『ストーカー、柴犬、違和感』②
鈴木さんのバイトが終わるのは午後五時であった。夕方、霊も少しずつ活発になる時間。私たちはまた、鈴木さんの様子を見守ることとなる。
鈴木さんのバイト先から家までは徒歩十五分程度。その間に何も起きなければ、今日は一旦お開き。再度撮影をするか、というのは今後話し合うという流れになっていた。しかし、今のところ何も起きていないらしい。川辺に差し掛かったところで、紀介がため息を着く。
「なーんもねぇな。今日はお開きかな……」
「いや……」
緋姫がそれを遮る。それと同時に、三人の表情が変わった。何が起こったか分からず戸惑う私に、緋姫が説明してくれる。
「鈴木さんの目の前に、霊が現れました。とは言ってもここに元々いる霊で、大して強いものではないですが……よく見ておきましょう」
私の目からは、何も見えない。目を凝らしてみても、ぼんやりとも見えない。……やはり、霊感がないというのは不便なものだ、という絶対に日常生活では思わないことを感じる。すると、鈴木さんがビクッと反応するのが見えた。それと同時に、三人は声を上げる。
「……あっ」
重なった声の後、三人は突然崩れ落ちた。……何が起きたんだろうか。まさか、攻撃を受けたとか……。そう思って三人の様子をよく見てみる。すると、よく見ると、肩が小刻みに震えていて、その顔は……。
「……なんで三人とも笑ってんの?」
私が怪訝に思い尋ねると、緋姫は少し微笑みながら答えた。
「ふふっ……いや、はい。とりあえず、鈴木さんを呼んできて貰えます?」
鈴木さんを言われた通り一度呼び止めると、緋姫は鈴木さんに尋ねた。その様子を、琉生はカメラに撮っている。
「突然ですが……鈴木さんは犬を飼っておられますか?」
「へ? 犬……? い、いや別に飼ってないですけど……」
鈴木さんが若干困惑したように反応する。私も困惑する。いきなりなんの話をし出すのだ。緋姫は言葉を続けた。
「それでは質問を変えましょう。最近、『小さな柴犬』と関わりました?」
「え、えーと……あっ、もしかして……」
そう鈴木さんがはっとして、続ける。
「私、ちょっと前まで……丁度この辺で、捨てられた子犬の柴犬を見つけて、ご飯をあげてたんです。本当は飼いたくて、引っ越そうかとも思ってたんですけど、その前にこの辺で、その子を見なくなっちゃって……心配していたんです。それがどうかしましたか……?」
「ああ、じゃあその子でしょう」
何がだろう、と困惑していると、紀介が続けた。
「今回のストーカー事件の犯人はその柴犬ってことだ」
……は? 私が飲み込めずにいると、緋姫は続ける。
「今、鈴木さんの周りにはその子がいるんですよ。この川辺に差し掛かったあたりですね。あなたに憑こうとする霊がいたら、それを防ごうと吠えているのが見えました。そのあとあなたにじゃれついていて……可愛らしかったですよ」
ふふ、と緋姫が言う。鈴木さんは少し表情が柔らかくなった。
「じゃ、じゃあもしかして……」
「あなたが聞いた吐息や、感じた視線はその子でしょう。きっとこの子は何かが原因で亡くなってしまった……。それでも、親切にしてくれた貴方に恩を返そうと、家の前にご飯の代わりに弁当を置いたり、あなたの周りで憑いている霊を祓ったりして、としていたのでしょ……。……?」
そう言いかけた緋姫の動きが、ピタリととまる。
納得していた私たちは、その空気に驚く。私が尋ねる。
「どうしたの?」
「おかしい、それなら……」
そう呟くと同時に、ばっと緋姫は後ろを向き、つかつかと歩き出す。緋姫の表情は明らかに変わっていた。私たちの後方にあった、川辺の茂みに近づく。するとまたひとつ、表情が険しくなった。何が起こったのか飲み込めない私たちがそちらに近づくと、人影が見えた。西日でどんな人なのかが分からない。なぜこんな所にいるのか、そう思って思わず声が出ていた。
「……その人は……?」
「紀介さん、琉生さん。エミルさんと鈴木さんを連れて遠くへ!」
