表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/29

第3話 冥婚の絵馬

 篠館しのだての街から少し外れた山裾やますそに、古びた観音堂がある。荒沢寺こうたくじの飛び地の一角に建つ、藁葺わらぶき屋根の小さな堂だ。

 外から見れば、どこにでもある古びた堂にすぎないが、一度でも中に足を踏み入れた者は、その光景を忘れることはないという。


 壁一面にかけられた色とりどりの絵馬が、内陣の観音像を囲むように揺れている。

 絵馬に描かれているのは晴れ着姿の新郎新婦で、新郎の顔立ちはそれぞれ異なり、どれも誰かを想っているようにしっかりと凜々しく描かれている。だが花嫁の顔は、どれもはっきりとしない。角隠しの下にのぞくのは、影のようにぼんやりとした白い色のみ。ただその衣装だけは華やかで、白無垢に赤、黒、金……と、色の洪水が狭い堂内にゆらめいている。

 そこに最近、一枚の新たな絵馬が奉納された。

 描かれているのは若い男と、その傍らに立つ白い花嫁。花嫁の顔はやはりよく見えないが、角隠しの奥にほの白い影が沈んでいた。


 山裾にが落ちていくと、観音堂の周辺は闇に包まれる。耳をかすめていくのは、ときおり吹く強い風が落ち葉を巻き上げる音だけだ。

 その闇の中を、二つの影がそっと動いた。落ち葉を踏む音さえたてないように、息を殺して観音堂の扉へと近づいていく。手にしている提灯には、布をかぶせて光が漏れないようにしている。時折その布を少しまくり上げては、先に続く道を確認しているようだった。


「本当に、こっちであってるの?」


 少し責めるような口調が、風の音に紛れながらもはっきりと聞こえた。紗枝の声だ。


「あってますよ。もう少しです、お嬢さん」


 手を引く茂吉もきちは錦屋の手代だ。提灯の光ができるだけ漏れないよう気にしながら、紗枝の手をとり周囲をうかがっている。しばらくして足を止めた茂吉は、持ってきた細い金具を鍵穴に差し込み、慎重に鍵をはずした。

 すると紗枝は、自ら扉の隙間に手を伸ばした。ぎぃ、と戸が軋んだ瞬間、紗枝の肩がびくりと揺れた。闇の奥で、何かがざわめいたような気がしたのだ。一度唾を呑み込むと、紗枝は茂吉の手から提灯を取り上げ、そのまま足を踏み入れた。


「なに、ここ……」

 

 提灯にかぶせていた布をめくりあげた紗枝は、目前に広がった異様な光景に、小さくうめくような声をあげた。

 壁にかけられたたくさんの絵馬、すべてに新郎新婦が描かれている。二人だけのものもあれば、仲人なこうどか家族だろうか、複数で描かれているものもある。だがどの絵も、花嫁の顔だけがはっきりしない。白無垢の襟元の向こうに、薄闇が溶け込んでいるようだ。相手は絵馬だが、一度に多くの人の前に立たされたような決まり悪さで、紗枝の額に汗が滲んだ。


「どこ……どこにあるの?」

 

 提灯をかざして絵馬を一枚ずつ確認していく。後ろでまごついていた茂吉が、おずおずと声をかけた。


「旦那さまがお描きになったものなら、あれかと……」


 茂吉が指さした方に提灯を近づけると、目立って新しい絵馬がある。


「見つけた」


 紗枝は薄い笑みを浮かべて、茂吉に視線を送った。


「お嬢さん……こんなこと、本当に……」


「いいから、早く」


 茂吉はためらいながら近づくと、震える手で、しかしいたって丁寧に、絵馬を取り下ろした。そのままほとんどおびえたように、紗枝の前に置く。

 紗枝は身を乗り出すと、絵馬を真上から覗き込んだ。


「……弥一やいちさん、すてきね……」

 

