『隣から声が聞こえる件』②
第七感チャンネルの私以外のメンバーには、霊感がある。最初は私も半信半疑だったのだけれど、目の前で何度もその力を見せられては信じない訳にもいかない。そして、そのうちの何人かには「霊能力」という特殊な能力がある。
例えば、レニは霊を自分に取り憑かせることができるらしい。らしい、というのは見たことがないからだ。反対に、聖は本人曰く、大した力はないためただ霊を視認するしか出来ないという。そのように、霊感がある人にも霊能力があるとないとでまた力の差はあるという。
また、強い霊能力者のように、所謂『強い霊』も、物を動かしたり、幻覚を見せたりの能力を持っているという。私は『強い霊』を見たことは一、二度しかないが。かなり厄介なものだということも分かる。
……とはいえ、私もよく分からないことも多い。なんせこのグループが結成されたのはほんの三ヶ月前だからだ。それまでは幽霊なんてフィクションの中の話で全く関係なかったのに、いきなり理解することが出来るわけもない。そういうものらしい、という薄らとした認識のみだ。
そんなことを考えながらぼんやりと撮影の様子を見ていた。今回は臣が話を聞く役らしく、聖に数度ダメ出しを受けているらしい。怒られてやんの、と思っていると横にレニが座る。私に飲み物を手渡してくれた。冷えたスポーツドリンクだ。
「レニ。ありがとう」
「うん。自販機あったから」
レニがこくりと頷く。アパートはかなり古く、朝なのにもう少し蒸し暑い。スポーツドリンクもすぐ温まってしまうかもしれない、と思いながら、レニに向けて私は話しかけた。
「……臣の言うこと気にしなくていいよ。レニが使いたくないなら、えーと、霊能? とか使う必要ないからね」
「分かってるよ。……それに、いつかは使わなきゃいけないのも分かってるから。うん、でも、ありがとう」
レニが少し柔らかく笑う。少し人見知り気味な彼女は、表に出て取材をすることは少ない。しかし、仲良くなれば軽口も叩くし、こうやって優しく、可愛らしく笑う。レニとは結成前から同じ専門学校に通っている友達だったから、よくその人の良さがわかる。レニがくれたスポーツドリンクを開けようと力を込めながら私は聞く。
「……レニの能力って、どんなのなの?」
「え……?」
「あ、いやザックリは知ってるんだけど。どんな感じなのか、とか気になって。私霊感とかゼロだし、なんもわかんないし、色々私も理解できればなって……あっ、もちろん、言いたくないなら言わなくて全然いいんだけど」
私が失礼な質問だったかと焦っていると、ふふっとレニが笑う。
「いいよ。そうだなぁ……エミルは、夢ってよく見る?」
「夢? えーと、うん。まぁまぁ見るほうかな。内容は覚えてないことが多いけど」
「それと同じ感じ。私の霊能力って幽霊に自分の体を貸すことができる、ってのじゃない? 夢と同じで、その時は一応意識はあるんだけど、自分の力じゃ動かせない。体が制御の効かない状態になるの」
確かに、夢の時も自分の力で動かしている、という感じはあまりしない。少し考えて、じゃあ、と私は戦く。
「それじゃあなんかあったら大変じゃん! 自力で目覚めること出来ないの!?」
「今はできるよ。でもね」
そう言って、少しレニは目を伏せた。長いまつ毛が下を向く。
「……昔はできなかったの」
そう呟いた。私はそれ以上、追うことができなくなる。……なにかがあって、自分から霊能力が使えなくなったということは聞いたことがある。その記憶が、レニを苦しめているのだろうということもわかる。
何を言うべきか迷って、私は一言だけ呟いた。
「……私はレニの味方だよ」
そう言い終わるのとほぼ同時に、撮影を終えたらしい臣がこちらに向かってきて言った。私はその姿を見て、貰ったスポーツドリンクを半分くらいまで一気に飲み進めた。
「おら立て。今から隣室向かうってさ。準備しろよ」
隣室。河野氏の住んでいる部屋は三〇二号室で、その隣の三〇一号室。河野氏は何か万が一危ないことがあったらいけないから、ということでそのまま三〇二号室に待機してもらうことにした。私たちは臣を先頭、後ろに聖に居てもらいながら進む。聖は撮影係も兼ねているからだ。電気はつかない為、薄暗い部屋の廊下を進んでいく。
そのまま部屋に入ってみると、意外と部屋は片付いていた……というよりも、なにもなく、まっさらだった。そりゃあ数年前のことだから遺品整理もされているだろうし、そりゃそうか、と少しほっとする。なぜか勝手に物の散乱したおどろおどろしい部屋を想像していたからだ。部屋に入ってみると、生物の気配はしない。強いていえば、足元を小さな蜘蛛が張っていったぐらいか。
「……いないな。基本霊はずっと同じ場所にいるはずなんだけど……」
聖がそう呟くとほぼ同時に、耳に声が聞こえてきた。
「う、うぅ……いたい……どうして…………いたい…………」
はっとそちらの方を向くと、皆はもうそちらを「視ている」様だった。私が戸惑っていると、私の方を見た臣がああ、と言って手を差し出す。
