイフのように胸の奥に突き刺さったままで、呼吸をするたびに傷口が広がるような錯覚を覚える。
私は1人、ベンチの端に座り、自分の白く震える掌を凝視していた。
100点の技術。誰にも文句を言わせないため、失望されないために、私が10年間必死に磨き上げ、唯一信じてきた防具であり、武器。それがこの場所では、表現という名の自由を阻む、分厚く冷たい壁として扱われる。
止まっていた私の秒針は、今、胸を締め付けるような鈍い痛みとともに、無理やりその一歩を軋ませながら刻み始めていた。けれど、動けば動くほど、錆びついた歯車が心を削り、火花を散らす。
「瑞希さん、あの……。あんまり、落ち込まないでください」
おずおずと、けれど真っ直ぐに声をかけてきたのは、ひよりちゃんだった。心配そうにこちらを覗き込んでいる。その瞳には、私のような屈折した打算も、塗り固めた仮面も存在しない。
「栄美さん、厳しいことも言っていましたけど……。でも、瑞希さんの技術がすごいのは本当ですから!私はあんなに綺麗に、タイミング通りに声を当てることすらできません。本当に、心の底から尊敬してるんです!」
「……ありがとう、ひよりちゃん」
私は力なく微笑みを返した。けれど、その純粋な優しさが、今の私には研ぎ澄まされた刃のように痛かった。私を形作っているのは、借り物の技術という、実体のない虚像に過ぎないのだと。
改めて、鏡に映った自分自身の「空っぽさ」を突きつけられているようで、視線を逸らすことしかできなかった。
横では、詩音さんが自分の荷物をまとめながら、ふう、と小さく重みのある息をついた。
「栄美さんの指摘は、確かにプロとしての本質を突いていたわね。……でも、瑞希ちゃん。あんなに完璧に、機械のような正確さで演じられるのは、あなたがそれだけ血の滲むような努力を積み重ねてきたからでしょう? それをいきなり0点だなんて切り捨てられて、平気なわけないわよね」
「詩音さん……でも、納得できないわけじゃないんです」
私は膝の上で握りしめたスラックスを、指先が白く変色するほど強く掴んだ。生地が悲鳴を上げるような微かな音が、更衣室に響く。
隣で静かに着替えを終えようとしていた若菜さんが、凛とした立ち姿のまま、私を真っ直ぐに見つめた。彼女の瞳には、かつてアナウンサーとして真実を伝えてきた者特有の、知的な鋭さがある。その剥き出しの眼差しは、私の奥底に潜む「何か」をダイレクトに射抜いてきた。
「……瑞希さん。何か、抱えているのではありませんか?」
若菜さんの静かな問いかけに、私は息が詰まった。3人の視線が、鏡越しに、あるいは直接、私という一点に集中する。
ずっと隠してきた。誰にも見せないように、完璧な「如月瑞希」という偶像を、糊が剥がれないように必死に塗り固め続けてきた。でも、もう限界だった。霧島さんに自分の「空っぽさ」を完全に暴かれた今、この3人に対しても弱さを隠した隠したままでは、私は本当の意味で「西園寺イブ」としての第一歩を踏み出せない。そんな直感があった。
「私は……。ただの、正解を出すための機械だったんです」
私の喉から漏れたのは、枯れた葉が擦れ合うような、カサカサとした不毛な声だった。
「10年前、私は自分の意志で動いたことなんて、一度もありませんでした。監督が『ここで泣け』と言えば涙を流し、『3秒間微笑め』と言われれば正確に秒数を測って微笑む。相手が求める答えを、最短距離で出力する。それだけが私の価値のすべてでした。……だから、栄美さんに言われた通りなんです。私は、イブちゃんを『生きている』んじゃない。ただ、イブちゃんというラベルの貼られた『正解』を、効率よく出力しているだけ。それしか、やり方を知らないんです」
視界が、急激に熱を帯びる。
ボロボロと床に滴り落ちる雫が、更衣室の白いタイルに、不規則で無様な点々の模様を作っていく。
「自分でも分かっているんです。私の声には、中身がない。……10年、役を離れて普通に生きてみたけれど、結局、私自身の人生なんて、何一つ積み上がらなかった。私はずっと空っぽのままで、ただ昔の技術という名の亡霊に縋り付いているだけの、空っぽな見栄っ張りなんです。そんな人間が、イブちゃんの……、あんなに切実な『命』を演じるなんて……」
