第六章 営倉
講義の途中で呼び出され、一平は学問所の学長室に来ていた。
小さな身体を一層小さく縮こまらせて、アスランが佇んでいた。
怪我をしたらしく、頭と腕に包帯が巻かれている。
「何が…あったんです?」
息子の身を心配して尋ねる一平に、学長が腰掛けを勧める。
「大変申し上げにくいのですが…。息子さんが罪を犯しました」
一平は耳を疑った。
罪を犯した?このアスランが?
「それは一体…」
「疑問に思われるのももっともです。息子さんは器物損壊の罪に問われています」
「器物損壊!?」
「こちらをご覧ください」
学長はそう言って透明な欠片が乗せられている盆を一平の前に置いた。
「これは…?」
「宗教学の授業で、生徒たちに見せるためにうちの教授が神殿からお借りしてきたものです。水晶の細工物で大変精緻に作られており、値も張ります。そして何より王子ナメックさまがその寄進者です」
「神殿の…」それは大層なものだろう。学長の表情が硬いのはそのせいか。「これを息子が壊したと?」
「わざとではないようですが、教室にいた者たちが証人です。この細工物の横に座っていたのは息子さん一人でしたし、その後ろには席がなかった。本人は覚えていないようなので居眠りでもしていたのでしょう。ガタンという大きな音と共に息子さんは倒れ、その先にあった細工物を道連れにしてしまったのです」
「…そうなのか?アスラン…」
「ごめんなさい。そうみたいです」
蚊の鳴くような小さな声でアスランは答えた。
「ボク…眠くなっちゃって…。痛い、と思ったらこうなってて…」
居眠りをしたことは言いたくなかったが、隠せばもっと事態が悪くなる気がした。
大好きな父の顔が見られない。父は今どんな顔をしているのだろう。息子の不始末に怒っているのか、悲しんでいるのかがっかりしているのか…。どれも嫌だったが、強いて言えばがっかりされるのが一番嫌だった。
「事情はわかった」一平はアスランに向かって言った。「それで…謝ったのか?」
まずはそれだろう。父はそういうところに重きを置く。
「はい…。ごめんなさい…」
既に謝罪の言葉は述べていたが、一体誰に謝るのが正解なのかアスランにはわからなかった。
一平は学長に向かって頭を下げた。
「この度は大変なご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ありませんでした。親がついていながら目を離し、監督を怠ってしまいました。責めは全て某が負いますので息子のことはどうかご容赦ください。本人も反省しているようですし、今後このようなことにならないよう厳しく躾け直しますので」
学長は憂えた表情で言う。
「私とてこんな幼い子に責任をとってもらおうとは思いませんが、何しろ相手が悪い。ナメックさまは金遣いも荒いが、人や物への執着も強いお人です。自分が大枚叩いて寄進したものを破壊されてはさぞかしお怒りになると思います」
「ナメック王子とは、ルクルド陛下の三番目の王子でしたか!?」
「左様です。トリトニアではどうか存じ上げませんが、わがモノリスでは神殿の祭具や献上品、什器、備品に至るまで何より大切に扱われております。供物の窃盗なども重罪にござりますれば、値の張るご進物を壊したとあっては厳罰が下されることからは逃れられないでしょう」
「厳罰と言うと具体的にはどう?」
「今はまだなんとも。処罰は全て営倉の長官に一任されております。この後お身柄をそちらに移送し、審判される運びになりますが、よろしいですね?」
「全て営倉の長官とやらの一存になるのか?」
それはあまりにも乱暴だろうと、一平は思った。
「はい。モノリスでは…」
信仰を重んじるモノリスとしては、些細な弊害を重罪として知らしめることで神殿の威光を保っているのだろう。
モノリスで起こったことだ。それは従わなければなるまい。
だが、物を壊したくらいで厳罰とは大袈裟な。
そうは思うが…。
「…わかりました」
一平が肯じたその時、学長室に来訪者があった。
