第1話
私は今、死にかけている。今、というかもうずっと…だ。
衰弱した状態で今にも死にそう…いや、いつ死んでもおかしくはない、そんな瀬戸際。
私は死にかけているがまだ死んではいない。だけど1分先に死んでいても不思議はない。が、かろうじて…まだ生きている。そんな状態がずっと続いている。
つらい。苦しい。鈍くなった思考でそればかりを繰り返す。思考が鈍いのは意識がもうろうとしていると言い換えてもいい。
怖い。死にたくない。そんなことばかり繰り返し思い続けている。
薄暗い石牢の床に身を横たえたまま。自分でも生きているのか死んでしまったのかを確かめるように、あるいは死に抗うために時々指先を動かす。意識して呼吸を深くする。
現実から逃げたくて閉じていた眼をそっと開くことで、切り離されたような世界の時間の流れを確認する。
もうどのぐらい…こうしているのか分からない。後どのぐらいこんな苦しみが続くのか…それも分からない。
誰か助けて。
神様、これはあまりにもひどいです。
断罪された悪役令嬢。
転生先に選んだ私が悪かったのか、こんな選択肢しかくれなかった神様が悪いのか…考える時間がたっぷりある…いや、考えることしかできない。私は、もう何度目になるのか分からない…4日前に私が死んだ時から今までのことを繰り返し思い出す、というループを続けていた。
*
いつ、どこで死んだのかは覚えていないが、あ…これ、死んだと思った記憶は残っていた。どんな風に死んだのかも大体わかる。対向車線からはみ出してきた車が突っ込んできたのだ。ものすごいスピードで迫ってくる車を目にしても、どうにもできない状態。目を見開き身構えただけで…ブレーキを踏んだ記憶がないから何もできないままに正面衝突して即死、だったのだと思う。
あ…これ、死んだと思ってどのくらいが過ぎたのか。それとも一瞬だったのか…気が付けば不思議な空間にいた。
死んだ、よね? 私、死んだよね?
痛みを記憶していないのはありがたいけど…ここ、どこだろう? 明るくて真っ白で何もない空間ということは…転生の間? 異世界転生の物語によく出てくるような空間をキョロキョロ見て確認する。上下、左右。見渡す限り何もなくて、わたしだけがここにいる。
不思議だわ…
浮かんでいるのか、それとも立っている状態なのか…しゃがんで手で床に触れようとしても何もない。というか、私の手もなかった。
気持ちというか私の意識だけが…ある。いわゆる、これって魂の状態?
何もない空間にわたししかいないというのに、なぜか怖いとか恐ろしいとか思わなかった。ただただ不思議で。なぜここにいるのだろう? とない首を傾げていた。
ここからどこかへ移動しようという気にもならず、ただそこに浮遊しているとふいに、わたし以外の存在が現れた。存在、というか神様だ。教えられなくてもそうだと感じてしまった。
<あまり時間がありません。急いで転生先を決めましょう>
そんな思念が伝えられてきて…やはりそうなのかと思った。
<これなどはいかがですか?>
そう勧められて目の前に浮かび上がったのは、A5ほどの大きさの半透明ディスプレイ。
イラスト付きの情報を読もうとしたら、消えた。
<遅かったですね。では、こちらは?>
新たに浮かんだディスプレイを急いで覗きこむ。
<いま死んだばかりのエルフですよ>
エルフ!
さすがというか、ものすごい美人。イラストはバストアップと全身を描いた2枚で、解説付き。耳が長くて、髪が銀色で瞳は琥珀色。黒子が口元にあり、エルフなのにセクシー。だけど清廉さも感じる。とにかくいえることは超絶綺麗な女性だということ。怖いほどに綺麗すぎる。
えーと、死んだばかりというのは?
<30年間奴隷として捕えられていたのですが、所有者が代わったことで実験体として様々な投薬をされるようになりました。そして先ほど…致死量を超える毒を投与されて死にました>
ちょっと待って! なにから突っ込めばいいのか迷うぐらい情報が多くて…怖いよ!
