表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/29

第22話 ゆりかごのように

 ゆらゆら、ゆらゆら…… 

 

 体が、揺れている。

 ふんわりとした波に身を任せるように、体が揺れている。

 

 暖かい……

 

 どうしてこんなに暖かいのだろう?

 さっきまで、身体が千切れそうなくらい寒かった。

 骨の髄まで染みこんだ冷気が、心臓まで届いて動きを止めるかと思うぐらいに。

 

 寒くて、悲しくて、みじめで……もうどうなっても良いと思った。

 このまま目を覚まさなければ、自分は“あの里”にまた行ける?

 それも悪くない。

 だって、もう進之助はいないんだから。

 “あの里”に行けば、進之助に会える?

 

 ゆらゆら、ゆらゆら……

 

 今までこんなに安心したことはない。

 この心地よさに包まれて、もうずっと、目を開けたくないと思った。


 

 つんつん

 ぺろっ

 

 何だか鼻やほっぺがむず痒い。

 妙な熱気と圧力を感じる。

 

 (なによ、人が良い夢を見てるのに……)

 

 朱華はそう呟いたつもりだった。

 真っ暗な世界に、薄い光が差してくる。

 格天井の明るい木目が目に入る。

 どこか、見覚えのある……でも、家ではない……。


「……えっ?」


 格天井の端に、キラキラとした二つの琥珀色が飛び込んできた。


「……琥珀?」

 

「わふっ」

  

 朱華の頼りなげな問いかけに、白銀の毛が波うった。

 

「……琥珀?本当に琥珀?」

 

 その名を呼びながら、朱華は目頭が途端に熱くなるのを感じた。

 温かいものが溢れて、すぐに頬に筋を引いた。

  

 琥珀は大きな顔を朱華の肩に押しつけてきた。

 震える片手をその体に回すと、柔らかで真綿に包まれるような感触が伝わってくる。

 暖かい……

  

 (もしかして、さっきの夢の暖かさは琥珀が?)

  

 撫でようとして、朱華は指先に鋭い痛みを感じた。


「痛っ!」


 思わず声が出てしまう。

 見れば両手の指は、清潔な白い包帯で巻かれていた。

 その指先の幾つかに、薄く紅色が滲んでいるところがある。

 指先には全く力が入らず、朱華は琥珀を撫でたくても、上手に撫でられない。

 それを知ってか知らずか、琥珀はなおもぺろぺろと朱華の頬を舐めてくる。


「ちょっと待って……」


「……琥珀、やめんか。それではまるで襲っているようじゃ」


 朱華の手が宙を舞った時、冷たい声が部屋の障子の方から聞こえてきた。

 艶を帯びた長い髪に、紫水晶のような瞳――。


「……白練様!」


 朱華は琥珀の巨体越しに、懐かしい人を発見して声を上げた。


「久しいの、朱華。息災……ではなかったの」


 苦笑交じりに呟いて、白練はすすっと部屋の中に入ってくる。

 背後から、狼狽した侍女たちの声も聞こえてきた。


「し、白練様!……朱華様もお目覚めに!?」


「ここはよい。水と消化の良いものをもってまいれ」


「は……はい!かしこまりました!」


 侍女たちは、そのまま障子を閉めると、あわてて去っていった。


「さて……ああ、そのままで良いぞ」


 起き上がろうとする朱華を制しようとした白練は、朱華の背後にわずかにできた空間にするりと入り込んだ琥珀を見て口角を上げた。


「琥珀は背になりたいようじゃ。……使ってやれ」


「あ……はい」


 言われるままに琥珀にもたれ掛かった朱華の前に、白練もすっと腰を落とした。その所作は音もなく、わずかな空気の乱れも許さないかのようだ。


「ちょうど近くにおってな、そちが目覚めた気配を感じたので来た。……今回はまた……」


 澄んだ視線が少しの憂いを秘めて、朱華の指先にそそがれた。


「ここまで、大変じゃったの」


「……あ……」


 何も言葉にできないまま、朱華の大きな瞳から涙がぽろっと落ちた。


 “大変じゃったの”


