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第四章 道中記

 モノリス国内に足を踏み入れると、まず伯母に当たる人を訪ね当てた。

 首都モノトーンのはずれにあるカリーユという町に、伯母は住んでいた。伯母の名はソルフェージュ。一平の予想通り、伯母もその連れ合いもすでにこの世を去っていた。伯母の家に住んでいたのはその娘のソナタだった。

 ソングという名の息子もいたらしいが、今は家を出ているという。


 一平の従姉(いとこ)に当たる娘は一平より六歳年上で、成人したの男児が一人と成人前の女児が二人いた。

 上からソロ、ソネット、ソナチネという名の兄妹(きょうだい)で、いずれもアスランよりはだいぶ年上だ。話し相手というよりは、愛玩動物扱いされてしまった。


 突然訪問してきた一平たちにソナタは驚きを隠せなかったが、よく歓待してくれた。

 従弟(いとこ)がかの有名なトリトニアの青の剣の守人だと知ると卒倒せんぼかりに驚き、上にも下にも置かないような騒ぎになったが、結局のところは一平の面立ちにラサールの面影を見つけ、驚きの事実を受け入れてくれた。

 利発で素直なアスランは、お兄さんお姉さんにたくさん構われてひどく満足そうであった。昼間はしゃいで疲れたと見え、すでに夢の中だ。キンタももてなされた酒に酔ったのか早々に横になっていた。

 

 子どもたちが寝て静かになった部屋で、一平はソナタと語らっている。

「急に押しかけて本当に申し訳ありませんでした」

 一平はソナタに頭を下げる。一夜の宿まで借りることになったので恐縮していた。

「そんな…やめて下さいな。従兄弟姉妹(いとこ)じゃありませんか」

「…お会いできて本当によかった。トリトニアに来て九年も経つのに不義理をしてしまって、本当に心苦しく思っています。今更だが、伯母上にお目にかかりたかった…」


「仕方ありませんわ。母は心の臓があまりよくなかったので、弟の子がトリトニアの青の剣の守人だなんて知ったら驚きのあまり発作を起こして早死にしていたかもしれないわよ」

「それは…オレは来なくて正解だったと思ってよいのかな」

 フフフ…とソナタは笑った。優しい人だ。一平の負担を軽くしようとして言ったのに違いない。


「それにしても…こうしてみるとやっぱりよく似ているわね。叔父さまにはそう何度も会ったことはなかったけれど、その黒髪と黒い目は珍しかったし、とても男前で、小さい頃は叔父に憧れてもいたのよ」

「……」

「母の話だと、モテるくせに硬派で、なかなか恋人と呼べるような人を紹介してくれなかったんですって。それがこんな立派な…」

「…いや、もうその話は…」


 立派だとか英雄だとか家の誉れだとか持ち上げられるのはもう勘弁して欲しいと一平は思う。

「そうお?私としてはもっと聞きたいのだけど。奥さまのパールティア姫のことも。キンタ王子さまはさっさとお休みになってしまわれたし」


 そう。キンタは寝ていた。一平と同じ理由で狸寝入りをしているのではないかと彼は疑っている。

 この家の主人も酒が弱いのか鼾をかいていた。

「モノリスの印象はいかが?母はトリトニアから嫁いできて苦労もあったかもしれないけれど、私は生まれた時からここなのでね」

 ソナタは生粋のモノリス人だということだ。

「やはり気候、風土が違うと生活そのものが変わってくるのだと実感しましたよ」


「それはそうね…。トリトニアにはなくてモノリスにあるものはあって?」

「そうですね…。まだあまりモノリスを見て回っていないのですが、こちらのお宅で言えば…あの壁掛けでしょうか」

 ソナタは背後の壁に掛けられている布の飾りを見やった。薄紫の地にオレンジの鳥の姿が刺繍されている。優雅に羽を広げ。長い尾をうねらせて宙を舞っているような構図だ。大きな冠羽が華やかに揺れているように見える。金色に輝く目は濃い紫で縁取られていた。


 刺繍の技術はトリトニアにもあった。オクタリアでは夜光虫の甲羅をドレスの装飾に縫い付けたりもする。しかしこれほどまでに緻密に描かれたものを、一平は地上以外で見たことがない。

「ああ…。これは母が縫い取りをしたものよ。母は刺繍をして父の稼ぎを補っていたの。モノリスの家には大抵の場合こういうのが飾ってあるわ」

「こういう…とは?この絵柄のことか?それとも壁掛けそのものを?」

「不死鳥のことよ」


 ―不死鳥―

 やはり、不死鳥なのか、と一平は溜飲を下した。

 まさしくこの鳥は不死鳥―フェニックスだ。火の鳥とも言う。ポセイドニアには火の概念がないから火の鳥とは呼ばないだろう。

 しかしなぜ、モノリスの各家庭に不死鳥の飾りが掛けられているのか。


「私たちはモノリスの守り神、モラのことを信仰しているわ」

 全知全能の神ポセイドンの長子モラはこの鳥を大事にしていた。卵の時から世話をし、モラによく懐いていた。モラにとっては幸運の鳥で、伴侶を見つけた時にも国の頂きに立った時にも、鳴かないはずのこの鳥が一声鳴いて寿いだという。


