第十三話 待ち人
とある宿屋に着いた少女は、彼女の父を瞳に写してようやく口を開いた。
「お父さん!」
「か、カヤか!?」
カヤは一目散に走り出し、父の胸に飛び込む。まるで十年以上も離れていたように、焦がれるように。
強く抱きしめあう二人を眺めながら、涼真は胸を撫で下ろす。
何しろ、あの館から逃げ出して以来、カヤは人形のように言葉と感情を失ってしまっていたのだ。手を引かれるまま、じっと涼真を見つめて走っているだけだった。
手遅れだったのか、あるいはあまりの暴力沙汰に心を閉じ込めてしまったのかもしれない。そう思ってさえいた。
しかし、それは杞憂だった。カヤはちゃんと泣くことができて、笑うことができている。この無邪気な笑顔を守るためなら、世界を敵に回すなんてのは瑣末なことだろう。
ちなみに、つけられた首輪は逃げてる最中にぽろっと取れた。一時はどうしようかと思ったのだが、こちらも杞憂で済んだ。
「ま、まさか、本当に一人で連れ戻してくるとは。おぬしには驚かされる」
話しかけてきたのは、バジーリウスだった。
熊のような男が、あろうことか純真無垢な子供のような瞳をしている。感動のあまりに今にも抱きついてきそうな、空恐ろしさまで感じるほどだ。
妙な寒気を感じて、つつがない微妙な距離をとった。
「でも、ハルトマンは殴っただけですから。すぐに追っ手がかかると思います」
「そうか、殺さなかったか。これで次兄の目も覚めるとよいのだが。追っ手に関しては、我らに任せておいて貰いたい。何、一晩や二晩程度、次兄の騎士団といえどあしらってみせる」
そういえば、食堂を占有していた剣士たちは既にその姿が無い。宿の周りの警備や、館への斥侯に向かっているらしい。
「ところで、フェールの治療はうまくいきましたか?」
「うむ。酷い怪我だったが、目を覚ます前に治療はできた。しかしなあ……」
バジーリウスは、さも困り果てたように頭をかいている。
「どうしたんです?」
「まあ、見たほうが早いだろう。ついてきてくれたまえ」
食堂奥の階段を上り、涼真とバジーリウスは客室へと向かう。廊下を抜け、案内された部屋を見て、涼真はその異様な光景に顔をしかめた。
バリケードだ。ベッドや机、椅子を組み合わせて、部屋の入り口を塞ぐようにバリケードが作られているのだ。
「何事ですか、これ?」
「目を覚ましたまでは良かったのだが、我々の言うことを信用してくれなくてな。おぬしが姿を見せるまで誰も部屋には近づけんというのだ」
フェールは人より優しいだけの、普通の女の子だ。そんな女の子が、何日にも渡って森の中を逃げ回っていた。少し考えてみれば、フェールの心の傷が深いのは明白だ。
もしかすると、フェールは以前魅せてくれたような優しさの持ち主ではなくなっているかもしれない。バリケードは、拒絶する心の現われなのかもしれない。
もっと真剣に探していれば、デートなんかしていい気になっていなければ、フェールの地獄のような時間も減らせたはずだ。
だから、フェールがどんな風に変わっていたとしても、今度こそ守り通す。
バリケードを成す机に手をかける。汗を流しながら、一つ一つ、その障害をどけていく。
「分解した方が早いですよ、涼真。持続時間は十分にあります」
神託の宝具の平坦な声がもっともな提案してきたが、首を横に振った。
「無駄遣いはできないよ。いつ何があるか分からないからね」
実際、今までの戦闘は全てギリギリだった。ディートリヒとの戦いは数秒違えれば倒れていたのは涼真だったし、イェンスのときも邪悪龍を屠りし剣がなければ、やはり倒れていたのは涼真だっただろう。
神託の宝具を使用する戦闘においては、体力管理が重要なのだ。
バリケードの上半分をどけ終えて、やっと人が通れる空間ができた。部屋の中を覗き込むと、ベットや家具が目に付いても人の気配がない。
嫌な予感がする。
ここは二階だ。窓から飛び降りて、逃げられないことも無い。
