3話 さぁ、女神は今日どこで歌う?
私の初授業はなんとヒロイン、ナタリー所属の音楽科一年生達だった。
ついにあのナタリーの歌が生で聴けるのね、と教材に選んだ楽譜をワックワクで配る。
ゲームのナタリーには立ち絵こそあるものの、乙女ゲームという性質上、声はなかったのだ。
「ナタリー・コロラトゥーラさん、この曲は知ってる?」
「あ、はい。子供の頃によく歌いました」
イメージ通りの可憐なソプラノに、期待が高まる。
「では前に出て、お手本として歌ってみてもらえるかしら。伴奏は私がするわ」
「え!?」
慌てるナタリーを前に、さすがに無茶ぶりだっただろうかと心配になった。ナタリーはそもそもあまり積極的な性格ではなかったはずだ。
けれど彼女は自信なさげに皆の前に立ったものの、前奏が流れ始めるとすぐにまっすぐ顔を上げた。
そして期待以上の素晴らしい歌声を披露した。
伴奏を弾く手がつい止まってしまいそうになる。それぐらいついつい聴きいってしまう、とにかく揺るぎなく透き通り、人の心に感動が直接届くような歌声だった。
これが夜な夜などこからともなく聴こえてきたりしたら、この世ならざる者の歌だと勘違いしてしまうのも無理はない。
「最高よ、ナタリー!」
そんな彼女の歌声に後押しされたこともあって、その後の授業は大成功と言える出来だった。
授業後、私はナタリーに再び声をかけた。
「ねぇナタリー、昨日はどこで練習を?」
ここでは聴こえなかった女神の歌声。出どころはどこなんだろうかと確かめようとした……のだけど。
「あ……昨日は歌ってません。故郷の……友人に手紙を書いていたら、いつの間にか眠ってしまっていて」
「え……」
あれ? ルチアーノが初めてナタリーの歌を聴くのは入学式の夜……だったと思うんだけど。記憶違いかな。
「そ、そう……そうね、初めての学校や寮生活で疲れたわよね。……でも歌はできるだけ毎日、少しずつでも継続する方がいいわ。体が楽器なんだから、場所だって別に選ばないし……」
「は……はい、わかりました! がんばります!」
素直に頷くナタリーの愛らしさに愛しさがこみ上げるものの、同時にじわじわと湧く焦り。
(も、もしかして……私がいるせいで、何かストーリーが変わっちゃってたりする? うそうそうそ、そんなことないわよね? 別に変なことはなんにもしてないし)
笑顔の裏で嫌な汗が流れる。
ま……まぁ大丈夫よね。これだけ言えば今日こそ歌ってくれるはずだし、思っていたより展開が一日遅くなるってだけ。
切り替え切り替えと、急いで次の授業準備に取り掛かった。
そして次の音楽科三年生達の授業で、私はさらなるこの学園の問題について耳にした。
◇
その後、昼休憩の職員室にて。
私は購買で買ったランチボックスを机に広げた。
昼は食堂に行く先生が多いので、職員室にいる人間は多くはない。
ただ隣席ではたまたま、ヨナスも私と同じランチボックスを広げていた。
「そういえば、ヨナス先生はなんの部活顧問をされているんですか?」
なんとはなしに訊いてみると、
「俺は言語学研究会と茶会クラブの顧問だよ」
と。いかにもモテる言語学教師の部活っぽい。
「アンナ先生は? どこの顧問になるの?」
「いやぁ、それが……」
前任の音楽教師は弦楽部の顧問だったと、先程の音楽科の生徒たちから聞いた。
ならばそれは私が引き継ぐのが道理だろうと思ったけれど、なんとその弦楽部は人数不足のため昨年度末に解体されてしまったらしい。
「へぇ。よかったね」
「よかった?」
なんて悲しいことだろう、とまで思っていたのに。『よかったね』とは何事だ?
