第13話
翌日、部屋で朝食を摂った後に管理官と役人代表が数人会いに来てくれた。暖かく歓迎されていると感じたのでお母さまへ送る手紙には特に気になることはありませんでした、とだけ書いておこう。
私がこれから暮らすことになる小さな港町にある家は領都から半日ほど川を下った先にある。そう、ここからは川を船で下るのが一番早くて楽な移動手段だ。
御者と二人の護衛は先回りして陸路で船着き場へ向かうらしい。私と2人の護衛とロニィ、そしてここから加わる侍女のリリナの5人は1日半遅れで城を出発、川を下って移動する。予定では明後日の正午発の客船に乗船することになっている。
領都に着いた翌日は移動疲れを癒すということでここまで一緒に来た護衛やロニィに休みを与えた。私自身もゆっくり出来るし、お互いにいい骨休みになる。リリナに案内してもらって屋敷の中を見学したり庭を散策したりするほかは室内で静かに過ごした。
ここの使用人たちまでは私が犯した罪が伝わっていないのか、それとも無罪となったことで許されたのか、彼らが私を見る目に蔑みも憤りもない。ただ体調を崩して静養する可哀そうなお嬢様、という感じで歓待してくれている。
王都を離れ、面白おかしく噂する貴族たちの目がないというだけで心が休まる気がする。
リリナの勧めで静養先に持って行く茶葉のいくつかを、出入りの商人が持ってきた中から選んだ。今後は定期的に港近くの屋敷に届けてくれることになるらしい。リリナは他にも必要となるものがあれば手配しますよ、と聞いてくれた。
港町では手に入らないものもあるだろう。少し考えて本をリクエストした。勉強のための本は多く読んだが、物語などはほとんど読んだことがない。断罪前まではすり寄ってきていた令嬢たちから薦められていくつか読んだことがある。話のタネにはなるがその当時は皇子妃教育が忙しくて時間の余裕がなかったので自分から積極的に読もうとしなかったのが物語だ。
これからは勉強以外の本を読む時間がたっぷりある。自分の趣味に合うものを探してみてもいいはずだ。それに、前世では数多くのノベルズを読んできたのだ。本を読むだけではなく、執筆してみるのも楽しそうだ。
「そうね、それから定期的に紙の手配もお願いしたいわ。静養中になにか、本にできそうなものを書いてみたいわ」
「まぁ、本でございますか。それは楽しそうですね」
数少ないが人気のある物語を執筆した夫人たちもいた。前世でいうところの紫式部や清少納言のようなものね。こちらでは夫人たちは文化サロンを催して幅広く交流し、夫たちを支えている。刺繍や音楽のサロンと似たようなものだが、本を介する交流は貴族だけではなく裕福な商人たちも参加しやすいというメリットがある。メイドや侍女たちのなかにも物語を好むものがいるし、幅広い交流ができる。
なんだか、ワクワクしてきたわ。冒険者もいいけれど、女流作家も素敵ね。
お兄様の城から船着き場へ移動したその日はあいにくの小雨だった。こちらの世界では日傘は使っても雨傘は使わない。なぜかしらね。防水布がないのかしら? これまで考えもしなかったことをあれこれ思うようになった。
全員フード付きマントで雨除けをして、船に乗り込む。甲板から景色を楽しむこともできないのですぐに予約してある船室に移動する。
「すぐに乾かしますね」
リリナは生活魔法の微風と温めを同時に使うのも得意らしく、ドライヤーをかけるように髪や濡れたタオルを乾かしてくれる。部屋の隅に控えたロニィがキラキラした目でリリナを見ている。
そんなロニィの視線を軽く払いのけ、リリナはロニィにお茶の支度を言いつけた。細かく指示しないと分からないロニィにあれこれ言いたいことだろうが、私の目の前で教育するわけにはいかずに淡々と「ジンジャーアップルティーを用意しなさい」とだけ言つけている。
雨で冷えた身体を温めるためにショウガ入りのお茶を選んだのだ、と私がいないところで理由まで説明して教育してくれるに違いない。ロニィのことはリリナに任せておけば安心ね。
この世界の船は前世と違ってエンジンで動いているわけではない。帆に受ける風と川の流れが主な動力となる。風魔法と水魔法が使える水夫が雇われていると聞いた。
船が離岸するときに少し揺れたが、川の流れに乗ったのだろう。すぐに揺れは収まった。実際には浮き沈みする船の動きをかすかに感じるが、気にしなければ分からないほどだ。船での移動は馬車と違って揺れも少なく安全と人気が高い。料金が高いので乗っている人たちは自然と貴族や裕福な商人、高レベルの冒険者などに限られるため、治安面でも安心して乗っていられる。だから護衛はトゥドとピートの2人になり、若いアンナとジャスは陸路で先回りに回された。私を受け入れる準備に不備がないか確認するためらしいが…到着と同時に怖い罠が待っていないといいけれど…。
