第五章 物見遊山
残るは物見遊山だ。
だがある意味こちらの方が大事だとも言える。一平はキンタの補佐をしなければならないのだ。
ルクルド王に手配してもらった案内役はカシムと名乗った。壮年で穏やかな話ぶりのカシムはルクルドの重臣らしい。二人の部下と共に一平たち三人を観光に連れ出した。
最初に向かったのは人々が信仰する神が座すと言われるモラ神殿だ。
申し訳ないが一平は信仰深い方ではない。
無宗教の人が殆どの日本で生まれ育ったせいか、神仏を崇めるという素養に欠ける。信仰を心の拠り所にするといった精神はない。
トリトン神と相見え、運命の不思議を実感した今でさえ、崇拝するという感覚には至っていない。むしろ、いまだに自分から妻を奪ったことを根に持っていると言ってもいいくらいだ。
だが逆を言えば、他宗教を排斥する気持ちもない。受け入れることもなければ敢えて拒否することもない。
立場上、宗教上の行事を恙なく行うなど吝かではないし、傍目には一平の心持ちなど窺い知れるものではない。父親がそう熱心ではないのだからアスランも推して知るべしである。
要するに一平親子は何の抵抗もなく、モラ神殿に拝殿したのである。
キンタの方は流石にそういうわけにはいかないが、こちらは根がお気楽に出来ている。見聞を広めるために来たのだ。多少のことには目を瞑ることのできる大人になっていた。
モラ神殿は立派だった。
トリトニアにはトリトン神殿といったものはない。王宮の奥に赤白青の剣それぞれの聖廟があるきりである。各地に簡易的な廟は存在しているが、このような立派な神殿にはお目にかかれない。
まず第一に規模が大きい。
岩塊をくり抜いて作られているが、天井が高い。これだけ掘削するのはさぞかし大変だったろうと感心する。
モノリスを司る神の名はモラ。アスランが言ったようにポセイドニア建国史で大神ポセイドンの長子として語られる神である。
因みにトリトン神は三男、次男はジーのジンで、あのガラは末子である。
神殿の大きさから見ても、モノリスは信仰心に篤い国だと察せられる。一番奥まった祭壇の前には献供台が備え付けられているが、供物はそこに収まりきらずに溢れ返っている。
祭壇はかなり華美だ。透明感のある石の細工物が随所に飾られている。そして光っていた。
地上と異なり、海の中に灯りはない。火も使えないし電気も用を成さないからだ。だがここには灯りがあった。
説明を受け、それが深海に棲む生き物の発する灯りを利用したものだとわかった。一平はかつて南氷洋の海深くで見かけた発光体を持つ生き物のことを思い出した。微かな明滅を繰り返しているところが、ゆらゆらと揺れる蝋燭の光とは異なっていた。
透明な石は水晶だという。加工するのは専門の職人がいて、かなりの技術を必要とするのだとか。
水晶に限らず、モノリスで産出されるものには加工を加えられることが多いらしい。
寒さを避けて室内に篭りがちになるここでは、手慰みや暇潰しに手作りを嗜むのが普通なのだ。そしてそれが立派な産業にもなっている。
横を見ると、キンタもアスランも目を丸くして造形美に見入っている。アスランの背丈では首をかなり傾けなければ見えないので、口まで開いてしまっている。
特筆すべきは祭壇の奥に掛けられた大きな掛け布である。
そこに、先日ソナタの家で見たのと同じ鳥の絵姿が描かれていた。
海の中に書物はない。描いても消えてしまうので絵もない。だから肖像画なども存在しなかった。
モノリスの人々はそれを工夫して、縫い取り―刺繍―というやり方で形にしているのだ。
―不死鳥…か…―
モノリスに教えとして浸透している神獣のようなものなのだと聞いている。
日本で狐がお稲荷さんと言われて祀られたり、龍の彫り物が欄間に使われたり、白い蛇が神様の使いと言われて吉兆扱いされているのと同じだ。
面白いものを見た。
やはり、世界は自分の目で見なければわからない。
この旅を許可してくれたオスカーに感謝の辞を述べたくなった一平だった。
次に案内されたのは医療館だった。
トリトニアでは診療所と呼ばれている医療機関だ。トリトニアでは日本のように内科、外科などと細かく分かれてはいないが、モノリスでは区分があった。内診科と外診科、そして心療科と整皮科だ。
病気など、身体の中を診るのが内診科、怪我や打ち身など身体の外側に発生するものを診るのが外診科、心の病が心療科で、皮膚や鰭、鱗や爪の状態を診るのが整皮科ということになっている。整皮科の中には針術と言う技術も一般的に使われているという。
地上で言う鍼灸師のようなものかと思ったがどうやらそうではないらしい。ここでは皮膚に絵を描くのだ。
表面に描いたのでは消えてしまうので、皮膚に傷をつけ、染料を流し込んで形を留めるのだという。
それでは刺青ではないかと一平は思った。日本ではあまりいいイメージはない。昨今はタトゥーなどと言ってファッションの一環になっていて、シール状にしてデザインを楽しむようにもなっているが、かつては任侠の世界でしかお目にかかれなかったものである。一度入れたら一生取れない。刺青お断りの銭湯もあるくらいだ。
それを医療機関が行うのか?
