第11話
「エリザベス。すぐには行けないが、まとまった休みがとれたら会いに行くからな。今よりもっと元気になったお前の笑顔を見せてくれ」
とうとう屋敷を離れる日の朝。お兄様は仕事の出勤を遅らせてまで私を見送ってくれた。お父様とお母さまの見送りはなかった。昨日の夜に王妃様主催のバラの鑑賞会に参加して…そのまま戻ってこなかったのだ。お母さまは王妃様に請われて女子会でのお泊り、お父様も帰るのが面倒になって泊まった…というところか。男子会があったのかもしれないけど…お父様が友達と楽しく一晩過ごすだなんて、あまり想像できないわね。
「ありがとうございます、お兄様。あちらでゆっくり静養させていただきます」
新たに用意してくれた屋敷への案内は統治官に頼む手はずになっているので、まずは領都の屋敷が目的地だ。静養のための移動なので身体に負担がかからないようにゆっくり、ゆったりとした工程が組まれていて1日の移動距離も移動時間も少ない。
ステップを踏んで馬車に乗り込むと、身を小さくしたメイドのロニィがおずおずと続いた。ドアの外からトランクが差し出される。手を伸ばして受け取ったロニィはそのトランクをどこに置こうというようにキョロキョロした。
「おい」
「は、はいっ」
外から差し出された2つ目のトランクを受け取るため、ロニィは初めのトランクを座席の上に置いた。
「ありがとうございます」
護衛の騎士から受け取った2つ目のトランクも座席に置いたとしたらロニィが座る場所が無くなる。
「そこに荷物置きがあるでしょ」
私が指さして教えるとようやく窪みに気が付いたようだ。
「あ、ありがとうございます。お嬢様」
今回、私についていくメイドはこのロニィ一人だ。もとは下働きをしていた12歳の少女にメイド教育を急遽施した…いわばメイドの卵。
お母さまに仕えるメイドも侍女も高齢だし、お兄様に仕える侍女やメイドにも家族がいて王都を離れることは出来ない。ヘルミーナのもとに残る選択をした侍女やメイドたちもヘルミーナが不在になったことで主はいないが、1年経ったら帰ってくるのだから侯爵家で待機しなくてはならない。
かといって、令嬢に一人のメイドもつけないのは醜聞として広まるかもしれない。お兄様はすでに退職した、私に仕えていた侍女やメイドを再雇用して連れて行く…ということも検討したらしいが、声を掛けてみるとそれぞれに再就職していたり王都に家族がいたりで条件が合わなかった。
ロニィは両親ともに侯爵家の下働きをしていた子供で、使用人用の離れで生まれ育ったらしい。3年前に流行り病で両親とも亡くなっており、ロニィを引き取る親戚もいなかったらしくて9歳の時から下働きが許され働いている。本人も使用人たちにお世話されて大きくなったので、孤児院へ行くより侯爵家の下働きとして働きたいと望んだのだ。
ということはロニィを紹介されるまで知らなかったことだ。侍女やメイドとは顔を合わせることがあっても、下働きをしている者とは基本会うことはない。
「早く座りなさい。動きますよ」
私が声を掛けると同時くらいに馬車が動き始めた。
「わ、わっ」
腰を上げてトランクを荷物置きに置いたばかりのロニィはよろけて、座面に膝をぶつけた。
だから、言ったのに。
「す、すみません!」
「いいから早く、座りなさい」
「はいいっ」
少し足りない子で落ち着きもないが、お兄様が選んだのは家族のいないこの子だった。私を始末するときには一緒に処分されるのかと思うと可哀そうな気もするが、私だって自分のことで手いっぱいだ。申し訳ないが情が移らないように、移動中は最低限の会話しか交わさないようにさせてもらうつもりだ。
