第9話
「おはようございます、エリザベスお嬢様」
「おはよう、ボニタ」
気持ちのいい朝に、自然と笑顔が浮かぶ。
「そろそろ、いつも通りの食事に戻そうと思うの。ただし、量はまだ半分にして欲しいわ」
「承知しました」
「それから、ゆっくり屋敷の中を散歩して体力をつけたいの。疲れなくなったら、次は外を散歩したいわ」
「それはよろしゅうございますね」
第2夫人とヘルミーナ、カルトスと会わない日々が続き、私の体力はほぼ元通りに戻った。お父様が私を処分しようとしていないと判断したのか、お母さまからお茶の誘いも受けて一緒にお菓子をいただいたり刺繍をしたりして同じ部屋で過ごすこともあった。
私の罪が明らかになる前と同じ…まではいかなくても少しは母子関係が改善できたようで嬉しかった。
お兄様の調査の結果、第2夫人は私の持ち物の窃盗に関わっていなかったしヘルミーナがしていたことにも気が付いていなかった。監督不行き届きという責任はあるけれど、共犯ではなかった。お父様からの処分は厳重注意だけで終わって、早々に彼女の離れでの軟禁状態は解かれた。
カルトスの罪はヘルミーナのしていたことに気付いていながら、黙っていたことだった。それと賄賂代わりなのかヘルミーナから渡された私の指輪を隠し持っていたことだ。まだ子供だからという理由でカルトスは指輪を持っていなかった。だが、みんなが身に着けていることもあり欲しかったらしい。
積極的に私から持ち物を盗んだわけではないし…と私からも口添えして、カルトスの罰は軽くしてもらった。ヘルミーナとは頻繁に衝突していたが、カルトスはまだ小さいこともあって、かつては私の方が虐めていたぐらいだ。うん、ごめんよ。
ヘルミーナだが、彼女については罰を受けることになった。
私が第2皇子との婚約をダメにしてしまったから、お父様としてはヘルミーナには第3皇子と縁づかせたかったらしい。年齢的にはヘルミーナの方が2つ年上になるが組み合わせとしては許容範囲内だし、第2夫人の娘といってもヘルミーナも侯爵家の娘なのだから皇子の婚約者の座を狙える位置にいる…とお父様は思っていたらしい。
それが…家庭内のこととはいえ不祥事を起こすような娘だと分かって、お父様は激怒した。窃盗癖のある者はなかなか治らない。ここできっちり教育をし直す必要がある、との判断で1年間の修道院送りになった。
お兄様がそんなことであのヘルミーナの性格が変わるだろうかと悩んでいたので「何もない厳しい環境で過ごした私がこれほど改心したのですから、ヘルミーナもきっと淑女に生まれ変わりますわ」と言っておいた。
つまり、生ぬるい修道院ではなく、厳格な修道院へ送れと言ったのも同然だ。なるほど…と呟いたお兄様が選んだ修道院は、きっとヘルミーナのねじ曲がった性格をまっすぐに変えてくれることだろう。
*
「なによ、修道院送りになった私を笑いに来たの?」
ヘルミーナが修道院へ向かう日。私は彼女を見送ることにした。愚かな異母妹のおかげで私の価値が上がり、身の安全が良くなったことは確か。本当に感謝しているんだもの。
「ヘルミーナ。どんな環境であっても、何もない石牢に閉じ込められて食事もなかった私とは、比べものにならないほど快適に過ごせるはずよ」
真摯に語りかけたからか、文句を言いかけていたヘルミーナは口を閉じた。
「生きていることを神に感謝して、1年という限られた期間のお勤めを終えたら戻ってこられるの。頑張りなさい。あなたがこの家に戻ってきたときには私はもういないから…会えるのはこれが最後になるでしょう」
私はもう、戻ってくる気がないから。
「元気でね、ヘルミーナ」
私がいつまでもここにいたら第2夫人や弟との別れがやりにくいだろうと気を使って、言いたいことだけ言った後は背を向ける。
「な、なによ! 言われなくても元気に帰ってくるわよ! 絶対、絶対に帰ってくるんだから!」
帰ってくるなといったわけじゃないのに、何を騒いでいるのだか。やっぱりあの子のことは理解できないわ。
ヘルミーナがいなくなってしばらく経ってからお兄さまに尋ねられた。
「エリザベス。お前の療養先なのだが、山と海のどちらがいいかな?」
山の中の一軒家でもいいが、海が近くにあるのなら海産物がとれるということだ。侯爵家の食卓に魚が出る機会は少なく、前世のように海藻サラダを食べる習慣もなかった。
「山のある海辺、は贅沢でしょうか?」
ふむ、というように顎に手をやってお兄様はメレスタに地図を持ってくるように言った。
「お兄様、私がお兄様の部屋に行った方が良いのではないでしょうか?」
しばらく考えて、お兄様は頷いた。
「では、場所を変えよう」
侍女の2人を連れてお兄様の執務室にお邪魔する。応接ソファに腰を下ろすと、メレスタがテーブルに地図を広げてくれた。
