第2話
私の名前はエリザベス・ヴァニ・ストレディス・エルレンマイスト。名前が示すとおり、エルレンマイスト侯爵家の長女だ。
ヴァニというのは正式名が必要な時だけ名乗る、その家の長女という身分を示したもの。ちなみに長男だとヴァレになり、これが名前についている者はその家の後継者と名乗るようなものだ。途中で死んだり廃嫡によって次男以下にヴァレが継承される場合もあるが基本は生まれた順である。
ストレディスというのはエリザベスに与えられた領地と子爵の身分を表しているが、これは有罪判定後に侯爵家当主に取り上げられているから今の名前はエリザベス・ヴァニ・エルレンマイストということになる。
かろうじて長女の称号と家名が残っているのは『真実の審判』を終えて生き延びていれば無罪判定を受けるから…執行猶予中のようなものだ。しかし誰もがエリザベスの生還はないだろう…実質の死刑宣告だから…と思っているため、墓標に刻むために名前を残してあるだけだ。
女神様…どうか、お助けください…
もうろうとする意識の中、女神に救いを求め続けていると…ふっと意識の混濁が薄れる時があった。これが女神さまから与えられた救いなのか、単に…安静と睡眠による自己回復によるものなのかは分からないが…気力と意識がしっかりすることがあった。
そんな時はエリザベスのこれまで生きてきた記憶が蘇ってくる。生まれてから死ぬまでの彼女の一生を追体験するように…何度も繰り返しているうちに、意識と体の乖離が無くなっていった。
別の魂が入ったことで恋敵に対する憎しみは理解できても…肯定は出来なくなった。つまり、自分の過去に「それはしちゃだめでしょ」とダメ出しもしてしまう。やったのはかつての私であっても、もう今の私は過去の私ではない。
硬い石の床に横になったままつらつらとエリザベスの一生を追体験して批判、反省、そして時には同情する。激しく衰弱した身でできることはただ考えることだけだった。
大好きだった第二皇子ミエルドゥナ様への激しかった恋情は、今となっては懐かしいだけの記憶へと変化し、両親や家族が私を切り捨てた非情な仕打ちは、家の存続を第一と考える貴族としては当然の対応だったと理解も出来る。罪を犯した自分が愚かだったのだ。恋に狂って家族や一族に迷惑をかけてしまった。罪を犯したから罰を受けた。そう自業自得だと納得している。
家名を汚したと父親にその場で処分されてもおかしくはなかったところ、事件が公になりすぎて密かな処分が出来なかっただけ…というのも、もう理解している。
たとえ生きて帰ったところで、侯爵令嬢として出迎えてもらえるはずはない。身分はく奪のうえ、与えられていた個人資産没収の上での放逐が予想される。
ああ、詰んだ。もうどうしょうもない。生き残ったところで、何になるのかという嘆き悲しみに襲われる。
だけど…私は騙されていた。甘言に唆され、愚かにも誘導されたのも事実。そう、狂おしい恋心を利用されたということも分かっているから、おめおめとこんなところで死にたくないという…わずかに残った怒りと恨みが簡単に死を選ばせない。
生き残って、無実を勝ち取ってやる。生き残ることさえできれば、まだやり直せる可能性はある。侯爵令嬢は無理でも、市井の中で静かな余生を送ることが出来れば…いや、静かな余生などでは満足できない。私は私の自由を取り戻す。籠の中の鳥のような生き方から、大空を自分の翼で飛ぶ鳥になりたい。
鳥かごに飼われていた鳥がかごの外へ出たら、身の安全も与えられるエサもないから生きていくのは大変だろう。しかし何物にも代えがたい自由がある。王室の一員となるために頑張ってきた血のにじむような努力。勉強に費やしてきた時間も令嬢教育ももう必要ない。今までしがみついてきた皇子妃になるという夢。自分で自分を雁字搦めにしていたそこから…解き放たれる。心までが解放された気分だ。
生きてこの牢から出ることさえできれば…希望はある。何よりも、私は自由になれる。追放は自由への許可。しがらみを断ち切れる。足かせから逃れることが出来る。私はまだ若い、やり直せるチャンスを…自分で掴み取るんだ。
