第7話
どこから持ってきたのか、ヘルミーナ不在でヘルミーナの使用人たちが新しい絨毯を持ってきた。しかしそれはサイズが全く合っていないもので、すぐに持って帰らせた。さらに1時間ほどが経過して、今度は部屋のサイズに合う絨毯が届いたが、ボニタが「壁紙に合っていませんから、これは使えません」と言って追い返した。
壁紙の交換になるとちょっとした工事になるので、私としても寝室が使えなくなるよりはいいかと絨毯に注文を付ける作戦に変えた。いまごろ、離れで癇癪を起して暴れているだろうとボニタをはじめとする侍女とメイドたちと笑っていると、3度目にやっと元の絨毯によく似た新しい絨毯が届いた。
バタバタと模様替えをしているとすっかり夕暮れ時を過ぎていたようで、お兄様が帰宅なさった。そして当然のように問うてくる。
「これは、どういうことかな」
従僕のメレスタもお兄様と似たような表情をしている。お兄様とメレスタはほぼ毎日登城している。
「お兄様、おかえりなさいませ」
私の声に合わせるように使用人たちが頭を一斉に下げた。
「ただいま。今日はベッドに寝ていなくてもいいのかい?」
「はい。今日は昨日よりも少しだけ元気になりました。みんなに良くしてもらっているおかげだと思います」
「それはよかった。で、いきなり模様替えがしたくなったのかな?」
「いえ、これはヘルミーナからのお祝いですわ」
「ヘルミーナの? お祝い?」
「私が真実の審判で無罪を神に認められた、ことへのお祝いなのではないでしょうか?」
よく分からないけど…というように少し首を傾げておくのも忘れない。
「お祝いで新しい絨毯? 相変わらず、変わった子だね。普通は花束やお菓子だろうに」
「あら、本当ですわね。ヘルミーナが変わっているのは今更なので、不思議に思いませんでしたわ」
「あれに感化されてどうする。エリザベスをベッドから追い出す作戦か? ったく、あいつはろくなことをしないな」
ボニタから私の私物が紛失している件は聞いているはずだが、まだ調査が不十分で犯人が特定できていないのかそれとも泳がせているところなのか、お兄様は紛失に関することは何も言わなかった。
「話は変わるが、そろそろ食堂で食事がとれそうか? 父上たちにもそろそろお前が元気になってきた姿を見ていただいた方がいいだろう」
「…お兄様が、そうおっしゃられるのでしたら……」
お父様を怖がっていると分かったのだろう。お兄様がそっと私を抱き寄せてくださる。
「大丈夫。ベスが無罪となった正式な書類をいただいてきた。これがある限り、お前の罪を問うことは王家にだってもうできないよ」
「…お兄様……」
そう、か。もう王家にも罪は問えないのね。証明書類があるなんて、それはいいことを聞いたわ。
写しは私の手元に1通届き、そして原本は法務局で厳重に保管されるらしい。
私はまだ成人前でお父様の庇護下にある。
16歳を迎える誕生日パーティを大々的にやって、成人となったら王家へ嫁ぐ準備が始まり王宮へ上がる。1年の婚約期間を経て、結婚。それが第2皇子に恋人ができる前までの私の人生設計だった。
「私の罪は消えましたが、お誕生日パーティもなくなりましたでしょう?」
社交界にデビューする未来は消えたはず。
お兄様はしばらく黙って私の髪を撫でていたが、ため息をついて私から少し離れた。じっと顔を見て言った。
「おまえの誕生日パーティの予定はない」
…分かっていたことなのに、ハッキリ言われるとさすがにショックだ。いや、私はもう貴族の生活を捨てたのではなかったのか。自由になると願っていたはずなのに…侯爵令嬢としての生活をしていたせいで、元の地位にしがみつくようになっていた。
「すまない。力及ばずでお前を守り切れなかった」
「…いえ、いいのです。もとはといえば私が愚かだったのです。それに、分かっていましたもの」
私の方からも一歩後ろに身を引く。
「それに…私には社交界はもう無理です。静かに、どこかの田舎ででもひっそりと暮らしていけたら、そう願っています」
「…エリザベス…。今すぐは無理でも、まだお前は若い。これからどうなるかなんて、分からない。気をしっかり持て」
別に自棄になっているわけでもなく、貴族の地位さえ捨ててもかまわない…なんて本音は、生まれながらの高位貴族のお兄様には理解できないだろう。私も転生前までは同じだった。貴族でなくなれば、人ではなくなってしまうような恐れを覚えた。平民になるなど決してありえないこと、あってはならないことだとすら思っていた。
