25話 とっても便利だもの
生徒会室を出たのは始業の予鈴が鳴った後だったから、当然職員の朝礼には遅刻した。
ルチアーノとヴァンクールによくわからない絡まれ方さえしなければ……と、今更悔やんでも仕方ない。どうせ私にはどうすることもできなかったし。
それにしてもヴァンクールは一体何を考えているんだろう。
音楽館へ向かうべく廊下を歩きながら、朱色の花形の印がついた右手の甲をしげしげ眺めた。
急に『私のもの』なんて言われても……。
「アンナ先生!」
後ろから声がかけられた。ヨナスの声だ。
この印が他人からも見えるものなのかわからないけど、なんとなく背中に手を隠した。
「ごめんね、ずっと話したかったんだけどアンナ先生忙しそうだったし、あれ以降声をかけられなくて……」
『あれ』は音楽祭当日のことだろう。歌姫ミミの登場前。
「ミミを音楽祭に呼んでくれるなんて……本当に最高だったよ! ありがとう!」
「ふふ、楽しんでいただけたようでなによりです」
「ああ。ミミに会えたことも嬉しかったし、生徒達が音楽祭をきっかけにミミに興味を持ってくれるかもしれないことも嬉しい。本当に素晴らしい采配だよ」
直視するには眩しいぐらいに輝くヨナスの笑顔。
うんうんと頷きつつ私は頭の隅で、未だにヨナスがここまでミミ、ミミと言っているということはナタリープロデュース作戦は始まっていなさそうだな、ということを考えていた。
ヨナスの中の音楽祭はナタリーどころではなく、ミミにすべて持っていかれたのかもしれない。
「でもあれだけの規模の祭りだと、準備は相当大変だったよね。来年からは俺も全力で手伝うからなんでも言ってほしい」
「いいんですか? 正直本当に大変だったので助かります……!」
「うん。むしろ今年ももっと頼ってくれたらよかったのに……。アンナ先生は俺に遠慮しすぎだよ。……ねぇ、俺達もっと仲良くなれると思うんだ。来年の打ち合わせも兼ねて食事でもどうかな?」
来年の打ち合わせ? 随分気の早い……モチベーションが高いのは嬉しいことだけど。あれかな、来年もなんとしてもミミを呼ぶために早くスケジュールを抑えたいとかかな。
あー、でももうヨナスと二人で出かけないっていう謎約束をルチアーノとしちゃったんだった。
別に私自身は食事が嫌なわけじゃないし、二人でさえなければ約束は守れるはずなんだけど……どうしようかなぁ。
「アンナ先生、スピント先生。このようなところで立ち話とは。もう授業は始まっているはずでは?」
「あ、副理事長……!」
立ち止まる私たちに向かって、カツカツと靴の踵を鳴らしてドミトリーが近づいてきた。
相変わらず隙のない出で立ちに鋭い眼差しだけど、
「すみません、一限目は授業がないもので」
「あ、俺も……」
「そうか、なら教員同士の意見交換も大事な職務だ。大いに結構」
音楽祭前と比べたら本当に丸くなった。私に対して。
ヨナスから見ても意外すぎるのか、若干挙動不審に私とドミトリーの顔を見比べている。
「アンナ先生、音楽祭の後始末の方はもう終わったのか? 何か手伝うことは?」
「いえ、大丈夫です」
ヨナスが今度はだいぶしっかり私とドミトリーをまじまじ見始めた。いや、ドミトリーが私の手伝いを申し出るなんて、そりゃ私だって内心びっくりだけどそこまで顔には出さない——
「では慰労会を兼ねて食事でもどうかね?」
「へ!?」
これはさすがに顔にも声にも出た。
手伝いどころか慰労会で食事とな?
これまでとの手のひら返しが本当にすごすぎて、逆に何か裏があるのかと勘繰ってしまう。
しかし私はそこで、ある名案を思いついた。
「ではこの三人で行きましょう! 慰労会と来年の打ち合わせを兼ねた食事に!」
「「えっ」」
ちょうど良い。これでルチアーノとの約束は守れるし、ドミトリーとタイマンで食事なんていうあやしいイベントは回避できるし、一石二鳥! 二人とも話は音楽祭についてだし、問題なし!
