372 岬の別れ
「ザスパール……」
小舟の上。
ウィニィが油布からこっそりと顔を出す。
ザスパールは顔を顰めた。
「そんな顔、するなよ」
「……黙って隠れていろ」
「聞きたいことがあるんだ。……いや、聞かなきゃいけないことが」
ザスパールはため息まじりに返した。
「なんだ」
「ドーフィナ伯は、なぜ僕を狙う?」
「……」
「言えないのか?」
「……ま、今さらか。教えてやろう」
「ああ、教えてくれ」
「先王弟ドロスの命令だからだよ」
「「!!」」
名を聞いて驚いたのはロイドらも同じで、一斉に油布から顔を出した。
「フン。信じられないか?」
「いや、でも……なんで大叔父御の名が出てくるのか、わからない」
「先王弟がどういうつもりかは俺だって知らんよ。確かなのは、先王弟に言われたらドーフィナ伯は逆らえないってことだけだ」
「そう、なのか?」
「ジュノー様の御母上、覚えているか?」
「ああ、小さい頃にお会いした記憶が……でも、見なくなった?」
「伯が先王弟に差し出したんだよ」
「差し出……はあ!? なぜ!?」
「そりゃ先王弟が欲しがったからさ」
「いや。……いやいやいや! 大叔父御はそんな無法を通す方ではないぞ? むしろ王族なのに弁えてる方だ」
「事実だ。先王弟が欲しがり、伯は差し出し、黄金城もそれを黙認した」
「……父上も?」
「〝血濡れ〟の貸しがドーフィナにはあるらしい。その対価として金ではなく人質を要求したのだろう。……ともかく、伯は妻を差し出すことも受け入れてしまうほど、先王弟には頭が上がらないんだよ」
「……」
「ついでだ、お前を狙う賊の正体も教えてやる」
この言葉に敏感に反応したのはロイドだった。
「判明しているのか!」
「反王制フリュール派、とかいう連中らしい」
「確かか?」
「さて、な。先王弟からの報せにそうあっただけだ。『反王制フリュール派と結託し、ウィニィ王子を暗殺せしめよ』と、な。伯の性格を考えれば、お前らを麻痺毒で動けなくして、そのフリュールとやらに殺らせるつもりだったのだろう」
「フリュール……昔、そんな高位貴族がいたな?」
「俺たちが学生になる以前に没落したはずだ」
「没落した高位貴族が王族に復讐する……辻褄は合う、が」
「フリュール派については俺もまったく知らん。だがフリュール個人については知っていることがある」
「! 何を知ってる?」
「精霊騎士界隈では有名な奴なんだ。なんでも上級精霊を使うらしい」
「上級精霊……」
「人に直接手を貸すことはほとんどない、上位の存在だ。王国では奴だけとも聞く」
「そんなに強力な精霊なのか?」
「上級精霊とは基本的に信仰の対象だ。祈りや魔導を捧げ、その力の一端を借り受けるのが精霊術。上級精霊そのものを使役するなど、ほとんど例がない。……だからこそ、俺は疑ってるが」
「あり得ない?」
「大魔導なら、あるいは。そんな範疇の話だということだ」
「そう、か……」
「ん、見えてきたぞ」
ザスパールが西を指差した。
海に浮かぶ灯りが見える。
ロイドが問う。
「あれは?」
「ポートオルカの灯だ」
「そうか、ポートオルカ……港に入るのか?」
「まさか。その先の岬に降ろす」
小舟はポートオルカの灯りを左手に眺めながら、その港入り江を通り過ぎた。
その先の岬を迂回し、ポートオルカからは見えない岬の裏手に小さな浜があった。
「少し待て」
ザスパールは小舟を浜へ近づけると、真っ暗な海へ飛び下りた。
深さは腰ほどで、彼はそのまま小舟を押し、浜へと押し上げた。
一行が浜へ下りる。
最後にベルを背負ったテレサが下りると、ザスパールはこう言った。
「ここからは陸路を西へ行け。とにかくドーフィナ領から離れるんだ。フリュール派とやらも灯台守から連絡を受けたなら、まず二つ月城へ向かうはず。どちらからも遠ざかるために、西へ向かえ」
するとロイドが冗談めかして言った。
「そんなに心配なら、このまま船で西へ送ってくれてもいいんだぞ?」
「それは自殺行為だ」
ザスパールは笑った。
「ドーフィナの騎士は海や風の精霊騎士が多い。大型帆船は燃やしたが、精霊騎士の船はもっと足が速い。そろそろ追手も出てるはず。海上でドーフィナ騎士に捕捉されたら手も足も出んぞ?」
「そうか……。わかった」
「そう暗い顔をするな。お前らを逃がす直前に、城の魔女騎士を脅して【手紙鳥】で救援を頼んでおいた」
「救援? どこに?」
「ロザリーだよ。あのお人好しの大魔導なら、同級生の危機に駆けつけて、まとめて解決してくれる。そうだろう?」
それを聞いたアイシャやテレサがわあっ、と歓声を上げる。
ウィニィとロイドもつい笑顔になって頷き合った。
「じゃあな。捕まるなよ」
そう言ってザスパールは小舟を押し、再び海へと浮かべた。
そしてざぶざぶと海に入って小舟に乗り込もうとした、そのとき。
ウィニィが叫んだ。
「待て! ザスパール!」
ザスパールは波間で動きを止め、面倒くさそうに振り返る。
「なんだ、王子様」
「君はこれからどうする気だ!」
「どうって……別に関係ないだろう」
「やっぱり。二つ月城へ戻る気だな……!」
するとロイドたちがハッと顔を見合わせ、それから一斉に反対の声を上げた。
「はあ!? 冗談でしょう? あんた、家人を二人も殺したのよ!」
