第10話
私の静養先になる家の準備がまもなく終わるという連絡が鳥便で届いたそうだ。こうなるとそろそろ私もこの家を出る準備を始めることになる。
お父様とは相変わらず用がないと話すことはないし、私の方から会いたいとも思わないから同じ屋敷にいても食事時以外は顔を合わせることがない。
お兄様との関係は良好で、お母さまとの交流も警戒しつつ続けている。情報は多い方がいいと思ったから、使用人たちとも笑顔で接するように心がけていた。
「エリザベス。道中の移動なのだが、護衛4人とメイドが1人になりそうだ」
「はい。お兄様にお任せします」
「3人は向こうに着いた後も引き続きお前を守る護衛を続けるが、ひとりは報告もかねて王都へ戻ってくることになる」
お兄様は具体的な予定についても説明してくれた。どこのルートを通り、どの町に滞在するか。極力近くの町や村に立ち寄るように計画したが、どうしても一泊だけ野宿になるらしい。
「この峠道が一番危険らしい。盗賊討伐を近くの領主に依頼しておくが、網からすり抜ける輩がいないとも限らない。安全を高めるためにも前日の移動はわざと短くして峠の手前の見晴らしのいいところで一泊し、翌朝早く出発して一気に峠を越える計画を立てておいた」
「はい。分かりました」
私を狙う刺客が出るとしたらかなりの確率でここね。野党のふりをするか紛れて私を狙うか。いずれにせよ用心したほうがいい。
じっと地図を見ているとお兄様がメレスタに合図を送った。執務室の引き出しから取り出した肩掛け鞄をメレスタから受け取り、お兄様はそれを私に差し出した。
「エリザベス。これをお前にあげよう。その鞄は空間拡張されたマジックバックだ」
「…!」
これが、マジックバック! エリザベスの記憶からあることは知っていた魔道具だが、大変な貴重品で数が少ないらしい。当然高額商品となっているので貴族でも裕福な者や大富豪レベルの大商人しか手に入れられない。令嬢自身が荷物を持つことなどないために、侯爵令嬢であるエリザベスも持っていなかった。
「わざと見た目が悪いものを選んだが、偽装のためだ。令嬢が持つようなものではないが、容量は大きい。これがあればエリザベスのドレスも全部入るだろう」
「…お兄様。あの…とても嬉しくて言葉が出ないほどありがたいのですが、私のドレスは辞めたメイドや侍女たちへの支払いに使っていただきたいのです」
「お前がそう言うから使ったよ。だが、それでも残っているのだ。持っていきなさい」
社交界に復帰する気がないので、正直パーティ用のドレスは使い道がない。売り払ってお金にするしかないので…先にお金に変えて欲しかったのだが、それは許して貰えなさそう。王都で売却する方が高値で買い取りして貰えそうなのだが…仕方がないい。療養先に持って行こう。
「その見かけで容量は箱馬車2台ほどある。ドレスでも愛用の椅子でも、入るだけ持っていくといい」
「椅子、ですか?」
その発想はなかったが、お気に入りの長椅子を持っていけるのは嬉しいかもしれない。
「でも…いいのでしょうか?」
「なにを遠慮する。お前の部屋の中にあるものは全てお前のものだよ、エリザベス。アクセサリーもベットサイドの魔道具も、遠慮せず持っていきなさい」
本当に、好きなものを好きだけ持って行ってもいいの? 侯爵令嬢の持ち物なだけあって、どれを売ってもかなりの値段になる。着の身着のまま放逐される最悪な可能性も考えていただけに、これはかなり嬉しい。
ヘルニーナのように後で、勝手に盗んだものとして罪人に落とされなければ…いやいや、いつまでも疑ってかかってばかりでは幸運が逃げていくかもしれない。
ここは素直に喜んでおこう。
「嬉しいです、お兄様。トランクひとつではお兄様やお母さまとの思い出の品が入りきらないと思っていたので…とても、嬉しいです」
トランクひとつで放逐されたとしても、こっそり価値が高そうなものをアイテムボックスに入れて家を出ようと思っていたが…これで当分はお金に困らない。ドレスに飾りとしてついている小さな宝石であっても、食事や宿泊代に利用できるだろう。
「それで…お前が療養先へ向かう日なのだが、3日後の朝8時だと都合が悪いか?」
マジックバックがあれば引っ越しの準備もアッというのに終わる。
「私はいつでも構いません。明日でさえなければ」
さすがに明日の朝の出発となると慌ただしい。
「わたしとしてはもっとここでゆっくりしてもらいたいところだが、お前が元気になったら煩わしい誘いが増えるのが目に見えている。だからわたしの領地へ行くのをいつまでも先延ばしにできないんだ」
噂好きの令嬢たちの餌になる気はない。もしかしたらすでにお茶会などへの招待状が来ているのかもしれないが、私のところに来る前に止めてくれているのだろう。
私抜きでもあれこれ面白おかしく噂されているのに違いないのに、私がパーティに顔を出せば、それだけでまたうわさ話に火が付く。何か一言でも口にすれば、それに背びれ尾びれが付いて広まっていくのは容易に想像がつく。
「みなさまには、ご迷惑をおかけします」
「お前はもう十分つらい目に合ったんだ。これ以上傷つく必要はないし、エリザベスを傷つけようとすることも許せない。…だからお前に会えないのは寂しいが、煩わされることのない静かな環境で、のびのびと過ごしておいで」
「…お兄様……ありがとうございます」
その日の夕飯時。4人だけの食事にもすっかり慣れて食後の飲み物をゆっくり飲んでいると、お兄様が私の静養先への出発日が決まったことを両親に報告した。
「そう、か」
3日後と聞いたお父様の眉間の皺がより一層きつくなった。
