第九章 思惑
その日のうちに一平は拘束されていた部屋から解放された。
解放されたと言っても身柄は拘束されたままだ。移動の必要があるので岩塊とは繋げられていなかったが、手首に嵌められた枷から二本の鎖が伸びて屈強そうな男二人の腰と連結されていた。
一平を迎えに来た刑務官は「時間だ」とだけ告げた。
何の時間になったのか、言われなくても一平にはわかっていた。いよいよ刑の執行の時刻が近づいてきたのだろう。
結局ウラーはあれから姿を見せず、口にした反省と更生のプログラムは実施されていない。何の釈明の余地も与えないまま一方的に刺青を彫り、斬首する、という刑が罷り通っていることを、国王をはじめ国の中枢の人々は知っているのだろうか。
国王と相対したのはそれほど長い時間ではなかったので判断材料には欠けるが、ウラーを一目見てこいつはダメだと直感したような発想は湧いてこなかった。一国を背負って立つだけの器量はある御仁だと見受けられた。
ならば知らないのか。それともモノリス全般の根本的な考え方が違うのか。
先日いろいろ案内してくれた国王の重臣だというカシムもあの針術師もひとかどの男であり、一平から見て常識人だと見受けられたから、後者ではあり得ないだろう。
針術師の話だと処刑はいつも営倉前の広場で公開で行われるらしい。国王も参加するのだろうか。来てくれるといい、と一平は願った。
逃げることも一応考えてはみた。失敗した場合逆に刑が重くなるだろうがやりようはある、と一平は思っていた。
手首に嵌められた枷は金属だ。丸腰の一平には断ち切る術はない。隙を見て両側の男二人を繋がれた鎖で引っ張り転がす。それなら一平には可能だ。その際腰に巻かれたベルトを素早く抜き去れば男たちからの鎖は外れる。一平の枷は、外れないように金属の輪で作られていたが、男たちのしている革ベルトはサイズ調整のため開けられた穴に金具を差し込んで止めるタイプになっていたから不可能ではない。
しかし、そうして逃げ果せたとしても十中八九よい方向には進まないだろう。刑場の様子を見て判断するしかないと、一平は肚を括った。
そもそも一平はいつ死んでもいいと思っていた。
パールのいないこの世は闇世に等しいと思っていたから。
死ねばパールにまた会える。
だが死ねない事情もあった。
アスランだ。
息子を立派に育て上げることがパールの望みであったから。
アスランはまだ六歳。成人するまであと八年もある。一平が海に出た十三歳まででもあと七年だ。
最悪自分がいなくてもアスランのことを庇護してくれる人々は沢山いる。それなりに教育をして、立派に育ててくれるだろう。
だがこのまま自分が死ねば、アスランの心には大きな傷が残る。
父親の死の原因の一端を自分は担ったのだと、生涯己を責め続けるだろう。
息子にはそんな人生を歩んでほしくなかった。
この三日間、何度も何度も考えた。
この運びは私刑に他ならない。
あの長官がいつもこんなことをしているのかどうかは定かではないが、当然あるべき審判の過程を端折ったのだ。端から一平のことを断罪するつもりだったことは明白だ。
ふと思った。
まさか、初めから仕組まれたことなのではないだろうな、と。
モノリスから招待を受けたこと自体が罠の始まりだったとは考えられないだろうか?