馬車の御者がひとり、護衛が4人、メイドがひとり。行きは6人だが護衛の一人が王都に戻り御者は領都へ戻る。静養のための屋敷に着いたらお兄様の屋敷から派遣される侍女がふたり、執事が一人、庭師兼御者が1人、料理人が1人、下働きが1人先行しているはずで10名になるはずなのだが…行ってみないことには分からない。たどり着けるかどうかも分からないのだから、先の暮らしのことを考えても仕方がない。
王都から行った御者が領都に残り、領都にいた御者が療養先まで案内してくれる。この御者の交代はお兄様のお屋敷にいる御者がひとり高齢で引退することに伴う、交代だ。私の療養先についてくる御者は御者としての仕事よりも庭の体裁を整える庭師としての仕事の方が多くなる。つまり彼も引退するようなものだ。
「お嬢様、今日の宿に着きました」
だいたい3時間ごとに休憩して隣町へ到着したのはまだ明るい頃。王都に近い街なので宿泊のための宿も多い。宿泊の手配は護衛のリーダー、トゥドがしてくれる。副リーダーはピート。そして唯一の女性騎士アンナは男爵家の四女で貴族のマナー教育も受けているから、移動中は護衛で宿に着いたら侍女代わりをしてくれる。
このアンナと婚約中のジャスを加えた4人が侯爵家お抱えの騎士で今回の護衛だ。副リーダーのピートは妻帯者だから私を送り届けた後、王都にある侯爵家へ戻ることになっている。
「部屋で食事を済ませたら、すぐに寝ます。あなたたちも疲れたでしょうから早めに休んでちょうだいね」
はじめと次の町の宿では3部屋確保できたからひとりで部屋を使えたが、ふた部屋しか取れなかったときは男女で分かれて宿泊した。アンヌは恐縮していたが、その方が警護しやすいしロニィが不寝番をする必要もない。
移動日が4日を過ぎるころになると…さすがにみんなにも疲れが出てくる。
幸いにして5日目に訪れたのはマレニディート侯爵の領都だ。宿も大きいものが複数ある。体調が悪いから一泊したいと我儘を言って延泊を希望。部屋から出ないと約束して護衛たちや御者に交代で休むように言いつけた。
ロニィも慣れない馬車移動に加えて、夜間の不寝番を一人でやっているから日中の馬車の中では居眠りをしていることが多い。宿に泊まっていても夜間の不寝番は護衛たちが交代でやってくれているが、護衛のそれは外敵の警戒。メイドの不寝番は令嬢の貞操の危機がないように夜中も守るという…牢に入れられた傷物令嬢の私に今さら必要かしらと思う慣習を続けている。
お兄様の指示を受けているのだろうが、小さい体で一生懸命頑張っている。そろそろきちんと休ませないとロニィは体調を崩すかもしれない。
延泊した日は朝から小雨が降った。出発しなくてよかったと思ったのは、多分私だけではなかったと思う。
この宿にはシャワー室があったので昨日と今日はシャワーを浴びることが出来た。この宿以前はクリーンだけで済ませていたけれど、やはりシャワーを使うと疲れが取れる気がする。
「ロニィ、ハーブティーを淹れてきて」
「は、はい」
気の利いたメイドならアンナに言われなくても湯上りに飲み物を用意してくれるのだが…ロニィはつい最近まで下働きをしていたのだ。気配りが出来なくても仕方がない。
アンナが髪を乾かす魔道具で私の髪を乾かし、丁寧に梳いてくれる。
「精油はどれにしましょうか?」
「そうねぇ。一番端のそれにするわ」
ランベンダーが含まれているからリラックス効果がある。
「明日は予定通り出発でよろしいですか?」
「ええ。明日に備えて早めに寝るから、あなたたちもゆっくり休んでね」
「ありがとうございます」
予定通りならあと4日後。いや3日後かもしれない。野営の時に何かが起こるなら3日後、峠越えの途中で何かが起こるなら4日後。その時に何かが起こる確率が高い。
私を襲うのは護衛としてついてきている彼らではない気がする。ここまでの移動途中でも、宿でも彼らに不審な動きはなかった。むしろ私を見る目は同情を含んだものでとても親切だった。