「それじゃあそういうことで。楽しみにしてますね」
心做しか引き攣った顔をしている二人を置き去りに、私は軽い足取りで歩き出した。
ドミトリーの考えはよくわからないけど、なにしろ音楽祭でナタリーと接触した感じはなさそうかな。
他の攻略対象である同級生キャラ達とナタリーがどうこうなってる様子も全く見受けられないし、これはナタリーはルチアーノルートで確定かしら。
◇
ナタリーとは授業でも部活でも顔を合わせるけど、もちろん「今いい感じの人はいるの?」なんて野暮なことは聞かない。
余計なことをしてシナリオ復帰のために奔走するのももうこりごり。
そう、だから結構気をつけてたの、私。
なんか音楽館に入り浸るルチアーノとか仕事で関わるヨナスとかは仕方ないとして、その他、ナタリーの同級生とかとの関わり方には本当に気をつけてた。
でもその、『ルチアーノが入り浸るのは仕方ない』という考えが甘かったのね。
——と、スローモーションのように自分に降りかかるガラスの欠片たちを目に留めながら、私はそんな振り返りをしていた。
ここに至る話は簡単だ。
授業終わり、私は普通にホールの片付けをしていた。
すると突如、ガチャンッと大きな音と共に拳サイズの石が窓から飛び込んできたのだ。
幸い石自体は私にも楽器にも当たらずに床の上に落ちたものの、このホールの窓は無駄に大きい上に耐久値ゼロ。石による亀裂は一瞬で窓全体に広がって、崩れ落ちたガラスがちょうど窓際にいた私に降り注いだ。
一瞬のことだったけど、そのとき私は確かに見た。
石を投げ入れた直後、植え込みに隠れた誰かのスカートの裾。
あれは今朝エヴァの後ろに控えていたメイドのものだ。
となればこれはおそらくエヴァの指示。
さすがに今朝の一件でここまでの強行に踏み切ったとは思えない。これまでにも、私の知らないうちに、私に目をつけるようなタイミングがどこかであったのだろう。
そう考えると、やっぱり私は甘かったと言わざるを得ない。
気をつけていたつもりだったけど、がっつりシナリオを変えてしまっている。
エヴァが敵視するのはナタリーのはずなのに、どうしてモブ教師の私がこんな目に。
スローモーションで見えていたガラスが直前まで迫ってきたところで、私はなんとか顔を伏せた。
指が使えなくなったらピアノが弾けなくなるので頭を庇うこともできない。
仕方なく両手をぎゅっと握った、その瞬間——私の右手の甲が白く発光した。
「!?」
光は一瞬にして、私を包み込むように広がった。
そして私に突き刺さるはずだったガラスたちが、私を避けるようにしてバラバラと散らばる。
……どこも痛くないし、服にガラスの一片すらついていない。
私を包み込む光が消えた後、私は床に散らばった大量のガラスと、無傷の自分をパチパチと瞬きながら見比べた。
それから今一度右手の甲と、そこに浮かぶ花の印をまじまじ見つめる。
『私の加護の力をあなたに授けました。もしあなたに何か危険があれば、その力が守ってくれることでしょう』
今まさに私は、ヴァンクールが言ってた加護の力に守られたってことよね……?
もしかしてヴァンクールは私がこうなることを予期していたの? だからこの力を授けてくれた?
「し……シゴデキ執事~!!」
最悪すぎるこの状況の中では頼もしすぎるお守りだ。
もうヴァンクールへの感謝の気持ちが止まらない。
その後、窓がないし一応危険なので、今日の部活は急遽休みにした。
そうして散らばったガラスを掃除し終えた頃、ルチアーノがヴァンクールを引き連れてやってきた。
一部始終を知らないルチアーノはヴァンクールに「ほら、加護の印を早く解除しろ!」なんて言う。
私は慌ててその話に割り込んだ。
「いえ殿下! 私このままでかまいませんので! ヴァンクールさんには本当に感謝しています! ありがとうございます!」
「は……は!? はあ!?」
「ああ……わかってくれましたかアンナ先生」
「はい!」
少なくともエヴァに敵は私じゃないと気づいてもらえるまでは、これに守ってもらわないと。
いやでもそれ以降だってこんな便利なものを手放す手はないかもしれない。よく見たら花の形もかわいいしこういう刺青として見ても素敵。
ついうっとり手の印を眺める私を、ルチアーノが信じられないものを見る目で見ていた。
ヴァンクールはルチアーノにも同じ加護の力をあげたりしてないのかな。安心安全でとってもいいのに。
「ほ……本気……なのか……?」
私はとびきりの笑顔で頷いた。
「ええ!」
別にヴァンクールと結婚はしないけど、この力だけはありがたーく受け取らせていただきます!