フェールは、また一人で行ってしまったのかもしれない。地獄のような日々に、一人で戻ってしまったのかもしれない。そんな気がしたのだ。
「フェール!?」
急いで、バリケードを跨いで部屋の中に飛び込む。すると、何故か足元に影が差した。四角い影だ。
見上げれば、椅子が頭上に振ってきている。
「え!?」
驚きの声を上げると同時に、椅子は虹の輪を描いて消滅した。邪悪龍の血液は、自動的に神託の宝具の使用者を守るシールドなのだ。当然の結末である。
「今、酷い無駄遣いを見た気がする……」
「それは間違いでしょう。当たり所が悪ければ死んでいましたよ」
「確かにそうなんだけど、何か釈然としないというか」
せっかくの苦労が、非常に残念なことになった。この事実と感覚は、頑張って勉強していい点が取れなかったテストに似ている。
つまり、最低な気分である。
しかし、ベットの影から怯えるように覗く探偵帽を見て、心は晴れた。フェールが、巣穴から様子を伺う野ウサギのようにベットの影から顔を半分だけ出しているのだ。
「リョーマ、なの?」
「フェール!」
元気そうなフェールの顔を見て、言い表せないほど嬉しくて、駆け寄ろうとする。
しかし、フェールはじとっした疑り深い目を向けてくると、その手に白い陶製のコップを持った。そして、ぺいっと放ってきた。
勿論、コップは虹の輪を描いて分解する。痛くはない。
だが、こちとら紙装甲なメンタルなのだ。それはもう、深く深く傷ついた。
にも関わらず、コップに続き、枕、羽ペンなどなどフェールは次々と物を放ってくる。
しかし、フェールに嫌われるようなことは、全く思い当たらない。気絶している間だって、悪戯なんかしていない。
そんな余裕など微塵もなかった。余裕があればそんなことしたというわけでもないけど。
いやしかし、余裕があればちょっとくらいしたかもしれない。もしかしたら、無意識にしたかもしれない。
だが、そんな楽しい、ではなく、いけない記憶が飛ぶなんてことはあってはならない。あるはずもない。
まともに女の子の身体を触るなんて、物心始まって以来の快挙なわけだし。
というわけで、何かしちゃった楽しい記憶、ではなく、部屋を出て色々と猛省すべきと悟り、部屋を出ようとする。
その途端、フェールの投擲による絶対拒絶が終わった。投げるものがなくなったようだ。
「ほんとに、ほんとのほんとにリョーマだ……!」
顔を上げると、フェールが立ち上がって目をうるうるさせていた。
とととと、と小さな足音を立てて涼真の前まで走ってきて、体中を見回している。
「リョーマ、怪我はないの? 大丈夫だった? 酷い目にあってない?」
鼻水と涙で、フェールはぐしゅぐしゅ言っている。
こんなときにも人の心配ばかりするものだから、思わず、涼真はフェールを咎めるように強い口調になった。
「何言ってんのさ、自分の心配しなよ! 酷い怪我だったんだよ!? 足は大丈夫!?」
「ご、ごめんなさい。足は……、大丈夫みたい?」
フェールは困ったような顔をして、自分の足をふらふらと動かしている。バジーリウスの言うとおり、フェールが目を覚ます前に治療は終わっていたらしい。
知らなくてもいい激痛を知らずに済んだのだ。
不幸中の幸いに安堵する涼真の前で、フェールは急に思いつめたような顔になって俯いた。
「リョーマ、どうして来ちゃったの?」
胸の辺りで握られたフェールの手に、力が入っていく。まるで、何かを決意するように。
「わたし、悪い子なんだよ? 神託の宝具を持ち逃げして、勝手に追われる身になって。自業自得なんだよ? わたしなんか助けてると、ろくな目に合わないよ?」
「何その嘘。フェール、嘘つくの下手なんだね」
「う、嘘じゃないもん! 本当だもん!」
誰も巻き込みたくない。そんな感情がフェールの手に、顔に出ていて、分かりやすかった。あまりにも分かりやすくて、クスッと笑ってしまうほどだ。