エルフがいるということはいわゆる、これって異世界転生。元の世界に転生するわけじゃない。そして超絶美人なエルフさんは毒殺されたばかり。その死体に? 転生?
<赤ん坊への転生も可能ですが、倍率がすごいですよ>
倍率! 受験戦争か、はたまた就活か転職か…
<あ、今なら死んだばかりの赤子が…>
光に包まれて姿の分からない、だけど声から女神さまっぽい神様の言葉が途中で消えた。
うん。ちらっと浮かんだ半透明ディスプレイも読む前に消えたね。
<先ほどの赤ん坊は皇帝の3番目の姫君でしたね>
いや、読む暇なかったよ。というか、もしかして、転生は死んだばかりの体に入ること?…そういう転生しかないわけ?
私の問いかけに女神様? から呆れたような思念が伝わってきた。なにを当たり前のことを、とか。当然でしょ、という…言葉がなくてもそれが伝わってきた。
…………。あーそう、ですか。情報が叩きつけられるように入ってきた。
魂が浄化されて完全に前世の記憶がない状態で生まれてくるのが『新たな生』。ほぼ赤ん坊からのスタートで、細胞分裂から始まった命に魂が融合して新たな生命となる。
浄化されたにもかかわらず不完全に前世の記憶がこびりついたまま残ってしまった魂は、異なる世界の死者と結びつき『生者に転じる』ことで新たな生を得る。つまり体と魂が別の世界のものでできている転生者となる。
わたしの魂の状態は浄化が完全でないから転生が可能。というか、転生しかありえない。
よって、こうして転生先を斡旋してもらっている状態らしい。
そう、か…。死んだはずなのに記憶が残っているのは、浄化されても記憶がこびりついてしまっている不完全な状態なのか。
<あまりゆっくりしている時間はありません。急いで転生先を決めないと、あなたは2度目の魂の浄化を行うために回収されてしまいます>
……そして回収されたら魂の記憶を念入りに消すために魂を削られてしまう? えっ? 怖いイメージが伝わってきて、魂の状態だというのに冷や汗が流れた…気がした。
何が怖いって、魂が削られてしまったら次回の生まれ変わりだけでなくその後何十回も動物以下を新たな生として繰り返さなければいけないらしい。植物、昆虫、恐ろしいことに粘菌のような生命体かもしれないなんて…やだぁ!
かといって、毒を投薬されて死んだ奴隷エルフなんて嫌すぎる。転生したらわたしが、今度は死ぬ目に合うってことだよ。転生してすぐに毒で死ぬなんて嫌っ! …と拒否したら、新たに紹介されたのは山賊の大ボス。人相の悪い髭モジャのおっさんだった。
ありえないーっ! と思わず叫んだら、半透明ディスプレイが消えた。
<間に合いませんでしたね>
えぇーっ! 山賊の大ボスに転生したい人なんていたの? 嘘でしょ! と思ったわたしに情報が一気に流れ込んできた。
…ふむ。大ボスさんの身体能力はとても高くて、長年盗賊家業を続けてきただけあって統率力に優れ、危機察知のスキル持ちでもあったのか。体格も良くて、あの見た目だけどまだ30歳前半…ね。
あーでも、ねぇ。おっさんは勘弁して欲しい。出来れば二十歳以下の女性がいい。
<希望は若い女性、ですね。ちなみに、先ほどのエルフも転生しましたよ>
えーっ! 生まれ変わったら実験体になる奴隷と分かっていても転生先に選ぶ人がいるのっ?
