5話 全部あなたのためなんだから
さすがに飛ばしすぎじゃない? と宥めるようにヨナスが言う。
イエスマンな彼にしては珍しい、理性の効いた意見だ。
もちろん私もそう思う。まだ私は生徒達になんら大した指導などしていないし、ナタリーだって入学三日目でコンサートの出演打診なんてされたくはないだろう。
だけど期限がいつまであるのかもわからない状況では、順当なステップを踏んだり時期を読んだりという、悠長なことは一切していられないのだ。
「……仮入部期間の今のうちに、より多くの生徒に音楽部の存在を知ってもらいたいと思いまして。PR活動の一環です」
「ああ、そういうことか」
我ながら上手い理由を思いついた。
笑顔で今度は相談に持ち込む。
「つきましては生徒会室に聴こえる場所で演奏したいんですが、どこがいいと思いますか?」
「……ん? その条件は一体……?」
雰囲気で流されてくれないかと思ったけど普通にツッコまれた。
ただそれは正直に「どうしても殿下に聴いていただきたくて」と言えばなんとかなった。
「まぁ……一番確実なのは中庭だろうね。生徒会室の窓が面してる」
「やっぱりそうなりますよね……」
しかもルチアーノはいつも窓際の席にいる。窓が閉まっていたとしても、いくらかの音は漏れ聴こえる可能性が高い。
ただ……
「でもまぁ、中庭でコンサートなんてさすがに無茶か」
「はい……さすがに野外にピアノを持ち出すのは不安で……」
天気も心配だし、動かした後のピアノを調律するような道具も腕もないし、何よりもし、それであのピアノに何かがあったりしたら……! 私の給料でピアノを買い直す羽目になる。しばらくもやし生活どころじゃない。
かといって、この世界には電子ピアノみたいな便利グッズはないし。弦楽器奏者の子に伴奏を頼む……は、その子の練習時間をある程度は確保する必要が出てくるだろう。いっそナタリーのアカペラ……はさすがに酷すぎるな。
やはり中庭コンサートは無謀なのか? と、企画書を書く手が止まる。
「ううーん……」
どこかにアコーディオンでもあればギリ、なんとか……。いや無理か……。
うんうん悩んでいる私の隣で、ヨナスも一緒に考え込んでくれていた。
すると「あ」とヨナスが何かを閃いた様子。
「ちゃんと役に立つかはわからないけど……ちょっと倉庫の中を見に行ってみない?」
「倉庫?」
倉庫と言われればイナバ物置ぐらいのイメージだったけれど、ヨナスが倉庫と呼ぶのは今は使われていないらしい旧校舎のことだった。
使われなくなって長いのか、中に入った途端カビ臭さと埃臭さが鼻を刺してくる。
「ヨナス先生、ここに一体何が……?」
ハンカチで鼻から下を抑えながら尋ねると、同じような格好で廊下を進むヨナスが鼻声で答えた。
「俺は音楽とか全然詳しくないから、あれを正しくなんて呼ぶのかとかわかんないんだけどね……。奥の部屋で見たことがあるんだ。小さいピアノ」
「小さいピアノ?」
アコーディオンかな……それともトイピアノ……?
いや協力してくれたヨナスには申し訳ないけど、アコーディオンで伴奏はやっぱり正直厳しい——
「ほら、あれ!」
校舎の突き当たりの部屋の扉を開けたヨナスは、部屋の中を指さしながら私を振り返った。
指の先を追いながら中をのぞき込む。
そして予想外だったそれの正体に私は歓喜の声を上げた。
「チェンバロだ!」
ピアノのように頭は長いけれど、ピアノよりずっと幅の狭い、木の温かみを感じる楽器。ピアノの先祖にあたるものだ。
この世界でも既にピアノが流通しているのでチェンバロは古楽器の扱いだけれど、過去に誰か使っていた人がいたのだろう。
先祖とはいえ音や弾き方はピアノとはまるで異なるし、私も触れるのは前世の大学時代ぶりだけど……アコーディオンやトイピアノよりは断然なんとかなる。
「どうかな? これなら人手が二人か三人もいれば運べそうじゃない?」
「はい! 本当に嬉しいです! ありがとうございます!」
埃臭さも何もかも忘れて、大興奮で頭を下げた。
コンサートのこともそうだし、このチェンバロを使ってまた新たな授業ができることもうれしい。貴重な教材だ。
「よかったよかった。運び出したいときにはまた声をかけてよ、いつでも手伝うからさ」
眩しい笑顔に胸が高鳴る。私はなんて良い同僚に恵まれたの。
「ありがとうございます! じゃあさっそく中庭に運んでください!」
「……えっ、いまから?」
ヨナスのさっきの言葉がお得意の社交辞令だなんてことはわかっていたけど、私はそんな空気は読まない女よ。
「はい! 私は頭の先を持ちますね!」
「あ、う、うん……」
観念したヨナスと二人でチェンバロを持ち上げたものの、見た目以上に重く感じた。
ヨナスは「やっぱりこれ二人で運ぶのは無理じゃない!?」と辛そうにしていたけど、別の人手を捕まえる時間が惜しかったのでそのまま強行。
「うっ……貴族のお嬢様が、ティーカップ以上に重いものなんて持っちゃだめだよ……!」
「いやいや……早く結婚しろっていう親からのプレッシャーに比べれば、これぐらい軽いもんです……!」