この世界での地図の取り扱いは前世のそれに比べると厳重だ。貴族ならば必須の知識だが、庶民は自国の広さや各都市の位置関係や距離など知る必要はないという考えがある。商人や定住しない冒険者などは彼ら独自に作った地図を利用しているから、なんとなくは理解しているだろう。だが、その土地に生まれて一生をそこで過ごす一般的な庶民は地図を目にする機会すら一生ないと言ってしまってもいい。
「おまえの療養先はわたしの領地がいいと思う」
「お兄様の領地…ですか?」
それはありがたいかもしれない。まだ移動途中に何が起こるか分からない。お父様がその気になれば、療養先への移動中に盗賊のフリをした暗殺者に狙わせればいいのだ。
「海も山もある場所ですと、マレニスなどはいかがですか?」
お兄様の領地に詳しいメレスタが指さした場所を見る。なだらかな曲線の海岸線に印がついた、小さな港町だった。
「海から離れたこの辺りから森になっています。手頃な空き家があるかどうかわかりませんが、この土地は王都よりも暖かいですし療養先には最適かと…」
「お兄様。私、家は大きくなくてもいいです。港町なら宿くらいあるでしょう? 宿暮らしをしながら自分で気に入った家を見つけるのも楽しいと思いませんか?」
「しかしだな…小さい家など、危険ではないか」
「小さな港町ですよね? それにお兄様の領地ですもの。きっと危険なことなどありませんわ」
「いや、エリザベス。お前のように若くて美しい女性がいると知られたら、どんなに治安のいい街でも…護衛がいない限りは危険な町になるんだよ」
「………」
そういや、うっかりしていた。毎日鏡越しに自分の顔や姿を見ているというのに。私って、美人だったのだわ。
「その通りです、お嬢様。護衛を少なくとも3人は雇わなくてはいけません」
「…3人、も?」
常に2人体制で、1人は交代要員? それとも夜間警備要員?
「それだけじゃないぞ。どんなに減らしたとしても侍女とメイドは1人ずつ、最低2人は必要だ。他に料理人と下女も1人ずついる。お前を含めて8人が住める家を見つけなくてはいけないんだ。…ふむ、いっそのこと家は作ってしまった方が早いかもしれんな」
いやいや…家を作っていたら時間がかかりすぎる。静養というのは名目上のことで、実際には王都から逃げ出して田舎でのんびり暮らしたい…というのが本音。新築で家を作っていたらいつ移動できるか分かったものではない。それはちょっと、勘弁して欲しい。
「いえ、ギルファート様。移築の方が早いと思います。王都に移築を専門にしている業者がいます。どのぐらいで完了できるか問い合わせてみましょう」
「そうか、では屋敷に関してはお前に任せるとしよう。頼んだぞ、メレスタ」
「…………」
どうしよう。このまま流れに身を任せてしまってもいいものだろうか。
「あの、お兄様。手頃な空き家があるかもしれませんし、まずは現地に行ってみてからにしたほうが…いいのではないでしょうか」
王都から専門業者と屋敷一棟分を運ぶなんて、どれほどの大金が必要になるか分からない。侯爵令嬢として何不住なく育った経験があっても、さすがにこれはどうかと思う。
宝石付きのドレスの値段も一着ですごい金額だと知っているけど……。
「いや、現地に行って決めるのは場所だけでいい。エリザベスがその家に飽きたら、別荘として売りに出せばいいのだから遠慮などしなくていいんだよ」
「そうですよお嬢様。移築業者も移築予定の屋敷も領都にありますから、うまくいけば2週間とかかりません」
移築予定の屋敷! メレスタにはもう当てがあるということなのか。
「……分かりましたわ。お兄様、ありがとうございます」
「ところで、メレスタ。運ばせる屋敷のあてがあるような口ぶりだが…部屋数は足りるのか?」
お兄様が話をどんどん進めようとする。
「ご安心ください」
そしてメレスタも遠慮しない。現地で解体した家を現地で組み立てなおすだけでも大変なのに…お兄様の領地内とはいえ、領都から移築させるだなんてやりすぎよ。いったいいくらかかると…いえ。私の懐が痛むわけではないし、何を焦っているのかしら。前世の記憶のせいね。高位貴族の金銭感覚には正直ついていけない。
「エリザベス」
そういえば、という顔をしたお兄様が口にしたのは思いもかけない質問だった。
「真実の審判で無罪となったお前には、ひとつだけ王家に願い出る権利がある。お前は何を望む?」
雷に打たれたような衝撃を受けた。
「余りあることではないので、私も宰相様からお話を伺ってはじめて知ったのだ」
過去の判例でも真実の審判を終えて生き抜いた者はごくわずか。ゆえに典礼院が保存する特別な記録帳に記録が残っているのみでそれを知る者はほとんどいない。
お父様経由で、たらいまわしされてお兄様を訪ねてきた典礼長官の話では《真実の審判によって神に生きることを許された者には、王家より褒賞をひとつ与えること》という決まりが記載されているらしい。
「過去の事例では下級貴族の地位、婚姻の斡旋、十年分の年金、領地の下賜などを望んだ者がいたらしい」
「でしたら、お兄様。ひとつだけ欲しいものがございます!
