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26話 賭けるわよ、夏に


 確かな証拠があるわけでもないし、たとえ上手くエヴァを引きずり出したとて、エヴァからすれば実行犯の侍女を切ればいいだけの話。

 大事にして可哀想な侍女が生まれるのも嫌だし、これ以上エヴァから疎まれたくもないし、窓ガラスは私の不注意で割ったということにした。

 

 ドミトリーに相談したら、翌日中に新しい窓が設置された。なんなら音楽室の全ての窓が総入れ替えになったし、ずっと放置されてきたカーテンもつけてもらえた。

 

「怪我はなかったのか? 今度の窓は三重構造にしておいたから、もうよほどのことでは割れたりしないだろうが、また何かあればすぐに報告したまえ」

 

 すごい、防犯上も防音上も安心。

 実際、エヴァの二投目は無事阻止されていたのを確認した。貴族のお嬢様付き侍女の肩の力なんてたかが知れている。

 

 しかしそうとなればエヴァも攻撃手段を変えるだけだった。

 ある朝、音楽館のピアノの上に置かれていた『王太子に近づくな』のメモ。

 進研ゼミでやったところだ——ならぬゲームでやったところだ。懐かしい。私がナタリーという名のヒロインだったときに同じことをされたなぁ。

 

 にしてもまいった。エヴァはすっかり思い込みだけで動いている。窓ガラスが割られたあの日以来、私はルチアーノとは一言もしゃべってすらいないのに——。


 

 窓ガラスが割れた音楽館へルチアーノとヴァンクールがやってきたとき、加護の印は取らなくていいということと、ルチアーノに「しばらくの間、無駄に音楽館に出入りしないように」と伝えたのだ。


 もはやどこにエヴァの監視の目があるのかもわからない。これ以上あらぬ疑いをかけられないようにするためには、物理的距離を置くのが一番だと判断した。

 そしてそれをそのまま伝えた。


「不必要に話しかけてくるのも禁止です」


 それなりに距離が縮んでいたとはいえさすがに不敬だったか、ルチアーノは思った以上にブチ切れた。

 

「……だれにものを言ってるかわかってるのか?」

「(やべ)殿下……それが殿下のためでもあるんです」

 

 まぁ主に私の平和な学園ライフのためですが。

 ご理解ください、と頭を下げた私にその後のルチアーノの顔は見えなかった。

 けれど少しして、ルチアーノは「もういい」と冷たく一言だけを発してホールを出ていった。


 それっきりだ、私達の関係は。

 だというのに、


「『王太子に近づくな』と言われても、ねぇ……」


 自分がルチアーノに冷たくあしらわれる理由に気が付かないまま、私に責任転嫁でもしているのだろうか。

 彼女ももっと上手く動けばいいのに——と、そこまで考えて、いやいやと首を振った。

 

 ルチアーノにふさわしいのはエヴァじゃない。

 彼にはちゃんと……明るく穏やかな未来が確約された、ヒロインと幸せになってほしい。

 心からそう思う。

 

 

 ◇



 それからまた数日経ったとある日。

 私は職員室から音楽館へ向かうために階段を降りていた。

 そのとき——背中から思い切り突き飛ばされた。

 

「あ……! あっぶな………!」


 地面にぶつかる直前でヴァンクールの加護の輝きが私を包んでくれたおかげで、無事着地に成功して事なきを得た。

 慌てて振り返ったときには既に階段の上に人の姿はなかったけれど、私が人から恨みを買っているとしたらそれはエヴァしか今のところ心当たりがないわけで。


 盛大な溜息が漏れた。

 前回の窓ガラスもそうだったけど、立派な傷害事件すぎる。教師相手にあの子は何を考えてるんだ。

 

「アンナ先生!?」


 片膝をついたままだった私を誰かが呼ぶ。

 振り返るとナタリーがこちらへ駆け寄ってきていた。

 