一度溢れ出した言葉の奔流は、もう誰にも、私自身にも止められなかった。
自分をさらけ出すのが、死ぬほど怖かった。軽蔑されると思った。「元天才子役」という虚飾に満ちたブランドが剥がれたあとに残る、無価値で、何の面白みもない私を見られるのが。
けれど、3人は誰も私を笑わなかった。
「瑞希ちゃん、顔を上げて」
詩音さんが私の隣に座り、そっと、冷え切った背中に温かい手を添えた。
「空っぽだなんて言わないで。……多かれ少なかれ、私たちだって何かしらの『仮面』を被って、ここに立っているわ。完璧に見える若菜さんだって、いつも元気なひよりちゃんだって、きっとそう。……あなたが『正解』を求めて必死に足掻いているその姿そのものが、今の私たちにとっては、一人の人間としての瑞希ちゃんなのよ」
「……そうです」
若菜さんも、静かに、けれど強く頷いた。
「規律正しく、完璧であることを自分に課すのは、決して悪いことではありません。……ただ、それを守るために自分を殺してしまうのは、あまりにも悲しい。瑞希さん。あなたが自分を『機械』だと言うのなら、その機械を今日まで止めることなく動かし続けてきたのは、紛れもなくあなたの執念であり、情熱ではありませんか?」
2人の言葉に、私はゆっくりと顔を上げた。完璧に見えていた彼女たちの瞳の中にも、それぞれが抱える、言葉にできない欠落や、人知れず守っている「痛み」の欠片が宿っているのが見えた。私たちは皆、不完全なまま、この場所に辿り着いたのだ。
「あの!瑞希さん!」
突然、ひよりちゃんが私の前に膝をついた。彼女は、私の冷たく濡れた手を、自分の火照るような温かい両手でぎゅっと包み込んだ。
「私、技術とか難しいことはよく分かりません。でも、瑞希さんが一生懸命なのは分かります!あんなに一生懸命に、もやし山盛りのラーメン、食べてたじゃないですか!」
ひよりちゃんのあまりにも突拍子もない、けれど混じりけのない純粋な言葉に、思わず鼻の奥がツンとした。
「イブさんがもやしを食べてるのは、自分を管理して、明日を少しでも良くしようって、必死に足掻いてるからですよね? ……瑞希さんも、同じです!100点を目指すのは、瑞希さんが、この場所を、この仕事を大切に思ってるからじゃないですか!」
ひよりちゃんは、えへへ、と照れたように笑って、私の手を握り直した。
「中身がないなら、これからみんなで詰めればいいんです!4人で、美味しいものたくさん食べて、たくさんお喋りして!……瑞希さん。……今夜も、もやしラーメン、食べに行きませんか?」
ひよりちゃんの提案に、詩音さんと若菜さんが、同時に吹き出した。更衣室の重苦しく淀んでいた空気が、一瞬で軽やかな笑い声に溶けて、霧散していく。
「ふふ、またもやしラーメン?ひよりちゃん、あなた本当に逞しいわね。でも、いいわね。ジャンクなものを食べて、今日言われた『0点』も全部洗い流してましょう」
「……規律からは大きく外れますが、たまには精神的な栄養を最優先するのも、合理的と言えるでしょう。行きましょう、瑞希さん」
詩音さんと若菜さんが、優しく、力強く私の背中を押した。3人の体温に包まれて、私の胸の中にあった、あの凍りついていた重い塊が、少しずつ、形を変えて溶けていくのを感じた。
自分は空っぽだと思っていた。
けれど、この温かさが流れ込んでくる隙間があるのなら、そこはもう、ただの虚無ではないのかもしれない。
「……はい。行きたいです、もやしラーメン」
私は、手の甲で涙を乱暴に拭って立ち上がった。
100点の技術は、まだ私を本当の意味では救ってはくれない。
けれど、西園寺イブとしての私の物語は、この3人の仲間と共に、ようやく「正解」のない、けれど確かな体温の通った未来へと動き出した。
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