「皆に頼まれたんだよ。ユストゥスさんにも、フルトさんにも、村にいる皆にさ。フェールが心配だから、助けてくれって」
確かに、村の人々はユストゥスを除いて言葉にしなかった。でも、皆がそう思っていることは、何となく伝わってきた。
ある日突然、娘が、友人が居なくなってしまったら。心配しないやつは居ない。だから、この言葉は嘘じゃない。
「それに、会うまで分からなかったんだけど、やっぱり放って置けなかったよ。優しかったから」
「みん、な、が……」
フェールは、いつの間にかぽろぽろと涙をこぼしていた。赤みの差した頬の上で、何度も指で涙を掬って。
「みんなが、みんなが……!」
一人で立ったまますすり泣くフェールは、とても寂しそうだった。たとえみんなに想われていたとしても、凍えるようにその身を震わせていた。
だから、思わず、フェールを抱きしめてしまった。でも、フェールは抵抗することなく泣き続けている。
フェールを助けた理由。優しかったから、痛いほどにその心が伝わってきたから。でも、それだけじゃないはずだ。
こんなにフェールが泣いていて、貰い泣きしそうなのに。何でか胸がドキドキしている。
涼真はただ漠然と、これが一目惚れってやつかなーと、そう思った。
宿の一階にある食堂で、真剣な顔をした涼真はスープスパゲティを食べていた。
この料理を考えたやつは偉大だ。粗食ばかりのこの世界で、スープとソースの味付けを変えるだけで多様性を持たせることができる料理なのだ。
毎日食べていても、飽きることはない。
元々少食なのだが、今ではかなり食事量が増えている。神託の宝具が体力を必要とするせいか、もしくは普通に運動をするようになったからかもしれない。
とにもかくにも、スープスパゲティの大盛りを獣のようにかきこむ。
表情が真顔なのは、エロいことを考えているからじゃない。本当に悩んでいるからだ。
ハルトマンが言っていたアクエサリトス帝国を敵に回すという言葉は、脅し文句ではないだろう。ただの事実だ。
涼真は勿論のこと、カヤだってその標的となるはずだ。少なくとも、エアバッハからは離れた方がいい。
それに、アクエサリトス帝国を敵に回すということは、同じく帝国貴族であるシュバルツ伯を敵に回すという図式となる。
見ず知らずの涼真と国家の命令。天秤にかけ、優先されるのがどちらかは自明の理だ。
頼るものが無いのでシュバルツ伯の元へと向かうが、拒否された場合は他国へ向かうしかないだろう。長い旅になりそうだ。
幸いなことといえば、ハルトマンから入手した四千八百プフントがあることだ。今回の騒動でエアバッハを出なければならなくなったカヤたちが旅費に困ることはないし、涼真とフェールも同様だ。
加えて、バジーリウスがカヤとその父親の旅程に護衛をつけてくれることになった。本当は涼真自身がそれをしたかったが、ヤルダット教と十剣のことを考えると危険度が増してしまう。
守りきれずに、その後彼らの姿を見た者は誰も居なかった、みたいなエンドは御免である。
カヤたちは船を使わないため、道中は盗賊の危険が、とも思った。しかし、エアバッハの所領は隣に位置するシュバルツ伯の所領の影響で治安が抜群にいいらしい。出たとしても、大型犬程度の大きさの魔物だとか。
治安が一番悪いのが領主の館なんて、それってどうなのと誰かに突っ込んでやりたい。
「ここにいたんだ、リョーマ」
スープスパゲティを食べる手を止めて、顔を上げる。すると、カヤがさっと横に座るところだった。
危なかった。危うく、突っ込み欲に負けてエア突っ込みするところだったのだ。
あと少しタイミングが違えば、何してるのリョーマ、と不審者を見るような目をカヤに向けられたに違いない。
いやいや、そんなことどうでもいいのだ。本日のお題は、シュバルツ伯の元にどうやって無事にたどり着くかだ。
シュバルツ伯がどう出てくるかは置いといて、その手段がもっとも重要なのだ。勿論船で行くわけだが、問題は色々とある。
