30話 どいつもこいつも
ナタリーは夏休みいっぱいを地元で過ごすらしい。学校が始まれば幼馴染の彼とは会えなくなってしまうんだし、それもそうだろう。
だからコロラトゥーラ家で一泊させてもらった後、私は早朝に一人で先に学園へ戻った。
ルチアーノ達は黙って置いてきたので相当怒ってるに違いない。
『仕事があるので先に帰ります。殿下達は観光でもしながらゆっくり戻ってきてください♪』
と書き置きは残してきたものの、まぁ我ながら酷いとは思う。ほとんど騙し討ちで連れていったのは私なのに。
けれどルチアーノと同じ列車に乗って帰ってくることは考えられなかった。
シナリオがどうとかエヴァがどうとかではない。それが今、教師として私に求められる振る舞いだと思ったからだ。
「……ハァ」
あれから数日経ったのに、出勤しても仕事に身が入らない。
夏休みに入った学園は静かなものだ。
前世のような鬼の補習とかはほぼ存在しないのがここの校風だし、夏休みまで活動するような部活もほとんどないし、寮住みの生徒達はほぼ全員が実家に帰省する。
教員の出勤は当番制で、一日に二人ずつ。といってもこの当番に参加する教員はそう多くなく、暗黙の了解で若手に押し付けられる。
けれどすることといえば花壇の水やりと一日二回の見回りぐらい。つまり基本的には暇なので自分の授業準備にあてればいいのだけど、
「ハァ……」
溜め息がとまらない。
ルチアーノをあの場所へ連れていったことを、あの日からずっと後悔している。
いやそもそも、後悔すべきはそこではなくもっと前だったか。
「アンナ先生どうしたの? 浮かない顔して」
そう言って、二人分のアイスティーをいれて来てくれたヨナスがデスクに座った。
これでも二番手の若手であるヨナスももちろん、夏休みの当番要員である。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
「その手紙は? 実家から?」
その言葉で私は、自分が父からの手紙を読んでいる途中だったのを思い出した。
本当は全然違うけど、ヨナスはおそらく私の溜め息の原因がこの手紙にあると思っている。
どうせ本当のことは言えないし、もうそういうことにしとけばいいか。
「ええ、父からです。要約すれば『いい相手はみつけたか?』って。お父様ったら、この学園を婚活会場か何かと勘違いしてるみたいで」
困りますよねと苦笑いを作れば、ヨナスも「あー……」と苦い顔。
「わかる。俺もたまに似たような手紙が届くよ」
「そうなんですか?」
「勘当同然で追い出されて来たけどさ、いい家柄のお嬢さんを連れて帰るってことなら歓迎らしい」
「まぁ。お互い大変ですね」
おそらく私が考えているより、この世界は教師と生徒のあれこれについての倫理観が緩いのだろう。
そもそもこの世界では、男女ともに十八歳で完全な成人扱い。
それ以前に女性は十代で結婚するのが当たり前だし、学園はそういう意味では適齢期女性の宝庫と言える。無論その分、すでに親の決めた相手がいるという子も多いけど。
(いい家柄のお嬢さんか……)
「私はただの貧乏男爵家の娘なので、お力にはなれませんねぇ」
残念です、と軽い調子で茶化してアイスティーのグラスを傾けた。
ヨナスがその気になれば、ついてくる女子生徒なんてわんさかいる。それでも今もヨナスが独身貴族を貫いているのは、彼にその気がないからに他ならない。
私だってそうだ。別にこのまま一生独り身だってかまわないと思っている。
けれどなぜかヨナスは慌てたように「い、いや……!」と声を上げた。
「スピント家に認められなくたって構わないよ、どうせ俺はあの家に帰るつもりなんかない! だからアンナ先生さえよければ……」
「?」
「俺と……俺と結婚しよう!」
「えっ……?」
一瞬、時が止まったみたいに感じた。
ルチアーノに続いてお前もか? ヒロインが幼馴染ルートだからってどいつもこいつもトチ狂うな。
