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第七章 刺青

「…そういう趣味があったのか、あんた」

 こんな時に何を…と、一平はちょっと呆れた。

 だがそれは一平の勘違いであったらしい。ウラーは顔の半分を引く攣かせ、嫌悪感を覗かせながら言った。

「…お望みならそういう拷問をしようか?」

「遠慮する」

 一平は即答だ。男色の気は皆無だった。

「つまらぬことを言って雰囲気を乱すな。まずは自慢の身体を見せてもらおうと思っただけだ」

「自慢した覚えは一度もないが…」

「本人がせずとも周りがしている。つべこべ言わずに見せろ」

 一平は従った。

 

 上衣を脱ぐと筋肉質の肢体が露わになる。細身であるのにがっしりとしているのは、骨格が太く、その身体に脂肪がほとんどないからなのだとわかる。そして胸にも腹にも縦横無尽に走る大小の傷跡。広範囲に広がっているところもあれば、年月を経て薄くなった古傷もある。シャチかサメのような大型肉食獣の歯形のような跡も。

 仁王立ちの一平の周囲をぐるりと回り、ウラーは一平の背後に立った。

「なるほど…綺麗な背中だ…」


 そう言って右の人差し指で背骨の横を上から下までなぞった。両側から屈強な男たちに腕を絡め取られ、一平は身動きならない。動きを封じられてもぴくりとも動じなかった一平も流石にぞわっとなる。

「やはりそういう趣味があるじゃないか」

 一平の抗議の声をウラーは無視した。


「この傷ひとつない背中がトリトニアの誇りなのだそうだな」

「……」

「敵に後ろを見せたことがない、その証だとか!?」

「……」

「この綺麗な背中にわがモノリスの刻印を刻みつけてやったら、ぬしの国民は何と思うだろうな?」

「……」

「トリトニアの青の剣の守人ともあろうものが地べたに這いつくばって助けを乞うたと知ったら、さぞかし士気も下がろうよ」

「何を…考えている?」


 一平はウラーを肩越しに見て胡乱げに問うた。拷問で一平を屈服させようとしているのは明白だったが、一平には白状するべきことは何もない。

 ウラーは右の拳を上げて、刑務官から紐状の何かを受け取ったところだった。

 一平の目が大きく瞠かれた。ヒュンと唸りを上げて鞭が翻り、一平の背を走った。


「う……」

 衝撃は半端ではなかったが、倒れ込むほどでもない。傷口からじわじわと赤い鮮血が滲み出す。五、六十センチほどの長い鞭の跡は却って美しくウラーの目には映った。

「縛れ」

 下令に弾かれたように動き出した刑務官は、一平を石の台の上に俯せにし、その手足を拘束した。


「わが国一の針術師を充てがってやる。この先決して消えることのない烙印だ。どういう絵がいいかな?守人とやらが男に陵辱されている場面はどうだ?」

「…彫った人間の品格が疑われるな」

(例の刺青を入れるつもりか?)

 一平は医療館で聞いたことを思い出す。



 刺青はモノリスにしかない技術だ。元々は奴隷や娼婦が身元を偽れないようにと考えて開発された技だという。今では粋がった若者たちが箔をつける為に彫ることの方が多いが、苦痛を伴うものであるため、滅多なことでは彫りつけたりしないのである。

 背中を傷つけられたからと言ってどうということはなかった。もちろん切られれば痛いし血も出るが、それで誇りがどうのこうのと言われても一平にはピンとこない。

 

 背中に傷がないのはそこにパールがいたからだ。パールがもっと幼く、赤ん坊のように抱いていなければならなかったとしたら、一平は背中でパールを庇い、その結果無傷なのは腹側だったはずなのだ。それだけのことだった。

「これが沙汰か?おまえの言う反省と更生はどこへ行った?」

 一平の問いには答えず、ウラーはモノリス一の針術師だという男を呼び出し、指示を下した。今まで誰も見たことのないような衝撃的な絵を彫ってやれ、と。

 

