369 二つ月城―上
こちらもやや長。
――二つ月城、地下牢。
繰り返す波音が上から聞こえる。
藻やフジツボで汚れた石レンガの床にコツンコツンと足音を響かせて男がやってきた。
男はある牢の前で止まり、膝をついた。
牢の中にいる女が振り返る。
男が言う。
「――報せが入りました。じきに二つ月城に参られます」
女は苦痛に満ちた表情で首を振った。
「何てこと。このままでは……!」
男は魔導騎士外套の中に隠していた細長い包みを取り出した。
鉄格子の隙間から牢の中に差し入れる。
「ジュノー様。これを」
「これは……!」
女――ジュノーが油紙の包みを開けると、刃が珊瑚でできた奇妙な剣が現れた。
ドーフィナ家伝来の魔導騎士剣〝わだつみの樹〟である。
ジュノーは目を見開いたまま、男を見た。
「あなた、何をしたかわかっているの!?」
「もちろんです。宝剣を盗んだのですから酷い仕打ちを受けるでしょう。ですが、それは後の話です」
そして男はすっくと立ち上がり、背を向けた。
「では、私はこれで」
「ちょっと待って、ザスパール……」
聞こえているはずなのに、男――ザスパールは振り向きもせずに去っていく。
「ッ! やめなさい、ザスパール!!」
するとやっと、ザスパールは歩みを止めて振り返った。
ザスパールが笑みを浮かべて言う。
「ジュノー様。私がこれから何をやるのか、おわかりになるので?」
ジュノーは鉄格子にすがりつき、彼をキッと睨んだ。
「お前の考えることなど、すべてお見通しです!」
するとザスパールは困り顔で笑い、再び牢へ戻ってきた。
そしてもう一度しゃがみ込み、鉄格子の向こうの主人に言った。
「では、このザスパールを信じてくださいませ。必ずや貴女の望みを叶えてご覧にいれます」
「~~ッ、ダメよ、ダメっ!」
ザスパールが立ち上がり、地下牢から去っていく。
彼はもう、立ち止まることも振り返ることもない。
ジュノーは無駄だと知りながら、彼の背中に向かって叫んだ。
「ザスパーールぅっ!!」
ジュノーの悲鳴のような叫びは、波音にかき消されて泡のように散った。
「――見えた、二つ月城……!」
泥と汗に汚れたウィニィが思わず呟く。
小さな隠れ入り江があり、そこに浮かぶように立つ城が見える。
城の尖塔を飾るように月が昇り、入り江の穏やかな水面にもう一つの月が浮かんでいる。
この様が二つ月城の名の由来である。
そして月が姿を現しているということは、王都脱出の夜が明けて、さらにその次の夜がきたということでもあった。
灯台守が【手紙鳥】を飛ばしたと知ったウィニィ一行は、海上から簡単に見つかる沿岸を避け、森や岩陰に身を潜めながら西へと歩いてきた。
追手に怯えながら悪路を日中歩き通しであった一行は、口を開くのも億劫なほど疲弊していた。
「ベル、いったん降ろすね……」
返事をしないベルを地面に寝かせ、アイシャはそのまま自分も「ああ~」と地面に横になった。
ロイドがベルのそばに来て、治癒の聖文術をかける。
「どうだ、ロイド?」
「悪化はしていません。よくもなってはいませんが……」
「こまめに治癒作戦、うまくいってると思いたいな?」
「体力も回復しますから、やらないよりはいいはずです」
「うん」
テレサがなめし革の水筒の栓を開けて口に運び、すぐに眉を潜めて逆さまにした。
ぽちゃん、と小さな一滴が地面に落ちる。
テレサは水を諦め、近くの木の枝に掴まって背伸びして二つ月城を覗き見た。
「初めて見たけど……怖い城ね」
「そりゃあ、ね」
ウィニィが自分の水筒を開け、テレサに手渡した。
「堅城だよ。入り江は堀。ドーフィナの騎士は水の精霊騎士が多いから」
「攻め寄せられても少数で守れるわね」
「そして海から各地へ援軍も送れる。川を遡れば王都にだって」
「なるほど? ……んぐっ」
水を一口飲み、口元を拭ってからテレサが言う。
「どうやって入る?」
「そりゃ船さ。年に数度の干潮のとき以外は歩いて渡れない」
「どうやって船を都合する?」
「それは……あっちから迎えに来てもらうしかない」
「大丈夫よね?」
「……」
ジュノーのいる城だ、いつものウィニィなら「大丈夫に決まってる」と即答するところである。
だがここ数日、思わぬことが起き過ぎている。
しかし、目標と定めた二つ月城すら信用しないとなれば、逃げる気力すら失うことになる。
「……行こう。これ以上休息無しではどうせ続かない。ベルのこともある。ドーフィナを信じよう」
少し間があって、テレサは頷いた。
入り江の浜辺に出た一行は、二つ月城に向かって合図を送ることにした。
ロイドが灯火で剣先に明かりを宿し、城へ向かって大きく振る。
「気づくかな」
アイシャが言うと、ウィニィがすぐに答えた。
「気づくさ。戦備えの城だ、見張りは常にいる」
「……ウィニィは森に隠れていた方がいいんじゃ?」
「僕の顔を見ないと城に入れないと思う」