ルクルドは一平ひとりを名指しで身柄を請うた。
因縁をつけ、青の剣の守人を亡き者にし、トリトニアの国力を弱体化させようと目論んだのであればそれも頷ける。
だがアスランやキンタを同行してくるとは予想できなかったはずだ。決行するには危ない橋を渡り過ぎている。
そしていくら何でも、そんなことをすればモノリスはポセイドニア中から非難を浴びることになる。モノリスにとってマイナスに働くことは明らかだ。
それとも何かの偶然が働いたのだろうか。
あの男は本当に一平のことを疎ましく思っていたようだ。積年の恨み、と言っていた。
見も知らぬ者からそのような恨みを買う所業をした覚えはない。
が、戦で敵対した者を殺めたことがないわけでもない。その縁者から仇と狙われることは無きにしも非ずだろう。
だが一平が軍籍に入ってからモノリスと事を構えたことはない。
針術師の話から憶測する限り、向こうの一方的な感情から発生している。
信じていたものが崩れ去れば、その人生はそれまでと打って変わったものになるだろう。
そういうことがあの男に起こったのだとすれば頷けるが、それは一平には知る由もない事だった。
不幸に見舞われたとしても、心を強く持ち乗り越えることは不可能ではないはず。それを長年ずるずると引きずっていたのだとすれば責任転嫁に他ならない。
かつては一平に奮起をして励んでいた、と針術師は言っていた。その向上心はどこへ行ったのだろう。
ウラーの心中を思いやることはできるが、受け入れることはできなかった。それは筋が違うだろうと一平は思う。
一平がやって来たことで心の底に燻っていたものが再燃し、ウラーを暴走させているのではないか。そう考えるのが一番妥当に思われた。
進行方向から人々のざわめきが聞こえ始めていた。
時は三日前に遡る。
一平たちの受講の手配をした後、カシムは休憩をとっていた。今回の任務はなかなか面白い経験だったが、国賓の相手とあっては些か緊張もする。
守人の一平は噂に違わず男惚れのする人物であったし、その息子も利発であり将来有望だと思わせる素養を持っていた。キンタ王子は、飄々として憎めない中にもどこか内に秘めたる何かを感じさせる得体の知れない雰囲気が時折感じられた。
わが国の王子に爪の垢でも煎じて飲ませたい…と、カシムは大きなため息を吐いた。
モノリスのルクルド王には、男児が三人女児が二人いる。王女たちは既に嫁ぎ、第一王子と第二王子はルクルドの補佐をして公務に当たっていた。末っ子の第三王子はルクルドが思いもかけず遅くに設けた子で、とうに成人の域に達してはいたものの政治には無関心、美しいものを愛でてばかりいるという困った性癖の持ち主であった。
奴隷制度が廃止された十五年前、それまで奴隷であったことで行き場を失うことがないようにと、王は多数の奴隷を、兵士や侍女や小姓などに召し上げた。
ナメック王子は当時七歳。お守役兼遊び相手として召し上げたのがかの針術師の男であった。
彼が選ばれたのは容姿のせいである。ただの奴隷とは思えぬほど男は美形であったのだ。
思春期を迎えるとナメックは五歳年上の麗人に入れ上げるようになった。そっち方面だけは早熟であったわけだ。
人だけではなく、持ち物に関しても美しいものに執着し、いろいろな方面の細工師に身の回りのものを作らせることに熱を上げてきた。名工や優れた技術を見抜く才は持ち合わせていたと言えよう。
針術師はこれを大いに利用し、小姓の立場を返上して今の地位を作り上げることに成功していた。
もう一つ。王子は癇癪持ちでも知られていた。
わがまま、などという生易しいものではない。こだわりが強いだけに、ちょっと気に入らないことがあると手がつけられないほどに荒れまくるのである。それは自虐行為にまで及ぶので、お付きの者は元より、父王ですらも手を焼き、いい年になった今でも手を拱いているのだ。
逆を言えば、お気に入りには大変甘い。喜ぶのならば何でも叶えてあげようという心境になるらしい。針術師にとってはこのことが有利に作用していた。
カシムは長年ルクルドに仕えてきた。
王子王女の守り役もしたことがあり、その性質は十分把握していた。
だから、問題が起こったと聞いた時、これはまずいと青ざめたのだ。
自分がこれぞと思って作らせた大切な細工物を壊されて、ナメック王子が大人しくしているはずがない。これは下手をすると外交問題に発展する。
そう直感したカシムは二人の部下に後を任せ、自分は一人ルクルドの元に戻った。この日の案内は学問所を見終えたら宿泊の案内だけだったからだ。
王宮に戻るとルクルドは不在だった。
こんな時にどこへ…と訝るカシムに従者は告げた。
陛下は発作を起こし、医療館へ担ぎ込まれました、と。
カシムは頭を抱えた。
ルクルドには持病があった。