 その言葉が、静かに深く、胸の中に広がっていく。

 そう、大変だった。

 それを、誰かに認めてもらいたかったのかもしれない。


「なぜ泣くのじゃ?つらいのか?」


 怪訝な顔で白練が少し距離を詰める。


「……いえっ!これは、安心して……」


 手の甲で涙をぬぐうと、包帯が湿ってよれてしまった。


「あの……白練様」


 朱華は小さく深呼吸した。


「白練様がいらっしゃるということは、ここは“翳人の里”ですか?」


「そうじゃ」


「……私は、どうしてまたここに来たんですか?」


 その問いに、白練は檜扇で口元を隠すと、上目遣いで朱華を見つめた。

 目尻が笑みの形に下がっている。


「蘇芳が連れてきたのじゃ」


 朱華はすぐに反応できず、そのまま呆けたように白練を見つめた。


 (蘇芳さんが……?)


 頭の中で、これまでの色々な記憶と考えが駆けめぐった。


「それはそれは、大事そうに抱きかかえてのぅ……」


「……抱きっ!?」


 朱華の顔はわかりやすく真っ赤になった。

 白練は「あはは」と歌うような笑い声をあげる。“これが見たかった!”と言わんばかりに。


「まさか生者ひとの世にまで踏み込んで、連れてくるとは思わなんだ。熱い熱い」


 扇をゆるゆると動かしながらひとしきり笑い終えると、白練は扇を手に納めて、朱華の瞳を正面からとらえた。


「……まぁただ、今回はそちを連れてきて正解じゃ。そちは、翳が、視えるのじゃろ?」


「……はい」


「それは、翳視かげみと言うのじゃ」


「かげみ?」


 かげみ……そういえば、あの巫女のところで、弓の人からも言われた言葉。


「人間の中で、稀に人間の翳が視える者が生まれてくる。それがそちじゃ。普段は視えないが、死期が近づいた人間の背後には視えるようになる」


 確かに、その通りだ。死にゆく人の背後にだけ、いつも翳が視えた。


「ただ、な……」


 白練は細い指を顎にあてて、考え込むような仕草を見せた。


「そちはただの翳視ではなさそうじゃ。今、普通に呼吸ができるじゃろ?」


「はい」


「今回はどうやらそち自身の力で、この世界に順応しつつあるようじゃ」


「え……?それは、どういう……?」


 この里では浄化されているとはいえ、死者の瘴気があると言っていた。その瘴気に、自分の力で耐えていると……?


「それだと私は、もう死んだということですか?」


 朱華は心の中に、言い知れぬ不安と焦りが湧き上がってくるのを感じた。

 もうどうなっても良いと思っていた。

 でも、いざそう言われると、覚悟などできていない自分を思い知る。


「いや、まだそちは死者ではない。だからこそ不思議なのじゃ。前回から今日までに、何か別の力を発現したとしか思えぬ……」


 (別の、力……?)


「あっ!」


 朱華は小さく声をあげた。


 白練が探るような目を向けてくる。


「あの……関係あるかわかりませんが、弟が影に取り憑かれて、それを防ごうとしたら、あの……」


「なんじゃ?」


 白練の声が険しい。


「光が……私の体から光が出ました」


「光?……ふむ」


 白練はわずかに首を傾けると、そのまま目を閉じてわずかに考え込んだ。


「それはおそらく関係があるの……じゃが、どう関係あるかはまだわからぬ……とにかく」


 白練は目を開けて、いつになく真摯な光を宿した瞳で朱華を見つめた。


「そちはまだ死者ではない。生者の世に帰ることも可能じゃ。まずは養生せよ。何事もそれからじゃ」

 

 返事を待つことなくさっと立ち上がると、白練の清々しい冷気がふわりと朱華の鼻をかすめた。


「また来る。……琥珀、頼んだぞ」


 琥珀はぴくっと耳を立て、伏せていた目を片方だけ開けた。


「無精なやつじゃ」


 溜息交じりに呟くが、そこには信頼の色が滲んでいる。

 白練は去り、水や食べ物を整えた侍女たちが、しずしずと部屋に入ってきた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