「顧問なんてやらなくて済むに越したことはないよ」
「え……それは教師側の都合ですよね」
「え」
「ああ、いえ、だから私、新しく部活を作ろうと思ってて」
「……ん?」
ヨナスの目が不可解なものを見る目に変わった。
「音楽部とかどうですか? 弦楽に限らずいろんな楽器の生徒が参加できるようにすれば、人数は確保できそうじゃないですか。そうすれば元弦楽部の子達はそれまでと変わらず活動を続けられるし、他の楽器を極めたい子達も練習場所に困ることもなく、学校の予算をもらいつつ技術向上を目指せる」
「な、なるほど……。アンナ先生って……意外とアツいんだね」
ちょっと引かれているのがわかる。そんなに変なことを言ったつもりはないのに。
「だってこの学校、音楽科があるのに音楽系の部活は一つもないんですよ? 交響楽も吹奏楽も合唱も」
「ああ、まぁ……この学校の部活って勉強の延長みたいなものだしさ」
「交響楽にも合唱にも学びはたくさんあるんですけどね……。まぁ人数的にそういうのは無理なので、まずはなんでもありの音楽部から」
音楽科の生徒の数は一般の生徒の一割にも満たない。ドミトリー副理事長のせいでやたらと肩身の狭い音楽を、一般の生徒がわざわざ部活でやることはないだろうし、人数が必要な合奏や合唱は難しい。
できることから始めていって、いつかそういうのもできるようになったらいいな。
「じゃあ……部活の新設のためには、まず生徒会に申請をしないとね」
「生徒会に?」
「うん。教師が部活を立ち上げるパターンは初めて聞くけど……生徒達のルールではそうなってる」
「そうなんですね、わかりました。ありがとうございます」
「いえいえ、俺に手伝えることがあればなんでも言って」
「じゃあ申請書の様式をご存知でしたら教えてください」
私はサンドイッチを片手に、紙とペンを机の上に引っ張り出した。
「え、今申請書つくるの?」
「はい。この休憩中にさっさと出してきます」
「はー……なんかアンナ先生ってさ、つい最近までただの貴族のお嬢様だった感じがしないよね。あ、もちろんいい意味でね」
そう感心したように言われて、私はぎくりと肩を震わせた。
「あ、ははははは……」
「待ってね、前に茶会クラブが中庭の使用のために用意した申請書の控えが残ってるから、それを真似れば大体書けると思う。えーと……」
ヨナスは自分もサンドイッチ片手に引き出しの中の書類を探してくれた。
『よかったね』はまじで何事かと思ったけれど、思えばそれは目の前の私を思ってこその言葉だ。私の意思を聞いた後は一切否定せずに協力してくれる。……優しい人だな。
そう思いつつ、持ったままだったサンドイッチを頬張った。
それからものの五分ほどで書類を書き上げ、生徒会室を訪れた。
私の提出した書類を一瞬だけ目に留めたルチアーノは、
「音楽部……? フン、好きにしたらいい」
と、それだけ言って書類に判をついた。
なんだ、そんなに簡単なことなんだ。正直拍子抜けした。
馬鹿にして一度は破り捨てられるぐらいのことを覚悟して、予備であと二セット用意してたんだけど。無駄だったな。
「タイミングがよかったですね。今日の殿下は少し機嫌がいいんです」
あとでヴァンクールがこっそりそう教えに来てくれたのに対して、「え、あれで?」と素直に言ってしまいそうになったのはなんとか堪えた。
それからこれまた大慌てで作った部員募集のポスターを掲示板に貼り、放課後は既に話をつけていた元弦楽部の子達と過ごしていると——
きらきらと目を輝かせたナタリーが、入部届を持ってやってきた。
「毎日人目を気にせず歌える場所ができてよかったです! アンナ先生、ありがとうございます!」
「え、ええ……一緒にがんばりましょうね」
よき理解者の顔を繕いつつも内心は大慌てだった。
(やばいやばいやばいやばいやばい! 待って。しまった。迂闊だった。もしかするとこれって……この子、夜に歌わなくなっちゃうんじゃないの……!?)
ご、ごめんルチアーノ——————!!




