21話 ヒーローさんはもういない
「悠里……」
「ひぃっ!」
少し呟いただけなのに目の前の女がビクリと跳ねた。
この女……悠里と知り合いみたいだけど、恋仲だったりするのかしら。
……まあいいわ。
彼が第二の人生を歩んでいようと、私の目的とは関係ない。
人類の撲滅。
それが私の使命。
「主よ」
「なに?イェン」
「あの者はいかように?」
「そうね。殺して──」
何かが来る。
巨大な生命エネルギーが物凄い速さで一直線にここへ向かってきている。
座ったまま、そのエネルギーの主を待つ。
右前方から暗雲が近づいてくるのが見えた。
ジュピターか。
「ツィィ。女をこっちへ」
「へい」
ツィィは長い舌で女の体を巻きつかせ、こちらへ強引に引き寄せた。
ツィィはそのまま女の首に舌を巻き直し、いつでも絞め殺せるようにする。
人質があいつに対して有効なのかは知らないが、0と1は違う。
あって損はない。
「──来るわよ。備えて」
完全に辺り一体の青い空が暗雲に閉じ込められ、パジャマ姿のクソが空から降りてきた。
自分を神だと思っているのか、降臨するかのように神々しい稲妻を放ち、こちらを威嚇する。
私は頬杖をつき、それを見届ける。
早く降りてこい。
「やあ。これまた随分な状況だね」
「ああ。お前があまりにも遅くてね。
ああでも、ヒーローは遅れてやってくるだっけ?
それだったら仕方がないわね」
面倒な縛りだ。
その縛りのせいで見たくもないものを長々と見せつけられた。
「おっ!こんなところで偶然だね。悠里くん──って死んでる?これ」
「ええ。私の邪魔になりそうだったから」
「酷い女性だ。一応はこの子の婚約者だろ?この子から聞いたよ」
婚約者、ね……。思わず微笑んでしまった。
そんなことを話したこともあったわね。
懐かしい記憶が蘇る。
悠里と悠里のお姉さんとの楽しかった生活。
それを目の前の男は奪った。
恨んでなどいない。自分の危険性は自分が理解している。
だが、気に食わない。
この男が、ではない。
悠里。君だよ。
君にはもう次の人生を生きてほしかった。
なのに……君というやつは私を助けようとここまで強くなった。
せっかく記憶を消したのになぜ君の記憶が戻っているのかしら。
「大昔の話よ。どこかのおバカさんが私をフィアンセから引き離してね。
そんな寂しさを紛らわすためにこんな事を始めたの」
「はっはっは!それは申し訳ない。
その御仁も君にとって彼がそんなに大事な人だとは思っていなかったんだろう。許してやってくれたまえ」
高笑いするジュピターに明るく話を切り出した。
「それで?あなたに私を止められるの?」
「……無理だよ」
ジュピターは笑顔を保ったまま。
当然だ。私を倒せるのは悠里だけ。
そう私が決めた。
「それじゃあ何のためにここへ?」
「君の顔を一度見たくなって、とレディに対しては言うべきだが、私はヒーローなのでね。
その子を救いにきたんだ」
「ご立派ね。でもあなた、私からこの子を助け出せると思って?
ふふっ。随分オツムが弱くなったのね」
「はっはっは!確かに!最近、物忘れがひどくてね!