船の中でも食事は出る。ロニィに部屋まで運ばせることも出来たが船の中の食堂で食べるなんて滅多にできることではない。好奇心を満たすために食堂へ赴いたが、どこもかしこも狭くて少しだけうんざりした。
広い空間で過ごすのが当たり前になりすぎた弊害だと気が付いて、意識改革が必要ねと思ったりした。
そう、船の中の部屋も狭かった。ここで分かりそうなものなのに食堂の狭さに驚くなんて私もまだまだ貴族意識が抜けない。
船では限られた空間を工夫して過ごしやすいものにしている。私の部屋は普通にベッドが置いてあるが2人部屋の他に4人部屋まであるらしい。前世の記憶を探ってみると、2段ベッドやハンモックを利用した狭い部屋が思い浮かんだので実際の部屋がどうなっているのか見てみたいわと我儘を言わずに済んだ。
*
翌日は快晴だった。朝食を摂った後、甲板に出てみた。多くの客たちも甲板でくつろいでいる。
「…綺麗ね」
船から見る景色は素晴らしかった。ヨーロッパ旅行でもライン川下りが人気だった理由がよくわかる気がする。川幅はかなり広くなっていて、この先は海に続いている。
リリナがいつの間にか日除けの傘をさして、そっと寄り添ってくれていた。10分ほど景色を楽しんでいたのだが、甲板にはベンチがない。思い思いの場所に座っている者もいたが令嬢が甲板に直接座ることは出来ないし私は静養を必要とする虚弱状態と思われている。
「そろそろお部屋へ戻りましょう」とリリナに促され、素直に部屋へ戻った。
馬車での移動中は刺繍などできなかったが、船のなかだと揺れない。お兄様に手紙を出すときに刺しゅう入りのハンカチも一緒に送ろうかと2時間ほど刺繍を楽しんだ。
魔法にしても刺繍にしても、記憶にあるだけなのに身体が覚えているからか当たり前のようにできてしまう。とてもありがたい。
記憶にあるだけでできるなら、やったことがない料理も前世の記憶で出来てくれると嬉しいのだけど…令嬢が厨房に入るなんてことは許されていなかったから…静養先でも禁止されるかしらね。
席を外していたリリナが戻ってきて、予定通りの時間に港に着くようですと教えてくれた。私の荷物はマジックバックに入っているから、リリナとロニィもそれぞれの荷物を入れたトランクをひとつずつ下げ持つだけで身軽に移動できる。
ほとんどはアイテムボックスの中に入れているのだけど、お母さまにいただいたマジックバックとお兄様にいただいたマジックバッグのことを2人には説明してあるから、私がワンピースドレスに合う小さな鞄ひとつの状態を今ではありがたいと思ってくれている。
領都で買い足した荷物も、トランクひとつで入りきらなかったリリナの荷物も私のマジックバックの中に入っているのよ。
2人とも手ぶらで移動するのはおかしいという理由で手荷物にしているだけなのだ。私も同じ理由で箱馬車にトランクを1つ持ち込んでいたけど、領都に着いた後はマジックバックに入れてしまったわ。
「足元にお気を付けください」
船から降り、港で護衛騎士のアンナとジャスと合流する。小さな港町と聞いていたが国内の港を巡る交易船がいくつも停泊していて、なかなかに賑わっている町のようだった。
「ようこそ、お越しくださいました!」
家紋入りの箱馬車の近くに初めて見る男たちがずらりと並んで、私を出迎えてくれた。この町の町長と港湾部の責任者、治安部隊の部隊長と副隊長、役場の人たち。1人1人が名前と肩書きを教えてくれた。私は記憶力も良かったのですぐに全員の顔と名前、肩書を覚えた。
こんなにいい記憶力、前世でも欲しかったわ。テストで満点が取れた気がする。
5か国語の会話もできるエリザベスだから、前世だと通訳の仕事も出来たわね。自分事ながら、頭のなかがどうなっているのかしらと思うわ。
港に着いた船は波止場近くの役所であれこれ手続きを行う。それが終わってから荷下ろしになるそうだ。役場には船に乗る乗客の待合室もあり、貴族向けのサロンもある。
まずはそちらでおくつろぎくださいと案内された。ちらりとリリナが私を見たのは私の体調を心配してのことだっただろう。
大丈夫よ、と微笑み返すとすぐに意をくみ取ってくれた。
領主ギルファートの妹。侯爵家の長女ということもあり、あれこれともてなしを受けた。サロンに用意された交易品の見本は海外から届いたものもあり、説明を受けながらあれこれ見るのは楽しかった。
ドーバー海峡ほどの海を隔てた対岸にはカルラナ王国がある。その国から我が国へと貿易船が目指す先は、ここから船で1日ほど離れた国際港のセレンファート。そこでまずは荷物が降ろされる。検査などを経て国内各地の港へ荷物は分散し、さらに四方八方へと運ばれていくのだ。