 紗枝はうっとりと、しかし食い入るように、その絵馬を見つめた。花婿姿の弥一は、精悍な顔つきで、いつにもまして美丈夫びじょうふに見える。


「お父さま、なかなか上手いのね」


 茂吉の顔を見上げるが、灯りが届かない暗がりの中で、その表情はよくわからない。ただいつになく緊張した様子で、「へぇ」とうわずった声を出してくる。

 格好良くて、優しい弥一さん、大好きだった。

 でも、だからこそ許せない。

 ちょうど去年の今ぐらいだった。紗枝は弥一に告白したのだ。ずっと好きだったと。かなり前から色々とその場面を想像して、入念に準備した告白だった。けれど、その想いは届かなかった。弥一の口から、朱華を好きだと告げられた。女学校を卒業したら、お嫁さんにきてほしいと言うつもりだと。


「なによ……朱華なんて、ちょっと綺麗だからって調子にのって……」


 弥一の横に描かれた白い花嫁が、いつしか朱華に見えてくる。

 陽を浴びると茶色に映る艶やかな黒髪と、すらっとした体。道行く男が目で追うような、整った顔立ち。いつも礼儀正しくて、控え目で、紗枝の両親さえ朱華をほめていた。


「なによ……あんたなんか、人殺しのくせに!」


 知らず大きくなった声に、茂吉は驚いたようだった。膝をつき、紗枝から絵馬を取り返そうと手を伸ばす。


「お嬢さん、もうそのくらいで……」


「なによ……これからよ」


 紗枝は茂吉の手を乱暴に振り払うと、袖の中から細身の万年筆を取りだした。黒い胴に金の縁取りが施されたそれは、父から贈られたものだった。金の飾りが、提灯の灯を反射して鈍く光った。


「ここに、名前を……」


 紗枝は前屈みになると、絵馬の白い花嫁にペン先を近づける。


「お、お嬢さん!?」


 茂吉が悲鳴にも似た声をあげた。


「何をなさるおつもりなんです!?既に奉納された絵馬ですよ!?あっ!」


 茂吉が阻む間もなく、絵馬の木目もくめに押しつけられたペン先から、黒い染みがじわりと広がった。


「そんなに好きなら、あの世で一緒になればいいのよ!」

 

 紗枝の指先は、ためらいもなく進んでいく。ペン先には異様な力がこもっているのか、染みこんだ黒色が、いびつに滲んでいく。


 ――唐橋朱華からはしはねず


「ひいっ!」


 茂吉は尻餅をついて、そのまま紗枝から後ずさった。


「お、お嬢さん!絵馬に生きた人間を描いちゃいけないんです!名前を書くなんてとんでもねぇ!そんなことしたら……あの世に……あの世に一緒に引っ張られちまう!」


「……知ってるわよ!そんなこと」


 紗枝の眼は、白い花嫁をとらえたまま動かない。 

 そう、知っている。

 父が絵馬を描いている時、使用人と話しているのを確かに聞いたのだから。


「知ってるって!?だってそれ、あの山城屋のお嬢さまじゃないですか!」


「だから知ってるって!」


 紗枝がうるさげに語気を荒げると、堂内の空気の流れがぴたりと止まった。 

 次の瞬間、ふっと提灯の灯が消えた。


「ひいっ!」


 茂吉がまたもや悲鳴をあげる。漆黒の闇の中、何かが息づくような気配……。紗枝も驚き立ち上がろうとした瞬間、ふっと灯りが戻った。


「何だったのよ……」


 伝ってきた汗に夜気が染みこみ、着物に重さが増したような気さえする。さすがに、紗枝の心臓も激しく波打っていた。

 でも、これで……。

 紗枝はもう一度、黒いインクが染みこんだ絵馬を見下ろした。白い花嫁は黒く滲んで、それはまるで、朱華を汚しているようにも見えた。


「……私を選ばなかった弥一さん、朱華を連れていってね」

 

 目を細めて、ふふ、と紗枝は嬉しそうな声を漏らす。だが、置かれた提灯の灯が風も受けずに揺らめいたことには、気づかないままだった。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