22話 ヒーローさんはまどろみの中で
──寒い。
ここはどこだ?何も見えない。
真っ白なキャンバスのような純白の世界に俺はただ一人で立っている。
いや、見えてはいる。
俺の過去。今まで経験してきたこと。全てが見える。
これは走馬灯……なのか?
目の前で何かが蠢いている。
よく目を凝らし、意識を集中させると、目の前で姉さんが黒いモヤに襲われているのがぼんやりと見えてきた。
モヤが姉さんの顔を何度も殴打して姉さんに痣が増える度、徐々にそれはハッキリしてきて、見るも痛ましい光景が眼前に広がった。
『あなたがすがるを救うのよっ!!』
姉さんは犯されながらも、必死にそう俺に訴えかけてくる。
姉さんは理知的で穏やかな性格だった。
ヒーローであるにも関わらず、驕らず、謙虚に普通の国民と同じ生活を望んだ。
そんな姉さんが俺は大好きだった。
姉さんはこんな事をされて良いような人間ではない。
すると、突然。
どこかでシャボン玉が割れた気がした。
場面が変わって、姉さんが台所に立ち、夜ご飯の支度をしているところになる。
俺の視点がずいぶんと低い。これは俺が子供の頃か。
姉さんはしばらくするとこちらを向いた。
『悠里。良い行いを続けなさい。
絶対に悪いことをしてはダメ。常に相手のことを思って行動するの』
『どうして?』
口が勝手に動いた。声も幼少期の声変わりのしていない高い声で懐かしさを感じた。
『神様が見てるから』
姉さんは遠い目をした。
そして、俺の視線は神棚へ向いた。
『神様なんていないよ』
『いるわよ。こうして私達が生きているのがその証拠。
あの大火事の中、私をヒーローとして目覚めさせて、助けてくれた。
優しかった母さん達の宝物を神様はこうやって守ってくれたのよ?』
俺がまだ赤ん坊の頃に家族で旅行に行った時に事件は起きたらしい。
旅行先のホテルが怪人の襲撃に会い、全焼した。
死者は二百人以上に昇り、その中に俺たち姉弟の両親も含まれている。
俺たちの泊まっていた四階のフロアは手遅れと言っていいほどに、黒煙と業火が立ち込めていたらしい。
姉さんは逃げそびれ、火だるまになりながら死に絶えた人を間近に見たという。
そんな、人間はおろか生物が生きることの出来ない環境に置かれた姉さんは、俺を抱え朦朧とする意識の中、何とか生き延びようと懸命に脱出を試みた。
結果は明白。
逃げること叶わず、姉さんは倒れ、抱えていた俺も死を待つ身となった。
俺の見解だと、姉さんの生きたいという意志を本能が、もしくは細胞が、ヒーローとして姉さんを進化させたんだと思っている。
『だから──はい。手伝って』
姉さんは柔らかな笑みを浮かべ、俺が手伝えるように俺用の台座を用意してくれた。
『えー……またぁ?』
『文句言わないの。
あっ!家事もロクに出来ない人のこと、すがるちゃんはどう思うのかな〜?
私、口が滑って言っちゃうかもしれないな〜』
『きたねぇぞ姉さん!』
微笑ましいやりとりを思い出し、感傷に浸ってしまった。
それにしても……神様が助けてくれるか。
「見てただけのカスを神なんて呼びたくない」
神の愚痴を溢しながら、再度、集中する。
また、シャボン玉が割れた。
次は、俺がのたれ回っているために視界が、上下左右激しく揺さぶられた。
ジュピターに誘拐され、全面、鏡に囲まれた部屋に一週間閉じ込められた時の記憶。
荒み具合から推測するに、5日目くらいか。
時間の感覚がよく分からなかったから、本当に大体だが。
『ジュピターぁぁぁ!!?
出てこいぃぃ!!殺す!絶対に殺す。
あぁぁいいいぁぁ!!』
俺は鏡の前の自分に向かって、奇声をあげている。
バンバンと鏡を叩く俺の手は真っ赤に腫れ上がり、小指が不可解な形になっている。
恐らくは折れているのだろう。
それを意に介さず、俺は何度も鏡を叩く。
何のためにジュピターが俺をここに閉じ込めたのかは分からない。
だが、何かしらの目的があったのか、6日目にジュピターはこの部屋を訪れた。
『や──!ゆう──気──はどう──?』
あいつが俺に何を話していたのかは覚えていない。
俺はとにかくこいつを殺したかった。
だから、襲いかかった。
『殺す!!逃さねーぞ!──あぁぁぁっ!!?がぁっ!あぁ!』
首を締めようと首元に伸ばした両腕に新しく関節ができた。
肘と手首の間に生まれた痛みに耐え、噛みつこうとするも雷の縄に捕らえられ、手も足も出なくなる。
またも、無力な自分は一方的な暴力に為すすべなく、負けた。
無力感が俺の体を蝕み、ひどく落胆する、
そんな自分にジュピターはつまらさそうな視線を浴びせ、少しため息をついて、この部屋から出ていった。
それが俺の心をさらに焚き付けた。
『必ず殺してやる』
恐ろしいほどに純粋で真っ直ぐな黒い感情をこの時、ハッキリと感じた。
また、シャボン玉が割れた。
未だ鏡の部屋だが、発狂することは無くなった。
これは……ジュピターに格闘技を習い始めた頃か。
なぜこんな事になったのかというと、ジュピターが何を心変わりしたのか、俺に突然、技を教えると言い出した。
今でもなぜかは分からない。
しかし、どうせロクでもないことに付きあわされていることだけは分かる。
『悠里くん。ヒーローはなぜ生まれるのだと思う?』
稽古の最中にジュピターがそう聞いてきた。
──考えたことはある。人は自分では何も出来ない時、自分よりも優秀な人間に全てを委ねる。
それが一番安心出来るから。
自分で努力するという行為から目を背け、簡単な方に逃げるのは人間の悲しい性だ。
答える義理はないが、俺は答えてみることにした。
こいつが気まぐれなように、俺にだって気まぐれになることだってある。
『……皆がクズだから』
『ハハハ。それもあるだろう。
だけどね、これはもう少し複雑なんだ』
『複雑?』
『そっ。
ヒーローの起源は怪人よりも若干前。
悪がいればそこに正義が生まれるのは当然。世界はバランスを求めるものだからね』
『それのどこが複雑なんだ?』
興味深い話ではある。
ジュピターがこうやって話すのは珍しいため、俺は聞き入った。
『まあまあ。ここからが複雑なのさ。
世界はバランスを求める。それじゃあなぜ、ヒーローは必ず怪人に勝てる?