ロニィが用意してくれたハーブティーを飲んで、食器を下げさせると一人で夜着に着替える。部屋の壁が薄いのでストレッチをしたり魔法のトレーニングをしたりすれば起きていることがすぐにバレる。仕方なく、言葉通りにベッドに入って横になるとすぐに寝た。
明日の朝も無事。目覚めることが出来ますように。
*
移動を始めて1週間後。近くに町はないため、はじめて村に宿泊することになった。小さな村だが村営の宿が一軒だけあるらしい。
宿に到着し、馬車を降りると近くの道端に箱を並べて野菜や果物を売っている子供がいた。紋章入りの馬車から降りたということで私が貴族と分かったのだろう。声を掛けるどころか目も合わしたらまずいとばかりにその場に膝をついて俯いた。
「お嬢様…」
呼びかけに応じるように宿の中に入る。今まで見た中で一番質素な宿だった。
「どうぞ…お部屋はこちらになります」
案内された部屋に入って窓を開けると、先ほどの野菜売りの男の子が呼び込みする声が聞こえた。
「声が響きますね。やめさせてきましょうか?」
アンナが私を気遣う。
「暗くなったら家に帰るでしょう。それまでなら構わないわ。それに、珍しいもの」
侯爵令嬢としての記憶では王都でもごく一部の高級店へ行ったことがあるだけだ。もちろん、歩いてではなく馬車で店の前まで行って馬車でお屋敷まで戻っただけ。
公爵家令嬢の私の買い物は出入りを許された商人が屋敷に持参する商品の中から選んだり注文したりして買うというものだ。
「王都でも野菜や果物を売っているところを見たことがなかったわ」
前世の記憶があるから実際にはそれほど珍しいものではなかったが、エリザベスお嬢様にとってはこれが初体験なのだ。面白がって観察するという態度をとってもおかしなことではない。
「ロニィ。お使いに行きなさい」
小さな肩掛け鞄から財布を出して銀貨1枚を差し出す。
「おいしそうなフルーツがあったら買ってくるように」
「はい。…えっと…」
そう言いながら困ったようにロニィはアンナを見た。
「お嬢様、多すぎます。銀貨1枚も出せば抱えきれないほどのフルーツが買えます」
「あら、そうなの?」
…うん、そうだと思った。世間知らずな令嬢だとこのぐらいのことはやりそうでしょ? これまで買い物は侍女に支払いを任せていたし、値段なんて気にせず買っていたわけだから相場なんて知らないのよ。
「アンナ。本当は自分で買い物をしてみたいのだけど、ダメよね?」
「お嬢様が買い物をなさるのでしたらご領地に着かれてからの方が色々なものが揃っていてよいかと…」
田舎で買うほうが安そうだけど…値段のことなんて気にしないのがお嬢様よね。
「そうね。領地で買い物をしたほうがお兄様も喜ばれるかしら」
そう言いながらもフルーツに未練があるようにちらっと的の外へ視線を向けた。
「……銅貨2枚分のフルーツを買ってきましょう」
「アンナが行ってくれるの?」
「はい。馬車の中でも食べやすそうなものがあれば買ってまいります
「…銅貨2枚ね。銅貨ってこれで合っているわよね?」
硬貨の色が銅色のものを選び出す。
「はい。合っております。お預かりします」
銅貨を2枚受け取ったアンナはロニィに「お嬢様のお側から決して離れないように」と命じてから部屋を出て行った。
私は少しワクワクして窓辺に近寄ると、アンナが少年から果物を買う様子を見学した。
何を買ってきてくれるのかしらと見ているが、遠すぎて何を買ったのか分からなかった。アンナが部屋へ戻ってきて初めて、買って来てくれた果物がベリーとレイカンだと分かった。なるほど、どちらも水洗いしただけでつまんでそのまま食べられるフルーツだ。揺れる馬車の中でもナイフと皿を使わないでも食べられる果物を選んでくれたようだった。