気違い沙汰としか思えなかった。
身体に傷をつけるのだから痛いに決まっている。血だって出るだろう。化膿して発熱したり、痛みに耐えきれずにおかしくなる者もいるかもしれない。海中の塩分が容赦なく傷口を痛めつけるのだから地上の比ではないはずだ。
それを防ぐために医療館が占有権を持って堂々と行なっているのだった。
全く、ここでも目から鱗である。
刺青の技術はかつてこの国に奴隷制度があった時の名残だという。奴隷が逃げ出しても身元がすぐわかるように地上で焼き印を押されていたと同じ意図で、モノリスでは刺青を彫られていたのだった。
「はああああ…」
それらの話を聞き、アスランは深いため息を吐いていた。
悲惨な話でもあり、正直あまり子どもには聞かせたくないと思ったが、カシムの方にはあまりにも日常的なことであり、そういう配慮はなされなかった。
世の中はそう甘くはない。綺麗事ばかりではない。そう気づくことも必要ではあったが、今のアスランにはどう映っただろうか。
「ボク、絶対我慢なんてできないよ。よかったあ、モノリスに生まれなくって」
そういう感想が聞こえてきて、まあ、勉強にはなっただろうと、一平は深入りしないことにした。
医療館を出ると今度は学問所に向かった。
トリトニアでは修練所と呼ぶ機関に当たる。
カシムが言う。
「アスランさまも勉学に通われるようになったと窺っておりますが」
「はい、二ヶ月になります」
自分のことを持ち出され、アスランははきはきと答える。
「それではトリトニアとの違いもおわかりになりますでしょうか」
「学び舎の感じは違うけど、学んでいることはあまり変わらないんじゃないかと思います」
「ほう、そうですか」
「トリトニアはモノリスより暖かいので学び舎の中より外で教えてもらうことが多いんです」
「なるほど」
「それにトリトニアにはない科目があるみたいだし、トリトニアにしかないものもあります」
「左様ですか」
「こちらには守人がおられないから赤科とか青科とかないでしょう?細工の技術はボクの知らないものがいっぱいあるし、見ていて面白いです」
「そうですか、そうですか」
カシムはまだ幼いアスランが大人顔負けな感想を述べるのが面白くて仕方ないらしい。
一平がよくするように目を細めて話を聞いている。
「そうではないかと思いましたが、ご興味に合ったようで安心致しました」
「カシムどの、そのようなお気遣いは無用ですよ。一番未熟な者に合わせることはない」
子どもがいることであまり気を遣わせるのも申し訳なくて一平は口を挟んだ。
「いやいや、子どももというものは未来の宝ですからな。大事に致しませんと」
それは一平も同感である。
「いかがですか。もしよろしければ体験学習などなさっては」
「えっ!?」
三人は共に目を瞠く。
体験学習とは聞き捨てならない。アスランは耳をそばだてる。
「お二方もいかがですかな」
せっかくの申し出だ。ありがたくいただくことにする。
「何がいいでしょうねえ。基本的にはどこの科でも大丈夫ですが、この時間、開いていない講義もありましてね」
「贅沢は言わないが」
一平が言うとアスランが勇んで言った。
「ボク、宗教学にします」
意外だ、と一平はアスランを驚愕の目で見下ろした。
「トリトニアにはないし、ここの人たちはとても信仰深いみたいだから」
モラ神殿に拝殿したことで興味を持ったのだろうか。
「アスランさまには少々難しい内容かと思いますがよろしいので?」
「はい。頑張ります」
流石に大丈夫か?と一平もキンタも渋面を作っている。