一番の問題は船に乗ることだった。ハルトマンは抜け目無いから、船着場は押さえているだろう。
しかし、バジーリウスが何とかしてくれるらしい。ここは打つ手ないので、バジーリウスに一任だ。
そして、目的地にしてシュバルツ伯の所領の中心地たるフランクフルテンと、その船着場で宿場町となるスルツバッハにはヤルダット教の支部がある。襲撃を受ける確率はかなり高い。エンカウント率に人格があったら、ウハウハ言うはずだ。
神託の宝具が、光学迷彩がある、とか言ってたが、脳みそ五パーセントももってくらしい。怖すぎるので、悪魔のささやきはもう聞かないことにした。
光学迷彩といかないまでも、変装して人ごみに紛れるくらいは必要だろう。この世界は何の技術が発達しているのか今一掴みにくいが、写真というものは見なかった。
イェンスの似顔絵はそっくりだったけれども、長く手配されれば絵師の腕も上がって自ずと似ていくものだ。
今なら多少の変装で誤魔化せるはずだ。というか、できるのはそれくらいしかない。
大体の結論がでてきて、隣から熱い視線が送られているのに気がついた。
「どうかした?」
カヤは呆けたような顔をしていたが、黒い真珠のような瞳に喜びを称えると同時にニヤリと笑う。カヤは、スープスパゲティを指差した。
「冷めてるし、伸びてるわよ」
「へ? うわ……」
スープスパゲティは、品名をうどんに変えたかのような惨状を呈していた。まずそう、と思いつつも、腹が減るので涼真は口に運ぶ。
「ね、リョーマ。覚えてる? 崖のところで話したこと」
「ん? 天の川のこと? 覚えてるけど……」
まずくて伸びたうどんどもに四苦八苦しながら、あのときのことを思い出す。
カヤはとても弱々しくて、疲れたような顔をしていた。きっと、ハルトマンのことをずっと一人で悩んでいることに疲れていたのだ。
だから、カヤがどこか晴れやかな顔をしているのを見ると、世界を敵に回した後悔などは吹き飛んでしまう。
依頼達成というやつだ。報酬はカヤの笑顔。おい、ちょっと待て。
カヤは言っていた。
助けてくれる人がいるなら、全部あげちゃうと。わたしの全部、あげちゃうと。ぜぜぜ、全部って何なんですか全部って。
自問自答の末に全部の内訳を考えて、スープスパゲティでありうどんであるものをぶふっと吹いた。
間髪いれず、スープスパゲティうどんが虹の輪を描く。
「うわっ!」
「え、嘘!? なに……!?」
挙句、自分で吹いて自分で発生させた虹に驚いて、涼真はカヤを巻き込むようにすっ転んだ。
「い、たた」
頭をさすりながら、涼真は起き上がる。
「ごめん、だいじょ……!?」
涼真は彫像のように固まった。
何しろ、カヤを組み敷いた挙句に馬乗り状態となっているのだ。そして、手はというと未知の開拓領域に侵入していた。
すなわち、モンブラン、チョモランマ、キリマンジャロ。ではなく、マシュマロ顔負けに柔らかいD級なお胸であった。
それも鷲づかみ。もにゅもにゅ言いそうなほどに指が埋まっていて、早鐘を打つ鼓動が直に伝わってくる。
「ば、馬鹿な……! 幸せ家族計画……!?」
「……リョーマ、わざと?」
カヤは軽蔑したようなジト目を向けてくるが、抵抗する様子はまるで無い。つまり、これというのは。
「え、えと。おっけーといいますか。いいといいますか。計画実行ってことでいいんですか?」
カヤは拗ねたように顔を背けると、目線をそらしつつも、様子を伺うように涼真をちらちら見てくる。
「なな、なんでそういうこと訊くかな。りょ、リョーマが、ここで、その、実行? するって言うんなら、わたしはいいけど……。できれば、誰も来ないところが……」
やばい。強気で生意気なカヤが、耳まで真っ赤にして、恥ずかしそうに懇願するのだ。
しかも、手が心地よくて離れない。これは冬に惰眠を貪っているときの感覚に似ている。抜け出たくても、温かさと眠気で後五分と言ってしまう感覚に。
手を離そうとしても、ちょっと浮かすと向こうの方から吸い付いてくる。それを押し返すと、カヤが人差し指を噛んで甘いため息をつく。
