『隣から声が聞こえる件』③
「とはいえ……どこを探すの? 心当たりは?」
私はそれを荻野に尋ねる。今は臣の肩に手を置きコミュニケーションを図っている。荻野はえーと、と考え込む。
「思い出の場所とか、あなたたちに教えるからそこに連れてってくれないかな」
「できれば最初に何してるかリサーチした方がいいんじゃないかな。勤め先とか、実家とか……?」
とレニが言ったが、いや、と聖が言う。
「誰も見知らぬ人に個人情報は教えてくれないだろうからね。とりあえずSNSから調べてみよう」
「さすが聖、こういうことは手早いね」
レニは軽く拍手をする。荻野にヒントをもらい、言われた通り私が調べてみるも、ヒットしなかった。
「SNSとか、あんまりやってないのかな」
「そうかも。そもそもあの人機械音痴だったし」
と荻野。「それを先に言えよ」と臣は呆れ顔である。ううん、と聖が唸った。
「そうなると……とりあえずこの周辺を探してみるしか無さそうだね。それでもいい? 荻野さん」
「ええ」
「今日一回きりだからね。今日見つからなかったらそれでおしまい。絶対もう河野さんの部屋に話しかけたりしないでね」
「分かってるわ」
荻野は少し不機嫌そうにそう言う。じゃあ、とレニが立ち上がる。
「私があなたに体を貸せるのは長くて三時間くらいだよ。それまでに見つからなかったら、終わり。あと、皆のことは絶対に傷つけたりしないで。わかった?」
「もちろん!」
荻野がそう言うと、レニは目を閉じた。そこに吸い込まれるように、荻野の霊体がふわりと舞う。レニが目を開けた時、彼女は……荻野の人格になっていた。普段のレニの表情とのあまりの違いに、私は驚いてしまう。
「うわぁ! すっごい……生身の体だ……!」
荻野が興奮しているのを横目に、聖が玄関先に向かい靴を履きながら話しかける。
「荻野さん。行こうよ。時間ないんでしょ」
「ええ!」
そのままアパートを四人で出た。一応、聖はずっとカメラは構えている。が、この辺りは特定の可能性があるため使えないかもな、ともうっすらと思った。レニは今、どんなことを感じているのだろう、そう不安に思いながらもとりあえず荻野に尋ねる。
「……それで、最初はどこに?」
「とりあえず公園! そこでよくお話したもの」
そうやって、萩野の言う「歩」という人物を捜索することになった。公園から始まり、荻野の通っていた病院、川辺、カフェ……様々な所を探したが、見つからない。そもそもどういう人なのか、身体的特徴を萩野に尋ねたが、細身で高身長、髪は短く黒髪……ということだった。そんな人はいくらでもいる。
そうやって見つからないまま、時は昼に近づいて言っていた。もうすぐ二時間半。見つからないかもしれない、という疑念が私の頭をよぎる。もしかしたら、もうこの街を出て行ってしまっているのかも。
「……まずいな」
臣が呟く。え、と私が尋ねると、臣は小声で答える。
「考えても見ろ。あの情緒不安定な荻野が、見つからなかったと言って素直に身体明け渡してくれるか」
「それは……確かに?」
「見つからなかったならまだいい。見つかって、歩とやらが妻子と一緒に歩いてた! とかだったらどうする。あいつ暴れだしかねないぞ」
「でもレニとは約束してたじゃない。大丈夫じゃ……」
甘い、と臣が続ける。
「幽霊はそんなに甘くないぞ。自分の念でここまで残ってる奴らだから、常識なんてないんだ。それに、荻野……あいつは強い。強い霊ほど自分の欲や念に支配されていて、暴走することも多いんだよ。最悪のことも考えて、待機組にも連絡はしてある。すぐ呼べるようにしておかなきゃな」
そう言いながら臣はスマホを確認している。……それはそう、だけれど。
必死に探すレニ__荻野の横顔を見ていると、なんだかとても、それは寂しそうに見えたのだ。
そうしているうちに、もう時間の十分前となってしまった。思い当たるという所は全て探したが、見つからない。……帰らなきゃならない時間だ。聖は軽いため息をついて、荻野に話しかける。
「……荻野さん。残念だけどもうすぐ時間だ。とりあえずアパートに戻ろう」
「……嫌よ。私、歩に会って、伝えなきゃいけないことがあるの。私……」
「荻野さん。約束、忘れたの?」
聖の声が少し、冷たく無機質なものになる。その声を聞いて、荻野は逆に声を荒らげた。
「うるさいっ! あんた達に私の気持ちが分かるわけないんだから。時間まで探すから、ほっといてよ……」
そう言って、荻野が聖の方に向き直った瞬間だった。その動きがピタリと止まる。視線の先を見ると……カップルが歩いていた。そちらの方を見たまま、荻野は唇を震わせた。
「歩……」
男の方は、たしかに、黒髪の高身長で細身の男性だった。爽やかな感じのする人だ。女の方は、茶髪のロングヘアをしていて、可愛らしい雰囲気の子だった。スタイルもよく、スラリとしていた。……きっと男の方が「歩」だと、一目でわかって、その瞬間、「まずい」と思った。
先程の臣の発言が蘇る。もしも、この場で暴れ出したりしたら。思わずスマホに手が伸びた。