 だからモノリスの人々はこの鳥を幸運の鳥として崇める。特にこの羽を広げて舞う姿は吉兆の証。羽根を模した細長い球はお守りとして広くモノリスの人が身につけている。


 一平はひとつ疑問だ。

 鳥は空を飛ぶものと相場が決まっている。海にいるのはペンギンなど、限られた生き物しかいない。空を舞う姿が海人の園で見られたのはなぜだろう。

 神話とは言え不思議だ。いや、神話だからか。


 一平は思い直す。

 神話だからこそ、辻褄の合わない矛盾が大手を振って罷り通るのだ。日本の神話とて、動物と話ができたり、ひとたび死んだものが生き返ったりするではないか。


 その他にもソナタはいろいろな話を聞かせてくれた。

 ソナタは話し上手で、様々な言い伝えを語り部のように滔々と語った。

 アスランも聴きたかっただろうな、と一平は思う。二人には後で話してやろう。だがきっと肝腎のキンタにその手間は必要なさそうだな、と苦笑を漏らした。


 夜の更けるのも忘れ、一平は興味深く従姉の言葉に耳を傾け続けた。 

 翌朝心からの礼を告げ、三人はモノトーンへ向かった。

 小さな物見遊山をしながら。


 

 トリトニアとモノリスでは街の様子は全く違う。

 気候も政治も違うのだから当然だ。

 寒さ対策に重きを置いた家並みは閉鎖的であり、街ゆく人々の数も多くはなかったが、商店などを経営する者たちの人柄は温かく素朴で親切なものだった。


 生えている海藻類も泳ぎ回る魚たちも見慣れた種類のもので、その割合だけが異なっていた。モノリスの水温に適したものが多く活動している。トリトニア王家の人たちの好物の蛸は残念ながらこの辺にはあまり棲息していないようであった。

 三人が三人ともモノリスに足を踏み入れるのは初めてで、話題には事欠かなかった。宿屋をはじめとする出会った人々の話も珍しいものばかりで、実に退屈しない毎日を送っていた。


 モノリスに入って三日目、一平たちはモノトーンの宮殿に到着した。

 申し出を快諾して青の剣の守人を寄越してくれたことで、国王のルクルドは三人を大歓迎してくれた。

 ここでも過度とも言えるもてなしを受け、目を白黒させながら、アスランは父の隣に行儀よく座っていた。


「まことに利発そうな坊ちゃまですな」

 アスランを観察し、ルクルドが言う。にこにことした対応が素のものなのか作り物なのかはまだ判断に苦しむ。ルクルドは好々爺と呼ぶに相応しい容貌をしている。四十を過ぎた辺りだろう。 

「まだ勉学に通い始めたばかりです。今の所は何もかもが面白く感じているようで」

「なるほど。一番楽しい時期ですなあ。ここまでの旅の道中もさぞかし興味津津でおられたことでしょう」

「おかげさまでこちらも退屈することなく道中が捗りました」


 差し障りのないやりとりが続く。

「キンタ王子さまはモノリスの観光をお望みだとか」

「はい。某の任務が終了次第、三人共にお願いできたらと考えております」

 一平の言葉が耳に入り、アスランははっと姿勢を正した。物見遊山は叔父だけだと言っていたが、自分も父も同行していいのだろうかと、期待の眼差しで耳をそばだてる。

「早々に手配致しましょう。どこかご希望はございますかな?」

「お任せ致します。案内して下さるのならどこでも。おそらくトリトニアとは全く異なる世界が垣間見られることでしょうから。不勉強で大変申し訳ないが」


 テレビや書物といったメディアがないのだ。勉強とは本人の目と耳でするしかないので、ルクルドも不快には思わないだろう。

「ボク…とっても楽しみです」

 ルクルドに水を向けられてもアスランはハキハキと答える。この年で他国の王に対し物怖じしないのは見事だと、ルクルドは感心した。さすがはトリトニアの三大柱の一人の一粒種だと。