でも、若い子を助けるのは年長者の努めでね。
──全力で行かせてもらうよ」
暗雲の中から這い出してきた無数の雷の竜が雷鳴を轟かせ、こちらを睨みつける。
なんて躾のなっていないペットなのかしら。
半分泣いているツィィを横目にジュピターを見つめ、一言。
「自爆しろ」
そう一言、命令する。それだけでいい。
雷の竜はジュピターの肢体に噛みつき、膨れ上がり始める。
ジュピターはそのまま雷の竜と共に爆散した。
「ひゅー!トップヒーローをあんな簡単に……すいません」
口笛を吹くツィィを一睨して、空を見上げると未だに暗雲は晴れない。
暗雲のもっとも暗く重い色を放つ場所が一瞬ピカリと光った。
やはり、復活したか。
猛獣の雄叫びのような声が浅草の街の頭上から響く。
ジュピターは蘇る。
まるで不死鳥のように、雷の中から何度も。何度でも。
「主。私が出ましょうか」
「あなたは私が負けるかもしれない。そう思っているの?」
イェンの岩を少し握り潰す。
すると、イェンは慌てて言い直す。
「い、いえ!私はただ、あの程度の者。私だけで十分かと思いまして!主様に力を使わせるなど……従者として──」
「余計な気を回さないで。
それにジュピターじゃあ役不足よ。あなたと戦ってもあなたが勝つだけ。
つまらないわ。
そうね……京介って子じゃなければあなたと釣り合わないわ」
「申し訳ありません!!」
昔気質な彼は扱いが簡単で助かる。
それに悠里の記憶を盗み見た時にいたあの京介って子。
実際の所、強い。
ただ、まだ粗さが目立つわ。
まあそれは私の方に引き入れた時に直すとして。
ジュピターの復活が終わり、立ち込めていた重く暗い雲が、純黒のインクのような雲に変わり、それらがジュピターを中心に広がっていく。
もはや、太陽の光すら通さず、世界は昏闇に閉ざされる。
辛うじて、雷の光が辺りの状況を教えてくれる。
そんなの無かったとしてもやりようはあるが、無いよりかはあった方が良い。
ジュピターは最終形態へ移ろうと、雷を自分へ向け、蓄電し始めた。
蓄電による自分への電気耐性を無理やり上げ、全体的な技の威力、自身の身体的能力の向上。
雷の鎧を纏うことで、攻守共に隙が無くなる、だったかしら。
そんな事しても私には関係無いのに。
「ツィィ、離れないで。
そいつ、最悪死んじゃうから」
「はっ!」
「んんんんっ!?」
女が死というワードを聞くや、暴れ始めた。
目障りだから、ツィィに首を締めてもらうとしよう。
「ツィィ。絞め落として」
「──っ!かっ!?がっ……ぐぁっ!!」
ギリギリと音を立てて、長い舌が女の細い首を締める。
女はヨダレを垂らしながらも何とか呼吸をしようと、舌の間に手を挟もうとするが、ヌルヌルと滑るためそれは無駄な努力となる。
徐々に抵抗が弱々しくなり、最終的に手を垂らし、騒ぐことは無くなった。
これでよし。
「──っ!?どうして……?」
「……?主、どういたしましたか?」
雷が光と闇の世界を交互に繰り返させていても分かる。
悠里の死体が無い。
どこにも見当たらないのだ。
どういう事?
あの時、たしかに『死ね』と言ったはず!生きているはずはない!
常に辺りを索敵していた。味方の可能性はありえない。
今、悠里がいないのはマズイ!
「ぐほぁぁ!!」
ツィィの声のする方を見ると、そこには倒れたツィィしかいない。
待って、あの女はどこ!?
「主っ!前です!!」
「──くっ!?」
前を見ると、悠里が私の顔を貫こうとしていた。
咄嗟に横に避けたが、耳に拳がかすり、耳がもげた。
耳は直に治るからいい。
しかし。
悠里……何よその体。
イェンの体に突き刺さった拳は左手だったが、その左手がついているのは右腕。
見れば女を抱えている左腕には右足がひっついている。
体のパーツがツギハギに取り付けられて、壊れたプラモデルのような体になってしまっている。
それに目は虚ろで、恐らく私を私と認識していない。
この現象は一体……。
「主っ!ジュピターが来ます!!」
雷の鎧に包まれたジュピターが右手を空高く掲げ、大技を繰り出そうとこちらを睨んでいる。
でもね、ジュピター!あんたに付き合っている暇は無いの!
決着はあとで着けるわ。
「失せろ!!」
ジュピターと共に、能力によって生まれた暗闇が一気に消え失せ、元の空が顔をようやく出した。
これで良し。
後は悠里だけ──っ!?
「あ、主……これは一体」
「なんなのよこれ……こんなの想定してないわよ!!」
悠里の右肩が溶け、骨が露出したと思えば、すぐさま骨の上を肉が覆った。
他の部位でも同じことが連続して起きている。
再生と崩壊を繰り返す度に体のパーツがバラバラに組み立てられる。
異形。
もはやヒーローではないその様相はその一言に尽きるだろう。
「す……が……る……約束……姉さん。
すが、る。姉さん。すがる俺が助けるから。
この子約束守る。京介と一緒に。瞬は子供だから。
復讐使命救う人類怪人は。ジュピター殺す。
仇。どうする。薬。使うべきか。超える。」
訳の分からないことを何度も呟き、体の変形が加速する。
にも関わらず傍らの女を手放さないのはなぜだ。
分からない。
ともかく、その事実がとにかくモヤモヤする。
これは嫉妬というやつなのだろうか。
「怪人は」
目が崩れ落ちぽっかりと空いた空洞から、涙のような液体が流れ出た。
「殺す」
ジュピターさんには死ねという言葉は効きません。
こういうと語弊がありますが、死なないので効いてないようなモノです。
悠里同様、特例中の特例です。