 針術師の男は静かに頷いて自分に与えられたキャンバスを見下ろした。

「どうだ?こんな逸材はまたとないぞ。創作意欲が湧くだろう?」

 仕留めた獲物の大きさに有頂天になり、ウラーは言った。

「…なぜ、汚した?…」男は低い声でそう漏らした。「折角、傷ひとつなかったものを…」

 ウラーが鞭で大きな傷をつけたことに抗議している。

「こんなもの、すぐに消えるわ。鬱憤晴らしの一つぐらいさせてもらってもバチは当たるまい」    


「作品の価値が下がる…」

「どこに売るのでもない。報酬は約束通り払うさ。つべこべ言わずにさっさとかかれ」

「一割増しだ」

 男はじろりとウラーを睨んだ。

「ああ、ああ、わかった。望み通りの額をやる」

「二百ガイだ。口止め料込みでな」

「よし」

「では出て行ってもらおう。気が散る」

 職人風情が偉そうに…とか何とか言いながらも、ウラーは刑務官を伴って拷問部屋と化した部屋を後にした。



 針術師の男が屈み込む。

「オレを恨むなよ。単に仕事を引き受けただけだからな」

「……」

 俯せにされてはいるが、首を横にする自由はあった。一平は目だけを上げて自分を覗き込む男を見た。

 初顔合わせなのにもかかわらず、会ったことがあるような気がした。誰かに似ているのだ。


「あんたがかの有名な守人さんかい。名は確か…」

「一平だ。トリトニアの一平…」

「口が利けるのか。薬を飲まされたってわけじゃないんだな」

 そう言うところを見ると、この男の獲物は大抵の場合薬でおかしくされて運ばれてくるらしい。

「…あんた超一流の武術者だろう?一体何だってこんなことになった?」

 一平はそれには答えなかった。男の方も深く詮索する気はなかったらしい。男の興味はすぐに他に移った。


「男前だな、あんた。…身体だけじゃなく顔立ちも整ってる。おまけに地位も実力も申し分ないんじゃさぞかし女どもが騒ぐだろう」

 男の口振りに嫌味はない。ウラーが同じことを言っても皮肉に聞こえるだけだが、この男は率直な感想を賛辞として述べている。

 一平のことを男前と言ったが、そう言う本人の方が余程色男ではないかと一平は思った。男は色街にいてもおかしくないほど美形なのだ。色白の肌に通った鼻筋と涼しい目元。時折皮肉げに歪められる口元が却って男の魅力を嵩増ししている。


「オレの最高傑作ができるかもしれねえな。確かにそそる身体だよ。そう言う意味じゃあウラーの奴に感謝しないといけねえかな」

 男は再び立ち上がって一平の足元に移動し、目の前の肉体美をしげしげと眺め回した。

「あんたは何がいい?希望がありゃあ、言ってみな。オレと波長が合えば叶えてあげられるかもしれねえぜ」

「ウラー好みの絵にしなくてもいいのか?」

「へっ!何であんなクソ野郎の言いなりにならなきゃいけねえんだ。あいつはな、あんたに屈辱を与えることでトリトニアをやり込めたいだけなんだよ。

 あいつも傭兵上がりだからな。あんたの噂に奮起して自分も無傷の背中ってやつを保とうと頑張ったらしいぜ。何年も保たずに夢は消えたがな。だから傷つけたいんだろうよ。あんたの背中を。メッタメタにな」



 それで一鞭当てていったのか、と一平は溜飲を下した。

「一生消えない傷って点じゃ、刺青はぴったりだからな。あいつは奴隷の印を入れろ、って言ってたけど、印章なんか彫るのはオレの主義に反するんで断ってやった。他にも、卑猥なのとか目を背けたくなるほど残酷なのとかいろいろ言いやがったけど、ほんとに趣味が悪いよな、あいつは」


