『蒼い空に続け』
濡れ鼠になっていた琉生に、とりあえずシャワーを浴びさせ、丁度お昼時だったのもあり皆でご飯を食べることにした。聖が手軽に作れる焼きそばを作っているのを私はソファから見ていた。ソースのいい匂いが鼻をくすぐる。とりあえず、ホッとした心地だった。琉生が帰ってきてくれたことで、心做しか皆の間の空気は弛緩していた。隣に座っていた緋姫がふう、とそのままソファに寝そべった。私は珍しい姿に驚く。
「わあ、緋姫どうしたの。珍しいね」
「そりゃ力も抜けるでしょう。こう見えて私も心配していたのですから」
確かに、常に冷静沈着な緋姫だったから、分からなかったけれど、ここ数日は言われてみればソワソワしていたような気もする。可愛いところあるなぁ、と私がその姿を見ていると、近くに座っていた紀介がこちらを見てぎょっと驚く。
「誰が寝そべってんだと思ったら緋姫?! 珍しい……」
「さっき同じくだりやったよ」
私がそう言うと、ああ、と紀介が頷いた。
「お前がここでだらけてんのなんか珍しくもないもんな。うん」
「さ、差別だ!」
「区別だよ」
なんだか緊張感のないやり取りである。臣も緊張状態から解放されていたのか、ダイニングでうたた寝をしていた。レニはいつの間にかキッチンにいて、私たちに声をかけた。
「ちょっと、焼きそばできるよ。準備手伝って〜」
「はぁい」
「動きたくないです……」
緋姫が珍しく駄々を捏ねたため私が手を引いて立ち上がらせてあげた。と、その時、琉生がシャワーから上がった。すん、と匂いを嗅いで、いつもの淡々とした調子で言った。
「……おお、いい匂い。もしかして、焼きそば?」
その通常運転ぶりに私たちは苦笑いだ。でも、それこそだよな、と思った私は、心の中では安堵の息をついていた。
食事の準備を済ませ、とりあえず焼きそばを皆で食べることにした。台風は相変わらず酷いけれど、インフラへの影響は今のところはないらしい。それで、と食べながら臣が琉生に尋ねる。さっきまでうたた寝していたからか、少し目付きがいつもより悪い。
「色々聞きたいことはあるけど……え、何から聞けばいい? マジで」
「ほうは……そうだなぁ」
臣に問われ、いつものように口に詰めたまま話そうとした琉生は、言われる前に飲み込んで話し出す。
「とりあえず僕の今の状況の話からしていい?」
「うん……聖から、二重人格っぽいみたいな話は聞いたけど……」
私がそう言うと、うーんと琉生は返す。
「そうなんだ。たしかに昔はそう思ってたんだけど……最近は違うかもしれないって思ったんだ」
また焼きそばをすすり、話を続ける。
「……僕には、双子の兄さんがいたんだよ。いや、とは言っても……知ったのはここ最近で。この間実家に帰った時に、アルバムを間違って持って帰って来ちゃったんだ。そしたら、アルバムの最初の方には……兄と僕の写真があったんだ」
その話を聞いて、私たちは沈黙する。そして多分全員、心の中で言った。
……ごめん、それ、見ちゃいました……。
その空気を察したのか、琉生は切り込む。
「もしかして、見ちゃった?」
「……」
全員なんとも言えず顔を見合わせる。……沈黙は肯定だ。私が謝ろうと口を開きかけると、なんだ、と琉生は続ける。
「そんなら話は早いね。でも、あれを見てくれたらわかる通り……だったんだよ。……だからね、僕はこの間までずっと、兄のことは忘れてたんだよ」
……二歳頃の写真を境に、琉生の兄である……たしか、來生と書かれていたか。彼の写真は、一枚もなくなっていた。それと同時に、琉生の写真も、四歳頃まで一枚もなかった。ということは、多分來生は……。
少ししんとなった空気を意に介していないのかわざとなのか、少し軽い調子で琉生は続ける。
「んで、こないだお母さん問い詰めたんだよ。なんで今の今まで教えてくれなかったの、ってね。そしたら、一瞬黙ってたけど、その後すぐこう言ってた。
『……何言ってるのよ。今もいるじゃない。そこに』
って、僕のことを指さしたんだ」
……話が見えない。お母さんは、精神が少し悪い状態になっているのかもしれない、とも思った。だからそういう幻覚が見えている、というような、あるいは__。
紀介が口を挟む。
「でも……パッと見はお前にそのお兄さんが取り憑いてるって感じはないぞ」
「うん。そうだろうね、だから僕もよく分からないんだよね」
淡白な調子にこちらも調子が狂いそうになる。実際紀介もずっこけている。結局琉生にも分かっていないことは多いのだろう。しかし、解決していない事の方が多い。レニがそのまま疑問をぶつけた。