「どうしたんですか? 今、階段の上から飛び降りてきませんでしたか!?」


 しまった、着地シーンを見られてたか。

 

「え、ええ……まぁね……。たまに飛びたくなる時があって……」

 

 自発的な飛び降りを装ったけど、これはさすがに厳しい——

 

「そうなんですね……いい演奏のためには体づくりも大切ですもんね! さすがです先生!」

「? あ、ああ、ありがとう……」

 

 どうしよう、IQ2みたいな素直さだわ……。

 

「あの……ナタリー、ルチアーノ殿下とは最近どう?」


 野暮なことは聞くまいとしてここまで来たけど、そうも言っていられなくなってきた。

 とにかくナタリーとルチアーノの関係がひっそりしすぎているせいで、ただの教師と生徒であるはずの私とルチアーノが目立ってしまっているんじゃないか。

 エヴァの目をこちらから逸らしてシナリオを元に戻すためにも、何か私に手伝えることがないだろうかと思った、ものの……

 

「え? 殿下と? ええと、お会いすれば挨拶はしますけど……」


 実はこっそり恐れていた、衝撃の返答を得てしまった。


 ナタリーがルチアーノルートに! 入っていない!


「ほら、音楽祭で殿下と仲良くなったりしなかったの? 二人でたくさん練習も重ねたんでしょう?」

「いえ、殿下はお忙しかったのでピアノ合わせの時間はなかなか取れなくて。ピアノ合わせはリハーサルを含めた二回だけでした。どちらもアンナ先生に見ていただいてますよね?」

「え、ええ……」


 なんてこった……私が目にしていた二人が、二人のすべてだったなんて。私の知らないところで二人で話し合ったりレッスンしたり、そういう青春を送ってるんだとばかり……!

 

 しかし実際、ナタリーの様子は二人の関係を隠しているとかそんな感じでもない。私の前ではなぜかIQ2なこの子が隠し事なんてできるはずもない。

 

 けれど不思議なことにナタリーにはドミトリーともヨナスともヴァンクールとも、他の生徒達とも親密な感じはない。

 ヒロインがこの時期になっても誰のルートにも入らないなんて、そんなことあるわけないのになぜ?

 

(ていうか困る!)


 ルチアーノの幸せを考えてもそうだし、なによりちゃんとナタリーにはルチアーノルートに入ってもらわないと……私は謎にナタリーの代わりに、エヴァから嫌がらせを受け続けることになってしまう!

 いや、ナタリーがいじめられろとかそういうことじゃない。

 ただヒロインには必ずそこから救い出されるストーリーがある一方、私みたいなモブにはそれがあるとは限らないのが問題だ。

 

「そ……そうだナタリー、もうすぐ夏休みでしょう? 夏休みの予定は?」

「実家に帰省します。向こうでもちゃんと練習は欠かさないようにしますね!」

 

 ルチアーノルートなら夏休みは『庶民の生活を僕にも体験させろ』とかなんとかでルチアーノが帰省についてくるはず。

 狭いだとか不便だとか最初はルチアーノも文句ばかりだけど、そのうち『庶民の暮らしもわるくはないな』とかで、数あるエンディングの一つである駆け落ちエンドを匂わせてくるのよね……。

 

「その帰省、ルチアーノ殿下も着いてくる?」

「ええ!? まさか、そんなわけないですよ」

 

 そうよね、今の二人ならそれはないよね。

 

「じゃあ殿下もお誘いするのはどう?」

「なぜ!?」

 

 今から強引にでもルチアーノルートに入ってもらわないと困るから……とは言えないなぁ。

 言えないからどうするか。

 

「私が誘っておくわね」

「先生!?」


 ナタリーの意思はガン無視で勝手に進めることにした。

 音楽祭マジックが起きなかった今、頼れるのは夏休みという胸弾む長期イベントのみ。

 私はぐっと拳を握った。

 

 勝負の夏が始まるわ——。

 

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