 自分で見ることのできない背中だ。何を彫られようとあまり頓着していなかった一平だが、それは正直嬉しくない。この男の審美眼に感謝したくなった。

「何を彫る…つもりなんだ?」

 すこし興味が湧いてきた。自分の背中に関してではない。この男の手が作り出すものがどういうものなのか見てみたいと思ったのだ。


 面白そうに、ニヤリとして男は訊いた。

「何がいい?」

「オレは…」

 特に望みはなかった。彫られないのが一番いい。そう言うと男は目を細め、一平の顎を掴んで顔を寄せた。

「オレに任せな…あんたの悪いようにはしねえよ。オレは被技体の本質に合わないようなものは作らねえ。誰が見てもあっと驚くような作品に仕上げてやる」

 男の目が何らかの決意を持ってきらりと光った。

「一晩かかるな。眠ってもらおうか」

 男はそう言って道具袋から錠剤のようなものを取り出した。


「眠る?」

 麻酔をかけるのだと言うことは想像できた。だが一平が疑問に思ったのはそういうことではない。

「痛えからな。こいつを飲まなくても途中で失神するだろうからどっちでも同じようなもんだが」

「オレを痛めつけるように言われているのではないのか?ここは拷問のための部屋だろう?」

「そんなこたあオレには関係ないね。痛がって動かれてもこっちが困るんだよ。…さあ、おとなしく飲みな」

 男は一平の口の中に薬を突っ込んだ。

「ただ…持ち合わせはこれだけなんだ。時間がかかりそうだからな。薬が切れたら地獄の責め苦が待ってるかもしれねえぜ。そん時は勘弁してくんな」

 段々男の声が遠のいてゆく。睡魔が一平を深い夢の中へ引っ張り込んでいった。



 夢の中で一平は泥の船に乗っていた。目的地に着いて船から薪の束を下ろすと、背負子(しょいこ)に乗せて背負った。山道を歩くうちに日が暮れてきた。峠から見える夕陽は絶景だった。

 一平の周囲は真っ赤に染まっていた。夕陽が落ちてもまだ赤かった。なぜだろうと見回すと、自分の背中で薪が燃えている。火の手が上がっているのだ。

 途端に熱さを感じて背負子を下ろそうとするが、何やら引っ掛かってどうしても外すことができない。薪はますます燃え盛る。辺りには人っ子一人いない。

(熱い….誰か…誰かこいつを外してくれ。背中が燃える…熱い…熱い…)


「う…」

 男の作品が身動いだ。

 ―切れたか…―

 思っていたより早く薬が切れた。

 毒にさえ身体を慣らし続けてきた一平だ。通常の眠り薬が効き目を持続させることは難しい。

 男はそんなことは知らぬ。ごく普通の仕事なら薬の量はこれで十分過ぎるほどだった。なぜ、こんなに早く切れたのか不思議に思ったがどうしようもない。

 作品はまだやっと七割ほど終わったところだが制作ペースは順調だった。雑にならない程度にペースを上げて制作時間を少しでも短くするしかない。


 一平の瞼が持ち上がる。

「…水…」

 力のない唇から言葉が漏れる。

「水!?」

 水なら周囲に腐るほどある。こいつは何を言ってるんだと思わず手が止まる。

「火事…火事だ…背中が…オレの…」

「カジ!?」

 海の中に火事はない。火も炎も、海人たちには縁のないものだ。

「燃えてる…熱い…オレの背中…」

 言葉は理解できないが言いたいことはわかる。背中が痛いのだ。

 一平の背中には既に無数に穴が開けられている。ごく細い血煙が幾筋も立ち上っている。針術師の手で彫られた穴の殆どには既に染料が流し込まれていた。


「しっかりしな、あんた。守人さんよ。残念だがもう薬が切れちまったらしい。堪えてくんな。そいでもってなるべく動かないでいてくれると有り難いんだけどよ。ま、そいつは無理ってもんか」

 一平の目が半開きに開かれる。その目に現実の光が戻る。

 が、再び閉じられた。

「おい、大丈夫か?」

(まだ朦朧としてるか。当然だな)

 思い直して針術に向かい直すと微かに声がした。


「…どのくらい…終わった?…あと…何時(なんとき)かかる?」

 今度はまともな正気の問いだった。

 男は少々気の毒そうに答えた。

「知らねえ方がいいんじゃねえか?余計辛いぜ」

「構わん…。今か今かと待つよりはいい。教えてくれ。こちらの心構えを、判断したい…」

(へえ…)



 男は心底感心した。この被技体は今かなり辛い状態にあるはずだ。無数の針で隙間なく突き刺されている感覚が纏まりあって、高熱として感じられているのだ。

 薬が切れて、その感覚はまともに被技体の神経を痛めつけている。呻き、喚き、叫んで然るべきだった。その手で痛い所を押さえて少しでも痛みを軽減したいはずだ。その命令は脳から手足にまで届いているのに違いない。