「お話中失礼致します。義兄と甥がここにいると聞き参上致しました」
誰あろうキンタだ。受講を終えても二人と合流の運びにならず、不審に思いながら何とかここを訪ね当てたらしい。カシムはと言えば姿が見えないと言う。
キンタは礼をしながら乱入した理由を述べた。
「何か揉め事があったとか」顔を上げると包帯を巻かれたアスランが目に入った。「アスラン!一体どうしたんだ!?」
一平と同じことを尋ねた。
アスランは悔しそうに唇を噛み締める。
一平は言った。
「キンタ。アスランを頼む。オレはこれから営倉に行かなければならない」
「営倉?」
「戻るのに時間がかかるだろう。或いは戻ってこれないかもしれない。オレのいない間アスランの保護を頼みたい」
「穏やかじゃないな。何があった?」
「不注意で神殿の祭具を壊してしまったらしい。オレの監督不行届きだ。申し開きと赦免を願ってくる」
「……」
キンタは知っていた。このモノリスという国が、信仰と共に罪科に厳しい国であるということを。
キンタはとても難しい顔をしている。いつも陽気な叔父のいつになく硬い表情はアスランを不安にさせた。
先ほどから父とここの学長が何か難しい話をしているみたいだが、アスランには全く意味のある言葉として入ってきてはいなかった。国賓の一人として扱われ、身に余るもてなしをしてもらったのに恩を仇で返すような真似をしてしまったのだ。それだけはアスランにもわかっていた。
父にとんでもない迷惑をかけていることも。
身の置き所がない、という感情をアスランは生まれて初めて味わっていた。
「アスランを…トリトニアを頼む」
今一度そう言って、一平は足を踏み出した。
「一平…」
キンタは不安だ。数々の危機をその腕一つで潜り抜けてきた猛者だ。こんなことでよもや、とは思うが、モノリスではトリトニアの常識が通用しない。一平もそのことは承知しているだろう。アスランばかりでなく、トリトニアをも頼むと彼は今言ったのだ。最悪の事態もあり得ると考えていることは間違いない。
だが、今はどうしようもない。ここでキンタがごねても心象を悪くするだけだ。キンタは見守るしかなかった。
部屋を出ると兵士が二人控えていて、一平の前と後ろについた。
横にいた学長が兵士に続こうとその場を動くと、やっとアスランは我に返った。
(え?父は?)
周囲を見回し、一人残った叔父を見る。
「ちち…ちちは?」
キンタはアスランを引き寄せてその小さな肩を抱き締めた。
「心配ない。すぐ帰ってくるさ。おまえの父は凄いやつなんだろ?」
「……」
そうだといい、そうじゃないといけない。父は何も悪くなんかないのだから。悪いのはボクなんだから…。
営倉に着くと小部屋に案内された。容疑者を拘留する独房だ。寝台ほどの大きさの四角い台だけがある。
(罪人扱いか…)
まあ、罪人には違いないか、と一平は自嘲する。
まさかこんな成り行きになるとは夢にも思わなかった。一平たちは国王の招待を受けた国賓であったが、そんなことは咎人を特定するには何の妨げにもならないようだった。
これからどうなるのか。
モノリスの内情に精通していない彼には全く予想がつかなかった。物を壊したくらいで斬首、などということにはまさかならないだろうが、この国に来て、意表を突かれることばかりが目についている。それほど楽観できる状況ではないようだと、一平の中で警鐘が鳴っていた。
どう対処するべきかも思い浮かばない。まずは向こうの出方を見ないことには何も始まらない。
(アスラン…)
息子を思う。
かつてないほどにしょげていた。自分のしてしまったことにこれ以上ないほど苛まれているのだということは一目見てわかった。アスランにとっては不可抗力の事故だ。居眠りにしても、大人の事情に付き合わせ、子どもの気力体力を考慮に入れなかった自分の落ち度であると言えた。体験学習とて、アスランと同じ講義を受けてやるべきだった。
今更後悔しても遅いが、一平は不憫でならない。思わず庇ってしまったが、本人に償わせるべきだっただろうか。