そう鋭い声で言うのと同時に、その人影が立ち上がり、緋姫に向けてなにかを振りかざすのが見えた。咄嗟に動いた紀介が、緋姫を引き寄せ阻止した。
「……え?」
私が固まっていると、その人影は私の方に走って向かってくる。動けずにいると、首に腕を掛けられる。……状況を把握できずに困惑していると、腕を掛けたその人は裏返った声で叫んだ。
「この女を生かしてほしければ、鈴木さんをこっちに渡せぇ!」
私は一気に戦慄した。……その男の手には、ナイフが握られていたからだ。それと同時に、緋姫は苦々しげに呟く。
「浅慮だった……。刺激するべきではなかった」
「緋姫! これはどういう……」
状況がまだ飲み込めないのか、紀介は緋姫に尋ねた。周りには人影は見当たらない。助けを求めるにも、どうしようもない状況に、私の脳はフル回転した。
緋姫はきっと、柴犬の霊がストーカーだというのはおかしいと気がついたのだろう。なぜなら、『犬が手紙を書けるわけがない』からだ。コンビニ弁当はともかく、嫌がらせの手紙は、絶対に犬の仕業ではない。先程の川辺での様子を見て、最初は柴犬の守護を鈴木さんが勘違いし怯えていたのだと思ったのだろう。だがそれは勘違いだと気がつき、それならば人間が犯人だという結論にたどり着いたのだ。それを取り抑えようとしたものの、予想外に相手がナイフを持っていた……ということだろう。
鈴木さんは青くなった顔でこちらを見ている。琉生はカメラを構えたまま呆然としていたが、その直後に鈴木さんの目の前に立ちはだかった。
「早くしろぉ! 鈴木さんを渡さなければこの女殺してやるからなぁ!」
渡すな!と私は心の中で思った。でも、声は出せない。私のことは優先するな。被害者をここで渡したら相手の思うつぼだ。どうせ殺せる度胸を持っているわけもないのだ。私より、鈴木さんを守れ!
紀介が叫ぶ。
「エミル! 落ち着け、大丈夫だから、こっちに任せろ!」
そう言いつつも、彼自身もどうすればいいのか分かっていないようだ。その様子を見て、私はくそっ、と思う。声も出ない。犯人に反撃することも、敵わない……恐怖で体が、動かない。
こんな時に、私もなにか出来ることがあれば違ったのかな。自分の身を守れるようになれば、なにか……。
緋姫が声を上げる。
「今助けます! 私の御先祖様達、お願いします! エミルさんを助けてください!」
……緋姫の能力、というものは、実はない。しかし、その代わりに強力な味方が着いているのだった。
それは、緋姫の先祖の守護霊。緋姫の身、そして緋姫の周りの身を助けるために動く、強大な力の守護霊だ。徳を積んだ彼らの力は強く、他の霊を無理やり祓ったりはできないが、自衛のためならばその力は強い。彼女の安全を守り、彼女の願いを叶えるために動く存在。私自身は今まで直接その存在を感じることはなかったが、その時初めて感じた。……その犯人が突然、突き飛ばされたように後ろに倒れたのだ。
その瞬間に私は駆けつけた琉生に腕を掴まれ、避難させられる。それとほぼ同時に紀介が犯人の方に走っていき、倒れた犯人に馬乗りになり、取り押さえた。ナイフを振り回そうとする手首を払い、武器はなくなった。手早い鎮静に、私の早鐘を打っていた心臓は少し収まる。手先はまだ少し震えていた。
「……怖かったぁ……」
そうつぶやくと同時に、緋姫は口を開く。
「今通報します! 鈴木さん、この男に見覚えは!?」
「……ないです……っ」
「分かりました。もう大丈夫ですので……」
そう緋姫が言いかけるのと同時に、犯人が何事かを叫んだ。
「……このクソ女! 誰にでもいい顔しやがって、誑かして遊んでるんだろ! 分かってんだよっ」
「逆恨みだ。聞かなくていい」
鈴木さんが怯えた気配を感じたのだろう。紀介が口を抑えようとするも、その犯人は抵抗し、口は止まらなかった。
「こいつらもお前が騙したんだろう! このアバズレが、大人しくしておけば俺が直々に『罰して』やったのに……! お前なんかさっさと……」
