24話 いつでも音楽が寄り添うように sideヴァンクール
本当のところ、実際に何年生きたかはもう覚えていない。
最初の数百年はそれはもう好き勝手に過ごした。その時々の生き方が善だったか悪だったかは、今の歴史書を見れば大体わかる。
今の王室に仕えるようになったのは、そろそろ自分のために生きるのももういいかと思うようになった頃。経緯は成り行きだった。
本来なら別に人間に傅くような必要はなく、一人でもどこででも生きていける。
けれど王室での生活を数年続けてみて、誰かのために生きる『生』が私の性には合っていると感じるようになった。
特に子どもはかわいいものだ。無垢で、純粋で、わがままで。
今お仕えしているルチアーノ坊っちゃんも……亡くなられた第一王子も。皆愛らしい。
第一王子が亡くなられて、その悲しみによって大好きだった音楽からも離れてしまわれたルチアーノ坊っちゃんは、それはもう不憫なものだった。
人の命は儚く脆い。だからこそ美しくもあるが、その重さは人の子の手には余る。
塞ぎ込む坊っちゃんに対して、私は何もできなかった。
もう何人の死を見送ってきたかわからない、命を感じる重さが彼らとはまるで違う私の言葉など、なんの慰めにもならないからだ。
——しかしそこへ、彼女が現れた。
「大丈夫ですよ。近いうちに、王太子殿下を救う『運命の人』が現れます」
それは根拠のない励ましかと思われた。
けれど、それは正しかったのだ。
事実としてルチアーノ坊っちゃんは、この日を境に少しずつ変わっていった。
彼女の奏でる音、彼女が導いた坊っちゃんの音、それらが悲しみの沼に沈んだ坊っちゃんの心を掬い上げた。
日に日に以前の明るさを取り戻していく坊っちゃんを間近で見て、私は確信している。
ルチアーノ坊っちゃんにはアンナ・リリコックが——彼女の音楽が必要であると。
「……あんたは興味ないのか? 王太子の婚約者という立場に」
そして、どうやら坊っちゃんにもその自覚はある様子。
しかしアンナ嬢とは王太子と男爵令嬢という身分差の問題もある上に、何より教師と生徒という立場上の問題もある。安直に妃にしてしまおうという考えはいただけない。
坊っちゃんはそれらの問題なんてどうとでもなると考えていそうだが、アンナ嬢側がまずその問題をよしとはしないだろう。
アンナ嬢を坊っちゃんの——ルチアーノ殿下の妻に迎え入れるのは現実的ではない。
ならばどうするか。
「殿下の代わりに、アンナ先生には私の妻になっていただきましょう」
これ以上ない名案だ。
私の妻として城に招けば、彼女は常に私の側に——すなわち殿下のお側にいられる。
彼女が望むなら、その上で宮廷音楽師という職を与えるのもありか。
そうすれば政治だ世間体だという人間の面倒くさい問題はオールクリアした上で、手っ取り早く彼女を学園の音楽教師という枠の中から連れ出すことができる。
この先どんな苦難があろうとも、殿下の傍には美しい音楽が寄り添い続けるということだ。
これこそ優秀な執事である私にふさわしい仕事だと独りごちた。
しかし、
「ヴァンクール!? お前何を言ってるんだ!?」
殿下からは盛大に反感を買ってしまった。
まだたった齢十七の殿下には、この現実が見えていない。
「殿下……この国と殿下のためを思えばこそなのです。わかってください」
「わかるかぁ!!」
殿下が激怒する一方で、アンナ嬢は引き攣った顔をしながら一歩足を後ろに引いた。
「ヴァンクールさんもジョークとか言うんですね。……ではそろそろ授業が始まりますので、私はこれで」
「ああ、アンナ先生少しお待ちを」
踵を返して去りかけていた彼女の手を握った。
驚きつつこちらを見上げる彼女に微笑みかけて、掴んだ手を持ち上げる。
それからその甲に、やさしくキスを落とした。
「!?」
「ヴァン!?」
一瞬だけ、唇の触れた部分が淡く白い光を放つ。
そして光が消えた時、そこにはうっすらと赤い、花に似た形の紋章が浮かんだ。
「私の加護の力をあなたに授けました。もしあなたに何か危険があれば、その力が守ってくれることでしょう」
「はあ……? ありがとうございます……?」
でもそれはあくまで副次効果。本命は……
「そしてこれは、あなたが私のものだという印でもあります」
「え゛」
ピアノを弾くアンナ嬢の目には、必ず手の甲が映る。
毎日毎日この紋章を見て、私の存在に思いを馳せてくれたらいい。
自分が一体誰のものであるか、自覚してくれたらいい。
「ヴァン! お前さっきから一体なんのつもりなんだ!!」
殿下が激怒する中、アンナ嬢は焦ったように紋章を擦って、落ちるわけもないそれをまじまじと見ていた。
けれどそこで、
——カーン……カーン……
始業の予鈴が鳴って、アンナ嬢は「ああ!」と声を上げた。
「もうこんな時間! やばい! ちょっとヴァンクールさん、この悪ふざけのハンコ、後でちゃんと取ってくださいね!」
今は時間がないと判断したアンナ嬢は、そう言い残して慌てて部屋を出ていった。
私が悪ふざけでこんなことをする精霊ではないとわかっているはずなのに、どうしてそういう思考になるのだろうか。
彼女の殿下への対応からしても、彼女はなんだか『自分が他人から好意を寄せられるはずがない』という意識の中で生きている気がする。一体どうしてそんな歪んだ思考になってしまったのかは知らないが。
「ヴァン……まさかお前、僕に喧嘩を売ってるのか……?」
「そんなまさか」
そういえばここまで怒りを露わにする殿下は久しぶりに見た。兄君が生きていた頃は、どちらのケーキの方が大きいだ小さいだでよく揉めていたような気もするが。
まぁそんな怒りはいつも小一時間と続かない方だった。
今回もすぐにわかってくれるだろう。
——さて、そうと決まればさっそく婚姻の準備でも進めようか?