その方が、子どものしたことと温情を掛けられ、軽い刑で済んだのかもしれない。
だがまだ六歳の稚い子どもに法廷のような所に一人立たせるのは行き過ぎだ。アスランはもう十分に反省していた。謝ったのかと厳しく接したのは、既に親の手で罰したと学長に思わせるためである。その上でまだアスランに非があると言うのなら、全て父親の自分が引き受けようと思った。
声のひとつもかけずにあの部屋を出た。
アスランは己の想念にどっぷり浸かっているようだったから、一平が連行されたことにも気がついていなかっただろう。
父親が引き立てられてゆく姿を見せたくなくて、一平は黙ってその場を去ったのだ。
抱き締めて頭を撫でてやりたかった。
大丈夫だと、優しい声をかけてやりたかった。
だがそうすれば余計にアスランは自分を責めるだろう。
何が起こっているかわからない方がいい。
一平はそう思っていた。
―父〜―
無邪気にそう呼んで駆け寄ってくる姿が思い起こされた。
あの笑顔を守るためならどんなことでも耐えてみせると、一平は決意していた。
アスランは一平のことを父と呼ぶ。
いや、父には違いないのだが、子どもがお父さんとかパパとか呼ぶ親称が、『父』なのだ。
一平自身は自分の父親のことを『父ちゃん』と呼んでいた。アスランの母パールは両親をパパ、ママ、と呼んだ。
赤ん坊のアスランに向かってママですよ、とかパパがきましたよ、とか言っていたので、そう呼ばせるつもりなのだと、一平は漠然と思っていた。
パールが『ママ』になるのは一向に構わない。けれど自分が『パパ』と呼ばれるのは何かこそばゆくしっくりとこない。けれど自分のことを『父ちゃん』と表現するのもどこか憚られた。
乳母をはじめ周りの者は主人である一平のことを立て、アスランに対しては一平のことを『お父上』と表現する。
アスランの耳に入る割合としてはその方が圧倒的に多いので、いつしかアスランは回らぬ口で一平のことを『ちちうえ』と呼ぶようになった。
一平にはそれがむず痒い。『父上』などとは今の日本の子どもは誰も使わない。時代劇の殿様じゃあるまいし、と。日本の殿様に当たる王であるオスカーでさえ父上とは呼ばれていないのに、なぜ目下の自分が『父上』なのだ。
『父上』はやめてくれ。
一平は息子に懇願する。息子は訳がわからない。
今更パパとも父ちゃんとも、呼ばれるのもバツが悪い。
禁じられても、幼いアスランは自然とちち…と口に出る。
一平は観念した。
ちち…は仕方がない。『上』を何とか消し去ろう。
自ら『父』と称した。
アスランは見倣ってくれた。
それ以降、アスランは父を『父』と呼ぶ。
本人に対しても、他者に対しても。
一人の時間を与えられた一平はそんなことを思い出していた。
「出ろ」
刑務官に告げられ、独房を出る。
連れて行かれた先は個室にしては広く、会議などを行うには狭い部屋で、やはり四角い石の台が据え付けられていた。棚などもあるが物は少ない。
しばし待つように言われた。
一平を連行した二人の刑務官は帳の脇で直立不動で控えている。
ほどもなく、一人の男が入室してきた。
文官にしては武官っぽく、武官と言うには文官っぽい雰囲気を持った男だった。年頃は一平と同じくらいだろうか。足取りはゆったりとして、勿体ぶっているような節が感じられる。一平に真向かった目には値踏みするような訝りの色が浮かんでいた。
「長官のウラーだ。容疑者の一平だな」
上から目線の口調に嫌な予感を覚えた。この手合いはろくでもない考えの主に違いない。
柄にもなく一平は心の内でチッと舌打ちをしていた。
「罪状を述べる。謹んで聞くがよい」
ウラーが言った。
「トリトニアの一平。わが国の学問所を訪問中、モラ神殿の祭具を損壊せしめたこと、これに相違ないな」
概要しか述べないのだなと一平は呆れる。
が、表向きは平然と是を示した。
「三日間の拘留の後、公開処刑とする」
いきなり判決が下された。一平は二の句が継げなかった。
(何だって?)