荻野の様子を伺う。……一瞬の間が置いて、彼女の目から、涙のようなものがポロリと溢れ出した。ショックだったのだろう、と推察する。
「荻野さん……」
なんと言えばいいのか分からず、私が名前を呼ぶと、その瞬間、荻野はふわっとレニの体から出ていった。レニが一瞬よろめいて、聖が支えに走る。何事かと思っていると、荻野は笑顔でこう呟いていた。
「……よかった……」
予想外の言葉に全員が固まっていると、荻野は続けた。
「歩……やっと、幸せになれたんだね。私に囚われずに、済んでたんだね。それなら……本当に良かった。私のことなんて気にしないで欲しかった……」
そう言いながら涙とともに、彼女の体は光に包まれていく。はっと私は息を飲む。……成仏、しようとしているのだ。荻野は続ける。歩達、であろう。カップルの方に向かって、ゆっくりと進んでいっていた。
「本当はね……一緒にいて欲しい気持ちもあったんだよ、でも、今日伝えようと思ってたのは……私の事なんてもう忘れてねって、言おうと思ってたの。だけど、よかった。こんなに素敵そうな人が、そばにいてくれるんだね。……あなたの貴重な時間を奪っていて、ごめんね」
カップルの目の前で、立ち止まる。荻野の体は、光でもう崩れかけていた。それをレニは、少しぼんやりとして居そうだったが静かに見つめていた。臣も、聖も何も言わず、彼女の行動を見つめている。歩いているカップルはこちらに近づいてきて、その背後から、萩野は「歩」であろう人物を抱きしめた。
私たちが何も言えずにいると、荻野は呟く。
「私の我儘に付き合わせて、ごめんね。あなたが本当は男性と付き合いたかったのも、知ってるんだ。私のお母さんは私の恋のこと、分かってくれなかったけど、あなたは理解しようとして、一緒にいてくれたんだよね。あなたの優しさに漬け込んでいて、ごめん。でも……楽しかったよ。一緒にいてくれて、本当にありがとう」
そう言うと、最後に荻野は彼女の後頭部にキスをした。そして、熱ささえ感じるほどの眩しい陽の光を浴びて、キラキラと消えていった。……彼女の未練は、きっと、歩という女性が幸せになったかを確認できなかったこと、だったのだろう、とその時、遅れて理解した。歩たちカップルが、私たちの横を通り過ぎる。その時に、歩は一瞬だけ、後ろを振り返った。その様子に、男の方が女の方に声をかけた。
「……歩? どうしたの」
そう声をかけられた、茶髪の女性は、はにかんだように笑って、言う。
「ううん。なんだか、懐かしい感じがしたの」
帰路についた私は、聖が撮った動画を見返していた。聖が運転する車の揺れは、心地がいい。後部座席に乗っていたレニと臣は、疲れたのか眠ってしまっていた。私は助手席に居て、動画を見返す。動画を再生すると写っているのは、虚空に向かって話しかける私たち。荻野の声は入っていない。これで本当に伝わるのか、とも思う。河野にはもちろん伝えたが、半信半疑という顔をされた。今日以降声が聞こえなくなった時に、本当かどうかわかるのだろう。そこはまだしも、最後の歩のシーンは流す訳にもいかない。運転していた聖に、私は話しかけた。
「これ、流すの?」
「んー、まぁ上手く編集するよ」
「……そっか」
私は、どうしても気になっていたことを、聖に聞いた。
「……荻野さんはああ言っていたけど。女性同士で、しかも病気になっちゃって、とか色々苦労したのは、もちろん分かるんだけど。本当に、歩さんは荻野さんと無理して付き合ってたのかな……。」
あの歩さんの懐かしい、という言葉と横顔を見てしまっては、とてもそうは思えない。……でも、もしかしたら本当に荻野さんの言う通り、本当は男性が好きな歩さんのことを、荻野さんが無理やり引き止めていたのか。真実はわからない。目の前の交差点の信号が赤になる。聖は車を止めながらゆっくりと、答えた。
「僕にも分からないね。生きている人間のことと言うのは、ときに死んだ人間よりも、ね」
それでも、と聖は続ける。
「懐かしい、と感じた言葉は嘘じゃないと思うよ」
「……そうだね」
「とりあえず帰ろう。色々あったし、疲れたでしょ。今日のご飯は緋姫に任せてあるから」
信号が青に変わって、聖はアクセルを踏んだ。その言葉を聞いて、エミルは思い出す。そうだ。帰らなければならない。そう思って、私は流れ行く景色を見つめる。
私たちは同じ家でシェアハウスをしているのだ。その経緯はややこしいので一旦割愛するが、とにかく、私たちが帰る家は、同じだ。
荻野のことを思う。私たちも、いつかこの日々が懐かしいと感じることが来るのだろうか。……ううん、今そんなことを考える必要はない。私たちにできることを、精一杯するだけだ。
私の付けているシルバーのネックレスが、西日に反射する。羽の形を模したネックレス。おばあちゃんが、昔つくってくれたもの。お守りになりますように、と。それを握りしめて、私はゆっくりと、瞬きをした。
1章終わりです!
読んでくださると嬉しいです〜