「城に火をつけたのもザスパールよね!?」
「城に戻るなんて、それこそ自殺行為だ!」
ザスパールは「チッ!」と大きく舌打ちし、反論しようとした。
しかし、ウィニィが先に仲間たちを止めた。
「待て、三人とも。……ザスパール。それはジュノーのためか?」
ザスパールは今度は小さく舌打ちし、渋々といった様子で答えた。
「俺が戻らねば、王子様を逃がしたのはジュノー様の命令を受けてのことと判断される。それだけは避けねばならない」
「――あなたが戻ったって、何も変わらないわ!」
か細い声で、しかしはっきりと断言したのは、テレサに背負われたベルだった。
「ベル……!」「ベル、大丈夫?」「無理はするな」
「いいの。降ろして、テレサ。ありがとう」
浜に立ったベルは、弱々しい足取りでザスパールに近づいた。
「ザスパール……あなたは気遣いの人。ウィニィを逃がすのに、まず最初に私のことを考えてくれた。ウィニィを逃がすために見捨てたってよかったのに……」
「……」
「だから、あなたに恩を感じるから、あえて言うわ。あなたが戻ったって何も変わらない。ジュノーの命令であってもなくても、あなたが主家を裏切ったことには変わらないから。そして変わらないのはジュノーもそう。彼女は伯の娘でドーフィナの後継者よ。あなたに命令していようといまいと、ジュノーが命を取られることはない。――わかる? あなたが二つ月城に戻ることで変わるのは、あなた自身が酷い目に遭うかどうか、それだけなの」
黙ってそれを聞いていたザスパールは、最後にボソッと呟いた。
「……相変わらず知恵が回るな、ベル」
「ザスパール……お願い、真剣に聞いて?」
「聞いているさ。だが、お前はドーフィナ伯を知らない」
「どういう、意味?」
「ジュノー様は危険なんだよ。だから俺は戻るんだ」
「っ! ……ドーフィナ伯って、そんなに残酷な方なの?」
「残酷ではない。臆病なんだ。臆病だから恐怖を増幅させて判断力を失う。妻であっても……娘であっても……」
「ザスパール……」
「そういうことだ。王子様もわかったな?」
ウィニィはベルとザスパールの会話を黙って腕組みして聞いていた。
そしてザスパールに問われ、大きく頷いた。
「ああ、事情はよくわかった」
「よかったよ。今度こそ、じゃあな」
ザスパールが小舟の縁を掴み、乗り込もうとした、そのとき。
「ザスパール!!」
「……チッ!」
ザスパールが睨みつけるように振り返る。
「いったい何だよ、王子様!」
ウィニィは波間に立つザスパールに向かって、手を真っ直ぐに差し出した。
「城に戻るな! 僕と来い! ザスパール!」
ザスパールは目を剥いて仰け反った。
「~~っ! 話、聞いてなかったのかよ、王子様よ!」
「聞いてたさ! ジュノーのためなんだろう? だが、僕を逃がしたのもジュノーのためのはずだ!」
「それは……!」
「お前はジュノーの望みを叶えるため、僕を逃がしてくれた! そのために負うことになった危険は彼女自身がどうにかするはずだ!」
「っ、そんなことわからないだろうが! 適当なことをぬかすな!」
「これでお前を死なせることになったら僕はジュノーに顔向けできない! ジュノーがそれを望まないと確信しているからだ!」
「……っ!」
「ザスパール、お前はジュノーの望みの一つを叶え、一つを絶とうとしているんだよ!」
「あああ、うるさい! あんたがこんなにうるさい奴だとは知らなかった!」
ザスパールは縁を掴んで身体を海中から引き上げ、ひと息に小舟に飛び乗った。
無理やりに乗ったせいで小舟が左右に大きく揺れる。
「待て、ザスパール!」
「お待ちを! ウィニィ様!」
「止めるな、ロイド!」
ロイドの制止を振り切って、ウィニィが暗い海へ入っていく。
「ザスパール! いいから僕と来い!」
「っ、来るな! おい、止めろよ、お前らッ!」
ロイド、ベル、アイシャ、テレサの四人は、黙って事の推移を見守っている。
波をかき分けて小舟に近づくウィニィを誰も止めようとはしない。
ついにウィニィは小舟の目の前まで来て、船上のザスパールに笑顔と共に手を差し出した。
「死ぬことはないんだ。さあ、共に行こう、ザスパール」
ザスパールは櫂の持ち手を握りしめ、固まった。
宙を見上げ、目を閉じ、思い悩んでいるようだった。
しかし、次の瞬間。
カッと目を見開くと、櫂でウィニィの胸を突いた。
「あっ! ぶぐぐぐぅ……」
「ウィニィ様っ!」
ウィニィは突かれた衝撃で海中に沈んだ。
慌ててロイドが海に入って助けに行く。
ロイドがたどり着く前に、ウィニィは一人で起き上がっていた。
「ご無事ですか!?」
「ああ、ロイド……問題ない、ちょっと海水飲んだだけ……っ、ザスパールは!?」
小舟は、いつの間にか手が届かぬ波間の向こうに遠ざかっていた。
ザスパールは揺れる甲板の上で、両膝を揃えて座っていた。
「ザスパー……ル?」
ザスパールが波音に負けぬ大声で叫ぶ。
「ウィニィ様ッ! 必ずや逃げおおせてくださいませ! そしてジュノー様のことを……ザスパール、最期の願いにございます!」
「~~ッ、最期とか言うな、ザスパールッ!」
「では、御免!」
「ザスパーーァルっ!!」
ウィニィの叫びも虚しく、小舟は波間に小さくなって消えていった。
ザスパさんよく書きすぎ問題