信じられない思いで目を見開く。って、目はないんだけどね。繰り返し言うけど、魂だけの状態だから。
<急がないと間に合いませんし、次に二十歳以下の女性が現れたらすぐ予約します>
私がぐずぐずしていると判断し、強い口調で言い切った。予約! と驚いているそばから候補が現れたのか、半透明ディスプレイが現れた。
<予約可能時間は…あなたのいた世界の時間で三分。それを過ぎると自動キャンセルになって二度と選択できないので急ぎなさい>
やたらと急がせるなぁと思っていたら、わたしの前世でいうところの四十九日を過ぎると仏さま…魂の再浄化コースになってしまうらしい。現状で、すでに四十九日当日。1度目の浄化が行われても消えない記憶の残滓が残っていたために異世界転生の間に魂が送られてきた。より正確に言うと、わたしに残された時間はもう1時間もないらしい。
そんなのってない、タイトすぎる! と思ったが、転生のマッチングを待つ魂がなかなか多くてどうしてもぎりぎりになってしまうらしい。転生を斡旋してくれる神様が少ないようだ。人手不足なのは神様界隈でも深刻なのね。
…なんてことをつらつら考えているだけで時間が過ぎるよ。やばい! 予約時間が過ぎてしまったのか、読む前に消えたよ! ここの速さについていけない!
嘆いていたら次の候補先が現れた。今度こそ3分間の予約時間を有効利用しないと!
急いで転生候補情報を読み込まなきゃ。
えーと…なになに。…あ、これってもしかして、もしかしたら…。
うわぁー、断罪されて牢屋に入れられた悪役令嬢だ! 乙女ゲーの世界ってこと? いや、違うの? そう、シチュエーションが似ているというだけなのね。
第二皇子の元婚約者の侯爵令嬢、エリザベスは皇子の恋人である男爵令嬢を殺害しようとした罪で有罪になり、投獄された。この国には無罪を訴える者には真実を神に審判してもらうという『真実の審判』という制度があるが、これはゆるやかな処刑と同じである。審判と言いながら、することは20日間の断食と断水。誰もが分かる通り、そんなことをすれば衰弱死してしまうのが当たり前。エリザベスは12日まで耐えたが、つい先ほど衰弱死した…らしい。
相変わらず、怖い情報がついている。添付されている容姿と年齢だけを見たら迷うことなく飛びつきたいほどの美人だし、若い女性でありがたいんだけど…
わたしが彼女に転生したら…石牢の中で、残り8日間も断食、断水の責め苦を受けるということなんだよ? 転生してすぐに死にそうな目に合うと分かっているのに…これ、に転生しろと?
というか、死んだばかりの人にしか転生できない時点でもう詰んでいる。どのケースを選んでも過酷な生しかない気がする。
<転生しますか?>
あーそう急かされても、踏ん切りがつかない。迷う時間がないのは理解しているが、転生したとたんに死に目にあうんだよ!
半ギレのわたしに女神さまはコバエを払うかのような仕草をした。神様に比べたらわたしの魂の存在なんてハエみたいなものだ。
わたしの視界にはカウントダウンを知らせる表示と点滅し始めたエリザベスの転生先リストがある。
8、7、6…
刻一刻と数字が小さくなっていく。あれがゼロになった瞬間、わたしは虫に生まれ変わってしまうかもしれないと焦った。
…彼女に転生します!
宣言してから、あ…やられた、と思った。あんなに焦ってしまったのは女神さまの干渉があったからだろう。早く決めて欲しかったから精神干渉してきたんだ。
残り時間0になるのは転生先として予約していたエリザベスへの転生可能カウントダウンであって、まだ魂の再浄化までの残り時間はあったはず。49日当日であと1時間も残されていないとしても、30分か40分かそのくらいは…なんてことを思っていると、急に意識がぼうっとしてきた。
意識が霧に包まれたかのような時間がどのぐらい過ぎたのだろうか…それとも一瞬だったのかそれは分からない。
気が付いた時には、私はエリザベスになっていた。
硬い石牢に横たわった元侯爵令嬢。今はただの罪人で衰弱死寸前の悪役令嬢。それが私だ。




