7話 軌道修正完了?
午後の授業を終えた後、音楽部の活動が始まる前に私は再び生徒会室を訪れた。
「許可をいただきにきました! 明日中庭でミニコンサートをさせてください!」
なんとか大急ぎで企画書と申請書も書き上げた。
調律はまだ残っているけれど、まぁ部活後とコンサート直前の調律でなんとかなると踏んでいる。とにかく一刻も早くルチアーノにナタリーの歌を聴かせなければ不安なので、開催は明日に決定だ!
いつもの席に座るルチアーノに書類を差し出せば、なぜか意地の悪そうな笑みとともに見上げてくる。
「先程のバリートン副理事長への口裏合わせの礼の方が先なんじゃないのか?」
「あ。口裏合わせてくれたんですね?」
「あんたに貸しを作っておくのも悪くはないかと思ってね」
「え……えーと、そうですか……ありがとうございます……」
その程度のことが貸しカウントとは、案外ケチくさいな。
そう思ったのがそのまま顔に出たのか、ルチアーノは「何か気に入らないのか?」と自分の方が気に食わなさそうだ。
「こんな書類は今すぐ破り捨てたっていいんだが……」
そう言って企画書をぺらぺら仰いで脅してくる。
「いえいえいえいえ、殿下の寛大なお心に感謝します」
慌ててへりくだれば、ルチアーノの表情がフッと緩んだ。
(おお)
なぜかは知らないけど、どうやら殿下は過去イチご機嫌なご様子。
今まで一貫して仏頂面しか見せてもらえなかったのに、なんだかさっきから大盤振る舞いじゃない?
口裏を合わせてくれたのも正直意外だったし、これの承諾を得るのだって相当苦労するかと覚悟してたけど……。
「コンサート、ぜひ殿下にも聴いていただきたいです」
「……ああ、やりたいならやればいい。ほら、許可しよう」
ルチアーノはこちらがビビる程にあっさりと書類に判をついた。
「あ……ありがとうございます!」
「貸し、二つ目だ」
「え」
ええ、これも貸付ですか?
「こういった行事の申請期限は本来、一か月前だ」
「あら。肝に銘じます」
それから再びお礼を伝え、ルチアーノの気が変わらないうちにと足早に退散した。
思えば、彼とあんなに長い会話が成立したのも初めてだ。
まだナタリーの歌には出会っていないはずなのに、一体彼に何があったんだろう……と首を捻りながら生徒会室を後にした。
そして部活が始まれば、さっそくナタリーにコンサートについて相談。
「あ……明日!?」
いやぁ、初舞台が明日はホントにないよね。わかる。
「あなたなら大丈夫」
お世辞でもなんでもなく本心だけど、当然ながらナタリーは突然の話に戸惑っていた。
「え、えっと私、まだ先生からそんなに教わったこととかがなくて……その……」
「あなたに私が教えることなんて何もないわ」
「そんな……!?」
「あなたにはそれぐらい素晴らしい才能があるのよ。自信を持って」
「で、でも……」
ナタリーは本当に信じられないほどにかわいいけれど、信じられないほどに謙虚だ。
こんなにかわいければ、前世の世界なら一億年に一人の美少女として世論を沸かせて、芸能界で無双していたっておかしくないのに。
ただ現実としてこの世界では、顔面や音楽の才などほとんど役に立たないということも、わかっている。
「先生がそう思ってくださることは本当に光栄で、嬉しいです。けど……私なんて平民の出ですし、部の代表として歌うなんてことをすれば、この部の品格が疑われてしまいます……」
この世界はまだまだ身分社会。音楽一つをとっても様々な壁がある。
だけど、
「ナタリー、卑下する必要はないわ。音楽は誰のもとにも平等にあるものよ」
その壁をなくすこともまた、教育ではないか。
「シューベルトしかりチャイコフスキーしかり、平民出身の偉大な音楽家なんて山ほどいるわ!」
「そうなんですか……?」
「ええ」
この世界にもそういう先人がいるかは知らないけど。
私はそっとナタリーの手を取った。
「あなたの歌にも、道を切り開く力はある」
「せ……先生……!」
ぎゅうと私の手を握り返す、ナタリーの菫色の瞳がきらきらと輝いた。
ああ、なんて人を惹きつける、美しい子。
ルチアーノなんてこのまま明日で瞬殺よ。
「そうだ、シューベルトの作品に難易度もやさしめでかわいらしい歌曲があるの。あなたにぴったりだと思うわ。歌ってみない?」
イタリア歌曲の『Le violette(菫)』なんかも歌ってほしいところだけど、さすがにこの世界でイタリア語を歌わせるわけにもいかないし、何より私が歌詞を覚えていない。
ただあの曲の歌詞なら、私でも覚えている。
私の打診に、ナタリーは大きく頷いてくれた。
「はい……歌ってみたいです!」
「ありがとう、ナタリー!」
まだ調律という難関と、ピアノ伴奏をチェンバロに合わせてアレンジするという試練はあるけれど……とりあえず一安心だと息をついた。
◇
翌日のランチタイム。私はこの時間を、ほぼ徹夜で迎えた。
(ピアノ伴奏のチェンバロアレンジがまさかここまで大変だとはね……)
正直二度とやりたくない。
掲示板に一応コンサートの宣伝ポスターは貼ったものの、昨日の今日だ。客の集まりはそこまでよくない。
ただ、昨日チェンバロ演奏を聴いてくれた子達が来てくれていたのが、そこはかとなく嬉しかった。
「はじめようか、ナタリー」
「は……はい!」
ナタリーはかわいそうなぐらい、明らさまに緊張していた。足が子鹿のように震えていて、申し訳ないけど少し笑ってしまう。
初舞台なんて、そりゃあもう緊張するに決まってる。それでも……彼女は大丈夫だと、私はもう知っている。
チェンバロの前の椅子に座って、息を吸う。ナタリーと視線を合わせて頷きあって、ごく短い前奏を弾き始める。
——シューベルト作曲『野ばら』。
ナタリーは愛らしく軽やかに歌った。
演奏前の緊張など微塵も感じさせない、まっすぐに背筋の伸びた後ろ姿はまさしく〝主人公〟だった。
曲自体は極々単純で簡単なものだ。ナタリーの歌唱力を百パーセント引き出せるようなものではない。
それでも、歌が終われば東屋は盛大な拍手に包まれた。
それを受けてさらに観客が集まる。
二階の窓の向こうにはちゃんとルチアーノの姿も見え、コンサートはまだ始まったばかりだというのに、既にひと仕事終えた気分だ。
「ご清聴ありがとうございました! 新設音楽部、部員募集中です! どうぞよろしくお願いします!」
ありがとうナタリー。ルチアーノ殿下も音楽部の未来も、これで安泰よ。
「……よしナタリー、じゃんじゃんいくわよー!」
「はい!」
晴れ渡る青空のもとに女神の歌声が鳴り響く。
それはそれは素晴らしい午後のひとときだった。