——いや、早まるな私。思い出せ。
出会ってから今まで、ヨナスはいつも私のことを助けてくれた。完璧な『ヨナス・スピント先生』の仮面の下の彼はたしかにオタクで卑屈だけど、これまで私を支えてくれたヨナスの優しさや思いやりは、表面に取ってつけただけのものなんかじゃなかったはず。
今回もきっと、彼は私のために——……
「……ああ、そっか。ヨナス先生、私の家のことなら気になさらなくて大丈夫ですよ!」
「えっ」
「行き遅れの私が恥だってだけですし……この手紙に書いてあったんですけど、妹の縁談が無事決まったらしいんです」
「あ、それは……おめでとう……」
「はい。おかげさまで私もそれなりに仕送りができる程度のお給料はいただいてますし、これでリリコック家は安泰です。お気遣いいただきありがとうございます。これからもお互い、独身貴族を謳歌してやりましょう!」
優しいヨナスに互いの健闘を称え合うための笑顔を送る。
ただ、適齢期をとうに過ぎた私の独身貴族宣言はさすがに痛々しかったのか、「はは」とかなり乾いた感じの笑いが返ってきた。
何がそこまでまずかったのか、どこか茫然自失の様子でもある。
「えっと……それじゃあ、私そろそろ校内の見回りに行ってきますね」
「あ……ありがとう、よろしく……」
盛大に滑った感じの空気が辛い。アイスティーを飲み干して、逃げるように職員室を出た。
◇
学園内は夏休み中でも別に生徒の出入りは自由だけど、やはりほとんどの生徒が帰省しているのでどこにも人の姿はない。
人気のない廊下を新鮮な気持ちで歩けば、自分の靴の踵の音がカツンカツンとやけに響いた。
一階から二階、二階から三階へと登りつつ、扉や窓の施錠を確認。
そこでふと、窓の外に煙が立ち上っているのが見えた。
(か、火事!?)
めちゃくちゃ焦りながら窓を開け、煙の出どころをようく見る。考えてみるに、煙は旧校舎裏の焼却炉の方から出ているようだった。
ひとまず火事ではなさそうなことに安堵する。
しかしそれはそれで、誰が勝手に焼却炉を使っているのかという別の問題が出てきてしまう。
私は慌てて焼却炉に向かって走った。
思った通り、焼却炉の中では現在進行形で何かがガンガン燃えていた。傍に人の姿はなく、焼却物を突っ込むだけ突っ込んでいなくなったみたいだ。
「もう、わざわざ夏休みに何を燃やすのよ」
一応中身を確認しようと焼却炉の扉を開いた。
「——!?」
戦慄が走る。
燃え盛る炎に包まれた紙束。次々と灰に姿を変えるそれに、見覚えがあった。
私はほとんど無意識のうちに、その炎の中に手を突っ込んだ。
片っ端から焼却炉の中身を外へ引っ張り出す。
熱さは感じるけど、加護の力のおかげで火傷にはならない。
引っ張り出した紙束は依然として燃えている。
それを必死で踏み、土をかけ、どうにかこうにか火を消したときには、紙束はほとんど燃え尽きていた。
残った切れ端を拾い上げる。
私の字で『情熱大陸』と書いている。その下には途中でちぎれた五線譜と、いくつも浮かんだ音符たち。
——やっぱり私の書いた楽譜だ。
これもそれも全部、音楽祭で演奏する生徒達のために用意したもの。睡眠時間を削ってとにかく書き綴った楽譜。
生徒に原本を渡して、写しはまとめて音楽館の準備室に置いていたはずだった。故意でなしに焼却炉の中なんかで燃えているわけもない。
誰がこんなことを——というのは、もはや考えるまでもない。
投石だの階段からの突き落としだの、物理攻撃の次は精神攻撃に切り替えたというわけだ。
しばし目を瞑る。そして深く息を吸って、腹の底から叫んだ。
「エヴァ・ドラマーティコ! どうせどっかで見てるんでしょう! 出てきなさい!!」
これらの楽譜は私の前世の記憶にある曲をただ書き起こしただけのものではあるけど、この世界では唯一無二。貴重な文化的財産である。
それを軽率に燃やしてやろうなんていう、文化へのリスペクトの欠如をそのままにはしておけない。
教育的指導が必要だわ。