ご褒美なんだし、命かけてんだし、いただいてしまったって罰は当たらないはず。
ああやべえ、鼻から邪悪龍の血液出そう、などと意味不明の思考が頭をよぎる。
「リョーマ、リョーマ!」
そのとき、無邪気な声で我に返った。しかしながら、体が彫像のごとく動かないのは変わらない。
というわけで、無邪気な声の主を凄まじく性的な体勢でお出迎えすることになった。
無邪気な声の主、フェールはスキップしながら食堂に入ってきて、凍ったように固まった。カヤも表情が凍っていた。
涼真の彫像は既に凍り付いていたので、症状が進行してビシッとひびが入った。
フェールはカヤの胸の辺りを見て、顔を真っ赤にしていく。
「あの、えーと。なんていうか。ごめんなさい、お邪魔しました」
頭を下げると、パタパタと足音を立ててフェールは去っていく。
ビシビシビシッと彫像に連続でひびが入り、大切な何かが砕け散った。
色々な意味で、涼真は戦闘不能となったのだった。
フェールが去った後、涼真は出来の悪いブリキ人形みたいに身体を軋ませながらようやく起き上がった。
冷静になってみれば、いきなりカヤに襲い掛かった節操の無い狼男の構図だ。というか、重要なのはそこじゃない。
涼真は異世界たる日本の人間で、帰る予定なのだ。それなのに、最低なことをしようとしていた。
悔い、恥入り、懺悔して、本日は部屋で念仏でも唱えようとふらふらと立ち上がる。
カヤも顔を真っ赤にしたまま立ち上がり、気まずそうに涼真を見ている。何といえばいいか分からず、とりあえず涼真は頭を下げる。
「ごめん。その、どうかしてた」
カヤは答えず、真っ赤にした顔を伏せている。しばらくの沈黙の後、か細い声と共にカヤが口を開いた。
「あの、あのね。わたしも一緒についていったら……、駄目?」
「え……?」
それは、無理だった。いくらカヤの願いとしても、無理だった。
これから先は、ヤルダット教だけではなくアクエサリトス帝国も追ってくるだろう。
今でさえ、数日滞在しただけでカヤの宿は焼かれてしまったのだ。今度は命が無いかもしれない。
シュバルツ伯も味方であるかは分からないし。たとえ全てがうまくいったとしても、日本に帰る。
フェールと違い、カヤは世界の敵ではない。この世界で暮らせるなら、きっとその方が幸せなはずだ。
父親と会えない、友人とも会えない。その辛さは、何としても帰ろうとしている涼真にはよく分かる。
だから、頷くわけにはいかないのだ。
かといって気の利いた答えがあるわけでもなく窮していると、カヤは寂しそうに目を伏せる。
「そう、そうよね。何か無理言っちゃった。わたし何言ってんだろ、リョーマは大変なのに。ごめん、忘れて!」
明らかに無理をしているカヤの顔を見られないから、足元を見ていた。何でか、酷い罪悪感に苛まれていたのだ。
そして、カヤを視界に入れることさえはばかられたから、不意打ちを食らった。視界が突然カヤで埋まって、それが抱擁と気づくまでに数秒を要した。
暖かくて、柔らかくて、でも、罪悪感が増していく。なぜ、同じ世界に生まれなかったのだろうと。なぜ、自分はこの世界の敵なのだろうと。
カヤが首に腕を回し、そっと唇を近づけてくる。涼真は身体を仰け反らせて、それを本能的に拒絶した。
途端に、カヤは黒い真珠のような瞳に少しの水を溢れさせて、静かに離れていく。
「あーあ、また振られちゃったか」
カヤはそう呟くと、涼真に背を向ける。そして、拗ねたように床を蹴って、天井を仰いだ。
「わたし、待ってるから。ずっと、待ってるから。忘れちゃいやだよ、リョーマ」
その言葉からは、カヤの強い意志が伝わってくる。
カヤは、ずっと待っているのだろう。天の川の織姫のように、ずっと待ち続けるのだろう。涼真が日本に帰り、絶対に会えなくなってしまったとしても、待ち続けるのだ。
それが、カヤにできる精一杯のことなのだから。