「ここまで来るのも楽しかったけど、この後もたくさん楽しいことがあるはずなのでわくわくしています」

「ほう…。因みに、何が一番楽しかったのですかな?」

 しばし考え、アスランはやはりこれしかない、とルクルドに真向かう。

「父と…一緒に旅ができたことです」

 そう来るか、と卓を囲んでいた者たちは目を丸くする。

「そうかそうか。アスランさまはお父上のことが大好きなのですな」

「はい!!」

 勇んで答えるアスランに誰もが相好を崩したのは言うまでもない。



 一平の任務は滞りなく済んだ。

 武術指南の手始めに行われた模擬試合でどの剣士も及ばず、体技でも一平に勝てるものはいなかった。やんやの喝采を浴び、衆人の注目の的となった一平の指南には数多くの受講者が並び、われもわれもと引きも切らなかった。講義の時間を短くして実技に時間を割いたのは正解だった。


 キンタは今回は傍観者を決め込んでいる。得意とする手斧はモノリスではあまり一般的ではなかったし、そもそも人様に指南するなどキンタにはおこがましい。

 近くにいるのだから、一平にはその気になればいつだって教えを乞うことができるのだ。わざわざ出て行ってモノリスの人たちの貴重な機会を減らすことはない。


 アスランと共に観戦をし、今のはこうだった、あれはこう来たからああ返したのだ、一平の奴は相手の構えからもう初手を見切っているなあ、などと解説をしてくれるので、ここでもアスランは頭を悩ませることもなく父親の凄さに感動して目を輝かせていた。

「すごいなあ、父…。ボクも….あんなふうになれるのかなあ…」.

 キラキラした目をしてそう呟くアスランにキンタは頷いてやる。

「…なれるといいな。頑張れよ」

 ―実際は果てしなく遠い道のりなんだがな―

 同じように偉大な父を持つ身としては案ずるしかなく、同病相憐れむ、といった目をしてアスランを見ていたキンタであった。



「いや、すごかったな〜」

「俺なんか手も足も出なかったぜ」

「ほんとほんと。超人だよね。こっちはとっかえひっかえだけど向こうは立て続けだろ?どっから湧いてくるんだ、あ体力…」

「それもあるけど、あの『気』が真似できないよ。一見あんな優男なのにさ、いざ対峙するとそれだけで大きく見えちゃって…」

「おまえもか?俺もさ」

「自分じゃわからない欠点を、構えだけで見抜いて指摘してさ。なんかあの人に教えられると自分が強くなった気がしちゃうよ」

「まさかそりゃあねえだろう…」

「ハハハ…」


 語らっているのは例の武術指南会に受講生として参加した若者たちだ。軍服を着て剣を提げている。モノリス軍の兵士だ。そしてここは軍の本部の離れといった距離にある営倉だった。軍規を犯した者を処罰するための房のことだが、ここでは少し意味合いが違う。

 地上で言うなら警察署だろうか。軍の中に限らず、市井での事件や犯罪に対し処罰を行う機関である。権限はその施設長に一任されていた。


 施設長の名はウラー。傭兵から成り上がった経歴を持つなかなかの実力者である。

 まだ一介の兵士であった頃、潮の噂に聞こえてくる他国の英雄譚に刺激を受け、自分も傷ひとつない綺麗な背中というものを目指したが、任務中の事故で志が潰え、以後文官へと方向転換したという過去がある。

 かつては憧れていた男がこの度モノリスに来て武術の指南会などというものを開いたことに複雑な思いを抱いている。


 事故に遭った時は絶望したが、逆に自分の目指していたものは事故ぐらいで価値がなくなってしまうのだと気が付いてからは、それまでの自分が阿呆らしく、そのきっかけとなった英雄のことを怨みがましい思いで見るようになった。

 はっきり言って逆恨み以外の何物でもないが、本人は大真面目に一平のことを親の仇ぐらいに思っていた。


 今回受講の対象となったのはまだ経験の浅い若者優先であったし、ウラー自身は通常の仕事で手が離せない状況だったから、件の英雄を実際にその目で見る機会には恵まれなかった。機会があったとしても、参加はしなかっただろう。

 営倉に勤務する若手たちには可能な限り参加させよというお達しが上部から来ていたので仕方なく手配はした。だがその影響が営倉内に渦を撒き始めると、ウラーの胸は疼いた。


(何で今頃俺の前に現れやがる)

(忘れたかったのによ)

 ウラーは悔しかったのだ。同じ男として生まれて同じ道を歩んでも、―しかも一平とウラーは同年代である―一方は国の頂きに、自分は長と名はつくものの上に仕える身だ。

(何が傷ひとつない綺麗な背中だ)

(何が敵に後ろを見せなかった証だ」

(ただの事故だって背中に傷はつくだろうによ)

 傷の一つもつけてやりたい。

 ウラーはそう思った。


 思って、可能なのではないかと思った。

 あの英雄は今モノリスにいる。

 この鬱憤を少しばかり晴らさせてもらってもバチは当たらないのではないかと、この職にあるまじき考えが頭を過った。

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