370 二つ月城―下
「お召し物をご用意いたしました。いかがでしょうか」
部屋に通されてからしばらくして、メイド長が再びやってきた。
ノックされて扉を開くと、ウィニィの衣装を広げて持ったメイドが三人入ってきて、最後に入ってきたメイド長がそう言った。
「ん、うん。問題ないよ」
ウィニィがそう言うと、衣装を持ったメイドたちが彼を囲んだ。
メイド長が言う。
「では、僭越ながら……御着替えをお手伝いいたします」
そしてメイド長がシワひとつないシャツを手に取ってウィニィに向かったとき。
彼女の前にロイドが立ちはだかった。
「? 何でございましょう?」
「私がやろう」
そう言ってロイドがシャツをひったくると、メイド長は慌ててそれを取り戻そうとした。
「いけません! 騎士様にそのようなこと、させられません!」
「何を言う。君らにこそ任せられない」
「何故でございましょう。私どもはこれが仕事でございますが」
「ならば聞くが。あなたは王族の着替えを手伝った経験があるのかね?」
「それは……」
王族がよその使用人に身の回りの世話を任せることはほぼない。
例外は学生時代くらいで、それ以外は出先にも自分の使用人を連れて行くのが常である。
ロイドはそれと知りながら先の質問をし、答えられないと見るや厳しい口調で言った。
「分をわきまえられよ」
「……失礼しました」
メイド長とメイドたちが衣装を置いて部屋から出ていく。
扉が閉まって、ロイドはシャツを調べた。
手触りや臭いまで嗅ぎ、問題ないと判断してウィニィに向かう。
「さ、ウィニィ様」
「ん……」
背中を向けた彼の腕にシャツの袖を通していると、ウィニィが肩越しに言った。
「少々過敏だぞ、ロイド」
「そうは思いませぬ。赤の他人にこうして無防備に背中を晒すことになるのですから」
「仮にドーフィナ伯がその気なら小細工の必要はないんだ。我々はすでに腹の中なのだから」
「それは――かもしれませぬ」
着替えを終えて部屋を出ると、すでに着替え終えたアイシャとテレサが部屋の外で待っていた。
「ドレスじゃないのか」
そうウィニィが問うと、騎士服姿の二人は顔を見合わせて、それから笑った。
「用意されてたのはドレスだったけど」
「さすがに、ね?」
「あれ? ロイドは着替えなかったの?」
アイシャが問うと、今度はウィニィが笑った。
「メイドに仕返しされたんだ」
「えっ? ロイド、何したの?」
ロイドは鼻を鳴らした。
「フン、特に何も? それよりベルはどうした?」
「部屋に寝かせてる。やっぱり、ベッドに寝かせたら落ち着いたわ」
「ずっと背負われてるのもきつかっただろうし、な」
「うん。だからこのままにして、軽食もらって持ち帰ろうと思ってる。マズかった?」
「いや、それでいい」
部屋の外で話していると、ドーフィナの騎士が二人、やってきた。
巨漢の副長アドンではなく、比較的若い騎士だ。
「ダイニングルームへご案内いたします」
騎士たちはウィニィたちを前後に挟む形で案内した。
湾曲した狭い廊下を歩き、螺旋階段を上り、また狭い廊下を何度も折れていく。
「ずいぶん歩くのね……」
テレサがそう言うと、ウィニィが振り返った。
「戦備えの城は中核区画に簡単にたどり着けないようになってる。黄金城もそうだろう? 廊下こそ狭くはないが――」
「――そっか。言われてみればそうね。勉強になるわ」
やがて何度目かの角を曲がると、突然大きな扉が現れた。
殿の騎士が先導の騎士のところまでやってきて、二人で両開きの扉を開き、それぞれが押さえる。
「中へどうぞ」
そこは煌びやかなダイニングルームだった。
染みひとつない純白のテーブルクロスの上に銀の食器とカトラリーが整然と並び、珊瑚製の燭台がテーブルを彩っている。
薄暗い廊下を歩いてきたせいか、燭台の明かりが朝の光のように眩く見えた。