勝率は突き詰めていけば、半々になってもいいだろう。
なのにヒーローには辛勝はあれど、敗北はない』
徐々にジュピターの表情は神妙になっていく。
『そして、もう一つ。
怪人はなぜ生まれた?』
考えたこともないことをズバリと言われ、愕然とした。
人類悪の象徴──怪人。
そんなのがなぜ先に生まれた?
『……おっと話しすぎたね。それじゃあ稽古再開といこうか!!』
ジュピターは構えをとり、話を変えた。
何かを隠しているのは丸わかりだ。
シャボン玉がまた、どこかで割れた。
それから様々な過去を振り返り、いつしか走馬灯が見えなくなった。
かといって自分の意識は途切れることはなく、何もない白い世界に取り残される。
暇なので歩き回ると、あることに気づいた。
誰かが俺を呼んでいる。
『……くせ』
耳を澄ましても声はハッキリと聞こえない。
『かいじ……つくせ』
断片的にだが、聞こえた声を整理する。
『怪人を殺し尽くせ』
声の主は、俺だ。
正確には俺ではない俺。
本能が俺にそう告げている。
『ここはどこだ!?
お前はなぜ俺をここに呼んだ!?』
俺の問いに俺は何も答えない。
たださっきの言葉を何度も繰り返す。
十回、百回、千回、一万回。
何度も同じ言葉を繰り返され、頭がおかしくなってしまいそうだった。
「俺をどうしたいんだ!!?」
ピタリと声が止み、目の前にボロボロの人間が姿を現した。
目は爛れ、手足があべこべに体に引っ付いている。
その人間を見た時、考えたくもないことが脳裏をよぎってしまった。
「……これは俺、なのか?」
……冗談だろ?これじゃあ俺はまるで……。
『化け物。
お前はヒーローなんて高尚な生き物じゃないんだよ!』
本能は俺の考えたことを言葉にして、ケラケラと笑った。
そんなはず……そんなはずない!
『すがるを助けるためだぁ?
ひははっ!!傲慢にもほどがあんだろ!』
下品な笑い方に激情し、本能の首を掴んだ。
傲慢だと?ふざけるな。
これは傲慢なんかじゃない。すがるは泣いていた。
俺がすがるのヒーローになって、彼女を救う。
それのどこが傲慢だ。
「笑うな」
『くひひっ!!ヒーローはなんで生まれるだったか?
あれの答えを俺は知って──グっ!』
「今それは関係ない」
これ以上喋らないように首を更に強い力で締め付け、首を握り潰した。
支えを失った頭がゴロゴロと転がり、
『おおありさ!ヒーローは欲から生まれる!
例えば俺の姉さんを殺したあの風羅武は性欲。
京介は攻撃欲。
それじゃあお前は?お前はなんの欲求から生まれたんだろうなぁ?』
俺の顔をおかしくそうに笑いながら覗く本能の頭を蹴り飛ばした。
しかし、今度は頭を失った首が新たに頭を生やした。
「正義だ。
あのヒーローたちを殺して、俺はすがるを救う。
だから、さっさとここから解放しろ」
頭を張り飛ばし、残った体を原形がとどまっていない程に殴り潰した。
ここまでしても飛び散った肉塊から本能は次々と増殖し、俺の周りへわらわらと集まる。
『違う』
『お前の欲は』
『正義なんかじゃない』
『お前の欲は』
『すがるを救いたいなんてお優しいものじゃない』
『お前の欲は』
『傲慢で』
『偽善的な』
俺の周りを取り囲んでいた本能が目の前の一人を除いて、全員サラサラの砂のように崩れ落ちた。
本能は山のように盛り上がった砂の中から弓と矢を取り出し、こちらへと矢じりの先を向ける。
『復讐欲だよ』
矢が脳天を確実に射抜き、俺の意識は白い世界から暗い世界へと引きずり込まれた。