「アスランさまはとても賢くていらっしゃるようなので大丈夫ですよ。一番とっつきやすい中等部にしておきましょうね」
「忝い」
「キンタさまはどのように?」
「オレは政治科にしてもらう」
まあ、順当だろう。
「ではオレは医科にする」
えー、なんで?とアスランの顔が語っている。
そうだろうな、と一平は苦笑した。
医科で学べばよかったと、一平は何度か思ったことがある。
パールが命の瀬戸際にあった時と、何度も人事不省になった時だ。
武術ひとつに精を出して、医科に首を突っ込む余裕などありはしなかった。肝腎な時に医術の初歩すら弁えていないことに、一平はひどく後悔の念に襲われたのである。
それからもその機会はなかった。
これを機に少し齧っておく方がいい、と医科を選択したのだ。
三人はそれぞれの講義室へ向かう。
アスランはルンルンだ。父のそばを離れることにも何の不安もないらしい。
それはそれで少し寂しい気もするが、毎日修練所に通っているのだからもっともだ。
自分より数段大きな人ばかりが居並んでいる部屋に案内されて、アスランは少し気後れした。アスランの知る修練所での勉強はまだ始まったばかり。一緒に学ぶのは同じくらいの歳の子どもばかりだったからやはり威圧感が半端ない。既に席はほとんど埋まっていたので一番後ろの隅っこに腰を下ろした。
やがて授業が始まった。尊師は昨日の続きをしましょうと言う。昨日のことはアスランは知らない。それでも必死に尊師の話に耳を傾ける。
流石にわからない言葉ばかりだ。一々尋ねるわけにもいかず、集中を切らさないようにと頑張って目を瞠いていたが、六歳の子には難しすぎたようである。宗教学は初等部には開設されていないので中等部に案内してくれたのだが、やはり無理があったようだ。
今日はここの他にも色々見て回っている。疲れがアスランを睡魔の底に引き摺り込もうと手ぐすね引いている。
ガクッ…。
知らぬ間に頭が揺れてハッと目を開ける。
(まずい…)
勉強しながら居眠りなんて初めてだ。
宗教学というものに興味があったのは本当だが、やはり背伸びしすぎたかなとアスランは思う。
だめだ、寝ちゃ。みっともなさすぎる。父に恥ずかしい思いをさせてしまう。
そう思えば思うほど、尊師の話に身が入らずうとうとしてしまう。
遂にアスランはガタンと腰掛けから崩れ落ち、通路にあった細工物に倒れかかった。
大きな音がして、アスランはハッと目を覚ます。
肩と腕と頭がめちゃめちゃ痛かった。
―痛ったぁ…―
痛みに耐えながら目を開けると、床の上に何かの欠片が沢山散らばっていた。
(えっ!?)
水晶の細工物が砕け散っていたのだった。
「だ…大丈夫か?」
慌てて駆け寄ってきた尊師がアスランを抱え上げてくれたが、何が砕け散ったのか悟るとさっと青ざめた。
アスランを脇へ追いやり、壊れた物体の一部を拾い上げる。
「…なんてことだ…」
「なになに?」
「尊師どうしたの?」
生徒たちも口々に集まってくる。
尊師はますます青ざめて微かに震え始めた。
「…今日は…ここまでにします…続きはまた明日。尊師はしなければならないことができたのでこれで解散します。気をつけて帰るように」
やっとのことでそれだけ言って尊師は立ち上がる。
生徒が退室するとアスランの手をとり、来なさい、と言った。
自分は何かとてつもなくいけないことをしたのだ。
アスランはそう思った。
自分が壊したと思われるこの残骸の元の形がどうだったのか思い出そうとしたが、どうしても思い浮かばなかった。




