27話 めくるめく列車旅 sideルチアーノ
音楽館の窓が一部割れたとかで、なぜか急に総入れ替えになった。
そのせいで、音楽館ホールのピアノの音はほとんど外へ漏れることがなくなった。
音楽館としては無論正しい。むしろ最初からあるべきだった防音設備である。
けれどどこにいても音が聴こえない、夜になってもただ中の灯りだけが漏れている音楽館は思った以上に……虚しい。
「……いっそ窓を全部外したらいいんじゃないか? そうすれば二度と割れる心配なんてないだろう」
「ははは。殿下、ご冗談を」
まぁあの教師はきっと、素直に喜んでいるんだろう。
自分の立場も弁えず、僕に音楽館に来るなと言ったり話しかけるなと言ったりしたぐらいだ。僕が音楽館に行かなくなって、快適な一人の夜を楽しんでいるのかもしれない。
……にしても今思い出しても腹が立つ。たかが男爵令嬢の音楽教師が、僕の行動を制限できるどんな権利を持っているというのか。
あんな戯言に従ってやる義理などない。別に僕は僕の好きなようにしたらいい。
けれど……ヴァンクールの加護の印を受け入れた彼女に、僕がこれ以上何を——
「失礼します! ルチアーノ殿下!」
「!」
彼女のことを考えていたら、当の本人がノックとほぼ同時に生徒会室に乗り込んできた。
数日ぶりに見る彼女は少し焦った様子で、わずかに髪も乱れていたが、心配と同時に苛立ちが湧く。
「どうした、『不必要に話しかけるのは禁止』……じゃなかったか?」
身勝手に突き放しておいて、急にそれがなかったかのような扱い。嫌味のひとつも言いたくなる。
「すみません! これは必要なことなので!」
「……なんだ」
何か困り事があるのかと思ったら、
「殿下、夏休みに……地方へ列車の旅などいかがでしょうか……!?」
「……はあ……?」
本当に一体なんの話だ?
「王族たるもの、庶民の暮らしを把握することも必要でしょう。学生最後の夏休みこそ、そのチャンスだと思いませんか?」
「い、一体何が言いたいんだ……」
「夏休み初日、9:15発の列車に乗ります。殿下もどうかご一緒に」
彼女の目は真剣だった。懇願に近いかもしれない。
ごちゃごちゃと御託を並べてはいるが、実質的には旅行の誘いか? 僕と二人で……?
「アンナ先生、それは……」
「ああ、ヴァンクールさんもどうぞご一緒に」
「はあ……」
二人ではなかったか。けれどヴァンクールはどうやらついで扱い。
とにかくムカつくのが先立って『話しかけるの禁止』の真意を聞いてこなかったが、もしかしたら何か学内で僕と関わることに問題が出ているのだろうか?
だからわざわざ僕と学園を離れようとしているとか?
彼女は多くを語らない。今こうしている間も、もしかするとその『問題』の監視の目が光っているのかもしれない。
だからこそ僕はそれ以上は尋ねずに「考えておく」とだけ返した。
これが僕達の信頼の上にこそ成り立つ、言葉少ないやり取りだと信じていた。
◇
そうして夏休み初日、僕はヴァンクールを連れて学園の最寄り駅へと赴いた。
ホームの前にはすでに彼女がトランクケースを抱えて立っていて、僕の姿を見つけると大きく手を振った。
「あ、殿下! 来てくれたんですね~!」
心から安堵したように笑う彼女に、こちらもつい笑みがこぼれる。
しかしそんな彼女の隣に、
「アンナ先生、本当に殿下をお呼びになったんですか……!?」
緊張した面持ちのコロラトゥーラ嬢が立っているのをみつけ、一気に不信感が募った。
コロラトゥーラ嬢と会うのは音楽祭当日のセッション以来だ。彼女の歌はとても素晴らしく、性格や態度も控えめで謙虚であり、彼女自身にはそれなりに好感がある。
かといって今この状況が好ましいかといえば、それとこれとは話が別だ。
「ありがとうございます殿下! 来てくださってうれしいです!」
「……なぁ、これはどういうつもりなんだ」
僕達に同行するらしい……というか、僕に同行されることになったらしいコロラトゥーラ嬢をちらと視線で指し示せば、そいつは「え?」とすっとぼけ、
「言ったでしょう、王族たるもの庶民の暮らしを把握することも必要でしょうって。課外学習ですよ、課外学習」
満足気な笑顔でそうのたまった。
話があまりにも唐突すぎるし、そんな課外学習は音楽教師の守備範囲外すぎる。
明らかに何か別の意図があるはずだが、どうやらそれを僕に言う気はないらしい。
——音楽祭が終わってからというもの、彼女が何を考えているのかさっぱりわからない。
距離を取られたかと思えば急に旅行に誘われて、のこのこ来てみればそこには別の女もいて。
もう黙って帰ってやろうかと考えていたところで、ちょうど列車がホームに停まった。
「ほら殿下、行きましょう!」
彼女が自然に僕の手を取るのを、コロラトゥーラ嬢がぎょっとした顔で見ていた。
ああ、そうだよな、こんなに気さくに王太子である僕に触れる女なんて、他のどこを探してもいない。
でも彼女のこういう行動にはなんの裏もなくて、それを僕が許していること自体が特別だということもわかっちゃいない。
帰ってやろうかと思っていたはずなのに、手を振りほどく気にはなれなくて。手を引かれるままに列車に乗ってしまった。
気まずい思いで顔を歪める僕に、コロラトゥーラ嬢がこっそり笑いかけてくる。
『殿下も大変ですね』と、その表情が物語っていた。