人生、どうなるか分からないものである。
今の私は、たとえあの第2皇子に望まれても…絶対に結婚なんて嫌だ。ましてや、他の王族からも逃げたいという拒否反応すらある。お兄様の言うように、これから先に続く…未来を警戒している。
王族だけではない。お家第一の貴族も同様に私は警戒している。
「お兄様…」
もう誰とも結婚などしたくない、と本音を口にすれば…憐れまれるだけだろう。高位貴族との婚姻も難しくなったことで、自暴自棄になっていると捉えられるか。あるいは、大失恋のショックで生きる気力をなくしていると思われるかのどちらかだろう。
いずれにしても、貴族女性が嫁ぎ先の援助なくして生きていけるとは思われていない。貴族女性でなくなれば自立した生活をしている庶民もいるというのに…彼女たちの生き方は貴族たちには理解できず、別の世界のことだとでも思っているのだろう。
翌日の朝食時にお兄様が部屋まで迎えに来てくれた。いつも着ている動きやすさ優先のワンピースドレスよりも、少し上品なデザインのものに替えて食堂へ向かう。
今日は全員揃っての食事日だったようで、いつもは離れで生活している第2夫人のモリーノレスとその子供、ヘルミーナと11歳になる弟のカルトスも席についていた。週のうち3日だけ全員で同じ食卓を囲むが、残り4日は彼らと食事時に顔を合わせることはない。
「…エリザベス、戻ったか」
不機嫌そうに響く声。いつもの地声だと分かっていても、久しぶりだと心臓を掴まれたように竦む。
「はい…真実の審判を終え、戻ってまいりました」
体力が戻っていないふりを続けているので、簡略の礼儀で挨拶とした。
うむ、というようにお父様は頷き…私の全身に視線を這わす。
「まだみすぼらしいのは直らんか。そんななりでは屋敷の外へ出るなよ」
「はい…」
返事が遅れすぎると怒る性格をしているので、短く答えておく。
「それと、来月になったお前の誕生日パーティは行わない。いいな」
視界の隅でヘルミーナが、ざまあみろという得意げな表情で私をあざ笑っている。
「…はい」
「それから、お前から没収したストレディスの領地と爵位の返却もしない。あれは将来カルトスが成人した暁にくれてやろうと思っている」
第2夫人とその子供2人の顔が喜びに輝く。正夫人のお母さまの表情には全く変化がない。お父様が黒といえば白いものでも黒になるお母さまだ。決定事項に異を唱えることをしないのは昔からだ。
「はい。…お父様の決定に従います」
仰せのままに、というように軽く頭を下げて恭順の意を示す。
「ギルファートから聞いたが、田舎での静養を望んでいるそうだな」
「はい」
噂話で人が殺せる王都ではなく、噂話で笑いあえる心の豊かな田舎暮らしがしたい。叶うものならば…。
「そう、か…。2度と王都に戻れなくなってもいいのだな?」
「はい。かまいません」
思わず食い気味に答えてしまったが、ヘルミーナのせせら笑いが目に入って…急いで目を伏せた。お兄様がどんな表情をしていたのか見る余裕はなかった。いや、きっとポーカーフェイスで当主の判断を傾聴しているだろう。
「王都より遠い田舎で、静かに余生を送れたら…もう皆様のご迷惑になるようなことはないかと思います」
「修道院にでも入る気か?」
それは勘弁して欲しい。
「いえ、出来ましたら…誰にも迷惑を掛けずに、食べるものも別荘地で作るような…そんなつつましい余生を送りたく思います」
食べるものを自分で作ると口にしたことで、ヘルミーナが笑い出した。すぐにお父様に睨まれて必死に口に手を当てて頭を下げていた。
「そう、か…おまえがそれほど気に病んでいるとは思わなんだ」
田舎で静かに暮らしたいというのも嘘ではない。侯爵令嬢としての生き方にしがみつきたくないとすら思っている。
親が決めた相手と結婚して家のために尽くす生き方は、転生後の私にはたまらなく嫌な未来だ。貴族のなかにも恋愛結婚をして、仲睦まじく一生を終える者もいるというがそれにしたって家とのしがらみや貴族としての責務からは逃れられない。
「分かった。それがお前の望みなら、検討しよう」
お父様はこれでもう話は終わったというように、私から視線を外した。私の願いを叶えようとは言ってくださらないのね。
「…ありがとうございます」
