374 絶望の先に
謎の人物が放った【手紙鳥】は、パァン! と閃光と共に弾け、白煙を残して散った。
バラバラになった紙と灰が降り注ぐ。
ベルの唇から、失意の言葉がこぼれ出す。
「信号弾型【手紙鳥】……なんてこと」
遠くでテレサとアイシャが謎の人物を取り押さえたのが見えた。
この絶望的な状況で唯一の救いは、爆発に巻き込まれたはずのテレサとアイシャに怪我がない様子であること。
そこへウィニィとロイドも合流した。
謎の人物は地面に転がされたまま、何か喚いている。
「私も、行かなきゃ……」
ベルが膝に手をつき、立ち上がる。
身体が重い。
だが走れなくとも、とにかく仲間たちの下へ。
そう考えて歩き出した彼女の耳に、嫌な音が響いてきた。
ベルは諦観の境地に至り、独り言ちる。
「……街道から。十騎くらいかしら? お早いこと」
それはいくつもの蹄の音であった。
蹄音の群れはみるみるうちに大きくなる。
やがて、襲歩の速度でやってきた騎馬の集団が、林を突き抜けて現れた。
一騎はベルの鼻先をかすめるようにして通り過ぎ、やがて手綱を返した。
残りの騎馬もベルの存在に気づき、彼女を取り囲む。
騎士の数は十。
見立てがぴたりと当たったことを喜びたいが、とてもそんな状況ではない。
無言。
ベルを視認した彼らが言葉を発さないことが、ベルには何より恐ろしかった。
「……嬉しいわ? 私なんかに十人がかりなんて」
勇気を振り絞って強がってみせると、やっと騎士の一人が口を開いた。
「仲間のことは案ずるな」
そう言って、騎士は海のほうを指差した。
いつの間にか何艘もの船が海に現れている。
ウィニィたちも海上に目を奪われているようだ。
(……みんなに助けを求めてはいけない。私を置いて逃げてくれれば、可能性は残る)
ベルが覚悟を決めて唇をギュッと結ぶと、騎士は彼女の心を見透かしたように残酷な笑みを浮かべた。
「すぐに同じところへ行けよう」
他の騎士は口を開かない。
この騎士が騎馬集団の指揮官と見ていいだろう。
「あなたたちは翡翠海洋騎士団……?」
彼らは騎士章も、意匠で所属のわかる魔導騎士外套も身につけていない。
状況から見て確認するまでもないのだが、素性を隠すのは後ろめたさの表れでもある。
ベルはこの後ろめたさを突破点に定めた。
「本当にドーフィナ伯の命令に従って大丈夫? これは王族殺しよ。不安はないの?」
騎士らはやはり無言だ。
ベルが揺さぶりを続ける。
「船で先回りして斥候をばら撒いたのね。見つけたら沖に待機している船と街道の騎馬が駆けつける。……でもこれって人目に触れる作戦だわ。あなたたち、街道警備に見られたりしてない? あとで大変なことにならないといいわね?」
すると指揮官は一言も反論することなく、剣をシャリッと抜いた。
他の騎士もそれに続く。
ベルは揺さぶり方を間違えたことに気づき、はあっと大きくため息をついた。
「……そうね。なおさら私を早く処理しなきゃよね」
それからなけなしの気力を振り絞って、媚びの笑みを浮かべてみせた。
「降伏したいのですが……命だけは助けていただけませんか?」
指揮官の回答は――やはり無言だった。
ベルはしばらく待ってみたが、回答すらもらえないことがわかり、今度はもっと大きなため息をついた。
ため息を吐きすぎて前屈みになるほどだ。
そして身体を起こしたその瞬間、その手には隠し持っていた短剣が握られていた。
指揮官がそれを鼻で笑う。
「フン。そんな得物で我らとやり合う気か?」
「ええ、そうよ」
ベルは左袖をめくり、短剣の刃を手首に押し当てた。
「自決か。それもいいだろう」
それを聞き、ベルは吹き出した。
指揮官は聞かずにはいられなかった。
「なにが可笑しい?」
「フフ……だって。私はやる気だって、そう答えたじゃない」
「ふむ?」
ベルはギリッと手首に刃を押しつけた。
血が滲み、刃を伝って地面へ滴る。
「……くれてやるわ、この命」
ベルが騎士らをギロリと睨む。
「呪詛の最上にして最悪――己が命を代償に捧げる呪殺。とくと味わわせてあげる」
ベルの気配が不吉な色に染まる。
指揮官の反応は早かった。
「殺れい!」
命令が下った瞬間、何本もの槍の穂先がベルに襲いかかった。