セレンファートを出港した船はここマレニス港でも荷物を下ろす。荷揚げされた荷物はさらに小さい船に乗せ換えられてお兄様の領都へも川を遡上して運ばれる。領都を経由し、さらに西側の領地へも陸路で運ばれていく。
お兄様は港の使用料や商品に掛ける税金などを安く設定し、港には水夫や商人たちが利用しやすい街づくりを用意しているので小さくても人気が港町として賑わっているそうだ。
土地の関係から狭いというのが難点ではあるが、それを逆手にとって崖の上から海を見渡せる宿泊施設やレストランなどをいくつも用意したことでマレニスは観光地としても人気が上がっているらしい。
役場内のサロンで珍しい布や飾り物をいくつか購入させてもらって、港を離れる。私たちを乗せた侯爵家の箱馬車は港から20分ほどで静養地になる屋敷へと到着した。
無事にここまでたどり着くことが出来たという安堵で、自然と微笑みがこぼれる。あとは屋敷にいる使用人たちの様子を確かめて、私に害をなす者がいないか確認し、用心していればしばらくはゆっくりできるだろう。
「お待ちしておりました。私は当屋敷で執事を拝命しておりますアトスと申します」
執事を先頭に侍女、メイド、料理人に下働きの者まで、一度に面通しを済ませるということなのか出迎えてくれた。
「エリザベス・ヴァニ・エルレンマイストよ。今日からお世話になるわ」
私の荷物は肩から下げた小さな鞄ひとつにほぼすべて入っているが、さすがに格好がつかないということで馬車から降ろすトランクは私とリリナ、ロニィのそれぞれのトランクがひとつずつの合計3つになっている。
「長旅でお疲れでしょう。まずはお部屋へご案内いたします」
リリナの他にもう一人用意されている侍女の名前はセレナというらしい。領都の屋敷から一足先に派遣されて、あれこれ住まいのこまごまとしたところを整えてくれていたらしい。部屋へと案内されてみると私が好きな感じの内装になっていて、嬉しかった。
「明るくてさわやかな感じね。センスの良さが感じられて私、とても気に入ったわ」
「ありがとうございます。お褒めの言葉をいただき、ほっといたしました」
セレナの笑顔に私も安堵した。私に対する悪意は感じられない。
私室と寝室は二間続きになっていて、さらにその隣は日当たりのいいサロンになっていた。窓も大きく、外にはティーテーブルが用意されたベランダもある。
これが移築されたばかりの屋敷とは思えないわね。もとからあったように思えるのは床も壁も柱もすべてに年月を感じるものだったからだ。新築にはない味わいがあるこの小さな屋敷を私はとても気に入った。時短のためにお兄様は移築を選んだのだが、この屋敷を選んでくれたメレスタにも感謝しなくては。
夕食の支度が出来るまでの待ち時間にお兄様やお母様あてにお手紙を書こう。
*
静養先での生活はゆっくり時間が過ぎていく、魂の洗濯をしているかのような満ち足りた時間だった。
家族から遠く離れた地で私は16歳になり、成人した。断罪がなければ盛大な誕生日祝いと成人祝いを催して、第2皇子のエスコートでダンスを踊っていたことだろう。
今となっては屋敷にいる使用人たちに祝ってもらえるだけで訪れる者は誰もいない、と思っていたのだがサプライズでお兄様がやってきて誕生日と成人を祝ってくれた。この頃になると、私にもお父様をはじめとする家族からの刺客は来ないと信じられるようになっていた。
新しいドレスやアクセサリーといったプレゼントをいただき、いつもより豪勢な夕食の席で初めて飲んだワインはとても美味しかった。前世でもワインを飲んだことがなかったから余計に良かったのだろう。向こうのワインの味を知っていれば比較してしまってこれじゃない感が沸いて出た可能性がある。
お兄様は2日間、屋敷に滞在してくれた。おかげで港町での買い物にも連れて行ってもらえたし、崖の上のレストランで食事も出来たしとてもいい思い出が出来た。
お兄様が王都に戻った後も私は判で押したかのような規則正しい生活を送った。毎朝の起床時間は7時、昼食までは1時間ほど庭で過ごす。散策は運動不足解消と健康維持のため。ただし日焼けには要注意なので日差しがきつくなる午前中のみ行う。
午後からはずっと部屋の中で過ごす。本を読んだり刺繍をしたり、書き物をしたり楽器を弾いたりして過ごす。夕食の後はサロンでしばらくゆっくりして本を読んだり楽器を弾いたり、テラスから星空を眺めたりする。入浴を済ませたら10時には就寝する。
お兄様に連れ出してもらった日以外は屋敷の敷地の外にも出ないので、護衛もすることがなく張り合いがないだろうなと思うが、楽をして給料がもらえると考え方を変えてもらおう。
そんなのんびりとした生活を数か月続けた。




