4話 だって彼は助けなんて待ってない
始動初日の音楽部には、ナタリー以外にも数人の入部希望者が現れた。各々、歌を歌ったりピアノを弾いたり、弦楽器で重奏してみたり……自分たちの音楽を楽しんでいる様子で何よりだった。
部活を作ったのは間違いじゃなかったと信じたい。あの子達にはそういう居場所が必要だったんだし、これからもそういう子は増えるかもしれない。
だけど……
「部活中……ナタリー、ほとんど歌いっぱなしだったわね……」
今頃爆睡じゃないかしらと、高く昇った月を音楽館の窓から見上げた。
例のごとく私は今日も授業準備に追われている。
「ああ、もう……」
授業準備に追われている……はずなのに、心そこにあらず。とにかくナタリーとルチアーノのことで頭はいっぱいだった。
だってどうすればいいの。あんだけ部活で歌えば、さらに夜中も歌おうなんて考えないでしょ普通。
『女神の歌声』はルート分岐前の共通イベント。これが起きないなんてのはゲームがまだ始まってないのと同じ。でも現実はしっかり進んでるのよ。
つまりこれってやっぱり、私がルチアーノ救済ルートを丸ごと潰してしまった……ってことになる?
ああ、私のせいでルチアーノが病んでしまう。そしたらそのうち学園にも来ずに城に引きこもるようになって、いずれはただの傀儡の王に……!?
(あばばばばばばば)
主に『私のせいで』ってところがすごくいただけない。
なんとかしなきゃ。なんとかってなに?
誰に急かされるわけでもないのに、常に何かに焦って頭の中がぐるぐるしていた。
だめだ、一旦落ち着かないと。
あえて頭の中をリセットするために、縋るようにピアノの鍵盤に手を伸ばした。
そして何を弾くかも考えずに、とりあえず指を動かし始める。適当に動いていた指は、そこから無意識にハノンの三十九番に合流した。
手癖で動くそれをそのままにしながら、大きな窓から差し込む月明りに目を向ける。
防音性は気になるけど、この月明りは感動的なレベルで素晴らしい。
こんな夜はドビュッシーの『月の光』……いや、シューマンの『トロイメライ』。
そうと決まればハノンを切り上げて、流れるようにトロイメライのアウフタクトに突っ込む。
そうして指を動かしていると、あんなにひっちゃかめっちゃかしていた頭の中が嘘のように凪いでいく。
冷静になれば、私がすべきことも自ずと浮かんできた。
(そうだ……形はなんであれ、とにかくルチアーノにナタリーの歌を聴かせればいいのよね)
夜の神秘的な雰囲気なくしては『女神の歌声』のインパクトこそないかもしれないものの、ナタリーの歌そのものがルチアーノの心を溶かすというのは間違いないはず。
ならば私が率先して、その舞台をセッティングすればいい。
皮肉にも私は、それができる立場にある。
待っててルチアーノ、一人でバッドエンドなんて入らせないから!
◇
翌日、授業の空きコマに生徒会室へ行ってみれば、ルチアーノはいつものように窓際のソファに座っていた。
(この子いつでもここにいるけど、もはやここに住んでるのかしら……)
ちゃんと授業は受けてるのか心配だわ。
ともあれすんなり会えたのはよかった。
「なんだ、またあんたか……」
ルチアーノには一目見た瞬間から非常に鬱陶しそうな顔をされているが、後ろに控えたヴァンクールはにこにこと微笑んでいる。もしかして今日の殿下もご機嫌が良いのかしら。これで。
「一体何の用だ?」
「殿下、音楽部の部活見学にいらっしゃいませんか?」
「見学だって?」
うわ、嫌そうな顔。
「ほら、新規の部活がちゃんと申請通りに活動できているかどうかを確認するのも、生徒会の仕事だったりしません?」
「しない。興味もない。帰れ」
「すごく歌の上手い生徒がいるんです。きっと殿下も気にいると思いますよ。なんだか心が洗われるような……落ち込んだ気持ちだって掬い上げてくれそうな……素敵な歌声なんです。その子の歌だけでも一度聴きに来てみませんか?」
「しつこい。興味ないって言ってるだろ」
一度聴いたら虜になるのに。そういうシナリオなのに。
ルチアーノは私を見もしないで拒絶の姿勢を貫いていた。
ただ、手元の本に視線を落としつつ……
「……ピアノは」
「へ?」
「ピアノは誰が弾いている」
なぜだか只今殿下は、ピアノの奏者にご興味がおありなようだった。
「えっと、歌の伴奏なら私が……」
「違う、そうじゃなくて」
「? 昨日ピアノを弾いていた子なら、二年生のカタリア嬢です」
ルチアーノの質問をあまり飲み込めないまま、とりあえず昨日の部活でピアノを弾いていた彼女の名前を挙げた。
ぴたりと、ルチアーノの本をめくる手が止まる。
「……そうか、わかった。もう戻っていい」
「ええ?」
いや、『戻っていい』じゃないのよ、こっちはそんな話をしに来たんじゃないの! ナタリーの歌を聴けっつってんの!
「カタリア嬢のピアノに興味がおありなら、それはそれでぜひ見学に来ていただければ……!」
「いや、それはいい」
「いやでも」
なんにしろ音楽館に来てくれさえすればこっちのもんだとさらに食い下がろうとしたところ、ルチアーノが一言「ヴァンクール」と声をかけた。
すると、
「申し訳ございませんアンナ先生。殿下はお忙しい身でして」
「あ、ちょ」
苦笑気味のヴァンクールにあれよあれよと扉の外に導かれ、バタンと目の前で扉が閉じられた。
「い……いつでもいいんでー! 待ってますねー!」
まず意味はないと思われる言葉を扉の前に残したものの、当然返事などない。
肩を落としてしぶしぶ立ち去った。
しかしこのまま落ち込んでもいられない。他の手を考えるしかないかと、顎に手を当てて廊下を歩く。
ルチアーノのあの様子なら他のどんな理由を取り繕ったところで、今後私の誘いに乗ってくるようなことはないだろう。
ならもう直接ナタリーの歌をルチアーノの耳に叩き込むしかない。
かといって夜間にナタリーを呼び出して、ルチアーノの部屋の前で歌えと誘導するわけにもいかないし……
(……うん、あれしかない)
次の策を決めて、早足で職員室へ向かった。
「おや、アンナ先生、今度は何を?」
デスクに座った私を、同じく空きコマらしいヨナスが興味深そうに見つめてくる。
私はそんな彼に答えつつ、紙の上にペンを走らせた。
「音楽部の学内ミニコンサートを開催します!」
あくまで自然に、健全に。ルチアーノの耳に女神の歌声を届けてあげよう。
そう決めた私が今書いているのは、この後どうせ必要になるんであろう企画書と申請書だ。
ヨナスは「へぇ……」と相槌を打って、数秒黙った。そして言った。
「え、まだ新設二日目ですよね?」