「これで見えるだろ」
臣の霊能力は、霊を霊感がない人でも見えるようにする能力だ。発動条件は臣に触れていること、らしい。私もごくりと唾を飲み込んで、臣の手を取る。すると、ぼんやりと輪郭が見えてきた。その何かの気配が、濃くなっていくのを感じる。声も少しずつ、鮮明になっていった。
「…………いたい……なんで…………」
……いや、これは、もしかして。そう思い、耳を澄ますと、ハッキリと今度は聞こえた。
「……会いたい……なんで……会いに来てくれないの……」
それと同時に、霊の形がしっかりと見えた。部屋の隅に蹲るそれは、若い女の姿をしていた。髪は長く、頬はやせこけている。目はしっかりと見開かれており、服装はパジャマのようだった。私も臣の力を借りて霊を見た時初めて知ったのだが、霊は死んだ時の姿そのままで出てくるらしい。その姿は、血まみれでもなく、普通の女性のように見えた。普通の人間よりやぼんやりとした姿だということ以外は。
「……あ……」
私がそう声を漏らすと、霊はこちらにぐるんと首を向けた。
「あ、あなた……私が見えるの……? ねえ……」
そう言いながら霊が立ち上がる。そのままこちらにずいっと近づいてきていた。軽率に声を出してしまった、まずい、と思う。同時にさっとレニが私の前に立った。
「……私も……私たちも見えます!」
そう言い放つと、霊はこちらを暫くの間凝視して、あ、あぁ……と幽霊は声を漏らした。
「そんな……そんなことが……。ずっと誰にも、助けてもらえないと……」
そうブツブツと言いながら、その霊はこちらに向かってへなへなと座り込んでしまった。……少しその様子に心配になり手を伸ばそうとすると、あの、とその霊は話を始めた。
「お願いします。私を……恋人のところに連れて行って」
「……え?」
思わずまた、声が出てしまった。
その霊は、萩野という苗字らしい。数年前の彼女が二十五歳の日。持病で亡くなって以降、ずっとこの部屋にいたと。彼女は語る。
「……だけど、そんな私を支えてくれた人がいました。私の恋人です」
その恋人は、と荻野は語り始めた。
「私のことを理解してくれないし心配もしない両親とは違って、病気で苦しむ私の、ずっとそばに居てくれました。入院してたけれど無理やり出てきた時も、恋人だけは私のことを肯定してくれました。『君が後悔しない道を選んで』……と」
そのまま、どれだけその人が素敵かを萩野は語り始めた。五分ほど語らせ、おい、と臣が痺れを切らして話しかけた。
「で、結局なんなんだよ」
「あっ、そうでした。その人は私の隣の部屋に住んでて、それが最初の出会いでした。私が病気になったときも……死んだあとも、度々来てくれて部屋の掃除とかしてくれてたんです……つい一年くらい前までは」
そう言いながら彼女は自分の爪を噛み始めた。
「……でも、急に来なくなっちゃったんです。歩……あ、その人、歩って言うんですけど。歩は、今も隣の部屋に居るはずなのに、来てくれないんです。だから、ずっと私は呼びかけてました。だけど全然反応を返してくれなくて……」
今も隣の部屋にいる……ということは河野氏のことか?と一瞬思ったが、それは違うと即座にその説は否定される。河野氏はそもそも一か月前にここに来ただけの人だからだ。きっと今回の件とは無関係なのだろう。この幽霊となってしまった荻野は、まだ隣にその彼がいると思い続けているのだろう、と。
臣がはあ、と頭をかく。
「あのなあ。今は隣には河野さんっつー全然関係ない人が住んでるわけ。それであんたの声で寝れねえって俺らに連絡してきたの。だから声をかけるのはやめてくんないかな」
「そ、……そうなんですね」
少し荻野は面食らったように反応してから、項垂れる。……きっと、まだ居てくれていると思っていた恋人がいないと知って落ち込んでいるのだろう。なんと声をかけるべきか迷っていると、聖が私に言った。
「……幽霊はあまり思考力が高くないんだ。ただ現世への念のみで残留している存在だからね、だから暴走したり勘違いすることも多いんだ……今回のように」
じゃあ、と萩野はぱっと顔をあげる。生気のない__もともと生きてないが__顔に少しだけ光が点ったような。
「あなたたちが私が歩にもう一度会えるように手伝ってくれませんか!」
「はあ!? なんでだよ」
臣が顔を顰めると、更に荻野は詰め寄る。
「そうしたら二度と隣人さんにご迷惑をかけないとも約束しますから! あなたたちしかいないんです! ……もういちど、あの人に会いたい、ひと目会いたいだけなんです……」
レニがぴくりと反応するのが見えた。それより先に、はあ、と聖はため息をつき、荻野に声をかけた。
「あのね。そうしてあげたい気持ちもあるんですけど、荻野さんは今ここから動けないんですよね。幽霊になっちゃったから。だから諦めて大人しく……」
「いいんですか?」