ふっ…と笑みを口元に刻む。
不敵な笑みを浮かべたことで少し気力が沸いてきた。
そう。そうよ。私は必ず生き残る。生きてこの牢から出て、自由を勝ち取るのだ。新しい人生をやり直すのだ。
気力が沸いてくると少しずつ意識が保てる時間が長くなってくる。魔力は回復した端から生命力として消費されている気がする。体力も安静にしていることで回復しているはずだが、何も食べず何も飲まずにいるため体に取り込めるものが空中に漂う魔素のみという極限状態のために体力が回復していく感じはしない。ただ現状維持は出来ているから体力が奪われるばかりではなくなっていると思う。
ああ、今日は何日目なのかしら。わずかな光が差し込む牢の中はとても静かで、訪れる者もいない。食事の差し入れをする必要はないし、見張る必要もない監獄に看守が様子を見に来ることはない。
まるでこの世界には自分しかいないようだった。
そんな状態が当たり前になっていたのに、突然…そう、突然かすかな音がした。
空耳かと意識を集中したことで、はっきりと聞き取ることが出来た物音。それは待ちわびた人の足音だった。
ドキッと心臓が止まりそうになった。驚くことで死んでしまうなんて…そんな死に方、絶対に嫌だわ。
次第に大きくなってきた音で、複数の人間が歩いてこちらへ使づいてきていると分かった。空耳なんかじゃない。
ああ、神様。私は生き延びた!
審判の20日目を迎えたのだ。今日が運命の日だ。
いや、まだ無実を勝ち取ったかどうかは分からない。
お願い、ここから無事に生きて出ることが出来ますように! そう願わずにはいられなかった。なぜなら、迎えに来た者が誰なのか分からない。私がもし生きていればその場で殺せと命じられた、暗殺者かもしれないのだ。
怖かった。身体が動くようなら部屋の隅にまで逃げて身を小さくしたかったが…体を起こす力なんてなかった。
ああ、怖い。神様、助けて…
「…良かったな。まだ腐敗していないようだぞ」
「ホントですか。助かったぁ」
鉄格子の向こうで立ち止まった男たちが牢の中を覗き込んで、そんなことを言った。
ちょっと待ってよ、私はまだ死んでいないわ。
「お役人様、袋詰めは頭からしたほうがいいんですかい? それとも、足から?」
カギを開ける音に続いて、2人の男が入ってくる足音がした。
「どっちでもいいだろ。袋の口をきちんと縛っておけばいいだけだ」
「それもそうですね」
って、ちょっと待ってよ! ジャガイモの袋詰めを肩に担ぐのと同じにされたら、死んじゃうわよ!
腹が立ってきて、抗議の唸り声をあげると「ギャーっ!」と叫んで若い男の声が悲鳴を上げて飛びずさった。
「い、生きてるっ!」
「なに?」
「ホントかっ!」
次々と声を発する男たちに、生きていることを証明するかのように指を動かし眼をカッと見開いて見せた。
「…か、確認した。生存を確認。し、真実の審判によりエリザベス・ヴァニ・エルレンマイストの無罪を審判員ネスト・マデュラが確認し、宣言する!
石牢に響き渡るその宣言に、涙が出るほど嬉しかったが…生命維持ぎりぎりの水分しか体に残っていないためか、実際には涙は出なかった。
必ず生き残って出てやると誓って入った監獄の塔から、本当に出てこられるとはエリザベスも思っていなかった。いや、入ったその日と3日後まではまだ憤りの方が強かったから、弱気になることもなくいられたが4日、5日と過ぎていくうちに身体が弱り始め…完全に身動き一つできなくなってしまうと虚勢も張れなくなってしまった。
生きている令嬢を袋詰めにはできないから、と二人の男がヒソヒソと相談。前後を持って担架のようにした麻袋に乗せて、ひいひい言いながら階段を下りてくれたおかげで私は無事、塔から出ることが出来た。
塔の出入り口を守っていた兵士がぎょっとしたような反応をして「まさか…」だとか「嘘だろ…」なんてゾンビが生き返ったような反応をするのにムッとした。
塔の階段に比べると平地を歩くのは苦にならないのか、下働きたちの移動する速度が速くなった。連れていかれたのは医務室のような場所。死体安置所に連れて行かれなくてホッとした。