「でも……なんで出てったの? 迷惑って言っても、夜中暴れるとかでしょ?」
「そこなんだよね」
何故か他人事のような言い方で琉生は頷く。こちらがイマイチ掴めずにいると、彼は言った。
「これは、確証はないんだけど……最近、ここらの霊が、妙に力が強くなってるでしょ? ほら、前やってたアパートの声とか、ワンコが巨大化したやつとか……、この間エミルたちも大変だったんだよね」
「ああ……そうだね。それが何か……」
きょとんとしながら聖は首を傾げた。緋姫が補足しながら頷く。
「少なくとも、そういう仮説は立てていました。街中にいる霊たちも、心做しかちょっとずつ強くなっているような気配はしていましたので……それと何かご関係が?」
うん、と琉生が頷く。
「それもしかしたら、僕のせいかも」
……どういう事だろう。私たちが何も言えずにいると、まあ、と琉生はまた話し始めた。
「それこそ憶測だけど、同時に僕がここを出た最大の理由だ。……僕のまわりの霊は、じわじわと強くなっていくんだ、たぶん」
私はきょとんとする。それは霊能力の一種的なあれなのだろうか。いやいや、と臣は顔の前で手を振った。
「それは……気のせいじゃねぇの!? 大体霊って霊感ある人が多いところには寄ってくるもんだし」
「ええそうなの!?」
私が驚いて尋ねると、緋姫がざっくりと説明してくれた。
「認識されたがりとか、怖がられたいとか、人に危害を加えたいとか。そういう霊も多いですからね。霊感がある人には寄ってくると、確かに言います。あと、霊力が強い霊にも、霊は無意識でしょうか、集まりますかね。ただ……」
と緋姫が自分自身を指さす。
「私の守護霊さんがとてもお強いので、私や私の周りには基本的に自ら悪い霊は寄ってこないです。だからこの家にもほぼほぼ霊はいませんし……」
言われてみて気がついた。確かに、ミサンガ改め組紐を貰った時あたりから、緋姫の後ろには多少輝かしいキラキラした方が見える気もするけれど(正直そんなによく分からないけれど)、この家の中で霊をみたことはない。……このあいだの琉生(仮)を除けば、だが。
うんうん、と琉生は頷く。
「そういうはずなんだけどね。ところがどっこい、僕の周りには昔から変な霊が多くてさ。普通はそうじゃないって、こっちに引っ越してきて初めて知ったんだよ。だからつまりざっくり言うと……」
琉生は自分を指さす。
「歩く幽霊バフ剤みたいな」
「なんか、悩んでる割にノリが軽いな……」
紀介が突っ込むと、まあ、と琉生が頷いた。
「もうここまできたら今更ウジウジしたってしゃーないかと思って」
「お前は強いのか繊細なのかどっちなんだ……」
私はそこまで聞いてそうか、と思う。確かに、緋姫が言っていたように、ここ最近、近辺の……とりわけ私たちをとりまく霊の力は強まってきている、という話は私でも実感していた。今まで命に関わるようなトラブルがなかった私の身にも、例のループさせてくる霊のような危険なことが降りかかった。それのきっかけが毎日関わっている琉生だとしたら、一応説明はつく。
何かを考え込んでいた聖も、顔を上げて琉生に尋ねた。
「琉生はここを離れてからどこにいたの?」
「隣の市とか区とかのネカフェを点々としてたよ。長くいると迷惑かけるかなって」
「たしかに、琉生が離れてからこの辺で何も大した霊は見てない……やっぱり多少の影響はあるのか……?」
そう、と琉生が頷く。
「でもさすがにお金も尽きそうだし、全然根本的解決にはなってないな、と思ってこっちに戻ってきたのもあるよ。……こっちに頼った方が、いいかなって」
まあ動画で情に絆されたのもあるけど、と琉生は軽く言う。少しだけ臣や紀介は顔が赤い気がする。恥ずかしいのだろうか。
でも、とレニが手を挙げてまた尋ねた。
「どうやったらこれって解決するの……?」
それは……、と言いかけて琉生も沈黙する。お兄さんの件と、琉生が霊を引き寄せてしまう件。それらはそもそも、関係があるのだろうか?そして、奇妙な気配をする琉生自身への関係は?……そういうことも、琉生はわかっていないのだろう。それはもちろん、私達も同じだ。
少し考えた間があった後、聖が顔を上げた。
「……とりあえず、琉生のお母さんとかにお話を聞いてみる? その時混乱していただけで、今だったら教えてくれるかもしれないし……」
琉生が、目を伏せて首を振った。
「それは……どうだろう。できるかな。検討はするけど……」
「何で? それが一番早そうだけど……」
そうレニに問われた琉生は、低い声で呟く。
「……僕のお母さんは、今……」