ウィニィたちが部屋に入ると扉が閉まり、二人の騎士は扉の両脇に立った。
「席、どこに座る? やっぱウィニィが上座よね?」
「私はどこでも――っていうかアイシャ、がっつきすぎ。あの籠のパン、食べたいんでしょ」
「そっ。しょうがないでしょ、お腹減ってんの!」
「はいはい。私こっち座る」
「じゃ私、隣に――」
アイシャとテレサが席に着こうとすると、ウィニィが背筋を伸ばして立ったまま、言った。
「座るな。ホストが来てからだ」
「あ……」「……了解」
四人が立ったまま、しばらく待っていると。
彼らが入ってきた扉とは逆側の扉が開いた。
入ってきたのはドーフィナ伯、その人である。
年の頃は首吊り公と同じくらい。
ロマンスグレーの髪色や、痩せて背が高いところも似ている。
違うのはジュノーのように豊かに髪を伸ばしていること。
そして年のわりにシワや弛みが多く、老けて見えることだった。
「ドーフィナ伯……」
ウィニィが一歩前に出て、滑らかに頭を下げる。
するとドーフィナ伯は慌てた様子で彼の下に向かった。
「おお、おお! ウィニィ殿下! 頭などお下げくださるな!」
「面倒をかけて、すまなく思う」
「何も何も。頼ってくださり、誇らしい限りでございます」
そしてウィニィの両手を取り、言った。
「殿下にはドーフィナがついております。何もご心配召されるな」
「ありがとう、伯」
ウィニィは爽やかに笑い、それからキョロキョロと周りを見た。
「ときにジュノーは? ここで会えるものと思っていたが」
「ああ、ジュノー……」
ドーフィナ伯は頭を抱え、言った。
「実を申せば――ウィニィ殿下の苦境は【手紙鳥】にて、すでに私に伝わっておりました」
「【手紙鳥】……王都から?」
「はい。僭越ながら、殿下はドーフィナを頼られるやもしれぬと思い。騎士団長フィルハに隊を率いて捜索に向かわせることにしたのです。するとジュノーは自分も行くと聞かず……結果、行き違いに」
「そうだったのか」
「連絡はやったので、じき戻るでしょう。さ、何はともあれ食事といたしましょう。ご一同も空腹なのでは?」
ドーフィナ伯がそう問いかけた瞬間、アイシャの腹がくぅぅ、と鳴った。
隣のテレサがジトッと睨む。
「アイシャ、あんたねぇ……」
「く、不覚……」
「ハハハ。では席へどうぞ。食事を!」
ドーフィナ伯の命を受けて、給仕長らしき年配男性が厨房に合図を送った。
皆が席に着くと、さっそくグラスが運ばれてきて、食前酒が注がれていく。
ウィニィ、ドーフィナ伯、ロイド……と注がれていったときに、ドーフィナ伯が低く言った。
「……なぜだ?」
給仕長が身を強張らせ、恐々とドーフィナ伯を見る。
「何か、失礼を……?」
「お疲れなのだぞ? スープが先だ」
「は! すぐに!」
急いで厨房に向かう給仕長を見送り、ドーフィナ伯が言う。
「気が利かぬことで……申し訳ない」
「いや、伯。気遣いをありがとう」
ウィニィがグラスを掲げると、ドーフィナ伯もそれに応えグラスを掲げた。
二人が同時に淡い色の液体を口に入れる。
と、そのとき。
ガチャッ! と大きな音を立てて扉が開いた。
ドーフィナ伯が入ってきたほうの扉だ。
伯は不愉快そうに眉を潜めたが、扉から入ってきた騎士が彼に何事か耳打ちすると、はっきりと顔色が変わった。
ナプキンで口を拭い、ドーフィナ伯が立ち上がる。
「殿下、ご無礼を……所用ができました」
「大丈夫か、伯?」
「ご心配なく。ご一同も食事を続けられませ。では、失礼」
そう言い残し、ドーフィナ伯は急ぎ足で扉から去っていった。
ウィニィたちが顔を見合わせる。
「何か――」「――あったな?」
それは誰の目にも明らかだったが、ダイニングルームにいてはそれを確かめることもできない。
ホストに「食事を続けろ」と言われた手前、勝手に出ていくのも難しい。