それを予期していたベルは、手首に刃を当てた姿勢のまま近くの馬の足元に転がった。
馬は槍を自分の足元に向けられ、興奮して暴れ出した。
槍から逃れたベルに、今度はハンマーのような蹄の足踏みが降り注ぐ。
ベルは呪詛を編みながら、必死に転がり回った。
しかし。
「うッ!?」
他のものより数段鋭い槍の突きが降ってきた。
ベルは反応して身を翻したが、素性を隠すのに着ていたローブのフードが槍の穂先に貫かれてしまった。
槍がグルン、と回される。
フードが巻き取られ、ベルの首がきつく絞まる。
「くっ……」
「捕まえたぞ?」
槍の主は指揮官だった。
「引きずり出せ」
他の騎士が馬を降り、ベルを引っ張り出した。
騎士二人がベルの脇をそれぞれ固め、ベルは地面に膝をついた。
「……」
ベルは固められたまま、指先で呪詛の印を結ぼうとした。
しかしそれを目ざとく見つけた指揮官が、槍の腹でベルの手をバチッ! と叩いた。
「あうっ!」
「押さえろ。私が殺る」
ベルが地面に引き倒され、指揮官が馬を降りる。
ベルは指揮官を見上げた。
この男の反応の早さは呆れるほどだ。
判断も早い。
さすがは名門翡翠海洋騎士団の部隊長といったところか。
だが、自分の命を奪おうとする輩に誉め言葉などくれてやることはない。
ベルは地面に押しつけられた状況でありながら、見下すように指揮官に言った。
「あなたって本当にせっかちね。奥方に言われない? 『あなた、早すぎるわ』って」
指揮官の眉がピクン、と動いた。
そのあと、静かに部下たちの顔を見回す。
上司を馬鹿にした物言いは部下からすれば笑えるものだ。
物言いが下卑ていればいるほど、上司が厳しければ厳しいほど笑える。
ベルからは見えないが、きっと部下の誰かが笑ったのだろう。
それを指揮官は睨みを利かせて脅しているのだ。
指揮官が言った。
「上を向かせろ。手足は押さえておけ」
命令に従い、ベルの身体が乱暴に仰向けにされる。
「っ。……あら、コケにされて怒ったの?」
「口を塞げ。呪いを囀らせるな」
ベルの口がこじ開けられ、布が突っ込まれる。
準備ができると指揮官はベルに馬乗りになった。
そこでベルはハッと気づく。
指揮官の目に欲の色が浮かんでいた。
指揮官は彼女のシャツの襟を両手で掴み、一気に左右に開いた。
「~~!」
ボタンが飛び散り、ベルの胸元が露わになる。
指揮官がベルに顔を近づけた。
「部下の誤解を解かねば。お前の言い出したことだ、わかるな?」
欲に溺れ、醜く歪んだ指揮官の顔がすぐそこまで近づいてくる。
「ッ! ッ!」
ベルは頭を激しく振って抵抗した。
唾を吐きかけてやりたいが、布が邪魔してそれもできない。
指揮官はベルの胸に顔を埋めた。
舌が肌を這うぬめっとした感触がして、ベルは嫌悪感に歯を食いしばった。
(がっつきやがって……! こいつ、初めからその気だったんじゃないの?)
(ああ……嫌だ。この場の全員を呪い殺してやりたい……)
(ロザリーみたいにはいかないな……)
(助けて、ロザリー……)
そしてベルは覚悟して目を閉じた。
その瞬間だった。
「ギャッ!?」
猿か鳥が鳴いたかのような声。
ベルのすぐ右からだ。
ハッとベルがそちらへ首を回すと、彼女の右腕を押さえていた騎士が、土下座するような姿勢で地面に顔を突っ込んでいた。
その背中には剣が生えている。
「あ、ぐッ」
「げッ!」
「うぎっ!?」
似たような悲鳴が三つ続き、ベルの身体が軽くなった。
ベルはすぐさま上半身を起こし、座った姿勢で身を固め、そのまま後ずさった。
何が起きたのか、状況を見定める。
ベルのいた場所に悲鳴の数――四つの死体が転がっている。
あの指揮官だけはさすがの反応の早さでベルの上から飛び退いて逃れていた。
その離れたところで膝をついた姿勢の指揮官と、対峙する若い男が立っている。
ベルを襲った騎士らとは違い、魔導騎士外套着ている。
男は剣が生えた背中を踏みつけ、剣を引き抜いた。
「あなたは――」
ベルが呟くようにそう言うと、男がこちらに顔を向ける。
その顔を見て、ベルは心底驚いた。
「――オズ!?」
「待たせたな、ベル」
オズはニッ、と笑ったのだった。