聖の声に被せた荻野の声色がワントーン冷たくなる。すると部屋にも冷ややかな空気があっという間に充満した。私の背筋はぞわりと逆立つ気配がした。そのまま、萩野はこちらをじっと見つめる。握っていた臣の手も、同じように冷たくなった。
「……私がその気になれば、隣の方にもあなた方にも……分かりますね?」
荻野の顔が般若なような恐ろしいものに変貌していく。……脅しだ。とはいえ、私達にできることはそうない。どうしよう、と思っているとそのまま聖が私たちに向けて言葉を絞り出した。
「最悪、紀介たちにも連絡してこっちに来てもらおう。あの子たちだったら荻野をどうにかできるだろうから……」
紀介たち、というのは残りのメンバーだ。それがいい、と言おうとした時、あの、とレニが声を上げた。
「……私っ、私なら、会わせてあげられるかもっ……!」
その声が響くと、部屋の空気がまた少し戻った。そして荻野の顔も先程のように頼りなげな雰囲気に戻る。
「……ほんとう?」
「おい、レニ!」
そう臣がレニを呼んだ。レニが振り向くと、臣は慌てて声を上げた。
「まさかお前、霊能力使う気かよ?! あんだけ嫌がってただろ、俺たちが何とかするからレニは__」
「……大丈夫だよ」
レニはそう静かに言った。でも、と聖も口を挟む。手には変わらず、カメラが握られていた。
「さっきの荻野さんを見たでしょ。いつああなるか、暴走したり誰かを傷つけたりするか分からないんだ。それに何故だか分からないけど……彼女が普通の霊より力が強いことも、わかるでしょう。危険すぎる。体は貸さない方がいい」
聖の言う通りだった。危険すぎる、というのには私も同意する。しかし、レニは首を横に振った。
「……確かに、怖いよ。体を貸すことで『また』誰かを傷つけちゃうかもしれないのも、自分が自分じゃなくなっちゃうのも。でも……」
一瞬言葉を切って、レニは言葉を紡いだ。声が、微かに震える。
「私にできることがあって、それが皆を傷つけない結果になるかもしれないのなら、それが一番いいと思うの。だから、ワガママかもしれないけど……荻野さんに体を貸してみたい」
それにね、とまたレニが続けた。その拳は固く握りこまれていた。くしゃりと少し崩れた表情を見せて、レニは口を開く。
「……私、ほっとけないよ。大切な人に会いたいだけの、この人のこと」
「レニ……」
聖が呆然と呟く。まさかそう言うとは思っていなかったのだろう。それは、私も同じだ。それでも。私は唇を引き締め、一度荻野を見るために握った臣の手を離して、レニの手を取った。彼女の手はほんの少し、冷たい。
「レニ。さっき言ったよね。私はレニの味方だよ。……レニがそうしたいって言うなら、それが一番いいんだと思う」
「エミル……」
「でも! 危険なことはだめ! 絶対に無理しないって約束してくれるなら! だよ!」
聖と臣に、私は向き直った。
「ということで私からもお願い! 絶対危険なことはさせないように、レニの言う通り霊能力を使うんじゃだめかな?」
「簡単に言うけどな、お前……」
臣は頭を抱えている。簡単な事じゃないのはわかっているけれど。レニの提言は……相当勇気のいるものだっただろう。聖も唸っていると、あら、と荻野が声をかけた。今はどこにいるか分からないが、いそうな場所からうっすらと声は聞こえる。
「私、協力してくれるっていうならあなた達に危害を加える気はないけど……」
「そんなの信用できるかよ。さっき俺らを脅してきた奴が」
臣はそう荻野に吐き捨てる。いや、と聖がそれを遮るように言った。
「……いや、やろう」
「はあ?!」
臣はありえない、と言った表情だ。聖も額に汗を浮かべてはいるが、その表情には諦めの色が浮かんでいるように見えた。
「……レニにも、これから撮影を進めていくにあたって、能力を使わなければならない場面も多くなるだろうし……。荻野も危害を加えないとは言っているし、危険性が高い行動でもない。今のうちにレニにはこういう事もやってもらわないと……」
「聖お前……それ、レニになんかあってからでもそう言えるのかよ?!」
臣が声を荒らげかける。……最初は能力を使わせようとしていたようにも見えた臣だったけれど、レニの身のことを一番に心配していることは伝わってきた。それでも、レニはそれを遮った。
「私は……」
一瞬だけ口ごもって、レニは続ける。
「小学生の頃、幽霊に騙されて……身体を貸して、その結果……暴れて、私のお姉ちゃんの体に一生残る傷をつけてしまったの。……もしまたこんな事があったらって怖かった……」
でも、とレニは続ける。
「それでも、今だったらきっと大丈夫。誰もいないところで何度も制御の練習はしたし、危なくないよ。私の勝手な事情で、心配かけてごめん。でも……やらせてみて欲しい」
レニの言葉に、臣は一瞬たじろぐ。顔を歪めて、頭をかいて、はあ、とため息をついた。……そして、少し柔らかくなった声音で答えた。
「仕方ない……やってみよう。でも! エミルの言う通り! 危ないことは禁止! 分かったか!」
「! うん」
臣の諦めに、レニははっきりとした声でそう答えた。




