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29話 アンナ・リリコックに捧ぐ


 ジリジリと焦げ付く日差しの中——時計台の中へ消えたナタリー達を追うわけでもなく、生い茂った草の上に膝と手をついて項垂れる私を見て、ルチアーノも私の誤算を察したのだろう。

 

「……なるほど、やっとわかった。あんたの言ってた僕にふさわしい人ってのは、コロラトゥーラ嬢のことだったんだな」


 ぎくっ。

 そりゃあここまで来ればバレるだろうと思うけど、条件反射で肩が揺れた。

 

 ルチアーノとナタリーをくっつけようなんていう、はたから見ればわけのわからない画策がバレた上に、そのナタリーにはすでに意中の男がいる。

 これってどういう地獄ですか?


「だけど男と仲良く手を繋いで行ってしまったぞ? どうする?」


 滑稽な私を嘲笑うような口調だった。顔を上げられない私の前でルチアーノが膝をつく。

 私はその片膝を凝視しながらやけくそで叫んだ。

 

「ど、どどどどうするって、殿下はどうしたいんですか!」

「は?」

「待て! 誰だその男! とかやりたくないですか!?」

「微塵もやりたくないな」


 万が一にも略奪ルートが落ちてたりしないかと祈ったけどそんなわけもなかった。

 

 頑として俯く私に痺れを切らしたのか、ルチアーノは持ち上げるように私の額をぐいと押してきて。無理やりに目が合った。


「なぜ彼女を薦める? 国のためにも、僕のためにもなるとは思えない」

「それは……」


 シナリオのためなんて言えないし。

 どこか悔しそうに見えるルチアーノの目。そんなのを見てしまったら、適当な嘘すら出てこない。


「は、離してください」


 額を掴む手を振り払って、そのまま尻もちをつく形で後ずさる。

 ——今ここでルチアーノとこれ以上会話をしてはいけない。

 なんとなくそんな予感がして、とにかく逃げようと思った。


 けれどそれを許さないというように、ルチアーノの手が私の手を地面に縫い止める。


「殿下」

「僕がコロラトゥーラ嬢と懇意になれば、自分は逃げられると思ったのか?」

「……なんの話を……」

「あんたがヴァンクールの求婚を受け入れたのも、僕を遠ざけるためか?」

「ち、ちが……」


 縫い止めている私の手にルチアーノが視線を落とす。

 ヴァンクールの加護の印である、花形の紋様が今もそこにある。

 それを疎むかのように、その印にルチアーノが爪を立てた。


「いたっ……」

「アンナ……僕の気持ちはもうわかってるんだろう?」

 

 初めて名を呼ばれた。

『あんた』でも『先生』でもないそれと、湿度の高い声に跳ねる心臓。

 夏の暑さと、手の甲に刺さるチリチリとした痛みが思考を遅らせる。


「……いえ、殿下が何を仰ってるのかわかりません」


 やっとのことでそう言った私に、ルチアーノは小さく微笑んだ。


「嘘を言え。わかってるはずだ。あの曲に込めた僕の気持ちが……あんたに伝わってないはずがない」


 ルチアーノがスっと手を伸ばして、私の髪を一束掬う。

 そしてその髪に、静かに口付けを落とした。


 

「『アンナ』だ。あの曲の名前は、それしか考えられない」

 


 ——土と木と、夏の匂いに染まった空気が肺を満たす。


 聞いてはいけないことを聞いてしまった。

 私の頭の中はそういう焦りでいっぱいになった。


 ルチアーノの処女作。誰かを想って作ったであろう愛の曲。

 音楽祭のときの涙が止まらなくなるほど美しい、愛おしさと慈しみに満ちたあの音を未だに覚えている。


(あの曲の名前が……『アンナ』……)

 

 ……さっきルチアーノの言った通りだ。

 たぶん本当は、うっすらどこかでわかっていた。

 あの曲が誰を想った曲だったか。優しい音色が誰に向けられたものだったか。

 

 けれどそれは、知ったところでどちらも幸せにはならないから。だからずっとなんとか否定しようとしてきた。

 

 なのに結局、それすら最悪の形で失敗してしまった。


 こっそりと唇の裏を噛む。

 彼を傷つける行為だとわかっていても、今から私にできることはもう決まっている。


「アンナ……ではなく、アンナ先生もしくはリリコック先生ですよ、殿下」


 すでにやさしく添えられるだけになっていた手をどけて、その場で立ち上がった。

 ルチアーノと目は合わせない。できるだけ冷静な声を心がけて、余計な期待は持たせない。

 

「殿下のお戯れは聞かなかったことにします。……さぁ、戻って畑仕事のお手伝いでもさせていただきましょうか」

「おい、アンナ……」

「はてさて、殿下に力仕事がつとまりますかね」


 それから振り返ることなく勝手に歩きだした。


 ナタリーのルチアーノルートはない。ヒロインとルートに入れなかった王太子がどうなるかなんて知らなかったけど……モブ教師にご執心なんて、そんな馬鹿なこと。


 ルチアーノには悪いけど、今の告白はなかったことにするのが一番だ。

 エヴァ一人にも手を焼いている私の手に負えるような状況じゃないし、なによりルチアーノは可愛い生徒。

 相手がイケメンだろうが、玉の輿だろうがなんだろうが関係ない。

 

 生徒は守るべきもの愛すべきもの。

 決して恋愛対象にはならない。絶対に。


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