私とお兄様がそれぞれの自分の席に着くとそれを合図にしたように料理が運ばれてきた。
私だけ別メニューでパンとスープだけだ。お母さまから少し心配そうな視線を向けられたように感じたが、ヘルミーナのニヤニヤする表情の方が印象に残る。
昼食が別々であるのはこれまで通りだった。だが夜の食事の時にそれは起こった。
*
夜も家族とは別メニューで、私のために用意されていたのは柔らかく煮込んだ野菜が加わったスープと焼きたてのパン。それとデザートとしてバナナに似た果物と桃に似た果物がカットされたものがガラスの器に盛りつけられ用意されていた。
10時にポーション、3時にクッキーとこまめに栄養補給をしているからか、お腹は空いていない。夕食が質素なメニューであっても今の私には充分だ。
「父上、お耳に入れたいことがあります。しばらくお時間をいただけませんか?」
全員の食事が終わったタイミングで、お兄様がお父様に声を掛けた。
「なんだ?」
手にしていたグラスをテーブルに置いて、お父様はお兄様に軽く睨むような視線を向けた。軽く睨んでいるようなのはお父様の普段通りの顔つきで、別に機嫌が悪いわけではない。
私たち家族はもう慣れているが、使用人たちの中にはいまだにお父様の視線に慣れずに萎縮してしまうことがある。激高しやすい性格なので、おどおどした態度が疚しいことを隠そうとしているのではと激しく叱責されて…気の弱い使用人が辞めていくことも昔からある。
「昨日のことですが、エリザベスの部屋の絨毯をヘルミーナが変えてやったそうです」
お兄様…そこに触れますの?
「エリザベスの部屋の絨毯をヘルミーナが? どういうことだ?」
お父様の視線がお兄様から少し離れたヘルミーナに向いた。
「お、お祝いですのよ、お父様。お姉様の、無事のお帰りをお祝いしたくて…」
「それがなぜ部屋の絨毯なのだ?」
「そ、それは…えーと、ほら、気分が良くなりますでしょ? 明るい絨毯に変えることで、部屋も明るくなるというか…」
「明るい? しかし、エリザベスの部屋の絨毯は前のものに似て、古典柄のシックなものであったが?」
お兄様の追及にヘルミーナが慌てた。
「そ、それは…お姉さまが悪いんですのよ! 気に入らないとおっしゃられるから仕方なく、さ、3度も交換する羽目になったのよ!」
「あら、私の我儘で交換したようなことをおっしゃるのね」
ここで黙っていては私が意地悪をしたと認めるようなもの。
「1度目はサイズが明らかに違いましてよ。2度目は壁紙と合わない柄でしたから、壁紙を合わせるか絨毯を別のものにするしかなかったんですの。壁紙を変えるとなると時間もかかりますでしょ。ですから絨毯の方を壁紙に合わせるようにお願いしました」
にっこり微笑んで見せると、ヘルミーナはものすごい形相で睨んできた。
「部屋の模様替えのセンスを磨くのもいずれ名門貴族に嫁ぎ、女主人となる身には必要な教養の一つ。ヘルミーナはいい勉強が出来て、良かったわね」
私はあなたが持ってきた薬湯のことなど一言も告げ口していないわよ。そんなことをしなくても、真実は目の前にあるんだもの。あなたには名門貴族の女主人になれる器ではない、という真実が。
「わ、分かっているわよ! お姉さまのセンスの悪さに付き合いきれなかっただけよ!」
ホント、昔から変わらないわ。私は悪くない、の主張がいつまで続けられるものかしらね。
「ではそういうことにしておきます。あなたが私の生還をお祝いしてくれたことに関しては感謝しているのよ、ヘルミーナ」
お兄様以外は、お父様もお母様も第2夫人や義母弟も…おかえりなさいの一言すらないのだもの。そうした含みで、ヘルミーナに柔らかい笑みを向けると明らかにほっとしたような表情に変わった。
「そう。ヘルミーナがお祝いをしたと聞いて、褒めてやらなければと離れへ行ったのだよ」
あら。お兄様ったら、まだこの話題を続ける気かしら? それとも…?
「え、本当ですか? いつですの? お会いできませんでしたわ」
嬉しさの後、会えなくて残念だったという表情でヘルミーナはお兄様を見た。
「ああ、お前は入浴中だったらしい。タイミングが悪かったが、間もなく戻るだろうと聞いたので部屋で待たせてもらうことにしたのだよ」
不在の時に部屋に入ったと聞いたヘルミーナは顔色を変えた。メイドや侍女からの報告がなかったということは、口止めされていたということになる。いい予感がしないのは正解だ。