「大切な神聖の祭具を壊され、寄進者はご立腹である。モラ神殿も、害意ある行為と見て処罰を望んでいる。依ってここに反省と更生の期間を設けた後、斬首とする」
―はあ?―
頭が痛くなってきた。
気狂いか、この男は?
反省と更生を促した上で首を切るだと?それに何の意味があるというのだろう。こんな男が一国の裁判権を司っているのか?
全くお話にならない。
だが笑ってばかりもいられない。一平自身の首がかかっているのだ。一平はこんな所でこんな理由で儚くなるわけにはいかないのである。
話の通じる相手ではない。
一平はそう思った。
ならば話の通じる相手と交渉をしたい。今の話からすると、その機会は三日後の処刑の時しかなさそうだ。
あとはキンタ頼みだが、それまでに彼が動けるだろうか。一平の仲間と見做され、自由を奪われてしまえばそれも望み薄になる。いや、そうなった場合、何よりもまずアスランの身の安全を優先してもらいたい。
(くそ…)
この長官は一人でここにやって来ている。部下の一人も連れていない。そのことにも一平は引っ掛かっていた。どこか機能が歪んでいるのだ。
自力で何とかせねばならない以上、ダメもとで言ってみるかと、一平は申し出る。
「反省と更生が成った場合、斬首の刑が軽減されることはあるのでしょうか」
「流石の英雄も斬首は嫌とみえるな」
不適な笑いを口の端に浮かべ、長官は言った。
「ここで会ったが百年目。青の剣の守人、トリトニアの一平。命が惜しくばオレの前に跪いて命乞いをするがよい」
「……」
今度こそ一平は呆れ返った。なんだこの、時代劇の悪役もどきの大仰な台詞は?
「お会いしたことがあっただろうか?記憶になくて申し訳ないが」
一応丁寧に言ってみる。
「…ずっと会ってみたかったよ。…だが会いたくもなかった。こうなったのは運命だな。積年の恨み、晴らさせてもらう」
「理由を、聞かせてはもらえまいか。何を恨みに思っているのか、とんと合点がいかぬのだが」
疑問符ばかりが浮かんできて、一平はうんざりしてきた。自分は私刑の場に引き出されていたのだったか?
「おまえは…どこぞの国からやって来て、二年でトリトニアの守人に成り上がったらしいな。国一番の剣の腕を持ち、トリトニアの真珠と謳われる姫を娶り、聖なる力で火山の噴火を鎮めたと聞く。それは本当か?」
何を言い出すのだろう。今回の件とどう繋がるのだ、と思いながらも一平は肯定した。
「どれも信じられないような幸運な話ばかりだ。どうしておまえの身にだけ、そんなことが起こる?」
そうか…。一平は腑に落ちた。
妬みか。
恨みではない。妬みだ。この男は一平のことを妬ましく思っているだけだ。一平が何か危害を加えたということではない。
「不公平も甚だしいではないか!」
「……」
そんなことを言われても、一平自身が信じられないくらいなのだから説明のしようがない。
そもそも一平の返答など端から期待してはいないようで、ウラーはそれ以上一平に詰め寄ってこなかった。
それよりも…と、刑の執行に移ることにしたようだ。
「これより三日間の沙汰を申し述べる」
本題に戻り、それまで激情を露わにしていたウラーが冷徹な口調に変わった。
「脱げ」
一平を睥睨し、ウラーは言い放った。それと同時に二人の刑務官を招じ入れた。




