34話 禁断の曲 sideエヴァ
我がドラマーティコ家は、古くを辿れば魔導師の家系にあたる。
歴史を四百年五百年も遡れば当時は魔術によって何もかもが思うがままで、今の公爵家に続く地位はその頃に創り上げられたのだとか。
しかし魔術は時代と共に衰退した。魔術に類するものなんて、今や魔石を用いた魔道具ぐらいしか見ることがない。
だけど私の祖母には少しだけ魔術の才があった。それこそ周りからは『魔女』と呼ばれるような。
いくつになっても老けることなく、年若い見た目のまま。数々の男を魅了し、公爵家の財を当時の何倍にも膨らませた。
その祖母が、私に会う度に言っていた。
『この子にも魔術の才がある』と。
自覚は何もなかった。そのうち使えるようになるかと思われていた魔術は、未だに何も使えない。
けれど私は間違いなく選ばれた人間。
だからこそ私は、王太子の婚約者にもなったのよ。
あの祖母でさえ手に入れられなかった、未来の王妃という地位。
それこそが、この私に一番相応しい特別な地位だった。
なのに第一王子ったら病気なんかで死んでしまって。
もともと病弱気味ではあったけど、まさかあんなに早く死なれるとは思わなかった。
だけど第一王子のかわりに第二王子が王太子となったのだから、当然、次は第二王子の婚約者になるのだと……そう思っていたのに。
それなのに、あいつ——ルチアーノはあろうことかそれを拒否した。
『エヴァが愛しているのは僕じゃないはずだ』だったかしら。
愚かな人。私が愛しているのは私だけよ。
それでも、家柄をとっても美しさをとっても、彼の婚約者として私以上にふさわしい人間なんて、この国のどこを探してもいないはずだった。
ルチアーノなんて、遅かれ早かれいつかは私の手の中に転がり込んでくる——そう高を括っていた。
そんな私の目に映ったのは、不愉快極まりないあの光景。
夜の音楽館に入り浸るルチアーノ。ピアノの前でよりにもよって音楽教師なんかと寄り添って、私には取って付けたような愛想笑いばかりのくせに、あの教師の前では幸せそうに笑ってばかり。
——気に入らない。
気に入らない気に入らない気に入らない。
彼はあんな女より私の方が、ずっと若くて美しいのに気づいていないのかしら。
庶民臭いピアノも音楽も何もかも邪魔。邪魔邪魔邪魔。
安心して殿下、あんな淫乱教師はすぐに追い出してあげる。
痛い目を見ても懲りないなら大事なものを壊す。
それでもだめなら、教師としての尊厳を丸ごと奪ってやる。
簡単なことだったわ。
窓の外を見下ろせば、たった一枚の学園新聞で追い詰められた女が、とぼとぼと学園を去っていく後ろ姿が見えた。
なんて情けない姿かしら。選ばれた人間である私に逆らったりするからこうなるんだわ。
私はそっと口元に笑みをたたえた。
さあ……これでやっと、邪魔者は消えたわね。
◇
「来てくださってうれしいわ、ルチアーノ殿下」
しんと静まり返った夕暮れの音楽館。呼び出しに応じてやってきたルチアーノに、私は極上の微笑みを向ける。しかし彼の目は氷のように冷ややかだった。
「あら殿下、ヴァンクールは?」
「学園中に貼られたあの下品な新聞を回収させている」
低い声で吐き捨てるように言われたその言葉に、内心私は笑いが止まらなかった。
あとはあの精霊だけが邪魔だったのだ。わざわざ置いてきてくれたなんて好都合……いや、こちらの計算通り。
新聞は私の手の者達が今もそこら中に貼り続けている。イタチごっこはいつ終わることかしら。
「エヴァ……君なんだろう、学園新聞にあんな記事を載せさせたのは」
「あら、なんのことかわかりませんわ」
「認める気も謝罪する気もないんだな?」
「ふふ」
ルチアーノは既に私に見切りをつけ、侮蔑の目を向けている。ここから彼の好意を手に入れることはいくら私でも不可能だろう。
でももうそれでいい。顔色を伺わずとも、媚びずとも、未来の王妃になれる素敵な物をお父様が授けてくださったから。
「それより殿下、私が練習したピアノを聴いてくださりません?」
夏休み中、一生懸命練習しましたのよ。
「僕は忙しい。今すぐ新聞部の謝罪と共に、僕が書いた訂正記事を載せさせる。君が彼らに何をしたかは知らないが、真に君と僕どちらにつくべきかは彼らにも理解できるはずだ」
「訂正も何も……あの記事には事実しか載っていませんことよ」
「エヴァ……!」
怒りで声を震わせるルチアーノを無視し、私はあらかじめ譜面台に置いていた古い楽譜を広げると、勝手にそれを弾き始めた。
「……婚約者を……兄さんを喪った君は、僕と同じ立場の人間だと思っていた」
静かに響き始める旋律の中で、ルチアーノが吐露するように呟く。
「けれどそうじゃなかった。君は兄さんの代わりとしての僕に取り入ることばかり考えて。……ひと月足らずで、黒いドレスすら身につけなくなった」
「…………」
「君のような人を、僕の婚約者として迎え入れることはできない」
「私よりもあの教師がふさわしいと?」
「……アンナ・リリコックは僕が学園に連れ戻す。君はもう彼女に関わるな」
連れ戻す? あんな女を?
可笑しくてたまらなくて、ピアノを弾きながらも自然と口角がつり上がる。
「殿下は私が何日黒いドレスを着ていれば満足なんですの? 一年? 二年? ……そんなに付き合いきれませんわ。だって黒ばかりじゃおしゃれが楽しめないでしょう?」
「なんだと……!?」
「私はいつだって、誰よりも一番美しくいます。だって未来の国王陛下であるルチアーノ殿下の隣に立つんですもの。わかりませんか? 私は殿下が恥ずかしい思いをしないようにしてあげているんじゃないですか」
「だから、僕は君とは——」
怒りに任せて一歩踏み出そうとしたルチアーノの体が、ぐらりと大きく揺れた。
「な、なんだ……? 急に頭が……っ。……くそ、その奇妙な音色の音楽を止めろ……!」
(あは、効いてきたみたい)
我がドラマーティコ家に代々伝わる〝禁断の曲〟による魔術が。
この古びた楽譜を私に託し、お父様はおっしゃった。
『これは聴いた者の精神を蝕み、演奏者の言いなりにさせる禁術の譜面……お前ならきっと扱える。これでルチアーノ殿下の心を完全にこちらへ縛り付け、今度こそ確実に〝王妃の座〟を手に入れるのだ』
「く……あ、頭が……割れる……!」
頭を押さえ、その場に膝をつくルチアーノ。
禍々しい旋律を聴きながら苦しそうに魘されていたものの、しばらくすると突然死んだかのようにパタリと呻き声を止め、静かになった。
最後に不気味な和音を響かせ、曲が終わる。
私は椅子から立ち上がり、力なく俯くルチアーノのもとへ歩み寄った。
そして、彼の冷たくなった頬に優しく手を触れる。
何の抵抗もなく持ち上がる青白い顔。
瞳からは生気が消えている。溢れていた私への闘志は失われ、焦点の合わない、まるで虚ろなガラス玉のよう。
「ねえ、殿下。……私を愛していますわね?」
「……ああ。僕は、エヴァ……君を……愛している」
人形のように虚ろな顔で呟くルチアーノ。
私はその顔を見ながら勝利を確信した。
「あはははははははははは!」
笑いが堪えきれない。
ねぇ、ほらやっぱり。私って選ばれた人間なのよ。