そう言いかけて、その口が止まる。影が、伸びる。日が落ちたのかと思ったが、そうでは無い。驚いて後ろを見ると……そこには、三メートルはあろうか。巨大な狼がいた。幻かと思うも、そうではないらしい。全員の姿を視認し、口を開けていた。その狼は鈴木さんの近くで唸り声をあげながら、犯人を見下ろしている。
「ヴヴッ…………ガルルルル……」
そうその狼に凄まれた犯人は、白目を向いて気絶した。何事が起きたか分かっていない私たちは狼の行く末を見つめる。すると、その姿はしゅるしゅると縮んでいき……。
「……がう!」
……小さな柴犬になった。私が呆気にとられてその姿を見ていると、すっと視界から消えてしまう。そこに残されていたのは、呆然とする私たちだけになった。
直後に緋姫は警察に通報し、すぐに犯人は警察に引き取られた。
どうやら、その犯人は鈴木さんのバイト先のコンビニの客であったらしい。何回かしか見たことがなかったため鈴木さんは覚えていなかったが、一方的にその客が鈴木さんに思いを寄せていたという。私たちが一緒にいた日は、バイト先の帰りから着いてきていたらしいが、私たちは霊の方に神経を使っていたため気がつくことができなかった、ということだ。思っていた通り、手紙もその犯人の仕業だったとあとから判明した。
また、家まで着けていったのは家の位置を把握するために一度だけ、と本人は供述していた。視線の正体はこの人もあり、犬もあり、といったところだろうか。
その犯人の言い分はこうだ。
「だって……! いつも笑顔で接客してくれるんだ。気があると思うのは当たり前だろう!? それなのに、俺だけじゃなかったんだ。皆に思わせぶりな態度をして……! だから俺が……!」
犯人のあまりに自分勝手な動機は、刑の重罰化を促したという。その犯人はストーカーの余罪、殺人未遂の罪も相まって、十年ほどの実刑判決を受けたという。
私たちは、数日後鈴木さんに再度お礼を言いたいと呼び出された。最初に待ち合わせをしたカフェだ。自分が奢る、と言った彼女は話を切り出した。
「なんとお礼を言っていいか……。あのまま皆さんが居てくれなかったらと思うとゾッとします……」
鈴木さんはペコペコと頭を下げていた。いえいえ、と微笑みながら緋姫が首を振る。
「寧ろ私の軽率な行動で安全を脅かしてほんとうに申し訳ないです。あの後は平気ですか?」
「はい! たまに思い出すとちょっと怖いですけど……でも、大丈夫ですよ」
そう鈴木さんも笑う。しかし、その直後ふと、目線を下に落とした。
「私が……いけなかったんです。誰にでもいい顔しているから、変な勘違いをされたり舐められたり……。今回みたいなことにもなっちゃうんです」
そう言うと、いいえ、と今度はきっぱりと緋姫が否定した。
「貴女の心の優しさは長所です。あなたの身を最後に守ったのは、あなたが親切にしたワンちゃんですよ。誇るべきことです。間違ってもあのような性根の腐った犯罪者の言うことを真に受けないように、してください」
そう言われた鈴木さんは、優しく微笑んだ。少し、目が潤んでいるようにも見える。そこに琉生が口を挟んだ。またもやスイーツを頼んだ彼の頬はいっぱいだ。
「ほへへ、ひははははひは……」
「だっから何喋ってんのか分かんねぇって!」
紀介が突っ込むと、ごくんと飲み込んで琉生は続ける。
「それで、今あなたにはその柴犬が守護霊としてそばに居ます。あなたのことを守ってくれると思いますよ」
頷いて緋姫が補足する。
「ワンちゃん、前回は生きてた時にいた河川敷周辺までしか行けなかったけど、あの事件を機に少し力が強くなったみたいで……多分あなたが何処に行こうとも身を守ろうとしてくれますよ。鈴木さんも、そのワンちゃんを大切に思って、そこにいると思って接してあげてくださいね」
「は、はい!」
私にはやはりその柴犬は見えないのだが、たしかに、なんだか暖かい雰囲気を感じる。……いや、気のせいかもしれないのだが。