レイカンはブドウのシャインマスカットほどの粒で、味はさわやかな柑橘系だ。蜜柑のような甘みと酸味それでいて食感がリンゴのような果物だ。ベリーもレイカンどちらも水気が多い方ではないため、手が汚れにくいという利点もある。
「さすがアンナね。気配りが素晴らしくてよ」
「お褒めに預かり、恐縮です」
ロニィが私たちのやり取りをじっと見ている。見て、聞いて、なぜどうしてそうなるのかを常に考え続ける努力があれば、今はメイドの卵であってもいずれ新人メイドくらいには育ってくれるだろう。問題は育てる時間があるかどうかだが…こればかりは誰にも分からない。
予定を変更して1日、大きな宿で休養を取ったことが良かったのだろう。護衛やロニィの顔色も良くなっている。そして順調に旅は続いて…とうとう町も村もなくなった。
警戒していた野営の日。予定通り午後2時過ぎに野営地に到着した。ここで私とロニィはテントではなく馬車に寝泊まりして、護衛や御者たちは外で毛布を体に巻いただけで一夜を過ごすことになるらしい。
宿に泊まっているときは野生動物や魔物の脅威はなかった。しかし今夜は違う。野生動物や魔物に加えて盗賊、さらには盗賊以上に恐ろしい暗殺者に襲われる可能性だってある。気を引き締める必要がある。
「お嬢様、こんなものしかご用意できずにすみません」
アンナに渡された夕飯のメニューは野菜や肉が入ったスープとパンとチーズが2切れだった。これにカットされたフルーツが加わる。
「これで充分よ。物語で読んだのだけれど、冒険者が野営をするときの食事は干し肉と固焼きパンらしいわね。そういう食事になるのかと、少し期待していたくらいよ」
「まぁ…そうでしたか」
アンナは私が冗談を言ったのだと思ったのだろう、笑った。
「興味がおありでしたら、干し肉をご用意しましょうか?」
「ええ。どんなものか見てみたいわ」
好奇心で言っているだけのように思うだろう。だが、ひとりで逃げなければいけないような状態になった時のために保存食を違和感なく手に入れたいと密かに思っていた。
「しばらく、お待ちください。私どもは持っておりませんが御者なら持っているかもしれません」
少量譲ってもらったと言ってアンナが戻ってきた。
「こちらが牛の肉を乾燥させた干し肉です。硬いパンというものも持っていましたので参考になればとひとつ譲ってもらってきました」
「まぁ、このパンすごく硬いわ。これ、本当に食べられるの?」
正直、ここまで硬いとは思わなかった。前世の食品サンプルを思い出した。いえ、あれは見た目にも美味しそうだったわ。でもこれはおいしそうとは思えない。
「スープやお湯に浸してパン粥のようにして食べるそうです。保存に優れており、焼いてから一月経ってもカビないそうですよ」
「まるで物語のよう。これを持っていたら冒険者のようになれそうね。旅のお守りとしていただいておくわ」
代金として銀貨を渡そうとすると、多すぎますと首を振られた。アンナに適正価格に少し色を付けた金額ということで銅貨1枚渡しておく。相場がまだ全然分からない。自分で買い物が出来るようになればいろいろ知ることが出来るのだろうけど…
箱馬車の中でロニィが不寝番をして、馬車の外で護衛が交代で警戒する。私自身も何かがあるとすれば今夜か明日だと思っているから、横になっていても寝ないように警戒していた。
「…っ!」
それは真夜中を過ぎた頃だった。馬車の外にいる護衛たちが警戒している気配をとらえた。横になったまま耳を澄ませると、すーすーというロニィの寝息に邪魔されずに異変を聞き取ることが出来た。
ほんのかすかな…獣が疾駆する音がする。警戒して剣を鞘から引き抜く音も耳が拾う。
さっと身を起こし、私はロニィを軽く揺さぶる。
「起きなさい!」