ウィニィたちがどう行動すべきか頭を悩ませていると、部屋の中で動きがあった。
何が起きたかわからないのはこの部屋の騎士や給仕役も同じだったのだ。
彼らは小声ながら盛んに話し、騎士が厨房の中に行ったり、給仕長が扉から出たりした。
そして外から部屋に戻ってきた給仕長が興奮した様子で言った。
「火事です! 港が燃えております!」
騎士たちが給仕長の立つ扉へ向かう。
ウィニィがロイドに目配せした。
ロイドはすぐさま立ち上がり、騎士の後を追った。
この扉はドーフィナ伯が入ってきたほうの扉で、出て少し行くと窓があった。
その窓は、赤く染まっていた。
ロイドが騎士二人が顔を寄せ合っている隙間から外を覗くと、外洋側の港で大型の帆船が炎に包まれているのが見えた。
ロイドはすぐにダイニングルームにとって返し、ウィニィに状況を報告した。
「我々が入った船着き場と逆側の港で船が燃えております! 大型帆船です、延焼もしている様子!」
ウィニィはひとつ頷き、即断した。
「部屋に戻る」
「ハッ!」
「ちょっ! ちょっとお待ちを!」
戻ってきた騎士の一人が、ロイドの後ろから言った。
「伯は食事を続けよとおっしゃいました! 部屋に戻せとは仰せつかっておりません!」
「そんなことはわかっている」
ロイドが振り返る。
「ウィニィ殿下の身の安全が第一だ。火事が殿下の御命を狙う賊の火付けである可能性は十分にある。混乱に乗じて襲ってくるかもしれないぞ?」
「いや……ですが!」
「このダイニングルームは守るのに向かない。広く、扉が多いからだ。迷路のような通路も、前もって構造を知っていれば関係ない。守るのは君ら二人と我々三人。対する賊は何人だろうか? 五人より少ないだろうか?」
「それはっ、わかりませんが……」
「君の言う通りに、ここに留まったとして。殿下にもしものことがあったら……君は責任が取れるのか?」
「っ……!」
「ウィニィ殿下は王位継承順位第二位の御身。我々は元より、君も、君の家族もただでは済まんぞ。ドーフィナ家すら危ういかもしれん」
「う……」
「君たちは殿下のご命令に従うだけだ。決して伯の命令に背くわけじゃない」
ロイドの弁とプレッシャーに負けた騎士二人は、ウィニィたちが部屋に戻ることを認めた。
「ちょい待ち!」
仲間たちが部屋に戻ろうと動き出した中、アイシャは置いてあった籠からパンをひとかじりして、残りを懐に仕舞った。
「アイシャ、あんたねぇ……」
「んぐ、それ二度目。それに、これはベルの分」
「まったくもう……」
一行が部屋に戻るため通路に出る。
騎士二人は来たときと同じように前後に挟んだ形で進んでいく。
城全体が混乱している様子で、あちこちから騒がしい声が聞こえてくる。
先導する騎士の足取りも、自然と急ぎ足になった。
そして迷路のような通路をようやく半分くらい来たとき。
前方から別の騎士が歩いてきた。
先導の騎士の次を歩くウィニィは、その騎士を見て首を傾げた。
「ん、あれ?」
それは間違いなく、ウィニィの同級生だった。
顔も、立ち姿も、そうに違いないのに、彼はこちらをまるで知らない他人であるかのようにすれ違っていく。
「おい、ザスパー……」
ウィニィが振り返って声をかけるが、まるで聞こえないように彼は素通りしていく。
ロイドもアイシャもテレサも、それはザスパールに違いないと思って目で追うが、彼はやはり素通りする。
そうして殿の騎士をも通り過ぎようとした瞬間。
ザスパールは急によろめいた。
バランスを崩し、殿の騎士に身を預けるように寄りかかった。
殿の騎士は慌ててザスパールを支えようとした。
が、次の瞬間、殿の騎士が大きく目を剥いた。
口がパクパクと動き、やがて糸が切れたように膝から崩れ落ちた。
一行が何事かと見守る中、ザスパールが振り返る。
彼の手には血に染まった剣が握られていた。