その後店の前で解散した。その鈴木さんの表情は、前よりもなんだかふわっと軽いものに見えた。家まで帰るためには、とりあえず車に向かわねばならない。その道すがら緋姫がふう、と息をついた。
「本当に……どうなる事かと思いました」
「ほんとにね!? 死ぬかと思ったよ!」
私がはあ、と深くため息をつくと、紀介が緋姫に向かってボソリと呟いた。
「……俺だけじゃなんも出来なかった……。緋姫、ありがとうな」
「僕も……上手く動けなかったよ」
そう琉生も続ける。落ち込んでいるらしい二人に、くすっと緋姫は笑う。
「そんなに気にしなくてもいいですよ。紀介さんの能力は今回は役に立たないでしょうし……」
「うっ……」
役に立たない、というワードに紀介は眉をひそめる。紀介の能力。霊を祓うことができる、という強いもの。それこそ彼の家系は神事にまつわる家系だからか、普通だと不可能な『霊を祓う』ということも出来るらしい。……とはいえ、まだエミルはその現場を見たことは無い。そもそも祓わなければいけない程危険な霊というのは多くない。
たしかに、今回の事件は守護霊とただの……悪意ある『人間』が引き起こしたことだ。紀介の能力としては出る幕がなかっただろう。
それにしても、と緋姫が言う。
「……この間のときから気になってたことがあるんです、私」
「え、何?」
私が尋ねると、緋姫は難しい顔をする。
「……荻野さん? でしたっけ。その方の時も思いましたが……なんだか、やっぱり妙なんです」
「妙って……?」
私が尋ねると、緋姫はぴんと張ったいい姿勢のまま答える。彼女のヒールが、地面にこつりと音を立てた。
「本来はそこまでの力が無いはずの霊が、強い力を持ち始めてる……気がします。霊というのは、エミルさんも存じているかもしれませんが、強すぎる思いを持てば持つほど、力が強くなる。今回のワンちゃんはそれでもいいのです。守護霊だったし、鈴木さんを守ろうとする悪意のない子ですから、多少力が強くなっても。でも……荻野さんのようなケースが増えるのは問題になります」
「そうだな」
紀介も頷いた。私がなんで?と尋ねると、緋姫は続ける。
「力が強くなればなるほど、その霊の力を制御するのは難しい__。本来は、荻野さんには霊感のない者にその存在を感じさせるほどの霊では無いはずなのです。あのワンちゃんも、守護霊としてはもう少し弱いものであったはず……。本来はもう少し弱いはずの霊が強大な力を何らかの原因で持ってしまっている、というのが現状でしょう」
「そんな……なんで?」
私が尋ねると、緋姫は首を傾げた。
「さあ。でも警戒するに越したことはありません。エミルさんも、今まで以上に気をつけて、生活してくださいね」
「うん……」
私は頷く。琉生は、深刻な表情をして黙りこくっていた。私はそれを横目に見て気が付き、不思議に思って尋ねる。
「琉生? どうしたの」
そう言うと、琉生はああ、とぱっと顔を上げた。その様子はいつもと変わらず、杞憂か、と私はほっとする。
「お腹すいたなって」
「お前はどんだけ食べる気だよ!」
紀介のツッコミでコミカルな雰囲気に戻る。私と緋姫もその様子をみて吹き出す。
緋姫が笑いながら返した。
「家に帰ったら素麺でも食べましょうか。実家から質の良いものが送られてきたので、是非皆さんで」
夏も盛りだ。街路樹に止まっていたセミがブブ、と飛び立つのが見えた。もうすぐお盆だ、と思う。お盆は特に霊の力が強くなるから、と前聖が言っていたのを思い出した。その時、ふと、私は思う。
……私は、このままでいいのだろうか。私が、私だけが何も出来ないままで。聖や琉生のように見えるわけでも、能力があるわけでも、頭が回るわけでも、力が強い訳でもない。なぜ私はここに……みんなといることが出来るのだろう。
その思いは、長く、黒い影に落とされていく。下を向くと、私のネックレスがキラリと光るのが見えた。
__私は予想だにしていなかった。この先、これ以上に大変なことに巻き込まれてしまうことなんて。




