371 脱出
ザスパールは急によろめき、殿の騎士に身を預けるように寄りかかった。
殿の騎士は慌ててザスパールを支えようとした。
が、その瞬間。
騎士の腹にザスパールの握る剣が深々と突き刺さった。
ザスパールと抱き合う形になった殿の騎士が、カッと目を剥く。
「が、うッ、」
ザスパールが騎士の腹から剣を引き抜くと、騎士は膝から崩れ落ちた。
ザスパールが振り返り、血に染まった剣をチャキッ、と握り直す。
「ザスパ――あんたッ!」
向き合う形となったテレサが腰の剣へ手を伸ばす。
が、ザスパールは彼女を無視し、列の先頭に向かって駆けだした。
ロイドとアイシャがウィニィを背にして身構えるが、ザスパールはそれも素通りして先導の騎士に襲いかかった。
先導の騎士はもたついて、剣を抜くのが遅れた。
それはほんの数秒のことであったが、致命的な遅れであった。
駆け寄ったザスパールがそのままの勢いで剣を振り下ろす。
先導の騎士は「待った」をかけるように左腕を掲げたが、振り下ろされた剣はその左腕を切断し、鎖骨の下まで食い込んだ。
「いッ! いッて……はっ? うえ……」
先導の騎士は顔を歪ませ、残った右手で食い込んだ剣を掴む。
するとザスパールはあっさりと自分の剣を手放し、腰の後ろから短剣を抜いた。
そして躊躇なく、短剣を騎士の首に刺しこむ。
喉をやられた先導の騎士は言葉が出なくなり、この現実を受け入れるのを拒否するように首を振った。
ザスパールが刺さった短剣をグッ、と突き上げる。
すると騎士は大量に血を吐き、やがて後ろ向きに倒れた。
「ザスパール……」
突然の惨状に、そしてその実行者が同級生であるという事実を前にして、一行は固まった。
ザスパールは剣の血を魔導騎士外套の裾で拭い、ぶっきらぼうに言った。
「死体はこのままでいい。こっちだ、ついてこい」
そう言って、部屋とダイニングルームへの行き来では使わなかった道へと彼は進んだ。
ロイドとテレサ、アイシャはどうすべきかと顔を見合わせた。
だがウィニィだけは迷わず、彼のあとを追った。
ウィニィの背中にロイドが叫ぶ。
「ウィニィ様!」
「行こう、ロイド」
「ですが!」
「彼はこの城で会った中で最も信用すべき人物だ。そうだろう?」
二つ月城へ入る前にロイド自身も言っていたこと。
この城で信用すべきはジュノーのみで、ザスパールはその近習である。
理屈の上ではわかるのだが、目の前の惨状がそれを許さない。
だが、主たるウィニィは考える時間を与える気はないようで、そのままザスパールについて行ってしまった。
「……ウィニィ様ッ!」
もはや選択肢はなく、ロイドたちも彼らのあとを追ったのだった。
ザスパールは城の使用人しか使わないような、狭く古びた通路を選んで進んでいく。
「……スープは口にしてないな?」
突然、ザスパールが振り向きもせずにそう言った。
「すーぷ?」
ウィニィが首を傾げると、彼は言った。
「毒入りスープだよ」
「「!!」」
一行がハッと互いを見る。
「ウィニィ様、たしか食前酒を……」
「うん……口をつけただけだけど……」
「アイシャ、あんたパン……」
「かじっちゃった!」
ザスパールはため息をついて立ち止まった。
懐から小さな筒状の容器を取り出し、上部の穴から黒い粒をふたつ、手のひらに取り出した。
「解毒剤だ。スープじゃなければ大丈夫だと思うが……念のために飲んでおけ」
ウィニィとアイシャが一粒ずつ受け取った。
「ウィニィ様……」
「くどいぞ、ロイド」
この黒い粒こそが毒である可能性もある。
だがウィニィはためらいもせず、黒い粒を口へ放り込んだ。
アイシャもそれに続く。
そして次の瞬間、揃ってべーっと舌を出した。
「うえええ!」
「酷い味!」
「我慢しろ。それで毒とはおさらばだ」
そう言って、ザスパールは再び歩き出した。
ロイドが駆け寄って後を追いつつ、彼に問う。
「ザスパール。毒の種類がわかっているのか?」
「ドーフィナ家に伝わる由緒正しき毒薬だ。特有の臭いがあるんだが、温かいスープに入れるとまるでそれがわからなくなる」
「毒性は?」
「強力な麻痺毒だ。『震えるほど美味』ってふざけた名でな。数十分後にろれつが回らなくなり、一時間後には震えて動けなく、二時間後には心の臓すらも止まる」
「ドーフィナ伯はスープを催促した……殿下を毒殺しようとしていた?」
「殺す気だったのかは俺にはわからん。量を調節すれば自由だけを奪えるのが、この毒の優れたところ。――灯台守も使っただろう?」
「「!」」
再び、一行が顔を見合わせる。
ウィニィが言う。
「ザスパール、灯台守は……」
「ドーフィナの家人だ。毒に通じ、【手紙鳥】を使える魔女騎士が灯台守の任に就く。あんたの到来を報せたのは、王都ではなく灯台守だ」
「西への【手紙鳥】は――」
「――二つ月城だったのね」
そう言ってアイシャとテレサが頷き合う。
それを聞いたザスパールが顔を顰めた。
「西への? 他にも【手紙鳥】が?」
「ええ。南に二通。ひとつは潰したけど」
「マズいな。急ぐぞ」
そう言って足を速めたザスパールに、ウィニィが言う。
「待て! いったいどこへ向かってる?」
「城を出るんだよ、王子様」
「ダメだ! ベルが部屋に残ってる!」
するとザスパールは「チッ!」とはっきり聞こえるほど舌打ちし、ウィニィを睨んだ。
「とうに手は打ってある。いいから黙ってついてこい!」
何かに苛立った様子のザスパール。
ウィニィたち四人はお互いを見てから、口を開かずに彼のあとをついていった。
いくつめかの階段を下り、何個目かの扉を開けると、急に潮の香りが強くなった。
「外、か?」
石レンガの床の通路が湿り気を帯びている。
そして次の角を曲がると、波が打ち寄せる船着き場が現れた。
城の屋内に隠された、秘密の船着き場のようだ。
「ベル!」
船着き場には小舟が一艘あって、その上にブランケットに包まったベルが座っていた。
アイシャが駆け寄って様子を見る。
目を閉じたままのベルと何事か会話し、それからアイシャはこちらを見て頷いた。
「すぐに出るぞ。甲板に大きな油布があるだろう。その下に隠れろ」
ウィニィたちは言われた通りに小舟に乗り込み、油布の下に身を隠した。
最後にザスパールが飛び乗り、船着き場をグイッと蹴る。
そして櫂を手に取り、秘密の船着き場から静かに、ゆっくりと海に出た。
北側の港は未だ煌々と燃え盛っていて、夜の海面を赤く染めている。
城壁の上に走り回る人影が見える。
火事に気を取られ、こちらに気づく様子はないようだ。
小舟は二つ月城からまっすぐに離れ、そこから陸地に沿って入り江から抜けた。
外洋に出ると波が高くなった。
しかも夜である。
視界の悪い中での操船は一筋縄ではいかないはず。
しかしザスパールは、熟練の操船で小舟を西へと進めていった。