普通にただの強がりだけど、たしか私と同じような立場のヨナスは「ははは! それは言えてる!」と笑っていた。
しかし後で調べたところによるとチェンバロはものによって30~85kgはあり、足や蓋を外して運ぶのが一般的らしい。無茶をさせてすまないヨナス。
それでもまぁ数分汗をかいたところで、中庭中央の東屋にチェンバロを運び込むことに成功した。
東屋は壁がないので横ぶりの雨などは防げないけれど、屋根はあるので多少の天候の変化ぐらいなら耐えられるだろう。
運のいいことに、東屋からちょうど真っ直ぐ見上げた校舎二階の窓の奥が生徒会室だ。
チェンバロは比較的音の小さな楽器ではあるけれど、ナタリーの歌も合わせれば聴こえないことはないはず。
では試しに、と適当な鍵盤を押してみる。
——ボヨーン……
「………………」
めちゃくちゃな音が鳴った。
まぁ長い間放置されていたようだしそりゃそうだ。
「……ヨナス先生ありがとうございました。私はここで調律を始めるので、ヨナス先生はどうぞ職員室に戻ってください」
「え、調律って自分でできるもんなの? すごいなぁ」
「チェンバロはピアノと違って弦の張力が弱い楽器なので、他の弦楽器と一緒で、毎回自分で調律することが前提の楽器なんです。なので一応、調律経験もあります」
幸いチェンバロが置いてあった部屋に調律道具もあった。
かといってここまで音の狂った楽器に触るのは初めてだ。相当時間がかかるだろう。
それからヨナスと別れて、ひたすらチェンバロと向き合った。
空きコマの時間をすべて費やした後は、昼休憩に突入。それでもまだ終わらない。
慣れない道具で慣れない作業。疑心暗鬼で進む時間はいくらあっても足りないぐらいだった。
今日は昼抜きだなと覚悟していた。けれど、しばらくするとヨナスがサンドイッチを持ってきてくれた。
「昨日と同じメニューで申し訳ないけど」
「そんな……ありがとうございます!」
ローストチキンのサンドイッチは体感三分で食べ終えた。
常に音を鳴らし続ける私を、何か始まるのかと時折生徒達が見てくる。けれどただポーンポーンと意味のない音が鳴るだけなのを聴いて、不思議そうに去っていく。
そんな生徒達にヨナスは「明日ここでコンサートがあるんだよ」なんて説明してくれていた。
ヨナスの気配りは本当にありがたい。ただ、こんな調律の音だけを聴かされた子達がはたして明日も来てくれるだろうか……。せっかく興味を持ってくれたのにもったいないな。
……まだ音は完璧とは言えないけれど……——
私は一旦調律道具を置いてから、鍵盤に指を添えた。
チェンバロはピアノの祖先と言われているけれど、音色はピアノよりもギターに近い。弾き心地もなかなか独特だ。
そんなチェンバロという楽器の音色を一番輝かしく引き出してくれるのは、やっぱりバッハだと思う。異論は認めよう。
——バッハの平均律クラヴィーア曲集第一巻より、第五番。
明るく軽やかな曲調が、なんとなく中庭の午後の雰囲気に合っている気がした。
いきなり速いパッセージから始まるこの曲。慣れない鍵盤のタッチにもつれそうになる指をなんとか動かせば、弦を爪弾く煌びやかな音が青空の下に響き渡る。
マイクもスピーカーもない中での野外演奏に不安はあったけれど、東屋の屋根が程よく音を反響してくれていて、それなりになんとかなっていそうだ。
そこまで視線を外す余裕はないけれど、視界の端でさっきの生徒達が立ち止まってくれたのが見える。
それからも少しずつ人が増えた。
そして約三分のそれを弾き終えた頃には、十数人ほどの観客からのまばらな拍手が起きた。
「すごいよアンナ先生! さっきまで埃をかぶって眠っていた楽器の音色だとは思えない!」
「ありがとうございます、ヨナス先生」
ヨナスは大絶賛してくれたが、この演奏にはかなり問題がある。そう……私はまだ、ここでの演奏の許可も何も得ていないのだ。
「一体これは何事だ、リリコック先生!!」
案の定、すぐにドミトリー副理事長がすっ飛んできてお説教が始まった。
中庭でコンサートなんて、とか、許可を出した覚えはないとか。
「はい……はい……」と大人しく怒られている間に観客らはそそくさと散っていった。
そのとき、そうして怒られる私を、生徒会室の窓の向こうからルチアーノが見ているのに気がついた。
心做しか笑みを浮かべて、なんだか愉快そうである。なんだ、私が怒られているのがそんなに楽しいか?
「……コンサート開催の許可なら、生徒会からもらいました!」
まるで軍隊が如く、不必要に大きな声で答えた。
ルチアーノが「はあ?」と聞こえてきそうな顔をしている。
「なんなんだ急に……。そんな話はこちらでは聞いていないが」
「どうぞ会長殿にご確認ください!……それでは、私は午後の授業があるのでこれで!」
空気を読んでくれよルチアーノ。
そんな視線をたっぷり彼に植え付けて、逃げるように立ち去った。
ここからは午後の授業に続けて部活指導もある。
調律の続きは……また夜だ!
くっそー教師になってから、まともに早く帰れた試しがない!




