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38話 おとぎ話のようにはいかないけれど


 外は夜だというのに、ライト式の大きなシャンデリアによって照らされた会場は昼間のように明るい。

 テーブルにはとても食べきれない量の料理が並び、壁際には給仕のためのメイドがずらり。

 そしてそんな中、貴族たちは楽団の生演奏をBGMにして会話を交わしている。


(なんて贅沢な空間なの……)


 貧乏男爵令嬢にとってはカルチャーショックだ。

 

 急な開催のパーティーだと聞いていたけど、参加者はとても多い。王宮からの招待ともなれば、何を差し置いても優先されたりするのだろうか。

 ドミトリーと手を組みながら、目的であるルチアーノの姿を探す。


 ——そして会場の中央付近で、エヴァの傍らに立つ彼の姿を見つけた。


 だけど無事な姿にほっとしたのも束の間。

 人との会話ややり取りは普通に成り立っているようだけれど、その瞳には光がなく、表情も貼り付けたような笑みから一切動かない。

 昨日ヴァンクールから聞いていた通り……まるで意思のない人形。

 他の人達は、あのルチアーノに違和感を抱かないのだろうか。

 

「副理事長は……ルチアーノ殿下の様子が変だとは思いませんか?」

「殿下が? ……ああ、言われてみれば……あの自分の意思を全て削ぎ落としたような目はまるで……兄君を亡くされてすぐの頃の殿下のようだ」

「……!」

 

 よっぽどこの婚約が嫌なのかもしれないな。と何も事情を知らないドミトリーが密かに囁く。

 ……なんだか胸が苦しくなった。

 

(そうか、周りの目はそうなのか)

 

 ルチアーノは傀儡の王子でも不思議ではなくて、この政略結婚を嫌がっていたとしてもそれは仕方がなくて。

 だれも彼のことを、助けようとなんてしない。

 

「アンナ先生……それで、これから一体どうするんだ?」

「……副理事長はしばらくエヴァの気を引いてもらえませんか? その間に私は殿下とお話が」

「わかった」


 絶対に助ける。私が助けてみせる。

 改めて決意し、ルチアーノに近づいた。


「——殿下」


 ドミトリーのおかげでエヴァが離れた隙を突いて、ルチアーノの前に立つ。

 ルチアーノは最初こそまったくの無表情だったけど——すぐに作り物の笑顔をぺたりと貼り付けた。


「ごきげんよう」

「ルチアーノ殿下……お願いします、正気を取り戻してください」


 そもそもそう仕組まれているのか、気合いの入りすぎた私のこの顔だからなのか。

 ルチアーノは私を……見ず知らずの人間として扱った。


「正気とは? 私はまだ酒は飲んでいないよ」

「私のことがわかりませんか? ならそれは正気でないということです」

「あなたとははじめましてだね」


 ……たとえ顔が違ったとしても、ドミトリーは声で気づいてくれたのに。どうしてあなたがわからないのよ。

 

「はじめましてではありません。私達は学園で出会いました。共に音楽を語り、奏で、作りました。あなたが毎晩毎晩押しかけてくるせいで、私は授業準備がなかなか進められなかったんですよ」


 彼は思い出話にも恨み言にも、変わらない笑顔を貼り付けたままで。

 そしてまた、感情も抑揚もない声で言う。


「誰の話をしているんだい?」

 

 あー……


「あなたの話ですよ……」


 キツい。思っていた何倍も。


『あなたに会えば殿下も目が覚めるかもしれない』


 ごめんヴァンクール、やっぱりそんなのはおとぎ話の世界だけの奇跡だったよ。

 モブキャラの私の顔を見たところで、声を聞いたところで、何も奇跡は起こらない。


 じゃあ次は何する? やっぱりキス?

 おそらく何重もの意味で私が死ぬことにはなるけど、なんかもうできることがそれぐらいしか思い浮かばない。


 ヒールを鳴らして一歩二歩と近づく。

 ルチアーノは逃げることも訝しがることもない。


「ルチアーノ……」


 青白い頬に手を伸ばす。けれどそこで、


「ルチアーノ殿下、その方は?」

「!」


 エヴァが戻ってきてしまった。私は伸ばした手を慌ててルチアーノの肩に下ろす。


「……殿下、肩にごみが。では私はこれで」


 エヴァと直接顔を突き合わせるのはさすがにリスクが大きい。私はそそくさとその場を立ち去った。


 ……体が重い。

 布がふんだんに使われたドレスも、ダイヤでごてごてに飾られたイヤリングもネックレスも、重くて重くて仕方ない。

 他のご令嬢の皆さんは、同じような格好でも涼しい笑顔で過ごしているのに。私といえば重苦しい顔で重い体を引きずりながら、王太子の唇を付け狙っている。

 

 ——こんな女にキスなんかされて、正気に戻る奴があるか。


 私自身が正気に戻った。危ないところだったわ。

 大体私からルチアーノへの愛があるわけじゃないのに、キスでどうにかしようなんて土台無理な話だ。


 例えば仮に、私とルチアーノを繋ぐものがあったとして……

 それはやっぱり——音楽しかないじゃないかと。


 楽団の隣で佇んでいる、使われていないグランドピアノを見て思った。


 ピアノの蓋に手を添える。それは鏡かと思うぐらいきれいに私の顔を反射している。きっと調律も、スタインさんが完璧にしてくれているんだろう。


 

(ねぇルチアーノ、〝禁断の曲〟ってどんな曲だったの?)


 この世のものとは思えないほど美しい旋律だったり?

 演奏したのはエヴァ? 楽器は? ピアノ? ヴァイオリン?

 それは、そうまで心を奪われるほど素敵な音楽だったの?





 ……私のピアノより?





 

 ピアノの蓋を開く。

 みんな何かと忙しくて誰も私のことなんて見ちゃいない。それをいいことに、勝手にピアノ椅子に腰掛けた。


 今も演奏中の楽団には悪いけど……心の赴くままに指を動かした。


 パッヘルベルのカノンを弾き始めて、すぐに楽団の音楽が止まった。そりゃあそうだろう、彼らにはそこらのご令嬢が気まぐれで弾き始めたピアノに張り合う必要など特にない。

 周りも、楽団の音楽がピアノの音色に変わったことなど特に気にとめない。BGMなんていうのはそんなものだ。

 

 カノンの次はシューマンの『トロイメライ』、さらに次はショパンの『華麗なる大円舞曲』に、『革命のエチュード』……私が学園で過ごした日々を追想するように、黙々と音楽を奏でていく。

 すべての曲に思い出があって、その思い出のすべてに——ルチアーノがいた。


「……ふふ」

 

 本当になんて、恵まれた教員生活だったこと。


『革命のエチュード』を弾き終えて鍵盤から指を上げると、楽団の方々を始めとしてまばらに拍手が起きた。

 いつの間にかBGMを通り過ぎていたようで、私を囲む聴衆の輪が小さいながらにできている。


 丁度いい、次の曲はBGMにしてしまってはもったいない。

 私は彼らに小さく微笑んで会釈をし、再び鍵盤に指を置いた。


 ここまで目立ってしまえば、エヴァやドラマーティコ公爵家の人間に怪しまれるのは時間の問題。

 次がおそらく最後の曲になる。



 ——ルチアーノ作曲『アンナ』




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