第7話 濡れたキヌ④
「三島さん、なぜここに…!?」
「ちょっと近所で買い物したので、そのついでに寄ったんです」
そういう三島紗子は、カバンも買い物袋も持っていない。
「そう…ですか」
セイヤが藤咲の家から出て歩き出すと、三島紗子が立ち止まり、じっと藤咲の家を見つめていた。
「…三島さん、どうされました?」
「あぁっ、いえ。…さっき、例の奥さんとお話されていましたよね?そのとき、藤咲さんのご主人は同席されたんですか?」
「いえ、藤咲さんと私の2人だけです。…それが、何か…?」
「あっ、いえいえっ、それなら別にいいんです」
顔の前で、両手を振って笑う三島紗子の顔は、どこか不気味だ。
「ほら、うちの旦那とあちらの奥さんの問題なのに、藤咲さんのご主人まで巻き込んでしまったら、申し訳ないなって思って。藤咲さんのご主人、本当にいい方なんですよ、優しいし気を遣ってくださるし、本当に…。だから、このことを知って、私みたいにショックを受けたら可哀想だなって思ってて…あと昨日の——」
(うっ…なんだこの臭い…)
甘いにおいと、何か生物が腐ったようなにおいが混在したような臭いが、三島紗子から漂い始め、セイヤは急激に気持ちが悪くなり、途中から話を聞いていられなくなる。
「…ということがあって、…ってあら?セイヤさん、顔色が悪いですよ?大丈夫ですか?」
三島紗子が、俯いているセイヤの前髪をかきあげようと、手を顔の前に伸ばしてきた。
「うっ、おおぇ……!!」
三島紗子の手の先から、途端に先ほどの臭いがボワっと大量に放たれ、セイヤは口に手を当てえずいてしまった。
「きゃあっ、だ、大丈夫ですか?!」
セイヤは慌てて三島紗子から距離を取り、草が生い茂る地面に四つん這いになり口を大きく開け呼吸をする。口からは、涎と唾が止めどなく溢れてきて、セイヤは草の上に唾を吐き捨てる。
三島紗子がハンカチを持ってセイヤに近寄ってきたが、それに気が付いたセイヤは片手を向けて静止する。
「大丈夫です!少し…気分が悪くなっただけですから…私のことは放っておいて結構です。どうぞ、三島様はご自宅へお帰りください」
三島紗子が去ったのを確認し、セイヤは近くにある大きな木のふもとまで四つん這いで移動し、木に背中を預けると空を見ながら呼吸を整える。
「なん、だったんだ、あの臭い…最初に会ったときは、あんな臭いしなかったよな…」
荒い呼吸で空を見つめていたセイヤだったが、色々あって疲れていたせいか、目にうつる空の景色が徐々に狭まっていった。
「…よ…ください…起きてください、大丈夫ですか?」
肩をゆすられて目を開けたセイヤの目の前には、心配そうに見つめる藤咲がいた。藤咲の背後には、青く綺麗な空が広がっている。
「一晩中こんな所にいらしたんですか?泊まるところがないなら、言ってくださったら良かったのに…」
どうやら木に寄りかかったまま眠り、一晩過ごしてしまったらしい。
「あらっ、お口元に何か汚れがついてますよ。良かったら、このハンカチを使ってください」
かがんだ藤咲から、差し出されたハンカチを受け取ったそのときだった、ふわっと花のような自然で甘い香りが鼻の奥に広がった。
「ありがとうございます。このハンカチ、いい香りですね」
「えっ?うち、香料アレルギーの子どもがいるので、基本においがしないはずなんですが…」
言われて、慌ててハンカチを鼻に当てたセイヤ。
「本当だ、においがしない…」
「ですよね。びっくりした」
微笑む藤咲が体勢を戻したときに、またあの甘い花のような香りが鼻の中いっぱいに入り込む。
(藤咲さんから香っているのか…?)
セイヤが立ち上がり、藤咲に話しかけようとしたときだった。
「藤咲さん」
声のした方を2人が振り向くと、そこには三島海斗が立っていた