「ああ、それもそっか……」
やがて城に動きがあった。
城門に明かりが集まり、声も聞こえる。
そのうちに海に突き刺さっていた城門の落とし格子がゆっくりと上がっていく。
落とし格子が半分ほど上がったところで、小舟が三艘出てきた。
騎士が三名ずつ乗っている様子。
ウィニィたちは自分たちより多い相手から距離を取るために、波打ち際から少し離れた。
三艘は慣れた様子で浜に突っ込み、騎士たちが下りてくる。
「ウィニィ殿下でございますな!」
非常に大柄な、目のぎょろっとした騎士が大声で言った。
男の風貌を見てロイドたちは答えるのに躊躇したが、ウィニィが進み出て自ら名乗った。
「ウィニィである。そなたは?」
「ハッ! 翡翠海洋騎士団副長、アドンでございますれば!」
「アドン卿。私は追われている。敵は不明だ。ドーフィナは匿ってくれるだろうか?」
アドンはドンッ! と強く胸を叩いた。
「無論にございます! あなた様は当家のお世継ぎジュノー様の婚約者でもあられますれば!」
「そうか。すまない、恩に着る」
「ありがたきお言葉! それでは舟へどうぞ!」
「アドン卿、実は病人がいるんだ。彼女を少しも濡らしたくないのだが……」
「おお、そうでしたか! では御病人は我が舟に! 我が舟は沈みにくく造らせております、この体格のせいでよく転覆するもので! ガッハッハッハ!」
「……今回は転覆しないでくれよ?」
「勿論にございます! ガハハハッ!」
一行は二つ月城へ入るため、小舟に分乗することになった。
アドンの舟にベルとアイシャ、テレサ。
ウィニィとロイドは同じ舟に乗り、残りの一艘には誰も乗らなかった。
小舟は海面を滑るように進む。
ロイドが同乗の騎士には聞こえぬ声で、ウィニィに囁いた。
「……あの男、信用できませぬ」
「アドン?」
「ええ。見るからに」
「フッ、ロイドが顔相術まで使えるとは知らなかったぞ?」
「ウィニィ様……」
「怒るな、冗談だ」
そう笑ってからウィニィは言った。
「信用なんかしてないさ。僕はお前たち以外、誰も信用していない」
「……ジュノーもおります」
「そうだな、ジュノー。ドーフィナで信用するのは彼女だけだ」
三艘が二つ月城に迫る。
アドンの舟に乗ったテレサは、近くで見る城の造りに委縮していた。
(なんて高い石垣……大波に耐えるため?)
(その上の城壁から射かけられたらひとたまりもないでしょうね……)
テレサが城の造りに敏感なのは、今の所属で経験を積んだ後に近衛騎士団へ入団する予定になっているからだ。
本当は卒業後すぐに入りたかったが、母エスメラルダの強い意向でこうなった。
――母は自分に入団してほしくないのかもしれない。
その疑念は常にテレサの心にある。
母に憧れていることをテレサが言えば、昔の母は満面の笑みでテレサを抱きしめてくれたものだ。
それが抱きしめるどころか眉を顰めるようになったのはいつからだろうか。
テレサは実力不足が原因だと思い、必死に自身を鍛え上げてきた。
しかし、母は近衛騎士団入団を認めなかった。
「ママは私に入団してほしくないの?」
だがそれを直接問い質したところで母は心を明かさないだろう。
だったら誰よりも近衛騎士団に相応しい騎士になってやろうとテレサは心に決めた。
城を舞台に戦う騎士ならば城の構造に詳しくて当然。
だからテレサは城を見るときは攻め手の目線になってしまうのだった。
小舟が落とし格子の下を潜る。
海は城門の中にも続いていた。
城の入り口の前に円形の船着き場があって、いくつもの小舟が係留されている。
(外洋にでる大型船は? ……そうか、城の逆側にも船着き場があるのね)
船着き場につき、そこにいた騎士が小舟からロープを受け取り、係留柱に結ぶ。
テレサはハッと上を見上げた。
高くそびえる城壁や城の出窓から、何十もの弓手がこちらを見下ろしている。
「……なんて恐ろしい城。うかつに入れば針鼠ね」
すると前にいたアドンがギュン! と振り返った。
「わかるか、娘!」
(娘って!)
不満を感じながらも、テレサは頷いた。
アドンが自慢げに言う。
「始祖王の時代より、この城は落ちたことがない! かつて乱から逃れた獅子王が身を寄せたこともあるほどだ!」
「難攻不落、というわけですね」
テレサにしては珍しく胡麻を擦ると、アドンは上機嫌になった。
先に下船して、テレサに手を差し出したほどだ。
テレサはこれにも手を取って応え、アドンの機嫌を損ねないように努めた。
(この手の男は持ち上げるに限るわね)
ウィニィたちも下船し、アドンの先導で城に入る。
「ウィニィ殿下の、御なりであるぅ!」
アドンの桁外れの大声が玄関ホールに響き渡る。
するとその場にいた衛兵や騎士が一斉に敬礼をして、その姿勢のままウィニィたちを迎えた。
ウィニィは軽く手を挙げて、それを四方に向けて応えている。
(でも……多すぎる!!)