トルファルノ王家の血筋の者との婚姻の禁止、だ。王家の血筋を引く誰とも結婚できないという聖約が欲しい。
「聖約だと?」
お兄様の表情が険しくなった。
罪を贖ったことで無実と公に認められた私は名誉回復が叶った、…ようなものだ。今すぐではなくても、お父様の心づもりひとつで王家の傍流貴族のもとへ嫁がされるという芽がわずかだが残っている。
愚かな過ちを犯したとはいえ、私の体に流れるのは高位の名門貴族の血。皇子妃教育を受けていたから…自分で言うのもなんだが王族に嫁げるほどの教養もある。まもなく十六歳を迎えるという若さでありながら、なかなかのナイスバディ。好みは人それぞれだが共通する美人の評価は自他ともに認めるしかない。
つまり血筋、教養、美貌、若さと非の打ち所がない。一度の過ちで傷はついたが、社交界での噂が沈静化すれば禊は済んだとばかりに政略結婚の駒に再利用が可能。王家や高位貴族を狙わなければまだまだお父様にとっては利用価値のある娘だと思う。
「聖約を破れば神罰が下るということを知っていて、そう言っているのだな?」
「もちろん、知っています」
私の空間魔法がいつかバレた時のための布石を打っておきたいのだ。王族に連なる者でなければ、将来恋した相手が貴族であってもかまわない。…当分、恋などする気はないのだがこればかりは自分でも自分の未来がどうなるか分からない。第2皇子に一目ぼれしてしまったように、どこかの貴族に一目ぼれするかもしれないし庶民と恋に落ちるかもしれない。
トルファルノ王家の血筋の者との婚姻の禁止、それはお父様の意に反することかもしれない。侯爵家として考えれば自ら不利になる条件を望む私をお兄様がどう判断するか。黙って考え込むお兄様の様子を私は静かに伺った。
「わたし個人としては賛成だ。エリザベスの願いは第2皇子への未練は全くないということを証明することにもなるし、要望は通るだろう
反対、しないでくれるの?
「嬉しいです、お兄さま。とてもつらい思いをしたので、もう王族の方々とは関わりたくないのです。王族の方々の誰とも婚姻関係にはならないという聖約をいただけるのでしたら、他には何も望みません」
「分かった。直筆でお前の願いを書いて魔力を加えたサインをしなさい。それを持って城へ行き、こちらで手続きを進めるという形にしよう。聖約とするには教会へ出向く必要がある。いつでも外出できるように体力を回復しておきなさい」
「はい! お兄様、ありがとうございます!」
領地をねだるでもなく賠償金を求めるのでもなかったからか、思っていたより早く準備が整った。
お兄様立会いのもと、教会で聖約の儀式に臨む。王族の代理人が持ってきた聖約紙は私がサインすればいい状態になっていた。皇帝のサインが入った聖約紙に私もサインを加えて、正司祭に手渡す。
神壇にそれを捧げて正司祭が長い祝詞をあげると聖約紙は白い炎に包まれた。
このまま燃えてしまうのかと心配したが、炎が消えた後も聖約紙は焦げ跡も残さず無事だった。
「先ほどご覧になったように神に誓った約束事は燃やして廃棄することが出来ません。たとえ紛失して人の目に触れなくなったとしても効力は継続しています。どうぞ、お気を付けください」
心配しなくても途中で気が変わることなどない。
「祭祀をお世話になり、ありがとうございました」
聖約紙の保管は神殿が行うらしい。過去にはどこかの貴族がこっそり聖約紙を盗み出したこともあったらしいが、燃えない紙はたとえ川に流してしまったとしても効力が消えなかったそうだ。
これで私が空間魔法持ちだということを知られたとしても、王族の誰も私に婚姻を迫ることは出来ない。王命を無事回避できたし、お父様から当主命令で嫁がされることも完全に無くなった。肩の荷が下りたように体が軽くなった気がする。
このまま羽が生えて、空を飛べないものかとバカなことを思ってしまうほど浮かれてしまった。