些か胸が悪いのである。咳き込みがひどくなったり胸が苦しくなったりという発作を何度か発症している。担ぎ込まれたということは状態はかなり良くないのだろう。王宮の自室での看病は適切ではないと判断されたのだ。
医療館へ出向くと面会謝絶であった。
なんと間の悪い。
ナメック王子がこのことで機嫌を損ねたら、おそらくあの守人は無事ではいられない。処罰の対象から逃れることは不可能に近い。
(陛下…早くよくなってくだされ。陛下しか、王子の思惑をお止めできる者はいないのです)
モラ神よ…と、カシムは手を合わせ、祈った。
キンタとアスランも軟禁されていた。
王宮の一室に身柄を移され、外出を制限された。
キンタはまずは状況報告と相談をとルクルドに持ち掛けたが、帰ってきた返事は想定外のものだった。
―国王の緊急入院―
胸の病を患っていたという。
(何でこのタイミングなんだ…)
キンタは頭を抱えた。
(ここにお姉ちゃんがいてくれたら…)
病などすぐ治してもらえるのに…。
キンタは天を仰いだ。
アスランは相変わらず悄然としている。
無理もない。
行動の自由はなかったが、衣食住に関して不備はない。もともと提供される予定だった豪奢な部屋で最低限のもてなしは受けている。
だがアスランは供された食事にろくに手もつけず、溜め息を吐いてばかりだ。
時折キンタに見つからないように隠れて泣いている。
睡眠も十分に取れていない。
悪夢に魘されるのだろう。
「父!」と叫んで飛び起きることが何度かあった。モノリス側に頼んで精神安定剤のようなものを処方してもらうが、眠っても深い眠りには至っていないようだった。
(まいったな…)
打つ手がないのが一番痛い。
部屋に来る召使いを通して情報を集めるのが関の山だった。
ルクルドが倒れて三日目、王は奇跡的に危地を脱した。
昏睡状態が覚め、症状が快方へ向かったのだ。まるで狐に抓まれたような顔でお抱えの医師はそのことをカシムに告げた。
昨夜まで苦しんでいたのが嘘のように、ルクルドは床から起き上がって食事をとっていた。
「陛下…ご心配申し上げあげましたぞ。ご回復の由、心から安堵いたしました」
「うむ。心配を掛けたな。変わりはないか」
「それが…」
病み上がりの国王に聞かせたくはないが話さねばならない。カシムはここ三日間の一部始終を端的に説明した。
「左様か。…わしのするべきこととはこれだったのだな」
「何の…お話でしょうか?」
カシムには意味がわからない。
ルクルドは信じられないようなことを話し始めた。
「珊瑚色の髪の美しい女性が現れてわしに歌を歌って聴かせてくれたのだ。かつて聞いたこともないほど美しい歌声であった」
ルクルドは昏睡状態だったはずだ。外部の人間がそばに来れるなどあり得ない。
夢の話なのだろうか?
「女性は言った。『心配いりません。すぐによくなりますよ。やがてあなたは目覚めるでしょう。目が覚めたら…身体が動くようになったら‥あなたのするべき事をなさってください。あなたの正義をお示しになってください。どうか、あの方を、お救いください…』と」
「それは…」
「わしにはわからん。あの女性が誰であったのか。だが、これだけはわかる。あの女性の歌はわしの心に染み入った。心だけではない。身体全体に何か温かいものが流れ始め、呼吸が楽になってゆくのをわしは感じた。
わしはいつの間にか、涙を流しておったよ」
「その女性が、陛下を治療してくれたのでしょうか。夢の中で!?」
「そうとしか思えん。それともあれは夢でなかったのか…」
記憶は鮮明だった。
髪に差した真珠の飾りも、モノリス風ではない、むしろ簡素なスタイルのドレスも、その穏やかで優しい微笑みも。夢で見たのであればもっとあやふやであったろう。芳しい匂いまでも漂っていた気がする。
(真珠の髪飾り…治療…医術…癒し…そうか…)
カシムの連想は一人の女性の元へと集約した。
今はもうこの世にいない、癒しの姫。トリトニアのパールティア王女。あの守人の妻だった女性だ。
パールティア姫は癒しの力だけではなく、他にもいくつかの力を併せ持っていたと聞く。まさか死して後も力を使えるのか?
(ばかばかしい…)
自分の想像に激しく首を振り、それでもカシムはその考えを払拭できなかった。それでは神ではないか。
「…女神…か…」
口に出して言っていることに、カシムは気づいていなかった。
こんなことを考えていても仕方がない。自分にはしなければならないことがある。ルクルドを説得し、処刑場へ向かうのだ。
「…陛下…大事なお話があります」
ルクルドはカシムの進言を一蹴するような愚王ではなかった。
医師の許可を取り付け、それぞれ騎イルカに騎乗した。
二人は医療館を飛び出した。
(間に合ってくれ…)
カシムはモラ神に願いをかけた。