テレサは顔を強張らせ、そう思った。
この場にいる衛兵と騎士の数が多すぎるのだ。
玄関ホールは吹き抜けになっていて、その上部に設けられた渡り廊下にも多数の兵が詰めている。
総勢での出迎えと言えば聞こえはいいが、今のテレサの状況では大軍に包囲されたようにしか感じない。
振り返ると、最後尾でベルを背負うアイシャも同じような表情で小さく頷いた。
前を行くロイドの顔も、きっと同じような表情であろう。
だがウィニィだけは、王族らしい笑顔を張りつかせて、この状況を優雅に渡っていた。
玄関ホールを抜けて大階段を上り、扉を潜ってしばらく行くと、メイド長らしき年配女性が出迎えた。
アドンと引き継ぎ、彼は「では御免!」と言ってのっしのっし去っていった。
メイド長が言う。
「部屋をご用意しております。殿下のお部屋がこちら。ご家来衆のお部屋があちらになります。まず殿下のお部屋に湯の用意を――」
「――待ってくれ、彼らは家来ではない。女性三人と男二人で分けてくれるか?」
「あ、そうでございましたか。ではそのように」
メイド長が目配せすると、二十代後半くらいの女中たちが部屋に入っていった。
「すぐに準備いたします。お食事のほうも準備させておりますが、こちらは少しお時間を頂戴することに……」
「いきなり訪ねたのだから当然だ。すまないな」
「いえ! 滅相もないことでございます。では、お呼びするまでしばしご休息を……」
部屋の支度はすぐに終わった。
男二人と女三人で別れて部屋に入るとき、テレサがロイドに視線を送った。
(わかってる。気をつけるさ)
ロイドが部屋の扉を開き、中を確認してからウィニィを部屋に通す。
ウィニィはゆったりとした足取りで部屋に入ったのだが、ロイドが扉を閉めるなり、急いで服を脱ぎ出した。
「う、ウィニィ様!?」
「せっかく湯があるんだ、いいだろう?」
ついにウィニィは白の薄い長袖に白タイツという下着姿になり、部屋の端で湯気が立っている大きな桶に駆け寄った。
そしてそのまま、湯桶に顔を突っ込んだ。
「――ぷはっ! 久しぶりの湯だぁ。たまんないよ!」
「ウィニィ様……」
ウィニィは首筋を濡れた手で擦りながら言った。
「心配するな。裸になって浸かったりはしないよ」
「ですが……」
「王族が大貴族の晩餐に出るんだぞ? 格好つけさせてくれ」
そう言われてはロイドも反論できず、黙り込んだ。
だがウィニィの湯浴みを眺めて黙り続けることもできなくなり、ロイドは言った。
「……久しぶりと言っても、たった三日ぶりでしょう?」
「ん?」
「いや、学生時代の課外授業のときはもっと長かったかと」
「ああ、アトルシャンな。……いや、あのときより久々だよ」
「そう、なのですか?」
「死の予知はもっと前から見てたからな。浴場なんて暗殺の定番だろう?」
「ああ、なるほど……」
「よし! 待たせたな、ロイドも使ってくれ」
ウィニィはこざっぱりして、下着姿のままベッドに飛び乗った。
ロイドは湯を勧められたものの、服を脱ぐのも、ウィニィのあとの湯を使うのも躊躇われた。
仕方なく魔導騎士外套だけ脱ぎ、手の先だけをちょん、と湯につけて、その手で顔を擦った。
その様子を見ていたウィニィが、ベッドの上から言う。
「やりにくそうだな、ロイド」
「……いえ」
「昔は兄弟みたいに接してくれたのに」
「それは……」
「僕が――女だからか?」
「……」
「少し、寂しいな」
ロイドがウィニィをちらりと見ると、彼はベッドの上で膝を抱え、窓から月を眺めていた。
横顔を見て、ロイドは思う。
(あなたがそんな儚げな顔をなさると――)
(そうやって無防備な姿を晒すと――)
(私は嫌でも意識してしまうのです)
(学生時代、ベルム直前だった――)
(あなたが自分は女だと告白されてから――)
(あのとき確かに、私の中で変化が起きた)
ロイドはそんな自分にケリをつけるように、力強く言葉を紡いだ。
「……男だろうと女だろうと。ウィニィ様はウィニィ様です」
ウィニィは、つ、と窓から目を切ってロイドを見、微笑んだ。
「ありがとう、ロイド」
【二つ月城】
世界遺産にあるような「遠浅の海に浮かぶ城」としたかったのですが、説明書いてみたら長くなったので単に「入り江」としました。
ドーフィナ騎士は水系海系のエレメンタリアが主軸と思われるので、地形とのシナジー効果で鉄壁の城となります。
近づく敵を大波で一気にかっさらうなんて戦法もありそうです。
ちなみにロザリーが攻める場合、スケルトンに鎧を着せて海底を歩いて渡らせます。





