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第23話 優しい再会 

 傷は、思ったより重傷だった。

 手の爪は部分的に剥がれ、足先とともに凍傷にかかっていた。

 体も、しばらく立ち上がるには介助が必要だった。

 足の指はほとんど感覚がなく、まるで雲を踏むようにふわふわとしている。そこに時折鋭い痛みだけが伝わり、足を地につけることさえ怖ろしい。

 

 いつの間にこんなに体の力を失ってしまったのか。

 あの巫女の元に全力疾走したのが、遠い昔のことのようだ。

 痛みで自由にならない身体に溜息をつきながら、朱華はあることを思い出していた。


 (お祖母様も、こんな感じだったのかな……)


 五年前に亡くなった、父方の祖母・文子ふみこのことだ。

 あの息苦しい家の中で、祖母だけは自分にとても優しかった。

 着物の正しい着方も、色の合わせ方も、豪雪時の脚絆の巻き方も、全て祖母が教えてくれた。得意料理だった“ぶりの照り焼き”は本当においしくて、せがんで作り方を教えてもらったりもした。


 その祖母も亡くなる一年前から病を患い、徐々に介助が必要になった。祖母の世話はほとんど朱華が進んでやっていて、いつも“すまないねぇ”、“ありがとねぇ”と優しく笑ってくれた。

 今思えば、当時の自分の小さな体では支えにもなっていなかったかもしれない。つらくても、つらいと言うような人ではなかったから、かえって気を遣わせていたかもしれない。

 

 亡くなる数日前から、祖母の背にもゆらめく影が立ち上がった。当時の朱華はもうそれを口に出してはいけないと知っていたから、何も言わなかった。けれど、時折祖母の背後をじっと見つめてしまった。祖母はそんな自分に気づいていたはずなのに、いつも穏やかに微笑んでいるだけだった。


 (お祖母様、もしかして、この里にいるのかな……?)


 不謹慎な考えが浮かんできてしまう。

 まだ“よそ者”でしかない自分がこの世界を闊歩かっぽできるわけもない。

 でも、そんな想像さえ今までの自分には許されなかった。

 どこかに優しい祖母がいるかもしれない、と思えるだけで、朱華は少し満たされた気持ちになった。 


 ***


 里の人たちが甲斐甲斐しく看病してくれたおかげで、朱華の体は飛躍的に快復していった。

 前回運んできてくれた“治癒の池”の水を、なんと今回はたらいにではなく湯船にはってくれたのだ。全身を温かい薬湯に浸したように、湯に浸かった翌日は驚くほど体が軽くなった。


 里の人たちは前も親切だったが、今回はより親身に世話をしてくれる。

 少し会話も増え、うっすらだが笑顔を見せてくれるようにもなった。

 普通に起き上がり、ゆっくりながらも一人で歩けるようになってきた。

 そんなある日――。


 広縁の下で、絨毯のように敷かれた紅葉を眺めていると、琥珀が袖を引っ張ってきた。


「なに?琥珀?」


 撫でてあげると、琥珀はくわえていた袖を離して、朱華の足元を鼻でつついた。

 そしてそのまま庭に降り、広い背中を見せつけてくる。


「えっ?なに?……もしかして、乗れっていうこと?」


 朱華は“まさかね……”と思いながら、一応聞いてみる。

 琥珀は朱華の方を振り返ると、背を低めた。


「えっ?本当に、乗るの……?」


 琥珀は朱華を見つめながら、低いうなり声をあげた。

 幾度かそのやりとりを繰り返しても、琥珀は引こうとはしなかった。

 朱華はどうしたものかと躊躇ったが、鋭い琥珀色の目が、“ついてこい”とばかりに威厳を増している。


「……じゃあ、乗るよ?」


 草履を取って慎重に履くと、朱華はそろそろと琥珀の背に身を預けた。


 

 何重にも積もり敷かれた紅葉の葉を踏みしめる、シャリ、シャリ、という琥珀の足音だけが聞こえる。

 琥珀は確信しているかのように、一切の迷いも見せず進んでいく。

 時折、背の朱華をチラリと確認する素振りをみせるが、朱華が撫でると目を細めてまた前を向く。

 あたり一面の紅葉。

 こんな秋の光景を、今まで見たこともなかった。

 赤や黄色の紅葉の木が密集して立ち、天から降る散華さんげのように葉が舞い落ちてくる。

 不思議なことに、誰とも会わない。

 幻想的な風景にうっとりと魅入りながらも、少し不安もある。


 (いったいどこへ行くんだろう……?)


 琥珀は今まで自分を守り助けてくれた。おかしなことになるはずはない。

 けれど……。

 明るい光が見えていた前方が、いつの間にか濃い霧に覆われている。

 先が何も見えない。

 朱華の不安をよそに、琥珀は歩幅を乱さずそのまま濃い霧の中に入った。

 琥珀の毛をつかんでいた朱華の手が汗ばんできた。

 不安が無視できないほど大きくなり始めた頃、視界が一気に開けた。


「えっ……?」


 胸の中が、ひゅっと縮み上がった。

 そこに紅葉は一葉さえなかった。  

   

 町だ。

 町がある。


 黒光りする瓦屋根が大通りに密集している。

 大きな蔵もあり、神社の鳥居みたいなものも見える。

 琥珀は、高い丘の上から町を遙かに見下ろすように立っていた。


 小休止を経て、琥珀はまた一定のリズムで、丘を難なく降りていく。

 琥珀の背に揺られるのは二度目だが、落ちそうな危機感を持ったことはない。

 驚くほどの安定感だ。


 (さすが、霊獣……)


 朱華は口に出す代わりに、琥珀の毛を優しく梳いた。

 気分良さげに歩き続けた琥珀は、まもなく大通りに出た。

 だが、これはまずかった。


「や、八翳やつかげ様の、霊獣……!」


 あの紅葉の里とは打って変わり、そこには人の姿があった。

 人ではあるが、どこか透けるような、存在の薄さを感じもする。

 琥珀の姿を見ると、皆あわてて畏まり道をあける。

 その場で跪き、顔を伏せたままの人までいた。


「ねぇ、琥珀……、私、降りた方が良いかな……?」


 朱華は決まり悪さに呟くが、琥珀は前だけを見て速度を落とさない。


 (す、すごい視線が……)


 朱華の背中に、ひんやり冷たいものが走った。

 なるべく顔をうつむき加減に、琥珀の毛を両手で握りしめる。


 (もう、どこまで行くのよ……)


 恥ずかしさも限界に思われた頃、信じられない声が飛び込んできた。


ねえや!」



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