第15話 山吹の里
強い風が吹き、黄金色の波がざぁっと一斉に揺れた。
「へくしょん!」
風にあおられたのか、急に鼻がむずがゆくなってきて少年は派手なくしゃみをした。
「風邪かぁ?それとも、誰か噂してんのか?」
鼻をすすりながら、乱れた短髪をくしゃっと掻き上げると、明るい茶色の髪の中に細く入っている山吹色の線がきらめいた。
「心当たりありすぎて、わかんねぇなぁ……」
薄く笑いながら、重ねた足を組み替える。
弧を描く大きな少年の瞳には、一面の黄金色がゆらゆらと映っているた。それはただの景色ではなく、満ちては消える人の欲望の色でもある。暑くも寒くもない澄んだ空気の中を、時折微かな風が吹き抜けていった。
毎日同じように明け、同じように暮れてゆく。平穏といえば聞こえはいいが、それは退屈の裏返しだ。この里の主人である少年にとって、それは時に苦痛ともなる。
広庇の下で足元の土をつま先でつつきながら、少年はピクリと耳を動かした。
「山吹様」
律儀という言葉を音にしたら、きっとこういう声色になるに違いない。聞き慣れた声に、山吹はひょいと顔の向きを変えた。
「何だ?刃黄」
視線の先には、背の高い壮年の男が立っていた。
「入って来いよ」
「失礼いたします」
刃黄はきっかり四十五度に頭を下げると、まっすぐな足運びで歩み寄る。
大の大人が少年にこうも礼を尽くすのは、端から見れば可笑しさもあるが、これは至極まっとうな態度なのである。相手は八翳の一人――山吹なのだから。
「翳遣いがまいりました」
「……誰から?」
「蘇芳様です」
風が、ふいに動きを止めたようだった。山吹の瞳に、ほんの一瞬だけ緊張が走った。
「……何だって?」
刃黄は恭しく、黒い書状を差し出した。山吹は面倒そうに受け取るが、好奇の色が隠しきれていない。
書状を広げると、鮮やかな赤い金泥の文字が浮き上がった。この里での書状は、宛てた相手が開くと、自然と文字が光を放って順に表れ、初めて内容が確認できるのだ。
山吹は眉根をよせながら目を移し、あるところで動きをとめた。
「影喰?」
山吹の呟きに、刃黄の肩がわずかに動いた。
「影喰が、出たのですか?」
「そうらしいね」
一応最後まで目を通すと、山吹は書状をぽいと放って、腕組みをしながら天を仰いだ。 刃黄が音もなく進み出て、磨かれた床に落ちる寸前の書状をさっと受け止める。
「出たらしいよ。犠牲者もそれなりらしい……にしても、人の欲に紛れた影喰はなかなか見つかんないのによくわかったな」
山吹はよいしょと腰をあげると、そのまま大きく伸びをした。
「ま、蘇芳の眼力を逃れられるやつなんて存在しないか」
楽しそうに笑う山吹を、刃黄は口を閉ざしたまま見つめていた。
少年特有の危うさと、不自然に大人びた落ち着きを持っている。八翳の中でも規格外な来歴の持ち主だ。
山吹の顔は久しぶりに活き活きとしている。相手が誰であろうと、彼の退屈を吹き飛ばしてくれるものは大歓迎のようだ。
「さて……で、どうするか?」
山吹は広庇の下から出ると、黄色く波打つ庭の中に入っていく。刃黄も遅れて庭に降り後に続いた。
「影喰ごときで俺が出る必要はないよな?でも相手の力量もわからないし……お前、行くか?」
振り返った黄金色の眼差しが、刃黄にまっすぐ突き刺さった。
「……ご命令とあらば」
「そうか、ま、頼むよ」
山吹は明るい声を出して瞳を細めた。
黄金色の花の中に立つ山吹は、何かありがたい後光を背にしているようにも見える。黄色を基調に生成りや淡い金を重ねた衣が、その印象を高めているのかもしれない。
肩や腰の線にはまだ少年らしい細さが残っており、その外見の柔らかさにつられて山吹に挑んだ愚か者の末路を、刃黄は多く見てきた。戦闘用の革のブーツで固められた足元を見れば彼の少年らしさが“見かけ”に過ぎないことにも気づくべきなのだが、大抵は手遅れだ。
山吹は刃黄の視線の意味などお構いなしに、足元の花を一つプチッと摘み取り、茎をもって先をくるくると回した。そして気づいたように、刃黄の顔を見上げた。
「ところでお前、影喰を祓ったことあったっけ?」
「……随分昔ですが、一度だけ」
「大丈夫かなぁ……」
揶揄しているのか心配しているのか、真意はわからないものの、山吹は少し真面目な顔つきになった。
「影喰は、最初に生者の翳に張りつくんだ。喰われすぎたらそいつは死ぬ」
「はい。存じております。そしてその翳を喰われた者は……」
刃黄の顔つきが堅さを増した。
「そう。ここには来られない。あいつらの巣窟に、魘界にひきずりこまれる」
山吹の顔からも、柔らかさが消えている。
「俺はね、人間の世界は欲で回ってると思ってる。自分の欲を満たすために、何かを信じて、何かを得ようともがくのは別に悪いことじゃない。ただその度合いが過ぎる瞬間を、あいつらは見逃さないんだ。魘界に連れ込まれたら魂は消滅する。救いも輪廻もない」
ともすれば軽薄ともとれる普段の姿からは想像できない、低く落ち着いた声だった。柔らかさの中に、ほの暗い山吹の何かが滲み出てくるようでもあった。山吹は一呼吸置くと、改めて刃黄をまっすぐに見据えた。
「影喰の祓い方はいつも同じだ」
「はい」
「ものは、ちゃんと持ち帰れよ」
「はい」
「既に翳を喰われすぎた奴は救えないけど……」
山吹色の瞳が、一瞬薄くゆらめいた。
「手遅れになる前に、すぐに行け」
「承知いたしました」
刃黄はより深い礼をとると、硬い表情を崩さないまま足早に去っていった。
残された山吹の周りには、またいつもと変わらぬ黄金色の世界が戻ってきた。風が吹くと、緑の青臭さと蜜のような香りが漂ってくる。
少し冷えてきて、山吹は部屋に戻った。
机の上には、自分が放り投げた黒い書状がきちっと折りたたまれて置いてあった。
先ほど浮かび上がった、赤い文字……。
そういえば、面白い噂を聞いた。あの冷血漢が、生者の少女を連れてきたとか。
八翳の頭領――蘇芳。
自分が八翳に選ばれるはるか昔から、頭領だった男。恐ろしいほど長い時間を、八翳として過ごしているらしい。冷静で隙がなく、完璧に整った容姿だけでも圧倒されるのに、仕事も常に完璧。無口だが、人付き合いも問題ない。
まとめると、完璧すぎて嫌なやつ――。
あの男が、何かをほしがる顔なんて想像もつかない。いつも涼しい顔をして、何事も淡々とこなしていく。あの顔が、感情でゆがむことなどあるのだろうか。だがここのところ何だか空気がおかしい。その生者の少女とやら、蘇芳と何か関係があるのだろうか。
椅子の背にもたれて大きく背骨を反らすと、山吹は机の上の書状を再び見つめた。
「なんか、面白くなるかもな……」
山吹は口元をゆがめながら、黒い書状を“つん”と指ではじいた。