同行する護衛や移動ルートなどに関する問いかけは一切なかった。以前に報告してあるか、始めからお父様とお兄さまの2人で相談して決めてあるかのどちらかだろう。
お兄様主体で準備が進められ、最後の調整でいつになるか決まっていなかっただけ…という感じだ。
「…分かった」
気を付けて、や見送りが出来ないなどという言葉は一切なくお父様は黙って席を立った。お母さまも何か言いたそうな様子をしたものの無言でお父様の後に続いて食堂を後にした。
だが夕食の後、珍しいことにお母さまに部屋に来るように呼ばれた。
「エリザベスです。入っても良いでしょうか?」
「お入りなさい」
お母さまの私室に来るのはかなり久しぶりだ。断罪後となると初めてだった。刺繍をしたり、本を読んだりと女性向けの共用サロンでともに過ごすことはあったけれど。
「お座りなさい」
「はい。失礼します」
お母さまの部屋が幼い日の記憶に残っている様子と変わらないことに、なんとなくホッとする。
「お前たち、しばらく下がりなさい」
侍女やメイドたちを部屋から下がらせたので、室内に残ったのはお母様と私だけだった。2人きりというのは珍しい…と思っていると、お母さまは応接テーブルの上に置いてあった布袋を視線で示した。
「お父様に許しを得ました。持って行きなさい」
「はい、ありがとうございます」
優雅な動きに見えるように気を付けながら、そっと自分の方へ布袋を引き寄せる。
「…………」
小さくて薄い。まさか侯爵夫人が娘への贈り物にタオルセットを選ぶということはないだろうし、袋の中身はハンドバックかアクセサリー入りの箱のどちらかだろうと予測した。
「…向こうに着いたら、手紙を出しなさい。ギルファートも忙しくてなかなか領地の視察に行けません。あなたは統治官他、役人たちと会う機会もあるでしょう。おかしなことがないかしっかり見ておくのですよ」
「…はい」
この口ぶりだと、お母さまは私が無事にお兄様の領地に到着できると考えているんだ。着いてから統治官他の管理代行を任せている者たちの不正がないかどうかを見張って知らせろ、か。お兄様第一のお母さまだから、お兄様の領地経営がうまくいっているかどうか心配なんだな。
「荷造りの人手が足りないようでしたらこちらからも人手を出します。声を掛けなさい」
「はい。ありがとうございます、お母さま」
どうやらこれを渡すことが目的だったみたい。餞別も受け取ったし、さっさと部屋から出よう。
使用人たちを下がらせる意味はなかった気がするけど…考えるだけ無駄ね。
「…それでは、失礼します」
廊下に控えていた侍女に目で合図してから、長い廊下を歩いて自分の部屋に戻る。入浴の準備ができるまでの1時間ほどの時間をゆっくりしたいからと侍女もメイドも下がらせて一人になる時間を確保する。
なにをくれたんだろ。そう思いつつ布袋から中身を取り出す。
「…あ」
入っていたのは女性用の小さな肩掛け鞄だった。ケリーバッグに肩ひもを付けたようなシンプルでいながら気品もあるデザインだ。クリームホワイトに光沢がある革製で肩ひもは取り外しも出来る。ワンピースドレスにもデイドレスにも似合いそうな小さな鞄だ。
「まさか…これもマジックバックだったとは」
肩ひもに触れただけでは気が付かなかったが、バッグ本体に触れた時に分かった。
「とりあえず…中を確認しておいた方がいいよね」
小さな鞄の中には酔い止め、低級ポーション、中級ポーション、虫よけに護身用結界付きの髪飾り、緊急連絡用の閃光弾などお母さまが選んだとは思えないような安全グッズが揃っていてびっくりした。これ、誰からアドバイスをもらったのか分からないけど…持っていれば安心できるものばかりが揃っている。ありがたい。金貨や銀貨に加えて銅貨や銭貨など、貴族の買い物には必要ないだろう小銭まで用意してあって至れり尽くせりだった。
「これ、まだ入りそう」
試しに着替えと夜着、替えの靴に下着まで入れることが出来た。凄い、こんな小さな見かけなのに。
デザインもいいし、ドレスに似合うマジックバックだなんてかなり値が張るものに違いない。
「あ、そうだ…」
好奇心を抑えきれなくてお兄様にいただいたマジックバックも持ってくる。
「これ、入らないかなー。…って、入った!」
えー、マジックバックにマジックバックが入るなんて、あり? 無理だろうと思いつつ試してみた結果にびっくりする。
「えー、なんで入るの?」
しばらく考えて、マジックバッグの内側は空間拡張されたものだが、バックの外は普通のバックと同じと考えていいのではないだろうかと結論付けた。
「そういえば…」
私のアイテムボックスのなかにもマジックバックは入る。拡張された空間が干渉しあうことがないから、バックインバックが出来るということなのだろう。ありがたい。
ありがたいといえば…
お兄様から頂いたマジックバックも空ではなかった。中に入っていたのは護身用のレイピアが2本。初級と中級のポーションが2本ずつ。護身用結界付きブレスレットと追跡用のイヤリングもあった。このイヤリングに関しては対になる魔道具に私の居場所が分かるという貴族の子供の誘拐対策の魔道具としては一般的なものだが…実際に身の危険を感じるようなことがあれば、すぐに捨てようと思う。襲ってくる敵が本物の盗賊なのかお父様たちが放った刺客なのか分からないからだ。
あとはお金も入っていた。金額はお兄様の方が多かったけれど、これまでドレスに合う宝石を買い与えてくれたのはお母様の方が多い。貴金属を持って行っていいと許可されているのだから…お嬢様生活をしなければ、一生働かなくても生きていけそうだ。