 だが手足を戒められていてはそれもままならない。

 動かれてはこちらも困るので枷を外すつもりはないが、その分胴体がもがき苦しむはずなのだ。男の言葉を認識して堪えているのだと考えても、かなりの無理をしていることになる。


 虜囚は目を開いてからこっち、微動だにせず、苦しがりもせず、恐ろしくまともな強がりとも言える口を利いている。流石は勇者と呼ばれ、一国の武人の長として崇められているだけのことはある。

 男はひどく満足だった。

(このデザインを選んでよかったぜ。あんた以外にこいつを背負える英雄はいやしねえよ)


 そう思いながら、口には出さずに相手の要求にだけ答えた。

「…一時だ。あと一時だけ、我慢しな。その後で手厚く手当てしてやるからよ」

「手当て!?…」

 そんなものをしてもらえるのか、と一平は不思議に思った。

 針術の後そのまま放っておいたら、腫れたり化膿したりして折角の彫り物も形を変えてしまうのだ。きちんと炎症を抑え、消毒をして皮膚を休ませなければ元の木阿弥であり、針術師の真価も問われるのだということを彼は知らなかった。


 男の説明を聞いて一平はなるほどと思う。

 刺青は地上の世界にもあったが自分には縁のないものであり、間近で見たこともない。まさか海の中にも存在するとは、医療館で聞くまで思っても見なかった。野蛮な習慣だと思っていたが、それなりに一つの文化として確立されているのだと知った。


 そして男の言葉からは矜持の匂いがした。他者に左右されず、己の意に反した仕事はしないという頑固さが感じられた。職人気質というのだろうか、己の技術に対しては自信に満ち溢れていて、己が手になる作品に惜しみない努力と愛情を注いでいる。

 その作品のひとつが自分の背中に彫られているというのはなんとも不思議な気がするが、痛めつけられているのに不快ではない。男の施技が真剣なせいだろう。


 己の背中でぷつぷつと、皮膚の弾ける嫌な音が立て続けに起こっている。その度に新たな痛みが湧き上がる。だが耐えられないほどではない。それよりもむしろ、染料を流し込まれる時の方が辛かった。自分にとって異質なものを身体の中に無理やり注ぎ込まれているのだから。筋肉が拒絶反応を起こしているのではないかと思うほどの疼痛が一平を苛んだ。


 歯を食いしばり、脂汗を滲ませながら両手を強く握り締める。手摺やシーツなど、何か捕まるものがあれはそれを握り締めることで力の分散にもなり、精神的にもよいのだろうが、一平の戒められているのは何の変哲もないただの石である。もちろんシーツなど掛かっていようはずもない。あるのは手足を拘束するための金具だけだった。

 一平は己の掌を握り締めるよりなかった。爪が掌に食い込み、深い溝を形成していたが、一平の意識はそこへは向かなかった。

 動けばそれだけ施技が長引く。とにかく今はじっと耐えるだけだ。彼はそう肚を括っていた。



 口は悪いが、針術師の男の言葉には一種の情さえ感じられる。

 全てを信用すると言うわけにはいかないが、少なくとも今の仕事を完璧にこなすことに人生をかけている。そういう気概を感じ取れる男だった。

「…喋ってて辛くねえか?」

「その方が気が紛れる」

「大したやつだぜ、あんた。被技体と会話しながら施技するなんてオレも初めてだぜ。

 …っと、染料を入れるからな。こいつはオレのとっておきの色さ。貝から抽出するんだが、ごく少量しか採れない。だからものすごく高価だ。こいつをあんたに使うよ。特別中の特別だ。

 だから、ここを逃れたら大事にしてくんな。オレの最高傑作を、長生きして多くの人に見せてやってくれ」

「……」 

 思わず一平は絶句した。


「あんた…オレは…ここを生きて出られるかどうかもわからないんだぞ!?」

「なあに。大丈夫さ。あんただって、そんなこと少しも思っちゃいねえだろ?」

 ニヤリと口の端を歪めた男はそれきり無口になった。集中の必要がある作業に入ったのだ。

(フェニキア紫…古代紫とも言う…。まさかこれを使いたくなる時が来ようとはな…。感謝するぜ、トリトニアの守人さんよ)

 それから三日の間、一平はこの部屋に留め置かれた。



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